水曜どうでしょうの企画 (海外)

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水曜どうでしょうの企画 (海外)では、北海道テレビ放送制作のバラエティ深夜番組水曜どうでしょう』で放送された企画の中から、「レギュラー放送」時(1996年10月から2002年9月)に海外ロケを中心にして放送された企画について述べる。企画名については番組内で多数の呼び方があるものもあるが、本記事においては正式タイトルはDVD版のものとし、未DVD化企画については暫定的に放送時のタイトルを用いるものとする。

海外企画について[編集]

ローカル局の深夜番組としては異例の、何日にも渡る海外ロケを行うのも『水曜どうでしょう』の特徴である。数か月分の制作費を一気に前借りしてロケをするため、海外企画の前後には制作費のかからない総集編やNG集、あるいは「シェフ大泉」「釣りバカ対決」などのいわゆる「お手軽企画」が放送されることが多い。

なお、「onちゃんカレンダー」企画でもどうでしょう班+安田顕(以下「安田」)は海外(ハワイラスベガス)を訪れているが、企画の大半はスタジオでの撮影で行われており、海外企画としてもナンバリングされていないため、この項目ではなく「水曜どうでしょうの企画 (日本国内)」を参照。

2016年3月30日に、『ユーコン川160キロ 〜地獄の6日間〜』のDVDが発売されたことにより、どうでしょうレギュラー放送時における海外企画は全てDVD化された。

オーストラリア大陸縦断3,700キロ[編集]

オーストラリアを南北に縦断するスチュアート・ハイウェイを通った。

放送時のタイトルは「大陸縦断 〜オーストラリア完全制覇〜」。番組開始後3ヶ月あまりの1997年1月に敢行された、水曜どうでしょう初の海外ロケ。オーストラリアのダーウィンアデレード間をレンタカーで縦断する企画。椎名誠の著書「熱風大陸―ダーウィンの海をめざして」を参考に、椎名とは逆方向にオーストラリアを縦断した。

番組立ち上げの際、藤村忠寿ディレクター(以下「藤村D」)が鈴井貴之(以下「鈴井」)に話した「新番組では海外ロケを行う」という発言が実現。当初は途中で終了し帰国する予定であったが、「いける」と確信したどうでしょう班は酷暑、ハエの大群、ツイスターといった自然の驚異に苦しめられながらも完全縦断を達成した。道中、偶然にも塩湖を見つけ、この偶然の発見を「どうでしょうの原点」と言う藤村Dに対して、大泉洋(以下「大泉」)は「テレビであってはいけないこと」と、事前計画なしに進むロケへ警鐘を鳴らした。

ゴール地点のアデレードに到着後、鈴井の口から大泉に「我々はこれから札幌に帰るわけです。『帰る』と言えば?何か振るものとかありますよね?」と告げられた。これを聞いた大泉は「ここからサイコロで帰る」と半分信じたのだが、実はこの発言は鈴井の機転を利かせたアドリブから生まれたプチドッキリだった。

レンタカーはトヨタ・ランドクルーザー[1]を砂漠地帯向けに改良した車両を使用。「100km/h以上速度を出すとバーストする」などと注意を受けたが、何事もなくアデレードに到着。しかし、ゴール後に車は故障してしまい、トラックで運ばれて行った。ディレクター陣がレンタカー会社に事情を説明に行っている間、2人を待っている鈴井は大泉と一言も口を聞かなかったため、「車を壊して鈴井さんは怒っている」と大泉はすっかり怯えていた。しかし、その鈴井当人は、大きな企画を初めてやり遂げた達成感からか泣きそうになっていたという。

旅程[編集]

ゴールのアデレード駅
縦断前日
日本の旗 日本成田オーストラリアの旗 オーストラリアダーウィン
縦断1日目
ノーザンテリトリーの旗 ノーザンテリトリーダーウィンベリー・スプリングス英語版(氾濫していたため中止)→テリトリー・ワイルドライフ・パーク英語版(広すぎて諦める)→キャサリン
縦断2日目
ノーザンテリトリーの旗 ノーザンテリトリー・キャサリン→デビルズマーブルズ英語版アリススプリングス
縦断3日目
ノーザンテリトリーの旗 ノーザンテリトリー・アリススプリングス→エアーズロックラセター・ハイウェイ往復)→南オーストラリア州の旗 南オーストラリア州クーバーペディ
縦断4日目
南オーストラリア州の旗 南オーストラリア州・クーバーペディ→ポートオーガスタアデレードアデレード駅英語版(ゴール)→アデレード大学前で車が故障

韓国食い道楽サイコロの旅[編集]

  • 1997年7月9日 - 30日放送、全4夜。
  • DVD第5弾『北海道212市町村カントリーサインの旅/宮崎リゾート満喫の旅/韓国食い道楽サイコロの旅』に収録。

放送時のタイトルは「サイコロ韓国 〜韓国完全縦断〜」。何も知らない大泉を連れ出し、いきなり海外へ連れて行くといういわゆる「ドッキリ」要素が入った企画。

「サイコロの旅」をアレンジし、朝・昼・晩の食事場所およびメニューをサイコロで選び、実際にその場所へ移動するという企画である。移動には飛行機や列車、タクシー等の交通機関が使われた。しかし特急列車ムグンファ号では座席に座れずデッキで3時間半を過ごし、韓国にはないと思われた深夜バスにも搭乗(実は韓国は深夜バス大国であった)、出演陣は疲労困憊してしまった。

グルメ企画ということだったが、店頭に到着した時点で「食事できる人」をカードを引いて抽選しなければならず(「全員食える」「全員食えない」「鈴井と大泉食えない」「ディレクター食えない」「鈴井食えない」「大泉食えない」の6枚)、場合によっては全員食べられない事もあるなど過酷な内容となった。なお、あまりにも食事にありつけなかったことから、サイコロで選ぶ食事以外は例外的に食べても良いことになり、釜山マクドナルドで飢えをしのいでいる。しかし、最後にわざわざ行った済州島では「全員食えない」を引いてしまい、そのまま企画終了となった。

  • ソウル金浦空港→飛行機で蔚山(ウルサン)→市外バス(高速バス)で釜山(プサン)・東莱温泉(トンネ)→ウドゥンゴソシンヤポス(優等高速深夜バス)でソウル・梨大(イデ・梨花女子大学校)→特急列車ムグンファ号全州(チョンジュ)→特急列車ムグンファ号で麗水(ヨス)→(1泊)→飛行機で金浦空港経由済州島(チェジュ)→時間切れでソウルより帰国
  • チャンスタイム
麗水のノレミ食堂(チョッカルとタチウオ料理)で実施されたイベント。ここで引いたカードは「鈴井と大泉食えない」。しかし、どうしても食べたい物があったらD陣とジャンケンをして、勝ったら一品食べられることになった。大泉は太刀魚の焼き物を食べることができたが、鈴井はせっかくのチャンスを独特の癖があるホヤで浪費してしまう。その後、藤村Dが鈴井に「これは食べてもいい」と皿に残ったエビの頭を渡すが、鈴井は大泉にプライドや娘のことを言われてしばし躊躇。しかし我慢できずに食べてしまう。そして、ホヤを一切れ食べるとエビの頭を1個貰えることになり、鈴井はホヤをビールで胃に流し込みエビの頭を味わう。
  • 後枠の特異性
通常こういう海外食関係企画の場合は視聴者に"行きたい"というメッセージを送って作るものであるが、このシリーズは経緯が経緯でもあり終了後に大泉が色んな意味で怨み辛み嫌味を垂れ流している上、最終回に「二度と行くか!」とまで言い放つ等、『どうでしょう』海外企画の中でも特に出演者に嫌われる結果となった。また余談ではあるがシリーズ第2夜の後枠において当番組では初めて安田顕が顔出しで出演している。

ヨーロッパ21ヵ国完全制覇[編集]

スイス・マイエンフェルトに再現されたハイジの家。どうでしょう一行も訪れた。
  • 1997年10月1日 - 11月26日放送、全9夜。
  • DVD第7弾『ヨーロッパ21ヵ国完全制覇』に収録。

放送時のタイトルは「欧州走破 〜ヨーロッパ21ヵ国完全制覇〜」。番組開始1周年を記念し、9週に渡って放送した大型企画。本放送時は特番として第1、2夜が各45分で放送されたが、『リターンズ』は販売目的のために30分に短縮される編集がなされた。『Classic』では第1・2夜を再編集し3回に分け、全10週に渡って放送された。そのためこの3回分では、2004年に新規収録した前枠・後枠を使っている(主に企画の説明)。企画名は番組内・各種資料などで「-完全走破」と「-完全制覇」が入り乱れている(例として、前枠では鈴井が「完全制覇」と発言しているが、あらすじVTRでは「完全走破」になっている、等)。

企画はその名の通り「(1997年当時ビザを必要としなかった[* 1]ヨーロッパ21ヵ国をレンタカー(ルノー・ラグナ)ですべて回る」という企画である(実施期間は10日間であるが、飛行機移動日数や時差を含めると、実質8日間)。ヨーロッパ連合(EU)発足に伴い、どうでしょう班が目をつけた企画。なお、ヨーロッパシリーズ全体を通して、経路にはアイスランドマルタギリシャキプロス、並びに東欧諸国は含まれていない。

当初鈴井が掲げた旅のテーマは「メルヘン」で、番組中では『くまのプーさん』や『アルプスの少女ハイジ』にゆかりのある土地を訪れている。鈴井は出発前から「この旅で21ヵ国回れなければ、僕は番組を辞める」と並々ならぬ決意を表明していた(ただし、鈴井自身も21ヵ国全て回れるとは思っておらず、「とにかく“頑張るどうでしょう陣”を見せたかった」とDVD副音声で語っている)。しかし、当初から公表したイギリスの隣国・アイルランドを無視していた上、北欧4ヵ国を経由しなかったことや、大泉や藤村Dの「旅を楽しめばいいじゃん」と言う発想・陰謀によって、鈴井が想定していなかったルート(3、4日目の古城街道ロマンティック街道)を巡ったことから「完全制覇」は崩れ去った。結局、6日目から7日目にかけて徹夜でスイス→地中海→アンドラ→フランスを走る強行軍を敢行したことで、鈴井が好む「合宿」(ミスターのいいじゃないか!運動参照)的要素は含まれたものの、この一連の流れは大泉や藤村D主導で番組を盛り上げる現在の形態のきっかけとなるとともに、鈴井が寡黙になって行く一つの原因となり、DVD副音声の鈴井出演回ではそれがトークの主題となっている。

なお、このロケの影響で、鈴井は自身のラジオ番組『GO・I・S』(AIR-G')を休み、該当期間中は電話(ほとんどは公衆電話から)での出演のみとなった。この間に代理パーソナリティを務めたのが樋口了一であり、これがきっかけで「1/6の夢旅人」が誕生する。

旅程[編集]

8月22日
HTB正面玄関→新千歳空港大韓航空韓国の旗 韓国ソウル経由→フランスの旗 フランスパリからヨーロッパ入り→電車パリ北駅地下鉄レピュブリック駅ホリデイ・イン
8月23日
フランスの旗 フランスパリ凱旋門(スタート)→空港レンタカーを借りる→カレーからユーロトンネルシャトルで国境越え→イギリスの旗 イギリスフォークストン英語版イースト・グリンステッドコッツウォルズ→イースト・グリンステッド泊
8月24日
イギリスの旗 イギリス・イースト・グリンステッド→フランスの旗 フランス・カレー→ブローニュベルギーの旗 ベルギーブルージュオランダの旗 オランダ(通過)→ドイツの旗 ドイツアーヘン
8月25日
ドイツの旗 ドイツアーヘンケルンルクセンブルクの旗 ルクセンブルクルクセンブルク市ドイツの旗 ドイツハイデルベルク
8月26日
ドイツの旗 ドイツネルトリンゲンフュッセンオーストリアの旗 オーストリアチロルリヒテンシュタインの旗 リヒテンシュタインファドゥーツ
8月27日
リヒテンシュタインの旗 リヒテンシュタインファドゥーツスイスの旗 スイスマイエンフェルトフルカ峠ブリークザースフェー
8月28日
スイスの旗 スイスザースフェーイタリアの旗 イタリアサヴォーナフランスの旗 フランスモナコの旗 モナコフランスの旗 フランスエクス=アン=プロヴァンス
8月29日
フランスの旗 フランス・エクス=アン=プロヴァンス→ペルピニャンで仮眠→ブール=マダムスペインの旗 スペインプッチサルダーと思われる)→フランスの旗 フランス・ブール=マダム→アンドラの旗 アンドラフランスの旗 フランスポワティエ
8月30日
フランスの旗 フランスポワティエパリ凱旋門(ゴール)

備考[編集]

  • 途中、フルカ峠で買ったカセットテープの1曲目を大泉が適当に「甘いスイス」と紹介しているが、実際は「Marmor, Stein und Eisen bricht」という曲で、ドイツの歌手ドラフィ・ドイッチャーの1965年の曲のカバーである。また、場面が代わって2人が飽きた画のバックで流れていたのはレックス・ギルドの「Fiesta Mexicana」をカバーしたもので、サースフェーからイタリアへ向かう途中に流れて大泉に止められたのは「ユベール・ジロー」「ポップ・トップス」などが大ヒットさせた「Mamy Blue」である。
  • 本来は大泉には行き先を当日まで知らせない海外企画だが、この企画では行く前から大泉は行き先を知っている、数少ない企画である[* 2]。そのため千歳空港へ向かい車中ではテンションがかなり高く、鈴井に「お前、朝からうるさいよ!」と言われている。
  • カレーからブルージュ(Brugge)に行くはずが、道路看板を見間違えてしまい逆方面のブローニュ(Boulogne)に行ってしまう場面がある。
  • 21ヵ国中13ヵ国を制覇し、走行距離は5200kmに及んだ。後に「ヨーロッパ・リベンジ」で、行けなかった国のうち北欧4ヵ国、「ヨーロッパ20ヵ国完全制覇 〜完結編〜」でアイルランドを除く残り3ヵ国を制覇した。
  • 1997年当時、まだユーロ通貨は発足していなかったため(ユーロ通貨は2002年に発足)、国境を越える度に通貨の変更が必要であった。従って一同は国境を越える度に幾度か一文無しになっていた。
  1. ^ 実際には、イギリスリヒテンシュタインモナコアンドラは実施当時シェンゲン協定には非加盟だった。このためどうでしょう班は、イギリスとアンドラへの出入国及びオーストリアからリヒテンシュタインへの入国に際しては国境検査を受けた。モナコは周囲を囲むフランスとの間で国境を開放しており、国境検査を要しなかった(「ヨーロッパ20ヵ国完全制覇 〜完結編〜」におけるバチカン及びサンマリノへの出入国も、この時のモナコと同様である)。「シェンゲン圏」の「国境管理に関する規定」の項目も参照。
  2. ^ 映像上では「人道上の理由で知らせた」としているが、実際は当時のHTB総務局長(職務上、どうでしょう班の海外渡航届け(出張扱いになる)に対する決裁を出す立場にあった)が行き先をうっかり言ってしまい、大泉にばれてしまったためである。これ以降HTBでは「どうでしょう班の行き先は役員レベルでも絶対機密」「どうでしょう班の出張届の社内手続きは簡素に」とのルールが策定された。この経緯は当企画のDVDの副音声で聴くことができる。

マレーシアジャングル探検[編集]

「どうでしょうの時間枠変更記念として印象に残る企画を」というディレクターの意向から実施された企画(太田出版「QuickJapan Vol.52」より)で、マレーシアのジャングルの中で様々な形で野生動物の観察を行った。そのロケの過酷さからどうでしょう班の全会一致で「もう2度と行きたくない場所」[※ 1]となったが、6年後に「ジャングル・リベンジ」で再び訪れる事になる。

  • シカ事件
「ブンブン(ジャングル内の動物観察小屋)」で深夜に動物観察中、シカの光る眼を見て「トラじゃないか?」と大慌てした事件。この事件が6年後のジャングル・リベンジでのテーマに繋がっていく。
  • 動物偽名発言
大泉が現地で見付けた白と黒の蝶を「喪服蝶」、緑の鳥を「グリンピース」と、柳生博のモノマネで発言していた。その回のエンディングで鈴井が『あれは本当の名前ではありませんので覚えないでください』と注意を促していた。
  1. ^ なお同様の意見を持つ事となった大泉に嫌われた韓国は本当に「二度と行くか!」の発言の通り、以降の前企画復活(リベンジ)計画ラインナップからはきちんと外されている。

香港大観光旅行[編集]

香港観光協会からの誘いを受け、香港の魅力的なところを紹介する企画。海外企画としては初めてのタイアップロケとなる。この企画の前フリとして「鈴井貴之拉致計画に見せかけた大泉洋拉致事件」があるが、一部地域で放送を見合わせる場合がある。『Classic』ではすべての地域で未放送。

  • 1日目:新千歳空港→新東京国際空港(現:成田国際空港)→成田市内のホテル
  • 2日目:新東京国際空港→キャセイパシフィック航空CX509便→香港国際空港(大泉が利用した空港は九龍にあった旧啓徳空港、取材直後に新界のチェクラップコク(赤鱲角)島へ移転し、現在は再開発中)→グレートイーグルホテル(現:ザ・ランガム香港(朗庭酒店))→香港島中環(セントラル)の超高層ビル街(一行が見た黄金のビルはファー・イースト・フィナンシャル・センター)→ピークトラムヴィクトリア・ピークスターフェリー→潮州城酒樓(尖沙咀潮州料理店)
    • 空港からホテルまではベンツSクラスが送迎、大泉はそのワイパーを見て「タラバガニのようだ」と発言した。ホテルから市街への巡回はマイクロバストヨタ・コースター、香港ではミニバスなどでよく使用されているタイプ)を利用。サイコロ企画で数々の深夜バスを経験している大泉は「このまま十何時間で北京まで連れて行かれても平気」と豪語した。
    • 大泉は観光協会のガイドに「ジャッキーに会いたい」と言う要望を出したが、取り合ってもらえなかった。
    • 100万ドルの夜景と謳われる香港の夜景をヴィクトリア・ピークから見た大泉は、柳生博のマネで説明ナレーションを始めたが、最後は『100万円クイズハンター』のタイトルコールになってしまった。
    潮州料理店では、韓国食い道楽サイコロの旅で使われた『食事ができる人』カードが登場(パブリシティの要素が強いこの企画では、唯一のどうでしょう的アトラクション)。食事ができなくなる危機を迎えたが、鈴井が「全員食える」カードを引いて難なきを得た。
  • 3日目:九龍公園で太極拳尖沙咀糖朝で朝食→グレートイーグルホテルで朝食→旺角のバードガーデン(雀鳥花園)→花墟道(花屋街)→通菜街(金魚屋街)→通菜街(女人街)→ドラゴンボートレース国際大会を観戦→尖沙咀で足つぼマッサージ
    • 3日目の朝食は香港観光協会側が用意した糖朝の粥料理と、ホテル側が用意した朝食を2度食べる羽目になってしまった。ホテルでの食事は朝食というレベルではなく、子豚の丸焼きやフカヒレなどが供される、本格的な高級中華料理だった。
    • 大泉と鈴井は興味がないためか、バードガーデン、花屋街、金魚屋街、女人街の訪問をほぼ無表情で通した。バードガーデン、花屋街、金魚屋街を選んだのは藤村Dの趣味。
    • 大泉と鈴井は女人街でTシャツを購入し、大泉は肌色の『ドリ・カム(ドリームカスタム) 不許複製』、鈴井は紺色の『かとうのいかの北海揚げ 白の戀人』というデザインを着用。大泉によれば、ドリームカスタムは横山ホットブラザーズのような芸人とのこと。
    • ドラゴンボート観戦に至っては藤村Dも内容を把握しておらず、観光協会が勧めるままノリで決めたと告白。

北極圏突入 〜アラスカ半島620マイル〜[編集]

一行が記念写真を撮った、北極圏突入を示す看板
  • 1998年10月7日 - 12月2日放送、全7夜。
  • DVD第12弾『香港大観光旅行/門別沖釣りバカ対決/北極圏突入 〜アラスカ半島620マイル〜』に収録。

鈴井の長年の夢であった、オーロラを見に行くという企画(ただし、それはあくまでテレビ的な建前で、本当は藤村Dが夏のアラスカに行きたかっただけとのこと)。キャンピングカーをレンタル(この移動手段も当時藤村Dがキャンピングカーにはまっていたため)し、米国アラスカ州の州都アンカレッジからマッキンリー有するデナリ国立公園ユーコン川を超えて北極圏にあるオーロラが出現する人口12人(1998年当時)の町「コールドフット」を目指す。しかし天候に恵まれず、結局オーロラは見られなかった。しかし、どうでしょう一行が訪れた1998年から2000年は1番オーロラが良く見えていた事が発覚した[2]

この企画では現地でキャンピングカーをレンタルし、道中のキャンプ場に停めて宿泊するという形態で旅程を消化していったが。この中で大泉が料理長に任じられ夕飯を担当することとなる。これが後の「シェフ大泉 車内でクリスマス・パーティー」や「シェフ大泉 夏野菜スペシャル」など、「シェフ大泉」シリーズの企画へと発展していくきっかけであり、別名の「ピストル大泉」は、第5夜で大泉が自ら「ビストロ」を「ピストル」と言い間違えたことに起因する。これ以降、大泉が料理を作る時の「おみまいするぞー!」は決まり文句となる。アンカレッジに着いて向かった氷河クルーズへ赴く際に利用したアラスカ鉄道にて、鈴井の名前が「CUZUI(クズイ)」と誤記されていたため、エンディングクレジットでは「CUZUI TAKAYUKI」というアルファベットが当てられている。

似顔絵[編集]

番組内でたびたび使用されている、藤村Dおよび(稀に使用される)嬉野雅道ディレクター(以下「嬉野D」)の似顔絵は、この企画の最中に大泉によって描かれたものである。水曜どうでしょう official websiteのトップ画面の絵にはこの似顔絵を使った犬のキャラクターが描かれており、「藤やん犬」の愛称で親しまれている。

アメリカ合衆国横断[編集]

  • 1999年4月14日(14日は「ANAで行くサンフランシスコ」) - 6月16日放送、全8夜。
  • DVD第15弾『アメリカ合衆国横断』に収録。

第1夜はプロローグの「ANAで行くサンフランシスコ」が行われた。これは全日本空輸 (ANA) からのタイアップオファーとして、同社のビジネスクラスサービスである「CLUB ANA[3]」でのサンフランシスコ行き航空券が送られた関係である。そのことからCLUB ANAの特典内容についても事細かに説明され、ラウンジや機内での様子も通常企画より長く映されている。特に機内映画サービスで『アルマゲドン』が上映されることを知った大泉は、藤村Dに「バカみたいに3回観なさいよ『アルマゲドン』ばっかり」「泣くなよ」などと発言していたが、結果的に自身が2回(+『『レ・ミゼラブル』の3本)を完徹状態で見ることとなり、『アルマゲドン』のクライマックスで号泣する様子(2回双方)も放映された。

なお、この当時ANA利用者に対して応募者全員プレゼントが存在し、どうでしょう班も応募を行った。だが「ゲームボーイカラー」「MDプレイヤー」「商品券(ANA利用券2万円分)」「備前焼」の4種から自らの欲しいものを取り合った結果、大泉と藤村Dが一番必要としない備前焼を押し付けあうことになった。なお、この備前焼は結局受け取っており、後に「シェフ大泉 夏野菜スペシャル」において大泉が皿を焼いた際にも比較に使われた。

到着後はゴールデン・ゲート・ブリッジのような観光地や、サンフランシスコの街並みなどを周遊して回っていたが、その“ついで”として企画された「サンフランシスコ~ワシントンD.C.間のアメリカ横断」も水面下で進んでいた。もちろん大泉にはこの時点で企画内容は知らされず、翌朝のホテルで本来の企画を告げられることになった。使用した車両は「生粋のアメリカン」ことシボレー・アストロ。企画全般に渡って、アメリカでの地域時差修正による走行スケジュールの調整で苦しんでいる様子が見られる。

本放送当時は「〜北米大陸 3750マイル〜」のサブタイトルが付けられていた。この企画そのものは全部で7週だが、前枠でも大泉が「ANAで行くサンフランシスコ」を含めて「第○夜」と説明していることから、全8夜の企画である。

  • カジノ事件
第2夜放送回:ラスベガスに到着した一行。最初は「お金をかけず」に楽しむためにラスベガスで行われる無料のショーを見たものの、ディレクター陣と大泉の強い要望でカジノを行うことになる。
30分1本勝負で一人50ドルを持って行ったところ、嬉野Dは24ドル、藤村Dは150ドルの勝利となったものの、鈴井と大泉は全額スッてしまう。さらに大泉がD陣の儲けたお金でもう一度カジノに行こうとし嬉野Dと口論、大泉がD陣の金を「倍返しにする」と豪語する。D陣たちが協議し許可が出たためカジノに再度挑戦する。大泉の行動が功を奏したのか倍額の400ドルを稼ぐことに成功する。しかし、その成功が裏目に出て欲をかいてしまい見事に撃沈し、ルームサービスを含め174ドル(当時は1ドル=120円前後で取引していたため、日本円で約21000円)の借金をしてしまい翌朝D陣に厳しく説教された。
  • 大泉洋倒れる
ホテルのレストランでの食事中に大泉が廊下で倒れた事件。嘔吐しようとしている大泉に、藤村Dが買ったばかりのトレーナーを脱ぎ「吐くならこれに吐け」と渡し、大泉はそれに嘔吐。それをトイレで洗おうとした鈴井が、トレーナーの中の大量の吐瀉物を見て驚いて吐いてしまった。大泉は本気で死を覚悟したらしいが、翌朝には何事もなかったかのように復活し、カメラの前で昨夜の出来事を語っていた。なお咄嗟の出来事だったため、カメラを回しておらずVTRには残っていない。
大泉は当初は「自分のつけている様々な貴金属がバイオリズムを崩している」と判断していたが、実際は料理が脂っこかったことによる胸焼けと長時間運転していた事による疲労(この日は大泉以外のメンバーが体調不良のため、大泉が終日運転した)が原因だとDVDコメンタリーで話していた。
  • ミスター激怒
フォートスミスからメンフィスへ向かう道中、鈴井が就寝したのを目撃した藤村が「温泉があるんだ…」や「疲れが一番取れるのはなんだい?」と囁き、大泉も最初は「(ミスターが)怒ると怖いから…」と拒否していたが、結局誘惑に負けてしまいかなり時間が押している中、全く違う場所にあるホットスプリングスという温泉が名物の町へと行ってしまう。
そして着いた途端鈴井が起床し、道路にあった看板のホットスプリングスの文字を見て、「やりやがったな」と囁く。すぐさま藤村は大泉に責任をなすり付ける。
前日長距離を運転し、寝ている間にてっきりメンフィスへ近づいたと思った鈴井は激怒し、大泉に「解ってんだろうな」と圧力をかけ、入った温泉の中でも肩をどついたり、睨み付けその日は大泉と一言も口を聞かなくなってしまう。
しかし、後述のイン・キー事件により力関係は逆転した。
  • UFO
アーカンソー州を車で走行中、空に謎の白い光を発見。大泉、鈴井、藤村DはUFOとして車内を盛り上げたが、嬉野Dは飛行機と主張した。
  • ミスター イン・キー事件
朝の出発時、鈴井が車のエンジンをかけたにもかかわらず、キーを閉じ込んで車の外に出たため車の中に入れない事態が起き、皆に土下座。ロードサービスが来る間ホテルの部屋で待機しようとしたものの、ここで鈴井は部屋のカギまでも閉じ込んだことが発覚。この事態によって出発が2時間ほど遅れたが、鈴井は何ごとも無かったようなナレーションをしたことで大泉とディレクター陣の激しい弾劾を受けた。さらに鈴井は非難の矛先をかわそうとして大泉の扮装に対して「おかしな格好してますね」と口走り、これに激怒した大泉から服装交換のペナルティーを言い渡され、本企画上の鈴井の権威が失墜した。
この後鈴井は完全に開き直ってしまい「(時間が危なくなったら)またイン・キーして時間稼ぐから」と発言しD陣に怒られ、大泉には「(吸っていた葉巻に)何か危ない物でも入ってるんじゃないか」とあまりの変わりように心配されるなどした。
数年後、鈴井が日本テレビの『PON!』の「ハラハラトーク スタア秘宝館」コーナーに出演した際にこの事件に触れ、「一番大変な事件であった」と語っている。
なおゴール直前で「ワシントンD.C. 国防総省(ペンタゴン)」という字幕が出るが、アメリカ国防総省はワシントン特別自治区の隣のバージニア州に所在するので厳密には不正確と言える。
  • 前枠後枠「アメリカの有名人 私は誰でショー」
MC (ケント)デリカット=大泉
エマニエル坊や・ミッキー(マウス)・マリリン(モンロー)・スーパーマン・ジョイナー・E.T・自由の女神=鈴井

旅程[編集]

日本の旗 日本成田アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国カリフォルニア州の旗 カリフォルニア州サンフランシスコ(1日観光・宿泊)→ネバダ州の旗 ネバダ州ラスベガス(宿泊)→アリゾナ州の旗 アリゾナ州フラッグスタッフ (宿泊)→ニューメキシコ州の旗 ニューメキシコ州サンタフェ(宿泊)→テキサス州の旗 テキサス州オクラホマ州の旗 オクラホマ州クリントン (オクラホマ州)英語版(宿泊)→アーカンソー州の旗 アーカンソー州ホットスプリングス (アーカンソー州)テネシー州の旗 テネシー州バッファロー(ハンフリーズ郡)英語版(宿泊)→ケンタッキー州の旗 ケンタッキー州マンモスケーブテネシー州の旗 テネシー州ナッシュビル(通過)→バージニア州の旗 バージニア州マリオン(バージニア州英語版(宿泊)→コロンビア特別区の旗 コロンビア特別区ワシントンD.C.

ヨーロッパ・リベンジ[編集]

  • 1999年10月6日 - 12月8日放送、全8夜。
  • DVD第17弾『ヨーロッパ・リベンジ』に収録。

放送時のサブタイトルは『〜美しき国々の人間破壊〜』。「ヨーロッパ21ヵ国完全制覇」において回ることが出来なかった北欧地域を中心に巡る企画。テーマは2年前と同じく「メルヘン」。パリからドイツデンマーク経由でスカンディナヴィア半島へ上陸後、スウェーデンを経由してフィヨルドを見るがために延々とノルウェーを北上、アラスカでのロケ以来1年ぶりの北極圏再突入を果たし、最終目的地であるフィンランドヘルシンキを目指した。ちなみに、12月8日放送分の視聴率18.6%はレギュラー放送時代の最高視聴率であり、「ゴールデンスペシャル サイコロ6」の放送決定へ繋がった。

フランス〜デンマーク間ではメルセデス・ベンツ・Eクラス(2代目)、スカンディナヴィア半島ではボルボ・S80(初代)と、いわゆる「高級セダン」がレンタカーとして用いられた。これは、マニュアル車が全盛の欧州地域ではオートマチック車のレンタカーが小型車に設定されていないためであるが、どうでしょう班は「オートマチック車に乗りたかった」とのこと(『どうでしょう本』より)。

本企画は「過去に行った海外ロケの中で最も辛い」と評され、 大泉・D陣に至っては、ゴール後に帰りの機内で『鉄道員』が流されたのを鑑賞するうちに、「ようやく帰れるんだ」と共々泣いてしまったことをインタビューで明かしている[4]。また、番組自体の休止を挟んだこともあって、この企画から「中米・コスタリカで幻の鳥を激写する!」までの約1年半の間、海外長期ロケは執り行われなかった。この他にもD陣の2人は「この企画が“長期の海外ロケ”に大きな変化をもたらした」旨をホームページ上にて語っており、現地ガイドを付けない4人だけでの海外ロケは2006年放送の「ヨーロッパ20ヵ国完全制覇 〜完結編〜」まで行われていない。

本企画内で、大泉が「SMAP×SMAPあたり出れないかなぁ」と発言し、藤村が「大泉くんやっぱりスマスマ出るのが目標だなぁ」と返す場面があるが、このシーンは本放送から約15年後の2014年に大泉がBISTRO SMAPに出演した際、番組内のVTRでも紹介されている。

  • ドイツテント事件
旅の初日、ドイツ・メルヘン街道途上にて、大泉と嬉野Dの要求によってホテルの確保より食事を優先させてしまったがために宿が見つからず、ベーヴェルンゲンの道端で野宿を余儀なくされた事件。この事件以降、どうでしょう班の間で「メシより宿」という格言が生まれた。また、この時に藤村Dが発した「ここをキャンプ地とする」という言葉は以後の企画でも使われる名言となった。[5]なおこの後、ノルウェーで北極圏に突入した後でもキャンプをせざるを得ない状況に陥っている。一行は食糧を買い込んでテント・車中泊を覚悟したものの、たどり着いたキャンプ場でヒュッテ(バンガロー)を借りることが出来て難を逃れている。またこの際大泉が料理を振る舞ったが、その出来は上々だったようである。
  • 『フィヨルドの恋人』
ムンク美術館で購入した「ムンクさん」と呼ばれる、エドヴァルド・ムンクの『叫び』に描かれた人物をモチーフとした風船人形を使用した連続テレビ小説。その後、「ムンクさん」は『水曜どうでしょうビデオ』の第1弾である「サイコロ1 完全版」の発売に伴う宣伝VTRに出演している。
ロケ地・・・ノルウェーフィンランド(第4話のみ)
出演・・・鈴井貴之 - 放浪のカメラマン、ムンクさん - 謎の女性(声 大泉洋
各話リスト・・・第1話「出会い」、第2話「事件」、第3話「夢の途中」、第4話「別れ」
  • 大泉崩壊
スカンディナヴィア半島上陸後にナルヴィク経由ルートを選択した結果、どうでしょう班はほぼ走り詰めの旅程を強いられた。ナルヴィクからロヴァニエミに移動する途中、車内で『The ABBA Generation』の『Gimme! Gimme! Gimme!』が流れ出した途端、大泉がいきなり「イェーイ! のってきた」と叫ぶと膝を叩き、大声でメチャクチャな歌詞を歌い始め、さらに「もしできることであれば今ここでグルングルン回りたいんだなぁ」などと意味不明な発言を行い、「ミスター! 何とかしなさいよ!」(藤村D)「これはもうどうすることもできないよ」(鈴井)という状況になった。本企画の予告編で車から身を乗り出した大泉が雨中で絶叫するシーンは、この直後のものである。なお藤村Dも大泉と運転を交代した後で、「鉄道員』見てぇ!」と叫ぶなど「壊れて」しまった。
  • サンタクロース
ロヴァニエミにあるサンタクロース村でサンタクロースに会う。ちなみに大泉がお願いしたプレゼントはハンバーグ(鈴井も「Me too」と答えている)である。

旅程[編集]

9月10日(金)
新千歳空港関西空港フランスの旗 フランスパリ
9月11日(土)
フランスの旗 フランスパリ凱旋門(スタート)→ランス(通過)→ストラスブール(通過)→ドイツの旗 ドイツフランクフルト(通過)→アルスフェルトザバブルグドイツ語版トレンデルブルクde:Bundesstraße 83の道ばた(野宿)
9月12日(日)
ドイツの旗 ドイツの道ばた→ハンブルク(通過)→フレンスブルク(通過)→デンマークの旗 デンマークオーデンセ
9月13日(月)
デンマークの旗 デンマーク・オーデンセ→グレートベルト・リンク経由でシェラン島に渡り、コペンハーゲンでレンタカーを返却→高速船でスウェーデンの旗 スウェーデンマルメへ行き再びレンタカーを借りる→ウッデパルラ英語版
9月14日(火)
スウェーデンの旗 スウェーデン・ウッデパルラ→ノルウェーの旗 ノルウェーオスロオスロ国立美術館ムンク美術館)→リレハンメル(通過)→トロンハイム
9月15日(水)
ノルウェーの旗 ノルウェー・トロンハイム→en:European route E06沿いのキャンプ場のバンガローに宿泊(場所はTømmernesetだと思われる)
9月16日(木)
出発→ノルウェーの旗 ノルウェーナルヴィクフィンランドの旗 フィンランドロヴァニエミ
9月17日(金)
フィンランドの旗 フィンランドロヴァニエミサンタクロース村ユヴァスキュラ
9月18日(土)
フィンランドの旗 フィンランドヘルシンキ・ヴァンター国際空港
  • 本来、9月11日はザールブリュッケン経由でドイツに入境するはずだったが、鈴井が道を間違えたことにより、ストラスブール経由となった。藤村Dによると、これにより100kmロスした。
  • 1日目の夜にドイツで野宿した場所はトレンデルブルクの北十数キロのBundesstraße 83沿いだと思われる。

中米・コスタリカで幻の鳥を激写する![編集]

ケツァール
  • 2001年4月18日 - 6月6日放送、全6夜。
  • DVD第22弾『中米・コスタリカで幻の鳥を激写する!/前枠・後枠 傑作選』に収録。

中央アメリカ地域に生息し、“幻の鳥”とも呼ばれる「ケツァール」を撮影するという企画。「onちゃんカレンダー」以来となる“写真家”大泉洋の登場する企画であり、現地での工程には、HTBの元社員でコスタリカに移住した「ひろしくん」こと清水浩(大泉がデビューした『モザイクな夜V3』のディレクター)が案内人として全面協力している。

3月6日、サンホセ空港からコルコバード国立公園近くの空港まで行くチャーター便(TAXI AEREO)に乗る際、天気は快晴だったもののかなりの強風が吹いていた。大泉は「こんな中で飛ぶんだろうか?いや、飛ばすからたまに落ちるんだろう」などと発言。「去年は4機落ちた」「朝は落ちる確率が少ない」などひろしから聞いた衝撃的な話を披露した。またこの時、現地で約300円で購入した『純粋人生コスタリカ』と日本語で書かれたお揃いのTシャツも披露された。一行を乗せた飛行機が離陸する際、事故で墜落したであろう無残な姿の機体がそのまま空港内に放置されている恐ろしい光景をカメラは捉えている。40分もの間大きな揺れに襲われ大泉は激しく酔ったが、ギリギリ吐かずに済んだ。

一行が宿泊したのは「カーサ・コルコバード[6]」。当時、交通費・食事全て込みで2泊3日1人約8万円だった。探索ガイドを務めたのはカルロス。しかし発見し解説を受けるのは植物類など画的に地味なものが多く、肝心の動物類はミスターが先に見つけることが多いなど、ガイドに不満を漏らす場面もあった。また、カルロスから「ここにケツァールはいない、モンテベルデ英語版で見た」と言われたことを明らかにした。

3月9日、サンホセの「コカコーラ・バスターミナル」から2時間かけ標高2000メートルもある「サン・ヘラルド・デ・ドータ(San Gerardo de Dota)」へ向かうバスに乗り、下車後さらに迎えの車で9kmの山道を進んだ。一行が宿泊したのは「Montaña Savegre[7]」。当時、1泊3食つきで1人約7000円だった。到着早々多くのハチドリを発見し気持ちは高まったが、鈴井が「僕はショックなものを見てしまいました」と発言。2階のロッジでハチドリが餌付けされている衝撃的光景をカメラが捉えた。その様を見て藤村Dは「何だいあれ?ハエみたいにたかってんじゃねぇか」と表現した。

撮影に使われたカメラはピント調整・露出調整・フィルム送りなどが完全にマニュアル操作の機種であり、「フィルムを巻いていなかった」「フィルムが切れていた」といった凡ミスを連発して撮影機会を逸してしまうことが多々あった。この他、「onちゃんカレンダー」の撮影においても使用された600mm超望遠の“バズーカ”が登場。その名の通り特大かつ重く、更にピントが合わせづらいという使いにくい代物であった。また、本来は手持ち使用を想定したものではないため、撮影時には鈴井が三脚代わりに肩を貸すなどをしていた。

最初に訪れたコルコバード国立公園英語版では小さなトカゲや他の鳥ばかりを撮ったものの、ケツァールには巡り会えなかった。そして、最後のチャンスに訪れたサン・ヘラルド・デ・ドータスペイン語版で見事ケツァールの撮影に成功した。

第6夜では「撮影された写真は札幌市内のスーパーで「大泉洋・ケツァール展」として展示。一切告知せず行ったことからたまたま買い物をしていた主婦だけが見ただけだった。『HTBニュース』内でもイベントが取り上げられ、その模様が放映された」という一連の流れがあるが、これはオチとして「ローカルニュースでアマチュア写真家の写真展が行われた事を伝える」という映像を作りたかっただけの事であり、実際には展示会そのものも行われていない[8]。ただし、ニュースの最後で紹介されたポストカードは実際発売されたものである。

備考[編集]

  • コスタリカまでの最中、鈴井の預けた荷物がサンホセ空港で紛失するというハプニングが起きており、ホテル到着時の鈴井の持ち物はゲームボーイだけとなってしまった。「乗り継ぎの際に誤って綴りの同じ[9]サンノゼ空港(アメリカ)へ行ってしまった」とは鈴井による考察。コルコバード国立公園から戻ってきた際に荷物は無事に帰ってきている。
  • ジャングルの中で嬉野Dが鳥などを見つけられず鈴井が先に発見し、藤村Dに「ミスターの方が役に立つ」と言われてしまう場面がある。
  • サン・ヘラルド・デ・ドータでは、よく釣れるという話を聞きつけた藤村Dの希望により、時間つぶしのため釣り対決を行う。恒例の「プレイボール!」のかけ声で始まるが全く釣れなかった。翌朝、ケツァールが出没するエリアに行くとあっさり撮影に成功し、一同は拍子抜けしてしまう。現地ガイドがケツァールを探すため姿が見えなくなると、大泉は「あそこで飼ってるんじゃないか?」などと怪しむ場面も。

ユーコン川160キロ 〜地獄の6日間〜[編集]

  • 2001年9月26日 - 11月7日放送、全7夜。
  • DVD第24弾『ユーコン川160キロ〜地獄の6日間〜』に収録。

前企画として行われた「対決列島 〜甘いもの国盗り物語〜」において、敗者チームとなった鈴井・大泉の「ミスターチーム」に対する罰ゲームとして実施された。その名の通りユーコン川カナダ領内)をカヌー川下りするだけの企画だが、罰ゲームとして選定された理由は「インドア派で自然とはかけ離れた鈴井に対する罰ゲームであること」のほか、「藤村Dの憧れがユーコンをカヌーで下ること」だったため。カナダ領内でロケが行われたことに関しては、藤村Dが「アメリカ領内で行うよりも費用が安い」ことに起因することを明かした。

カヌーは2人乗りで、主に大泉が前、鈴井が後を担当。企画説明の段階で聞かされた藤村Dの事前情報では「川の流速は4km/h程度で穏やかな流れ」と説明されていたが、現地到着後にユーコン川を見学した際には「(川の増水もあり)だいたい10km/h」と聞かされる。これに対し大泉は「もう早くも倍以上のスピード言ったぜ」と驚きを隠せない様子であった。D陣およびガイドの2人はモーターボートで並走したが、藤村Dは首を痛めた大泉のピンチヒッターとしてカヌーを漕いでいる。主にを担当していた鈴井は、一度ずつ藤村Dと大泉に舵の役割を任せる場面もあった。しかし、藤村Dの担当時には交信用トランシーバーを装着している間の操作がおざなりになり岸へ、大泉の担当時には舵の担当が不慣れだったのもあり、目の前の流木群へ衝突している。

どうでしょう班の他にツアーへ同行したのは、現地ガイドの熊谷芳江(Sweet River Enterprises)とピート・ニールセン(Pete Neilsen)の2名。また、川下りの前後にはメアリー・ウォールデン(Mary Walden)がツアーの詳細な説明、及びゴール地点で一行を迎える役目を担当した。熊谷とどうでしょう班は企画終了後も交流があり、後の「プチ復活!思い出のロケ地を訪ねる小さな旅」中では、大泉が「あの女(熊谷)、ウイルスメール送ってきた」とメールのやり取りを行っていることを明かした。また2007年10月には、熊谷がHTBを訪れてD陣と対面している。

ユーコン川の水温は非常に低く、熊谷から「万が一水に落ちた場合は2分以内に上がらないと低体温症になって危険」と説明されるほどで、カナヅチの鈴井は部屋を片付け、妻と娘に向けた「遺書に近い手紙」まで書き置く決意でこの企画へ挑んでいた[10]。だが、旅程の中ですっかりアウトドアの魅力へ取りつかれ、6日目には「(人生の中の綺麗でないものまで)すべて洗い流してくれるよう」「生まれかわれるかもしれない」とまで発言。発言の翌朝にも早起きしてコーヒーを飲みながら、ひとり川を眺めていた。

旅程[編集]

7月2日(月)
日本の旗 日本新千歳空港成田国際空港カナダの旗 カナダブリティッシュコロンビア州の旗 ブリティッシュコロンビア州バンクーバーユーコン準州の旗 ユーコン準州ホワイトホース
7月3日(火)
ホワイトホース→水上飛行機でレイク・ラバージ英語版へ。レイク・ラバージでテント設営、カヌー講習、トイレの仕方などアウトドア訓練。
7月4日(水)
レイク・ラバージ→カヌーを漕ぎ始め、25km地点まで。
7月5日(木)
50km地点のフータリンカドイツ語版まで。
7月6日(金)
110km地点のビッグ・サーモンまで。
7月7日(土)
140km地点まで。
7月8日(日)
ゴールのリトル・サーモン英語版へ。

備考[編集]

  • ロケ当時は例年になくが大量発生していたため、鈴井は用を足すためにを出した途端、蚊に刺されている(後日、別番組で大泉は「尻がぼこぼこに膨れ上がっていた」と語った)。この事態を受けた大泉は、「塗布しすぎると『プラスチックが溶ける』」と形容されるほど強力な虫除けスプレーを多用して、蚊の攻撃から露出部分を防御しようと試みる。だが、股間の周辺にまで塗布したためにヒリヒリとした痛みを発症する事態を引き起こし、川の中で薬剤を洗い落とさざるを得なくなった。前述のように水温の低さで命に危険を及ぼす可能性が高かったため、この時は熊谷からも短時間で洗うように指示されている。
  • この企画でも「シェフ大泉」が登場し、「グレーリング飯」などの思い付きで製作された料理を披露し、どうでしょう班や熊谷・ピートからの顰蹙を買った。熊谷はその料理の完成度に対し「食材を無駄にするから任せておけない」と危機感を覚え、以後の当番ではチャーハンの素などの加工物や、メインで使用しない食材(野菜や余りのご飯等)だけを使用するように命じ、メイン食材の調理担当にはピートが任命される事態となった。
  • 2016年にリリースされた本企画を収めたDVDの副音声では、本企画の事実上の続編(再訪)を示唆する発言があった(ただし乗り気ではない大泉は外し、3人だけでいいから行きたいとも語った)。
  • この企画はインターネット放送のインプレスTV2008年9月30日をもって休止)で無料視聴することができた。

原付ベトナム縦断1800キロ[編集]

「Last Run」と銘打ち放送された、『どうでしょう』レギュラー放送の最終企画。海外での定番企画「縦断」と、それまで日本国内で行っていた「カブ」を合わせた、番組放送6年間の集大成企画である。なお、行程はハノイからホーチミンであるが、国道一号線直通路ではなく、ダーラットを経由したため、2,000km近い距離となった。

今回のロケでは鈴井・大泉・藤村D・嬉野Dのどうでしょう班に加え、現地通訳の“ニャン”、政府公安(警察)の“タイン”、公安の通訳“フン”、現地ドライバーの“ホアン”の4名が参加。計8人の「大所帯」となった。これはビザ申請の際に「ベトナム政府の公安をロケに同行させる事が絶対条件」とされたためである[12]。また、終盤では鈴井が交信用のトランシーバーを紛失したため、新品を届けるためにたまたまベトナムを訪れていた鈴井夫人(当時)がロケに合流。声のみ出演した。

今回、鈴井・大泉が「カブ」として使用したのは、マニュアル(足)での変速(自動遠心式クラッチ)を要する日本国内での「スーパーカブ」ではなく、同じホンダでも変速操作を必要としないドリーム ll」である。また、鈴井が一部でヘルメットを着用していない嬉野Dを後ろに乗せて、二人乗りで走っているシーンが映っている。これはロケ当時のベトナムでは、一部においてバイクのヘルメット無着用運転も合法だったことによる(2007年に着用義務化)。

  • 最終回
当初「全6回・2002年9月4日に最終回」となる予定で、「釣りバカグランドチャンピオン大会・屋久島24時間耐久魚取り」第4夜後半の「重大発表」(企画完結の翌日にベトナムのホテルで収録)、並びに第1週の前枠では「最終回は9月4日になりました」とあらかじめ明言。しかし、編集中に予定分の放送回では収まりきらない事が判明したため、9月4日放送分は急遽「ただの第6夜」となり、『大相撲ダイジェスト』の放送による2週間の休止を挟んだ9月25日に、改めて最終回「水曜どうでしょう ラスト・ラン1時間スペシャル」が放送された。
ただ、最終回が変更になることは9月4日当日の放送まで視聴者に知らされず、前枠で鈴井・大泉が紋付ちょんまげかつらで現れ、芝居がかった武士のような喋り口調で謝罪。事実を知りフレームインする形で登場したonちゃん簡易onちゃんスタイルの安田)に、大泉が頭を叩かれた。また、「最後のどうでしょう」を見ようと北海道上陸を果たすファンもいた(DVDの副音声で大泉が発言)。
なお、この番組の提供読みは開始・終了とも藤村Dが担当しており、終了時の提供読みでは、6年間番組を見ていた視聴者への謝辞が含まれたものとなっている(DVDにはアナウンス音声のみ収録)。最終回のエンディングでは、権利の問題が発生して使用できなかった「1/6の夢旅人」を再アレンジした「1/6の夢旅人2002」をフルコーラスで初披露し(樋口了一が自宅で録音作業を行った「オリジナルバージョン」。『Classic』では音源が2003年にCDシングルとして発売されたバージョンに差し替えられている)、テレビ番組では異例となる4分以上のエンディングとなった。なお、『リターンズ』『Classic』では最終回が30分枠×2回に再編集されたため、最終夜の1/4がエンディングに費やされた。

旅程[編集]

7月1日(月)
HTB→日本の旗 日本千歳成田ベトナムの旗 ベトナムハノイ
7月2日(火)
ハノイホテル・ニッコー・ハノイ(スタート)→タインホアヴィン
7月3日(水)
ヴィン→ドンホイフエ
7月4日(木)
フエ→ハイヴァン峠ダナンホイアン
7月5日(金)
ホイアン→クイニョン
7月6日(土)
クイニョン→ニャチャン
7月7日(日)
ニャチャン→空港ファンラン英語版ダラットソフィテル・ダラット・パレス)
7月8日(月)
ダラット→ホーチミンノボテル・ガーデン・プラザ・ホテル)

背中のメッセージ[編集]

映像には常にタレントの背中しか映らないため、途中からシャツの背中にメッセージを書いている。

2日目
鈴井「ヴィン → フエ 390km 1918時必着」、大泉「寝るなうれしー」
「寝るなうれしー」は、前日の藤村Dの「明日は(見どころもないので)嬉野君もある程度寝ますし」発言に起因する。
3日目
鈴井「孤独に負けない」、大泉「駄洒落禁止」
「孤独に負けない」は、鈴井がトランシーバーを落として交信不能になったため。
「駄洒落禁止」は、交信できない(マイクはついているので彼のしゃべりは聞こえる)鈴井がダジャレばかり言い始めたから。
4日目
鈴井「4日目 未知の世界へ」 、大泉「カブ天国」
「4日目 未知の世界へ」は、それまでのカブ企画では3日間が最長のロケ日程であったため。
5日目
鈴井「これ以上は無理です TEAM OVER 40」、大泉(現地で購入したTシャツを着用)
6日目
鈴井「激走ハノイ → ホーチミン1800km 妻よありがとう」、大泉「おかえりミスター」
「-妻よありがとう」は、鈴井夫人が日本からわざわざトランシーバーを届けてくれた感謝を込めて。
「おかえりミスター」は、再び大泉やディレクター陣と交信できることを祝って。
最終日
鈴井「Last Run 水曜どうでしょう Never Give Up」、大泉「最終回 つづく」(1枚目)「6年間ありがとう またね」(2枚目)
大泉は当初「最終回」とシャツに記したが、藤村Dから非難されたため、斜線を引き「つづく」と訂正した後、2枚目のシャツに着替えている。

懐かしの前枠・後枠集[編集]

この企画での前枠と後枠は「懐かしの前枠・後枠集」と題されており、全ての前後枠が過去の企画を流用したものとなっている。『Classic』においては一部後枠の編成が変更されたり、放送されていないものがある。

  • 「アメリカの有名人 私は誰でSHOW」(第1夜・第2夜) - アメリカ横断。ゲストはジョイナーE.T.、鶴の恩返し(北欧)、カブちゃん(原付西日本)。
  • 土井善晴」(第3夜) - 30時間テレビ。ゲストはカブちゃん。
  • 登山家とキューレンジャー」(第4夜前枠) - サイコロ4・サイコロ6
  • 写真家とダイビング女将」(第4夜後枠) - コスタリカ・絵はがき1。登山家も写真家も大した変化はない。
  • 「若旦那と体操さん」(第5夜) - 原付西日本・対決列島。体操さんには音尾琢真がゲスト出演(役名は「なかもとさん」)。
  • 土下座」(第6夜) - 原付西日本(放送休止を知らせる後枠で登場)。前述の「最終回ではなかった」お詫び。安田(簡易onちゃんのコスチューム)がゲスト出演
  • 「王子とミスター長嶋」(第7夜)

脚注[編集]

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  1. ^ タコメーター、パワーウィンドウが装着されておらず、バックドアが観音開きのため、STDグレードと思われる。
  2. ^ DVD第12弾「北極圏突入 〜アラスカ半島620マイル〜」副音声より。
  3. ^ 現在は存在しない(2010年に終了)。
  4. ^ 『鈴井貴之編集長 大泉洋』より。
  5. ^ Googleマップで「ここをキャンプ地とする」(カギカッコ含む)と検索すると、その場所が示される。
  6. ^ カサ コルコバード ジャングルロッジ Casa Corcovado Jungle Lodge
  7. ^ セベグレオテル ナチュラルリザーブ&スパ Savegre Hotel, Natural Reserve & Spa
  8. ^ この撮影のためだけにスーパーの一部を借り切り、佐藤良諭アナウンサーによるニュース映像も『どうでしょう』内で流すために製作された。(参照
  9. ^ San José サンホセ、San Jose サンノゼ
  10. ^ DVD第23弾『対決列島 〜甘いもの国盗り物語〜』副音声より。
  11. ^ 『リターンズ』『Classic』では2夜に分割して放送されるため、全8回となる。
  12. ^ 8月7日放送「原付ベトナム縦断1800キロ」第3夜