鈴井貴之

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すずい たかゆき
鈴井 貴之
本名 鈴井 貴之
生年月日 1962年5月6日(53歳)
出生地 日本の旗 日本北海道赤平市
職業 俳優タレント映画監督放送作家
ジャンル テレビドラマ映画バラエティ
配偶者 鈴井亜由美
事務所 CREATIVE OFFICE CUE
主な作品
水曜どうでしょう
モザイクな夜
ドラバラ鈴井の巣
1×8いこうよ!
GO・I・S
man-hole
river
銀のエンゼル

鈴井 貴之(すずい たかゆき 1962年5月6日 - )は、北海道を中心に活動するタレント映画監督放送作家。株式会社CREATIVE OFFICE CUEの取締役会長、株式会社 キュー・プロダクツの取締役会長、有限会社 マンホールフィルム取締役会長。愛称はミスター。妻はCREATIVE OFFICE CUE社長の鈴井亜由美。  

経歴[編集]

北海道赤平市出身。血液型O型。親は教師。幼少期は病弱で入退院を繰り返す日々を送る。小さい頃から8ミリカメラで映画を撮るのが好きであった。北海道長沼高等学校を経て、北海学園大学法学部に入学。しかしそこで演劇に出会い、酒と演劇に溺れ大学を中退。

その後「ノーティキッズ」、「劇団487パラシュート」などいくつかの劇団を立ち上げた後、「劇団OOPARTS(1990年旗揚げ、1998年完全消滅(解散ではないらしい))」を主宰。当時300人収容の札幌本多小劇場や倉庫などの芝居小屋が当たり前だった札幌演劇界の中、700人収容の道新ホールなど大ホールで公演。地元北海道では「1000人の客を集められる男」として演劇界にその名を知られた。

1991年秋に札幌本多小劇場で行った初の一人芝居「LUNA-CY」では、ガラスを割ったり高所からの落下、エキストラに殴られるなどの過激なシーンが乱発。自らの体に保険をかけたほどの意欲作。楽日にはガラスで手を負傷、終演後血の滲む包帯姿で観客のお見送りをし、その後病院へ直行した。

なお、この頃劇団と並行してすすきのバーを経営したりもしていたが、経営状態は思わしくなかったようで、劇団の公演で発生する赤字も含めた借金が膨れ上がり、恐ろしいほどの極貧生活を送っていたという[1]

1992年、役者が芝居に集中できる環境を作るためにCREATIVE OFFICE CUEを設立、代表取締役社長に就任する。当初は鈴井だけであった所属タレントも年を経るごとに増え、現在では自らを含めた10人のタレントと3組のアーティストが所属する事務所となった。

演劇活動、芸能事務所経営と並行して、在札局のテレビ・ラジオ番組の出演・企画・構成を手掛け、AIR-G'では、夕方の帯番組「GO・I・S」を9年余り担当。その後、彼を北海道内で有名にしたのは、自ら企画し、所属俳優の大泉洋、当時HTBアナウンサーであった森田政仁などと共に出演した北海道テレビ放送(HTB)制作の深夜番組モザイクな夜」である。

そして、全国的人気を獲得することになるきっかけとなったのが出演・企画・構成をした「水曜どうでしょう」である。北海道以外でもその内容が話題になり、道内での本放送が終了した後も、テレビ朝日系列を中心とした地方局や関東関西UHF局で放送され、DVDによる販売では記録的な大ヒットとなっている。

かねてから映画を撮る夢を持っており、2001年には初映画監督作品『man-hole』を公開。第10回あきた十文字映画祭で北の十文字賞、第15回福岡アジア国際映画祭2001で審査員特別賞を受賞する。また、ベルリン国際映画祭正式出品作品、金鶏百花映画祭2002公式招待上映作品と海外でも上映された。その後も『river』、『銀のエンゼル』を製作、国内外の映画祭に次々と出品している。 2005年、韓国への映画留学のため芸能活動を中断。これに伴いGO・I・Sの後継番組であったKING GO・I・Sは終了し、ぽっぷこ〜んシネマ音尾琢真に譲る形で降板、1年間タレントとしての活動を休止した。韓国ではカク・キョンテク監督の映画『タイフーン』に参加。10か月もの間プロデューサー待遇でロケ現場、編集など製作現場のほぼ全てに参加し映画制作に携わる。

帰国後の第一号作「リーディングドラマ第一章“DIARY〜失ったガラスの靴を探して…”』の作・演出として約10年振りに本格的に舞台演出家としての活動を始めた。舞台役者としては98年のOOPARTS消滅を以って引退していたが、「CUE DREAM JAM-BOREE 2006」では、プロデューサーたる大泉の策略によって同イベント限定ではあるが8年ぶりに舞台復帰した。また、AIR-G'のHOME&AWAYでレギュラー番組が復活し、本格的に芸能活動を再開させる。アルバイト北海道のCMをプロデュースしたり、JTB北海道のイメージキャラクターに起用されるなど、留学前とはまた違った活躍をしている。

北海道以外からタレントとしてのオファーがあり、2006年3月にはエフエム青森の特別番組のメインパーソナリティーとして出演。同じく2006年10月より、Date FM(FM仙台)をキー局とした東北6県ブロックネットで『北風小僧』(土曜20:00 - 20:55)が放送されていた。

2008年、監督第四作『銀色の雨』を制作した。本作は鈴井にとって初の原作物(浅田次郎の同名短編小説)であり、これまで地元での撮影にこだわってきた鈴井が、初めて道外(鳥取県米子市)を舞台とする映画を制作した。

2009年、ドキュメント番組にて劇団OOPARTS再結成を宣言した。2010年10月にはプロジェクト第一弾として舞台公演『CUT』の上演を行った。

2012年8月1日よりCREATIVE OFFICE CUEの会長に就任することが「CUE DREAM JAM-BOREE 2012」にて発表された。

2015年6月、北海道新幹線の開業PRイメージキャラクターに任命され[2]、同年10月、北海道新幹線特任車掌に任命される[3]

人物[編集]

  • 「CREATIVE OFFICE CUE」の取締役会長で、舞台やテレビ番組の企画・脚本などをこなす。加えて、自らも俳優・タレントとして活動する。
  • 山田家の人々では大泉が自らテーマ曲の作詞・作曲を名乗り出たのにも関わらず何度も締め切りを引き伸ばし、とうとう堪忍袋の緒が切れた番組スタッフが電話で鈴井に締め切りが遅れた理由を全てバラし「(もし最終締切日に間に合わなかったら)覚悟しておけ」と伝言を残し大泉を本気で怯えさせた。[4]大泉はこのスタッフの電話を「デューク東郷への殺人依頼」と称している。
  • 水曜どうでしょうにおいても、大泉や藤村Dが本気で鈴井の怒りを買いかねない行動をした場合には、鈴井にバレる間際には怯え、果てには罪の擦り付け合いに発展する(ヨーロッパ21ヵ国完全制覇アメリカ合衆国横断等)
    • しかし前述のアメリカ合衆国横断では、本気で怒った姿を見せた翌朝、レンタカーにキーを閉じ込んで出発を大幅に遅らせてインキーマンと呼ばれ土下座した上、ホテルの部屋へ戻ろうとした際にその部屋でもインキーをしたことが発覚。スタッフや大泉の弾劾を受け、果てはその怒りの矛先をそらそうと大泉の衣装にケチをつけたため大泉から服装交換のペナルティーを言い渡され、鈴井の立場は完全に失墜した。
  • 愛車はジャガー・XJボルボ・XC90。バイクはBMWのR1200C。
  • 甘いものが大の苦手で、初期の『水曜どうでしょう』ではそれを逆手にとって「甘いもの好き」として扱われ、半強制的に甘いものを大量に食べさせられるシーンが多く見られ(『サイコロ4』など)、「甘いもの早食い・対決列島」という企画も実際に組まれたほど自虐的な一面がある。ただし、餡子などが苦手なだけで甘いもの全てが苦手というわけではないようで、JTB北海道での連載コラムを持つほどのソフトクリーム好きである。他にはお好み焼きマヨネーズを苦手としている。逆に好物は梅干しなど酸味の強い食材で、『対決列島』でも酸味の強い食材で奇襲をかけるシーンが有る。また牡蠣も好物であることが、「水曜どうでしょう」内で明かされている。
  • [5]がいる。『ヨーロッパ21ヵ国完全制覇』では、くまのプーさんのモノマネを娘によくしていることを明かし、どうでしょう班にも披露している。また、サイコロ3後編ではあまりの過酷さに目に娘が思い浮かんで泣いてしまう一幕もあった。
  • 鉄道ファンであり鉄道模型を所有している事を事務所ホームページでの日記や、水曜どうでしょうDVD全集(副音声)にて公言している。
  • コンサドーレ札幌のファンである。中学高校とサッカー部だったためサッカーに精通しており、どうでしょうの「喜界島」の企画の時はコンサのユニフォームを着て登場したりしている。好きな選手は三浦知良
  • ELLEGARDEN細美武士と交流がある。
  • 視力が極端に低く、眼鏡やコンタクトは欠かす事が出来ないらしい。また眼鏡は999.9(フォーナインズ)のものを愛用している。
  • Macintoshのヘビーユーザー[6]。その影響で、大泉をはじめOFFICE CUE関係者にも愛用者が多くいる。
  • ロックバンド、カーネーションのファンであり、映画「man-hole」では音楽を依頼している。
  • どうでしょうの企画『原付日本列島制覇』内で「俺の祖先は(奈良県の)十津川村出身なんだ。だから十津川村に行きたいんだよ」と発言(同村では1889年の災害で約2500人が北海道へ移住した記録がある。現在の新十津川町)。しかしそこに行くためには酷道と言われる程の酷い国道をカブで走らなくてはならないため断念している。
  • プロ野球は、どちらも自身と縁ある地域を拠点とする阪神タイガース(十津川村の在る関西)と北海道日本ハムファイターズ(北海道)のファンの掛け持ちをしている[7]
  • 鈴井亜由美によれば、若い頃は「お金が手元にあればあるだけ使ってしまう」傾向があったとのことで、事務所の所属タレントの給料を勝手に使い込んですすきので豪遊したことが何度もあったという[1]。ただし元々贅沢品には興味が無く「お酒が毎晩飲めればいい」ため「(お金が)なければないでどうにでもなる」タイプでもある[1]

監督・演出作品[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

舞台[編集]

タレント活動[編集]

テレビ番組[編集]

ラジオ番組[編集]

映画[編集]

舞台[編集]

音楽[編集]

著書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 「副社」は見た! ギャラの使い込み、多額の借金。ミスターのダメ歴史〈鈴井亜由美に聞く1〉 - エキサイトレビュー・2012年11月6日
  2. ^ 北海道新幹線開業PRイメージキャラクターに決定!”. CREATIVE OFFICE CUE (2015年6月15日). 2015年9月17日閲覧。
  3. ^ 鈴井貴之さん「特任車掌」 GLAYがBGM 新幹線PR動画
  4. ^ 大泉いわく「『覚悟しておけ』と言われて約束を破ったら、次生き残ったヤツはいない(=確実にCUE事務所をクビになる)」という。
  5. ^ 2007年3月22日の「社長室」(OFFICE CUE オフィシャルサイト内)で、同年3月20日に小学校の卒業式があったと話している。
  6. ^ http://www.apple.com/jp/articles/report/cue/
  7. ^ 祝!ミスター復活、鈴井自身のブログより、2005年7月3日22:55配信、2013年5月20日閲覧。

関連項目[編集]

CREATIVE OFFICE CUE所属タレント[編集]


OOPARTS関係者[編集]

水曜どうでしょう関係者[編集]

  • 藤村忠寿(北海道テレビ放送所属。チーフ・ディレクター)
  • 嬉野雅道(北海道テレビ放送所属。カメラ担当ディレクター)
  • 樋口了一(シンガーソングライター。主題歌である「1/6の夢旅人」作詞・作曲)

その他関わりのある人物[編集]

  • DAIGO(「デイジー」で初めてのPV監督を務めた)
  • 坂本サトル(シンガーソングライター。1999年に「天使達の歌」でソロデビューした際には鈴井が「GO・I・S」を通じて宣伝する等交流があった)

外部リンク[編集]