水曜どうでしょうの企画 (2003年以降)

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水曜どうでしょうの企画 (2003年以降)では、北海道テレビ放送制作のバラエティ深夜番組水曜どうでしょう』で放送された企画の中から、レギュラー放送終了後の2003年以降に「新作」として放送された企画について述べる。企画名については番組内で多数の呼び方がある企画もあるが、本記事においては正式タイトルはDVD版のものとし、未DVD化企画については暫定的に放送時のタイトルを用いるものとする。なお、表記されている放送日時はHTBでの放送日時となる。

レギュラー終了後の企画について[編集]

2002年9月放送の「原付ベトナム縦断」でレギュラー放送が終了し、2003年はDVDの宣伝特番として2本の短編が、2004年には本格的な復活作が放送された。その後は1年に1本のペースで制作されていたが、2008年は開局40周年記念ドラマ『歓喜の歌[1]2009年HTBスペシャルドラマ『ミエルヒ』[2]2012年は同ドラマ『幸せハッピー』の制作に充てたため新作はなかった。以降はD陣の気分が乗ったときに行くというスタイルになっている。実際、大泉はレギュラー放送再開を主張しているものの、D陣が「いろいろほかにやりたいことが多い」ため再開に至っていないという[3]

「6年間の事件簿」「プチ復活」「ジャングル・リベンジ」の3作品は2005年9月21日に発売されたDVD第6弾に、「激闘! 西表島」はDVD第8弾に収録。なお、HTB以外でも『どうでしょうリターンズ』または『水曜どうでしょうClassic』を放送されているテレビ局でも随時新作を放送している。

6年間の事件簿!今語る!あの日!あの時![編集]

  • 2003年1月15日放送、全1夜。
  • DVD第6弾『ジャングル・リベンジ/6年間の事件簿!今語る!あの日!あの時!/プチ復活!思い出のロケ地を訪ねる小さな旅』に収録。

「DVD発売記念」として放送された1時間の総集編であり『リターンズ』『Classic』での放送はない。『どうでしょう』の6年間の放送から、「サイコロ3」の“ヘリ事件”、「ヨーロッパ・リベンジ」の“ドイツ・テント事件”、「シェフ大泉 夏野菜スペシャル」の“パイ事件”といった印象的なシーンが再編集して流された。それぞれに対して感想などを語っていることから、現在のDVD副音声の雰囲気に近い。また、DVD第1弾である「原付ベトナム縦断1800km」の見所紹介も行っている。

大泉洋鈴井貴之の扮装は、レギュラー放送時の総集編と同様「CM入り・明けごとに変わる」スタイルが取られ、大泉は扮装に対して多少のとまどいがあったが、鈴井が張り切って扮装する姿を見て「その気持ちを口に出来なかった」という。

プチ復活!思い出のロケ地を訪ねる小さな旅[編集]

  • 2003年5月21日放送、全1夜。
  • DVD第6弾『ジャングル・リベンジ/6年間の事件簿!今語る!あの日!あの時!/プチ復活!思い出のロケ地を訪ねる小さな旅』に収録。

「DVD・写真集の発売記念」として放送された1時間特番。「原付西日本」の際に訪れた姫だるま工房から「姫だるまの赤ちゃんができたので送ります」という連絡を受けたD陣は、「それならこちらから迎えに行きます」と勝手に鈴井・大泉をキャスティングし、半ば無理矢理な形でスケジュールに穴を開けられたことで不満を持つ両者と共に、大分県竹田市の工房へ向かった。なお、この時大泉は朝から『ドラバラ鈴井の巣』のロケに加えて『GOLGOLGO』(エフエム北海道)の生放送を終えた直後だったが、その上に『おにぎりあたためますか』のロケをドタキャンされ、鈴井はオーディションの最中であった。

工程はスケジュールの関係から日帰りとなるほか、フライトスケジュールの都合上行き帰りのいずれかで都内に1泊する必要があったため、ロケ前日に東京国際空港へ行き、『一致団結!リヤカーで喜界島一周』でも宿泊した羽田東急ホテルに宿泊。ディレクター陣(以下「D陣」)は『喜界島』の時と同様の「4人部屋」(ツインルームにエキストラベッドを2つ加えての4人使用)でホテルを予約したため、大泉はその点についても不満を顕にした。

大分空港からの移動の車中では、約1年ぶりのロケということから思い出話に花が咲くものの、鈴井・大泉は番組の感覚を忘れており、藤村忠寿ディレクター(以下「藤村D」)はカーナビの設定を間違え、嬉野雅道ディレクター(以下「嬉野D」)はカメラ固定用の一脚を忘れた状態でロケを開始。加えてD陣は機材・ロケセッティングが鈴井に頼りきりになったことから、大泉に「ミスターはアズビー(札幌のロケコーディネート会社)じゃねえんだぞ!」と苦言を呈された。なお、行き帰りの行程で共に大分空港を利用したが、工房サイドからは「熊本空港の方が(工房に)近い」ことを知らされる。しかし、既に帰りの便も大分空港発の便を予約済だったこと、レンタカーの返却もあることなどの兼ね合いから、予定の変更は不可能となった。

ちなみに番組の性質上、CM前にはDVD・写真集についての宣伝が毎回挿入されている。

ジャングル・リベンジ[編集]

  • 2004年5月26日 - 7月7日放送、全7夜。
  • DVD第6弾『ジャングル・リベンジ/6年間の事件簿!今語る!あの日!あの時!/プチ復活!思い出のロケ地を訪ねる小さな旅』に収録。

藤村Dが企画会議において「もう一回ジャングルは嫌だよね」と発言したことをきっかけに発案された企画。建前として、1998年に行われた「マレーシアジャングル探検」で起きた事件の真相を知るために、再びマレーシアのジャングル奥地へと潜入する、という名目だったが、本当のところは「ただ大泉くんのビックリした顔が見たかっただけ」とのことだった。

ちなみに、ロケ終了段階での仮称は「激痛」だった。

大泉ドッキリ
冒頭、大泉には「シンガポールでサッカー観戦をした後に、陸路でアンコールワットに行く」という騙しの企画が伝えられる。サッカー観戦については、サッカーファンである鈴井が「いつか海外でのW杯予選を観たい」と所望していたことを知っており、2004年3月31日には実際にジャラン・ベサール・スタジアムにて開催されたW杯1次予選・シンガポール対日本戦を観戦したため、本当の目的を知らされるまで全く疑わなかった。
試合の風景はFIFA主催のため映せなかったが、高原直泰が記録した前半のゴール・藤田俊哉が記録した後半の決勝ゴールで歓喜する様子、インドラ・サーダン・ダウドが後半で同点ゴールを決めた際の呆然とした様子など、鈴井・大泉の応援する姿が第1夜で放送された。『Classic』では試合開始前の会場にガンズ・アンド・ローゼスSweet Child O' Mineが流れており、鈴井はその曲に合わせて旗を振っていた。DVD版では曲部分に大泉の雄叫びが被されている。
サッカー観戦の翌日に一行は列車でクアラルンプールに移動し、「マレーシアジャングル探検」の際に泊まったホテルに「偶然」を装って宿泊、そこで当時の思い出を語るうち、鈴井と藤村Dが「シカ事件」についてのケンカを始め、「予定を変えて真相を確認しに行こう」という流れで大泉に旅の本当の目的地が告げられる(視聴者もここで知らされる格好)。
ちなみに新千歳空港に着いてからネタばらしまでの一連の流れは海外ドラマ「24 -TWENTY FOUR-」のパロディになっている。
ブンブン1回目
前回の旅で本来泊まりたかった、人気のある“ブンブンクンバン”に宿泊。大泉には「今まで過酷な旅をしてきたから、最近忙しい君を労わって今回はリラックスした旅をしよう」という趣旨をメールで伝えたところ、大泉が大変感激したとされている。しかし、誕生日当日にブンブン滞在のためにジャングルを11キロ歩かされる羽目となり、「君たちは喜んだ僕を見て心の中では笑っていたのか」とコメントを残す。藤村Dは「最初の3日間はゆっくり休んだじゃないかと思いながらも、この旅の最中に31歳の誕生日を迎えていた大泉には、少し悪いことをしたと思っている」そうである。
ブンブン2回目
どうでしょう班だけで6年ぶりの“ブンブンブラウ”滞在を果たす。前回訪れた際には施設そのものの老朽化が進んでいたが、6年の間に建て替えが行われ[4]、比べ物にならないほど快適なものへと変わっていた。夜、大泉は腹痛を患うが、トイレと観察場所が離れており、恐怖で1人で用を足すことが出来ず、D陣に付いてきてもらうという事態に。電気が通じていないので照明機材で大泉が照らされ、見られながら用を足すのを目撃していた嬉野が「(大泉さんが)あまりにも気の毒で気の毒で…」と泣き出し、藤村Dに慰められ「照らしてやれよ!照らしてやれって!」という言葉が生まれた。
謝罪会見
前枠・後枠では、企画内で大泉が再三要求していた「謝罪会見」を行った。大泉記者の質問に対して鈴井(たっくんやタコ星人に扮装)が不真面目に応える、という流れ。最終夜の後枠において藤村Dから次回作の行方を占う「ある報告」がある。
またブンブンブラウにて、藤村Dが大泉を「尿泉尿」ともじったことにより、エンディングクレジットで「NYOIZUMI NYO」というアルファベットが当てられた。

放送地区について[編集]

『どうでしょう』の本放送としては初めて、北海道地区での放送直後から『リターンズ』および『Classic』を放送している地域やANN系列局、さらにはANN系列以外の地方局でも次々と放送された。その中にはANN系列のキー局であるテレビ朝日(EX)もあった(鈴井の監督映画『銀のエンゼル』公開の宣伝を兼ねたもの)。

激闘!西表島[編集]

前年に行った「ジャングル・リベンジ」のロケ終了前、大泉が「俺は闘牛をやってみたい」「牛追い祭りなんて良いね」と発言したことを受け、D陣はスペインの「牛追い祭り」(サン・フェルミン祭)を実際に視察する[5]。視察を行った結果、「祭りの全容を見たD陣が満足して興味がなくなってしまった」こと、「牛追いを撮影するにはカメラの台数が足りない」こと、「カメラポジションを確保するための交渉が難しい」ことなど、規模の面での問題が浮上したため、企画を変更する。加えて「今回こそリラックスした旅をしよう」ということから、遊び前提の企画へ方針を定めた。

大泉には「今回は牛追い祭りである」と思い込ませ続け、2005年7月11日にHTBの駐車場で行われた企画発表では、牛追いを彷彿とさせる鈴井の扮装・企画説明用ボードを用意するが、発表された企画は「スペインでのし(牛)追い祭り」ではなく、「西表島でのし(虫)追い祭り」であった。この結果大泉が騙されているが、放送上では触れられていないものの、同じく企画に参加した安田顕も騙されている(大泉と同様にパスポートを持参していた)。

西表島への到着後、現地コーディネーター“ロビンソン”の「虫はつまらない」という一言で「むし追い祭り」という当初の企画が頓挫し、「ロビンソンが紹介する西表島の魅力をたっぷりと紹介する」という企画に変更。これは、そもそもが遊び目的であったため企画が定まっていなかったことによる。対決内容は順に砂浜で魚獲り・ヤシガニ獲り・大うなぎ獲り(と、大うなぎを釣るための餌となるカエル獲り)・テナガエビ釣り・港で魚釣り。

当企画ではどうでしょう班と安田以外にもHTBの番組スタッフも同行し、最終対決では「ハナタレの福屋キャップ」が出演者と共に並んで(画面外で)釣りに参加。エンディングのクレジット表示において同行スタッフの名前も記載された。

放送まで[編集]

2005年7月11日早朝に番組公式ウェブサイトの日記、「CUE FAN MOBILE」(鈴井)、CREATIVE OFFICE CUEの公式ページ(大泉)などでそれぞれが旅に出ることを告知。なお、ロケ期間中はTEAM NACSの全国公演『COMPOSER -響き続ける旋律の調べ-』が行われていたが、大泉と安田のスケジュールがロケのために押さえられていたため、丸1か月の休演期間が設けられた。

「サン・フェルミン祭」は例年通り7月6日 - 14日に開催されており、今回の企画が「牛追い祭り」であると見ていた視聴者は多かったものの、9月に全8夜という「ヨーロッパ・リベンジ」や「アメリカ合衆国横断」と並ぶ長期間の放送が決定。10月5日にHTBでの『Classic』放送直後に新作の予告CMが初OAされた。CMは「牛追い祭り」の映像と驚愕する大泉の映像が使われていたが、企画の詳細は一切伏せられていた。

10月14日 - 10月16日に実施した「水曜どうでしょう祭」において第1夜と第2夜を先行上映。内容は藤村Dにより緘口令が下された。内容については他の都府県各局での放映の絡みから公式ウェブサイト上では明かされずいたが、2006年2月2日愛媛朝日テレビでの新作放送決定を日記で告知する際、嬉野Dが謝って内容を漏らすミスを犯している。ちなみに、正式な企画名と内容を公表は同年7月10日に藤村Dが公式ウェブサイト上で行った。

詳細[編集]

  • ルール
釣りバカ対決シリーズ」と同様のルールで、鈴井・大泉・安田の個人戦。特に主審を設けた点が2002年放送「24時間耐久屋久島釣りバカ グランドチャンピオン大会」に近い(屋久島の主審は藤村D、西表島の主審はロビンソン)。今までの釣りバカシリーズと違うのは、事前に計画していたことが頓挫した事。
前述の通り計画が破綻したため厳密にルールが存在するわけではないが、各ラウンド共通のルール(暗黙のものも含む)を列挙すると以下のようになる。
  • 優勝者には「ムシオイキング」の称号が与えられる。これまで設定されていた優勝特典のようなものは存在しない。
  • ラウンド会場、試合時間、各ラウンドの得点はロビンソン・藤村Dに決定権が存在するが、ロビンソンの判断が優先される。
  • 食す目的のもの以外の獲れたものは基本的にリリースをする(特に天然記念物は許可なく持ち帰る事自体が法律違反となるため、必ず)。
上原港を舞台にした最終対決。ロビンソンの「照明を落とした方が釣れやすい」というアドバイスにより、終始全黒画面の映像しか流れないことになる。ここでどうでしょう班は“仮眠、もしくは就寝しながら釣行する”という「寝釣り」スタイルを考案した。
  • トリオ・ザ・タイツ
前枠・後枠は青タイツ(鈴井)・茶タイツ(大泉)・黄タイツ(安田)によるトリオ漫才。また、企画の後半になってくると大泉のやる気がまったく見られないことがわかる。収録はいつもどおり平岸高台公園で撮っているが、第3夜は2005年10月に開催され、第2夜までの先行上映の行われた『水曜どうでしょう祭り』会場、第5夜、第6夜はスケジュールの都合上『ハナタレナックス』の沖縄ロケに同行しそこで撮った。沖縄では鈴井と安田は酒を飲み過ぎたため、非常に残念なことをしてしまい、それぞれ前枠・後枠でネタにされた。
  • ロケ移動は1日ではできず、まず、石垣島に宿泊することとなった。
  • 石垣島の宿では大泉が泥酔した挙句、社長の鈴井を含めたCUE3人での相部屋であることに対してボヤいている。しかし、西表島では全員相部屋。しまいには最終対決で港にて夜を明かすことになる。
  • 大泉と藤村Dはいつも以上に酒を飲んでおり、特に藤村Dは10時間以上飲み続けて現地の人をちゃん付けで呼ぶほど意気投合をしてしまう。
第1ラウンド 海での魚獲り
  • まずは西表島の海の魅力を紹介しようと、『ファインディング・ニモ』で有名なクマノミが獲れるということで、海で魚獲りを行った。この時点で最初の企画だったむし追いは完全に破綻した。
  • ルールは「海の中に入り、魚を獲る」。小さい魚が1点、クマノミが5点、大きいクマノミが10点、ヒトデは0点。
    • D陣は水中カメラを持ってきていないため、水槽の中にカメラを入れて撮影する原始的手法を採った。
  • このラウンド終了時の獲得ポイントは、鈴井6点、大泉1点、安田12点。
第2ラウンド ヤシガニ獲り
  • 罠を仕掛けてヤシガニを獲ったり、オオオカヤドカリなどの生物を発見する。ヤシガニ15点、ヤシガニを手で捕まえると5点、オオオカヤドカリ5点など。虫は0点、おめでとうの一言だけ。
    • このラウンドは山の中に入るため、ハブにかまれる危険性があるので長靴が必須であるが、準備していなかったためにスタイリスト小松が急遽買いに行った。
    • 鈴井はオオオカヤドカリを見つけて手に獲ってポイントを稼いだが、ヤドカリが中に入ってしまうために動いている映像が撮れず5点減点されてしまった。
    • さらに鈴井は大きいヤシガニをゲットし、藤村Dはロビンソンに「20点ぐらいあげても良いか」と聞いたが、ロビンソンが「18ぐらいだろう」と言ったことで、暗黙のルールで18点になってしまった。
    • 大泉はクイナの雛を発見し、藤村Dは5点としたが、ロビンソンが10点としたため、また暗黙のルールで10点獲得する。
  • このラウンド終了時の獲得ポイントは、鈴井34点、大泉26点、安田12点。
第3ラウンド 大うなぎ獲り
  • ロビンソンが藤村Dに「でっかいうなぎがいる」スポットを紹介し、そこへ行くことを決める。
  • まず餌となる蛙を捕まえ、蛙の仕掛けを作り、翌日の朝にかかっているかどうかを見に行く。得点はロビンソンの裁量によって決まり、餌自体は得点にはならない。
    • ヤシガニ獲り終了後の午後11時頃から蛙探しを始めたがなかなか見つからず、深夜2時まで西表島中を車で駆けずり回ることになってしまう。蛙が6匹必要だったが、2匹(もう1匹いたが小さいため餌としては使えず)とあまりに取れないため、餌は蛙2匹と蛙の代わりにテナガエビ2匹を代用して挑むことになった。
    • やる気のない出演者は、ロビンソンの車の荷台に乗せられることになってしまった。最初は大泉が乗ることになり、その後ロビンソンの車の中で寝ていた安田が荷台に乗せられ(その後大泉はゲスト解説者としてD陣の車に乗った)、2人とも荷台では完全にやられてしまった。一向に蛙が見つからない状況から、午前1時を過ぎたころ、大泉が「ロビンソン…、やめてくんねぇかなあ」と発言したことをきっかけに、D陣の車内で完全にボヤキ始めてしまった。
    • 午前1時半を過ぎ、ようやくロビンソンが蛙探しを断念したが、「(代わりに)小魚獲る」と言い出したため、急遽大うなぎの仕掛けをする川で小魚獲りを行うこととなった。川の途中にあるトンネルを利用し、出演陣がトンネルの出口で網を構え、反対側の入口からロビンソンが魚を追い込むという単純な作戦だったが、あえなく失敗した。しかし、ロビンソンがもう一度やろうとしたため、たまりかねた大泉から「ロビンソン、もう帰ろうよ」という言葉が飛び出した。結局再度同じ作戦を実行したが、またも失敗に終わり、一同が沈黙する中でロビンソンが「疲れちゃったよ、オレ」と発言したことから、一同大爆笑となった。
    • 蛙を使った鈴井、安田は大うなぎを釣り上げた。大きさから鈴井100点、安田120点。テナガエビを使った大泉はホシマダラハゼ(ロビンソン談・日本最大のハゼ)を釣り上げた。得点は50点だったが、大泉が珍しさを押したため85点に上がる。
  • このラウンド終了時の獲得ポイントは、鈴井134点、大泉111点、安田132点
第4ラウンド テナガエビ釣りなど4種
  • ルールは、テナガエビなどを釣り上げ、大きさ、雄雌、釣り上げた数などを基準にロビンソンの裁量によって決まる。よって、明確な基準はない。
    • 会場に行く前にロビンソンはオオタニワタリの新芽を探すが見つからず、一同は前日の蛙探しの二の舞を危惧する。藤村Dはこの状況をすでに楽しんでおり、ロビンソンを煽り立てた。
    • 会場へはカヌーで上流へ向かう。カヌーの後方(舵取り役)は鈴井が、前方(エンジン役)は安田が担当。大泉はカヌーの真ん中(役目はなし)。藤村Dは役に立たないボンクラ、大泉は中盤の司令塔と称した。
    • この時大泉はロビンソンのモノマネを完全に習得し、モノマネの実力がさらに増していることを証明した。
    • 今までの釣りバカシリーズでは、スタートの合図を「プレイボール」としていたが、ロビンソンは「プレイボーイ」とダジャレを言い、それ以降はすべて「プレイボーイ」に。
  1. 最初は釣竿釣りを行い、3人が1匹ずつ釣り上げた。大きさなどの差異によって大泉3点、安田15点、鈴井10点。
  2. 小型の網と寄せ餌を使った釣りは、時間内に釣り上げた数をまとめて得点とすることとなり、数の多い大泉が50点、鈴井が35点、安田が15点。この後テナガエビは油で揚げて食した。
  3. 釣竿を使ってオオグチユゴイを釣る。入れ食いが予想されたが、30分の間に誰も釣り上げることなく終了。
  4. カヌーに帰る途中、クロダイを発見したため、クロダイ釣りを行うことに。ロビンソンの一言で誰かが釣らないと帰れないことになる。大泉が周りに促される形で釣り上げ30点ゲット。
  • このラウンド終了時の獲得ポイントは、鈴井179点、大泉194点、安田162点。
  • なお、このラウンドにてロビンソンが過去に阿寒町に住んでいたことが判明。
最終ラウンド 夜釣りよ今夜もありがとう
  • クロダイ釣り後、藤村Dが夜釣りポイントを聞き、上原港で夜釣りをする。
  • ルールは、ゴマフエダイなどを釣り上げ、得点、競技時間は藤村Dの裁量によって決まる。ゴマフエダイで20〜30点。
    • 大泉がいきなりヒットしたがバレてしまう。その引きから「釣りが怖い」と言い出す。
    • ロビンソンは当初来なかったが、途中心配になり上原港にやってきて指導をした。「ゴマフエダイは警戒心が強く、ライトを照らすと釣れない」の指導を受け、D陣は照明を消し、ヒット時以外は真っ暗な画面で番組が進行した。その後、真っ暗で何も見えない状態が続くので彼らがしゃべる音声を文字を表示させる以外は画面が黒いまま「前代未聞の文字放送バラエティ」と銘打ち放送された。
    • 全員疲労困憊で、椅子も用意されていない状況から「寝釣り」という方法を編み出す。竿を持って横になり、釣れるのをひたすら待ち、そのうち本当に寝てしまい「マジ寝釣り」という変則技を編み出す。
    • そのうち流れ星が流れ始め、大泉は1度目は「金が欲しい」と願い、2度目は「布団で寝たいと願えばよかった」と流れた後に悔やみ、出演者・スタッフ全員の状態を大泉が「これは〜、上原港一泊ですね!」と3つの名言を発する。スタイリスト小松や嬉野Dら路上で横になり始めた者は、みな“上原港一泊”扱いされていく。
    • 福屋キャップはこのラウンドに特別参加をしているが1人寝ず、「静かにしてくれ。集中してるんだ。来てるぞ」と出演陣よりもやる気に満ちていた。しかしキャップの浮きは微動だにしなかった。
    • 鈴井は半袖で寝ていたため、寝冷えをしてしまう。安田は竿ではなく懐中電灯を握るという荒技「寝ボケ釣り(要は単なるミス)」を考案。
    • 大泉は毒性のあるハナミノカサゴを釣り上げてしまう。珍しいので40点を獲得。
    • そのうち大泉があまりに長時間の真っ暗な画を盛り上げるために「抗議の電話、FAXが殺到しております。深夜です。おかけ間違えのないように」の名言が出てきた。福屋キャップには、激励のFAX・メールが送られる。
    • 出演者・スタッフは上原港で夜を明かすこととなった。競技時間は午前5時を周り、藤村Dは午前6時までと設定する。その後、日の出までと変更。
  • 全ラウンド終了し、獲得ポイントは、鈴井239点、大泉314点、安田162点で、むし追いキングは大泉が獲得した。安田はこのラウンドで魚を1匹も釣ることが出来ず。
    • 終了後、ロビンソンと船を使って貝殻の一杯の島に行き、そこでエンディングとなった。

ロビンソン[編集]

この企画の中心となったロビンソンは現地の観光コーディネーターで、このロケの一部であるカヌーとテナガエビ釣りのツアーを「どうでしょうロケ地巡りツアー」としてどうでしょうファン向けに提供している。放送直後からロビンソンを訪れるファンが多くおり、新たな聖地となっている。なおロビンソンはフジテレビ『晴れたらイイねッ!』を始めとして数々の西表島を紹介する番組に出演している。また、かつて北海道の阿寒町に住んでいたことがある。

ヨーロッパ20ヵ国完全制覇 〜完結編〜[編集]

1997年の『ヨーロッパ21ヵ国完全制覇』および1999年の『ヨーロッパ・リベンジ 〜美しき国々の人間破壊〜』において、時間上の制約から周り切れなかったバチカン市国サン・マリノポルトガルを周りきる企画。前2回で訪れていない国のうち、地理的に4国から距離があるアイルランドは除外され、タイトルも「21ヵ国」から「20ヵ国」へと変更された。仮タイトルは「2007年新春スペシャル! 2006年最新作! 真冬に見る! 夏の思い出!」。

1997年の「ヨーロッパ21ヵ国完全制覇」の開始日から丁度9年が経過した2006年8月22日にHTB前から出発。これまでの「ヨーロッパ」シリーズはフランス凱旋門前のロータリー交差点からのスタートであったが、バチカン市国への入国を果たすべくイタリアローマからのスタートとなった。バチカン市国への入国後、ローマでレンタカー(ルノー・ラグナIIワゴン MT車)を借りサン・マリノ、フランス・スペインを横断してポルトガルにあるユーラシア大陸最西端のロカ岬を目指す。

放送までの経緯[編集]

2006年2月6日、CREATIVE OFFICE CUE社内にて、鈴井・嬉野D・藤村Dの3者による2006年の最新作についての会議が行われ、企画が決定する。D陣は大泉に対し「スケジュール以外の企画に対する質疑」を行うことを禁止すると宣言。これに対し、大泉はCREATIVE OFFICE CUEの公式サイト内にで「企画会議に参加させて欲しい」と申し出たものの、「大泉のビックリした顔」を期待するD陣に拒否されている。

また、藤村Dはこの新作ロケに合わせ、ドラマ『小早川伸木の恋』(フジテレビ)の出演における役作りとしてストレートヘアに変えていた大泉を、ロケ実施までに元来の「パーマをかけたもじゃもじゃの髪形」へ戻すことを命令。「戻さなければ(大泉が)カツラをかぶってロケを行う」とも発言した。

書き込み

今回、出発後に以下の時間(日本時間)に出演者による書き込みが行われている。ちなみに前回の西表島では藤村Dの「しばらく旅に出ます」のみであった。当然ながら、書き込みには企画内容や場所はあまり記載されていない。しかし、旅を終えて初めての公式サイトの日記の更新は、藤村Dは「海外へ行ってきた」と記したが、これ以上の情報は一切不明である。

  • 8月22日 04:59 (藤村)「しばらく旅にでます。留守をよろしく」
  • 8月22日 12:00 (鈴井)「しばらく社長室を空けます。」
  • 8月23日 08:05 (大泉)「只今久しぶりの旅をしております」「けっこうな長旅になりそうです。」などと記載。
  • 8月25日 14:52 (鈴井)「元気です。」
  • 8月25日 15:51 (大泉)安田のドラマについて言及。
  • 8月31日 09:43 (大泉)東京タワーの再撮の内容やいまだにどうでしょうの企画を行っていること、さらには音尾琢真の日記に対するコメントなどを書き添える。
  • 9月1日 17:41 (大泉)ロケ中に確認される最後の書き込み。森崎の長台詞について「旅の途中もその話題で持ち切りでしたよ。」と記載、ロケ自体は終了し帰札途中とも受け取れる。
  • 9月4日 01:43 (鈴井)「休日でした。」「今日(9月3日と推測される)自宅から一歩も出ずに、旅の疲れを癒し、日常へのリハビリに努めておりました。」
  • 9月4日 18:29 (藤村)「海外に行っておりました。」と2006年の新作は海外で行ったことを公表。「不本意ながら疲れしまった。」「みっちり旅をしてまいりました。」
  • 9月5日 16:59 (嬉野)ミスターが9月2日の夜に千歳空港に降り立ったときに北海道の温度差で風邪を引くと語ったこと、藤村Dが旅初日の出発前に自業自得のケガをしたことが書かれていた。

なお、(鈴井)とあるのはCREATIVE OFFICE CUE公式サイト内の「社長室」、(大泉)はCREATIVE OFFICE CUE公式サイト内の「CUEダイアリー」、(藤村)および(嬉野)とあるのは番組公式サイトのトップページにそれぞれが書き込んだ発言である。

旅での主な出来事[編集]

  • 冒頭で大泉・藤村Dが「『旅のカリスマ』どうでしょう軍団が、ワンランク上の旅を提案する」と豪語するものの、「バチカン市国のサン・ピエトロ広場バチカン美術館システィーナ礼拝堂の絵画『最後の審判』などが見学コースに含まれる)を見学するための列と間違えてサン・ピエトロ大聖堂への参拝列に並び、歴代法王墳墓を参拝する」「 フィレンツェサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂で、ドーム天井の絵画『最後の審判』を見るつもりで列に並んだが、1人6ユーロを支払って塔の頂上へ登る(6ユーロは塔へ登るための拝観料。大聖堂は無料で拝観することが可能)」などのハプニングが続出した。
  • この直後にドラマ出演[6]があり、撮影を控える大泉は日焼けをすることができないため、箱にSPF値が“70”と書いてあったサンスクリーン剤を購入したが、塗りこんでも液の白い色が消えず、肌が白粉を付けたかのような白色へと変化した。後に訪れる アルコス・デ・ラ・フロンテーラでは建物の白色を利用し、「(サンスクリーン剤を顔に塗った)大泉・鈴井を探す」というイベントも行われる。
  • 出発の朝には藤村Dが日課のジョギングの途中で左足をくじいて捻挫[7]、鈴井が疲労から宿泊先のホテルで夕食後に嘔吐、大泉が宿泊したレストランで海老料理を食べた際にアレルギーで顔へのじんましんを発症など、最年長の嬉野D以外が何らかの形で健康を害することになった。
  • 最終的にポルトガルに着くが、ロカ岬の正確な位置が分からず、さらに藤村Dが渋ったため、「ロカ岬の前にある岬」をゴールと認定した。

ゴールについて[編集]

  • 放送ではロカ岬にたどり着けずラソ岬でゴールしたことになっているが、実際は「地獄の口」という観光地である。ゴール地点で「あっちのが明らかに出てねぇか?」と発言したのは、ロカ岬でもラソ岬でもない単なる海岸線である。
  • 一度岬を通り越したことになっているが、ロカ岬は一本道の突き当たりであるため通り越せない(また、鈴井は「灯台は岬からかなり離れている」と発言しているが、実際には岬とほど近い場所に灯台がある)。一度通り越した灯台は、リスボンからラソ岬に至る道中のカスカイスの街にあるギア灯台(Farol_da_Guia_(Cascais)[8]である。最初に「ゴール!」と叫んだのは「Furnas do Guincho」というレストランの近く[9]。したがって、映像の中ではラソ岬にすらたどり着いていない。

旅程[編集]

8月22日
日本の旗 日本千歳成田イタリアの旗 イタリアローマ
8月23日
イタリアの旗 イタリアローマバチカンの旗 バチカンイタリアの旗 イタリアフィレンツェ
8月24日
イタリアの旗 イタリア・フィレンツェ→サンマリノの旗 サンマリノイタリアの旗 イタリアボローニャ
8月25日
イタリアの旗 イタリア・ボローニャ→ピサピサの斜塔)→フランスの旗 フランスエクス=アン=プロヴァンス
8月26日
フランスの旗 フランス・エクス=アン=プロヴァンス→マルセイユ(通過)→スペインの旗 スペインバルセロナ
8月27日
スペインの旗 スペイン・バルセロナ→サグント(通過)→バレンシアクエンカ
8月28日
スペインの旗 スペイン・クエンカ→カンポ・デ・クリプターナウベダ
8月29日
スペインの旗 スペイン・ウベダ→グラナダアルハンブラ宮殿)→アルコス・デ・ラ・フロンテーラパラドール
8月30日
スペインの旗 スペイン・アルコス・デ・ラ・フロンテーラ→ポルトガルの旗 ポルトガルリスボン→ゴール

原付日本列島制覇 東京-紀伊半島-高知[編集]

北海道地区においては前作から4年ぶりの新作放映。撮影は放送のおよそ半年前である2010年夏に行われたが、撮影量の多さから編集作業に時間が掛かり[10]、2011年春に「対決列島 〜甘いもの国盗り物語〜」を超える規模の全12週に渡って放送された。今作から番組史上初のハイビジョン制作へ変更。オープニング映像は画角が4:3であることを前提に制作されているが、タイトルバックが黒だったことから継続して使用(映像自体は16:9の画角に対応する形で作り直されている)された。また、本編中に登場する過去の企画映像・画像に対しては、ワイプとしての挿入およびサイドパネル付きで放送された。

これまで「72時間!原付東日本縦断ラリー」「原付西日本制覇」と続いてきた原付列島縦断の最終章と銘打ち、前2つの企画で回っていなかった東京から高知の区間[11]を制覇することを目標とする。大泉がNHK大河ドラマ龍馬伝』に出演したことにちなみ、ゴールを高知県桂浜の坂本龍馬像とし、羽田空港(厳密にはその近郊)からスタートした。また、道中では「対決列島」の要素も組み込まれ、鈴井と藤村Dが『荷台に乗せたあるもの』を賭けて甘味対決をするシーンも見られた。詳細は後述する。

今回はD陣の負担軽減を目的に、専属カメラマン(通称:タケシ。前後枠の撮影も担当している鈴木武司)・ドライバー(先述の松倉)・音声担当(通称:ガッツ)の3名が付いている。その結果、嬉野Dはビデオの代わりにスチル写真を撮っていたほか、トークにも通常以上に介入していた。これまでのロケでは、撮影担当である為カメラのファインダー越しでしかロケの様子を見てこなかった嬉野Dは、今回初めて直接自分の目でロケを見ることになり、「生でどうでしょう見てるみたい」という感想を残した(その感想を聞いて鈴井は「素人さんの感想」、大泉は「どうでしょうの旅に選ばれて参加した視聴者」と評した)。また、撮影担当の負担が無くなった嬉野Dはしばしば居眠りをしそうになり、藤村Dが「文久三年!」「嘉永六年!」と、『龍馬伝』のナレーションを真似た絶叫で起こしたため、大泉からは「弥太郎さんの元号アラーム」と形容された。その後大泉は「目覚まし時計として商品化イケる」と発言したが、放送終了後に、藤村Dの音声と大泉の腹太鼓を収録した「水曜どうでしょう原付日本列島制覇 文久目覚まし時計」が実際に発売された[12]

宿に着いてからのパターンはほぼ統一されており、毎晩のように大泉と藤村Dが相撲を取っていた(正確には張り手の打ち合い。たまに鈴井によるドロップキック)。そして、相撲が終わり大泉が腹を叩き鳴らすと同時に宿の外観の画像に切り替わり「どうでしょう○○(宿泊地名)場所 終」と表示され、さもNHKの大相撲中継のような締め方をしていた。しかも、その後さらに宿の外観のままトークが進むこともあった。

本企画においては最終夜のエンディング以外で「1/6の夢旅人2002」は用いられていない。またこの企画から、長きに渡りテレビ放送において予告編・日時場所スーパーの音楽で使われた映画「ガメラ」のサウンドトラックが、DVD第10弾以降に使われている「水曜どうでしょう予告編(本間昭光作曲)」へと切り替わった。

放送まで[編集]

2010年7月27日 - 8月1日 当企画のロケを5泊6日の日程で実施。過去の「原付」企画の中では、最も日程にゆとりがあった(東日本は鈴井のラジオ『GO・I・S』の生放送との兼ね合いで4日間。西日本では全行程が同じく6日間だが、大泉出演のラジオ『GOLGO』の生放送が入っていたため、3日目で一時中断)。この最中、4年ぶりに旅に出たことがあるインターネットサイトのトップニュースになり、本編中でも話題になった。

今回は初めてインターネットからVOD方式で放送と同時に有料配信され、アクトビラJ:COMオンデマンドひかりTVの3サービスで配信された。しかし、放送開始前の配信タイトルに今回の企画名が含まれるというネタバレが発生してしまうことが判明し、その後放送までに企画を伏せたものに直された。特にアクトビラは初回配信直後にアクセスが異常に集中し、サーバーがパンクするトラブルが発生。CUE公式サイトにて「アクトビラの扉が開かない」というコメントが発せられた。

2010年9月21日、藤村Dと嬉野DによるUstream生放送「腹を割って話そう」の第1弾が、HTB本社内にある藤村Dが普段番組編集などに使用している編集室で実施され、放送前の当企画の冒頭の画像が編集卓のディスプレイに映された。

前枠後枠について[編集]

  • 『龍馬伝』にちなみ、大泉が坂本龍馬、鈴井が岩崎弥太郎に扮する(鈴井が演じる弥太郎が鳥篭を売るという設定で、大泉が演じる龍馬の提案に従い、あらゆる方法で鳥篭を売るという内容)。途中から鈴井がソリによるダイブを行うなど、「ヨーロッパ20ヵ国」と似た演出も見られた。
  • 第11夜から扮する役柄が交代(大泉が岩崎弥太郎、鈴井が坂本龍馬)。ただし基本的な立ち位置は変わらず、ソリを「いろは丸」に見立て、龍馬こと鈴井を乗せたまま急加速で引っ張り落としている。

主な出来事[編集]

  • 初日冒頭、企画発表前に大泉が結婚したこと(2009年に結婚)について触れられたが、今回も(新たに家庭を持ったにも関わらず)企画内容は事前に知らされることはなかった。しかし、パスポートを大泉本人が持っていたため、国内企画だろうという察しはついていた[13]ようで、結果として予想は的中。しかし、カブで高知へ行くと判明した時には落胆し「やる気ないなぁ」、「じゃあ(カブを)四国に運べば?」などと不満を漏らした。また、冒頭からカブが二人の数百メートル後ろに置いてあった(視聴者へは、企画発表へ繋がるトークの中でカメラを徐々にカブヘズームしていく形でネタばらししている)のだが、大泉はそれに気づいていなかった。
  • 「原付西日本」の後カブに乗るのが10年ぶり[14]だった事もあり、出発前に軽く運転練習を行った。その中で、藤村Dが大泉に変速部の操作方法を説明してる際に、大泉がうっかりスロットルを回してしまい危うく急発進しかけるハプニングが発生している。
  • 1日目、藤村Dの「初日は若干甘やかしている」という趣旨の発言に、大泉が反論し、びっくりドンキーで昼食をとった際に藤村Dが1人だけビールを飲んだことを指摘。さらに、夏休み中であることが災いし渋滞にはまったため、初日にして疲労がピークに達した大泉は「これは全然赤ヘル投入だった」と発言し、2日目以降昼間の飲酒は(カブを運転している鈴井と大泉、後続車のドライバー松倉は運転するため、カメラマンのタケシは撮影に影響するためもちろんだが)全面禁止となった。この結果、2日目以降は大泉が藤村Dと交代するシーンがたびたび登場することとなる。
  • 今回、鈴井のカブの荷台には「マルシン出前機1型」という出前機が取り付けられた。しかし、出前機の重さの影響でいつもの操作感がくるい(急坂で1速に入れないと登れない、ギアチェンジ時に若干車体が浮く、発進時にハンドル操作がぶれるなど)、たびたび出前機を外すよう要求した。それが、後述の甘味対決につながる。
  • 2日目、大泉に代わり藤村Dが“赤ヘル”で初登板した際、静岡県榛原郡吉田町を通った。そこで大泉は「君(藤村D)のお母さんが行ってる整体の先生がいる所だ」と話した。そこから話は展開し「藤村Dの母が札幌の大泉の母を名古屋まで呼び出し、行き先も告げず旅に出て九州まで行った」という驚愕のエピソードを藤村Dが話した。
  • マルシンの性能を確かめるため、途中、岡持ちを積み、その中にお茶を注いだラーメンどんぶりを入れ、お茶がこぼれるかどうかを実験したが、そもそもどんぶりにラップをかけるという基本的な手順を忘れていたため、お茶がこぼれてしまった。なお、この検証をした際に1度鈴井と大泉が交代する形で、大泉もマルシン付きのカブの乗り心地を体験している。
  • 小田原を通過した際には出演陣、D陣で小田原城をカメラに収めるべく探したものの、ビル工事が邪魔をして瞬時にしか映らなかったために出演陣、D陣全員で小田原城が見えるポイントを探した際に嬉野Dが城を扮したういろう屋に対し「あぁでもこれ違う?」と発言して全員から総ツッコミされた。結局小田原城をカメラに収めることができなかったので、工事が邪魔して見切れた小田原城をスローで流し、テロップを入れたものと、ういろう屋の画に小田原城のテロップを入れたものを使う苦肉の策を取った。
  • レギュラー放送時代の道外ロケと違い、今やほぼ全国で『Classic』が放送されていることから鈴井・大泉を発見するドライバーも少なからずあった(2日目の静岡市清水区では信号待ちの際、郵便配送のトラックドライバーが気付き大泉と会話もしている)。また、車の窓ガラスに貼る「どうでしょうステッカー」を貼った車にも何度か遭遇している。
    • 特に、浜松市内走行中に2人の前方を走っていた軽自動車のドライバーに至っては、信号待ちの停車中に後続がどうでしょう班だと気づいて大泉と会話した際、テンションが上がるあまり車が揺れる程興奮していた。この軽自動車はしばらく同一方向に向かっていた為、どうでしょう班を先導するような形になり、この状況を大泉は「軍団の若手が先導している」、「(どうでしょう軍団の)パレードと言って良いでしょう」と表現した。
  • 上記のことがあったため、4日目からカモフラージュのために鈴井・大泉が扮装して走行するようになった(鈴井がそば屋風、大泉が(本人曰く)宮大工風)。鈴井はそれに加え、途中で後述の対決の結果浴衣になったほか、最終日は前日のスイカ対決の公約により、徳島県内のとある道の駅で売っていた草木染のスカーフと、女性用のシャツに変わり、見た目がおばちゃんになったため、「大泉の後ろを笑いながらついてくる、熱烈な追っかけのおばちゃん」というやり取りが展開されることとなった。
  • 3日目、伊勢に上陸後、道路上の電柱などに大量の赤福の看板が掲示されている状況に遭遇。この状況は「赤福コール」と呼ばれ、昼食に伊勢うどんを食べるまで話題となったが、赤福を苦手とする鈴井は、「コール」を頑なに無視し、「赤福とずんだは(嫌いな甘味の)ツートップ」という発言にいたる[15]。そして、その夜赤福対決が行われ、この日鈴井は精神的に大きなダメージを受けることとなった。
  • 3日目の夜、4日目の走行ルートとして、藤村Dは当初国道425号線を通るルートを計画したが、インターネットで検索した鈴井に「国道425号線は酷道」と指摘されたため、ルートを変更した。この件で藤村Dは大泉に「普通以下のディレクター」と評された。
  • 第9夜に、「原付東日本」で、大泉がスロットル操作ミスとギアチェンジミスでウィリーし「安全第一」のバリケードに突っ込んでしまった「だるま屋ウィリー事件」を彷彿とさせる、工事現場の片側交互通行信号に遭遇するシーンがあった(当時の現場とは当然違う場所)。信号待ちの間にその話題になり、当時の映像も流された。また、この中で大泉が「あの時をねぇ乗り越えたいんです」と語り、11年前同様5秒前からのカウントダウンをし、若干手間取ったものの無事に発進成功。画面には、2010年夏「だるま屋ウィリー事件」を乗り越えました-大泉 洋と表示された。しかし、翌第10夜で再度片側交互通行信号に遭遇した際に、かき氷対決をした道の駅を出発する際に駐車場で小ウィリーしてしまい、克服したはずの過去をまだ引きずっていたことが明らかとなった。
  • 第11夜、和歌山県内の山道を走っている際に、大泉が赤ヘル(藤村Dが赤いヘルメットをかぶって代走すること)登板を要求して、後続車両に乗った際、車内にあった「ピリ辛ごぼうスナック」を食べてむせてしまい、声が一時ガラガラになった。しかし、それを逆手にとって元首相「麻生太郎」(テロップでは正しく表示しているが、この時大泉は麻生タケシと言い間違えている)のモノマネを始め、さらにその後、龍馬伝で共演した「福山雅治」や「笑福亭仁鶴」のモノマネを披露した。福山のモノマネ中には、龍馬伝撮影中の裏話として、同じく龍馬伝に出演していた音尾琢真の上裸姿を見た福山が音尾に対し「音尾君、乳首でかいね。何かやってるの?」と訊いたエピソードを明かしている。
  • 第12夜では一行が四国に上陸。番組初期より関わりの深い土地であったが、四国上陸はレギュラー放送時の「四国八十八ヵ所III」以来8年半ぶり(ロケ時、放送では9年半ぶり)となった。

甘味対決[編集]

この企画では鈴井が荷台につけている「マルシン出前機1型」を巡り4回も甘味対決をした。

  • 1回戦 赤福対決(第6夜)
伊勢の旅館で、鈴井が翌日「マルシン出前機1型」を荷台につけるかをかけて勝負。種目は赤福8個。ハンデは鈴井が給水1回に対し、藤村Dは給水なし。鈴井が赤福を2個食べた時点で藤村Dがスタート。すべて食べ終わり「テレマーク」をすれば勝利。
結果は鈴井の圧勝(その食べっぷりを見た一同を、ハンデがなくてもミスターが勝ったのではと言わしめるほどの勢いであった)。鈴井は一気に4個食いをして途中涙が出る、ハンデの給水で口にした水が行き場をなくして鼻から噴き出るといった場面があった。それを見た藤村D、大泉は大爆笑し、藤村Dはろくに食が進まなかった。
鈴井が勝利したが、藤村Dの発言により「マルシン出前機1型」は明日の出発地点から100km地点までつけて、100km地点で外す事に変更されたが、それが大泉の陰謀によりまたも変更され100km時点でもう一勝負することになってしまい、鈴井の必死の頑張りがどんどん無駄になっていく結果となった。
  • 2回戦 でんがら対決(第8夜)
前述したとおり、100km時点で「マルシン出前機1型」を外すかどうかを勝負。種目は飯高名物でんがら(あんこ入りの団子で、今回はヨモギ入りと、白い団子でつぶあんと、こしあんがある)4個、おばあちゃんのむかしの(本来は水に戻すが今回はそのまま食べる)1個。ハンデはなし。すべて食べ終わり「テレマーク」をすれば勝利。
結果は藤村Dの圧勝。藤村Dは驚異的なペースで、鈴井がでんがらを食べている最中にふに入り、鈴井がふに入ったときはすでに食べ終わっていたが、食べ終わりの「テレマーク」は自己申告のため何も言わず、さらに藤村Dのあおり、またしても大泉の陰謀により、ふを食べ終わった後でんがら5個目に突入してしまった。その後鈴井がふを食べ終わった後に藤村Dが「テレマーク」をして勝負がついた。
藤村Dが勝利したが、藤村Dの発言により「マルシン出前機1型」は外すことになった(結局この勝負は意味なし)。
  • 3回戦 かき氷対決(第10夜)
D陣ではなく、出演陣主催で開催された勝負。鈴井の「マルシン出前機1型」を外すか及び衣装(D陣が勝てば地味な衣装にする)をかけた勝負。種目はかき氷。鈴井は2個(味はイチゴ、ブルーハワイ)、藤村Dは1個(味はなし、さらに氷がぎゅうぎゅうに詰まっている状態で実質的には鈴井の食べた2個のかき氷よりも量が多い)。すべて食べ終わり「テレマーク」をすれば勝利。
結果は藤村Dの勝利。序盤は藤村Dが進まず鈴井有利だったが、終盤で鈴井が頭痛に襲われてしまい藤村Dが逆転。そのまま勝利した。
藤村Dの勝利により、鈴井は「マルシン出前機1型」今後一切外さず、さらにD陣が用意した衣装(浴衣)に着替えて出発した(しかし、出前機に加えて着替える前の恰好がそば屋風だったうえ、タイヤが巻き込まないよう裾を上げて縛ったところ、結果的により一層見た目が「そば屋」に近づいてしまうというオチがついた)。
  • 4回戦 スイカ対決(第11夜)
最終対決。種目はスイカ3切れ。過去3回とは違い鈴井が勝った場合「マルシン出前機1型」をつけ、積荷をする、衣装を自由に選ぶ、豆カメをつける(藤村Dが勝てば「マルシン出前機1型」は外し、積荷なし、衣装は白のTシャツ1枚、豆カメはD陣の車に、カメラも出演陣には向けない、D陣が出演陣を置き去りにして先に宿に入る)。最後は鹿の角を頭につけて「シカでした」(マレーシアジャングル探検での嬉野Dの発言)と言えば勝利。
結果は鈴井の勝利。鈴井が藤村Dを至近距離で見ながらスイカをほおばり、大泉が藤村Dの笑いを誘う実況をする(勝負の趣旨、マルシンの連呼、1年分のマルシンを贈呈など)。こういった行動により藤村Dが大爆笑し、さらに腹痛を起こし、鈴井の勝利につながった。
鈴井の勝利により、前述したことがそのまま実現。更に、藤村Dは大泉に「マルシン出前機1型」をつけさせようとした。

結果は2勝2敗の五分だった。

初めてのアフリカ[編集]

前作「原付日本列島制覇」以来3年振りとなる新作であり、撮影は同年4月に行われた。放送は全13週となり、前作「原付日本列島制覇」を上回る番組史上最長の企画となった。当初、大泉には「『ヨーロッパ20ヵ国完全制覇』以来の海外ロケ」ということ以外は明かされず、藤村Dの「新しいとこ行こうぜ」、鈴井の「行ったことないとこ行こうぜ」という意気込みから、番組未踏の地であるアフリカケニアタンザニア)に決定した。旅の行程そのものは現地コーディネーターである「アフリカの達人」・大津(下の名前は不詳、通称「ムゼー」)に丸投げされている。なお、企画と行き先自体はムゼーや鈴井との飲みの席で決まり、同席したHTB社員の福屋渉(元「ハナタレナックス」プロデューサー、通称「キャップ」)もこの話を聞いた上で同行することになり、さらにテレビマンユニオンディレクターの牧有太もこの席上で呼ぶことが決められた(このことを聞いた大泉は「俺はあれかい? これからあなたたちの飲み仲間と(行くのか)?」と発言)。

撮影は前々作以来となる嬉野Dが担当したが、機材の発展・新規化により「撮影データのバックアップが面倒くさい」等の理由から、牧ディレクターがサブカメラマンとして撮影補助等を行った。更に、鈴井が持参した自前の録画機能付き双眼鏡でも(主に遠方の動物の)撮影を敢行した。

1998年に放送された「日本全国絵ハガキの旅」の第1夜冒頭に映る画面奥のホワイトボード上に「アフリカ」という文字があり、アフリカに関する何らかの企画を当時から検討していた形跡がある。また、同じく1998年放送の「マレーシアジャングル探検」の目的地発表の時に大泉が「アフリカ行くんじゃねーかと思って、俺慌てたよと。」と発言した。ただし、実際には当企画まで、アフリカを舞台にした企画は15年間行われなかった。

例によってスケジュール調整は強引だったようで、大泉曰く「『探偵はBARにいる2』の大事な宣伝時期に12日間もの長期ロケに行かされた」とのこと[3]。また、ハナタレナックスでは番組を中抜けして、この企画に向かう直前の大泉が放送されている。この他、撮影と同時期に大泉によるエッセイ本「大泉エッセイ 僕が綴った16年」が発売されたことから、番組中では大泉が宣伝目的で「大泉エッセイ」を画面にインサートさせている。

第1夜から第3夜までは、放送に先駆けて『水曜どうでしょう祭 UNITE2013』で先行上映され、前・後枠も客席をバックにして、全国から真駒内に集まったどうでしょうファンと共に収録した。

脚注[編集]

  1. ^ 藤村Dが演出、嬉野Dがプロデューサー、大泉が主演。
  2. ^ 藤村Dが演出、嬉野Dがプロデューサー、安田が主演。
  3. ^ a b 大泉洋が“北海道愛”を語る「事務所も『どうでしょう』至上主義ですから」 - 日刊SPA!・2014年10月12日
  4. ^ ブンブンブラウの入口の脇に以前の建物の基礎が残っている映像を確認できる。
  5. ^ 「ジャングル・リベンジ」最終夜の放送日である7月7日は丁度サン・フェルミン祭の開催日に当たった為、後枠においても視察に行っている事が触れられている。なお、この道中の模様は『どうでしょう本』として書籍化された。
  6. ^ ハケンの品格』(日本テレビ)。
  7. ^ この旅で使用したレンタカーがMT車でその上クラッチが硬く、捻挫したのはクラッチを操作する左足であるため、藤村Dは運転中激痛に耐えながらクラッチ操作をしていた。
  8. ^ Googleマップのストリートビューから、放送された映像に近いアングルで確認できる。
  9. ^ 映像にて一瞬看板が確認できる他、こちらもGoogleマップのストリートビューで、特徴的な赤屋根を確認できる。
  10. ^ 北海道での放送開始時点でも編集作業を行っており、放送がいつまで続くのかの目処が立たないという状況であった(第1夜前枠より)。
  11. ^ 鈴井は冒頭で「東京 - 京都間と京都 - 四国間が未制覇だから」と語っていたが、スケジュール等々の事情で京都から紀伊半島へのルートへ変更された。
  12. ^ 朝が待ち遠しくなる!「水曜どうでしょう」の音声入り目覚まし時計発売 - ウォーカープラス、2011年6月3日
  13. ^ 海外企画の場合、たいてい大泉のパスポートは事前にHTB預かりになっているため。
  14. ^ 2002年のレギュラー放送最終企画「原付ベトナム縦断1800キロ」でも原付バイクに乗っているが、こちらで使用したのは変速操作が不要の「ドリームⅡ」だった。
  15. ^ ちなみに鈴井はサイコロ4の3日目にこれら両方を朝(赤福)と夜(ずんだ)に食べていた。同企画で実際に赤福を食べている時の静止画もこの話題の時にワイプで挿入されている。