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関憲太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
関 憲太郎
名前
カタカナ セキ ケンタロウ
ラテン文字 SEKI Kentaro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1986-03-09) 1986年3月9日(38歳)
出身地 群馬県藤岡市
身長 178cm
体重 78kg
選手情報
在籍チーム レノファ山口FC
ポジション GK
背番号 21
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2008-2020 ベガルタ仙台 85 (0)
2010-2012 横浜FC (loan) 59 (0)
2021- レノファ山口FC 95 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2023年12月14日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

関 憲太郎(せき けんたろう、1986年3月9日 - )は群馬県出身のプロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー (GK)

経歴

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アマチュア時代

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前橋育英高から2年次に国見高に転入[1]。3年時にインターハイ全国高校選手権優勝を経験。同期に平山相太がいる。卒業後、明治大学に進学。4年時に関東大学リーグ優勝を経験し、MVPも獲得。同期に斎藤雅也石井秀典がいる。

ベガルタ仙台入団

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2008年Jリーグ2部(当時)のベガルタ仙台に入団。2009年にはJ1昇格も経験するが、林卓人がすでに正GKに君臨していたために公式戦出場機会はなかった。

横浜FCへのレンタル移籍

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2010年、J2横浜FC期限付き移籍。移籍後は、ガイナーレ鳥取から加入したベガルタ時代のチームメイトでもあるシュナイダー潤之介と激しくレギュラーを争った。この年はリーグ戦13試合に出場した。その後、移籍期間を2012年まで延長。2011年は全38試合に出場したが、2012年になるとシュナイダーにレギュラーを奪われた。シーズン終了後、レンタル移籍期間満了により仙台復帰。

仙台復帰後

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復帰初年度の2013年は林の前に天皇杯1試合のみの出場に終わった。林がサンフレッチェ広島へと去り、指揮官が手倉森誠からグラハム・アーノルドに交代した2014年は、桜井繁シュミット・ダニエルを抑えてポジションを確保。アーノルドはシーズン序盤で解任されたが、渡邉晋が就任してからもポジションをキープした。 2015年からは横浜F・マリノスから加入した六反勇治にポジションを奪われたが、六反の負傷離脱を機に正GKを奪還した。六反が清水エスパルスに移籍後は、松本山雅FCにレンタル移籍していたシュミットが復帰[2]。ポジション争いを繰り広げた。シュミットに身長で約20cm劣るものの、正確なセービング能力と俊敏性で体格の差カバー[3][4]、シュミットがキャンプで負傷し調整が遅れたこともあって[5]、2年ぶりの開幕スタメンを獲得した。開幕節では5年ぶりのJ1復帰を果たした札幌を無失点に抑えて勝利すると[3]、翌週の磐田戦でも無失点に抑え、自身初の開幕2試合連続完封を果たした[6]。しかし、4月7日の第6節・浦和戦でクラブ史上ワーストの7失点を喫すると[7]、翌節からシュミットに守護神の座を明け渡してしまう。それでもシュミットの負傷により9月23日の第27節・C大阪戦で約半年ぶりにリーグ戦スタメンを果たすと、完封こそ逃したものの再三の好セーブでチームの勝利に貢献[8][9]、その後はシーズン終了までゴールマウスに立ち続けた。また、YBCルヴァンカップでは多くの試合に出場、経験の少ない味方選手を守備面で統率し、クラブ初のベスト4に貢献した[4]。結局このシーズンはリーグ戦14試合を含む公式戦21試合に出場した。

2019年はシュミットが正GKを奪還し、控えに降格。シュミットがリーグ中盤戦にベルギー1部シント=トロイデンVVに移籍し、ポジション奪還かと思われたが、その穴を埋めるべく加入したヤクブ・スウォビィクが即レギュラーに君臨したため、引き続き控え生活となった。2020年になると小畑裕馬の台頭やチームの不調もあってベンチにすら入れなくなり、同シーズン限りでの契約満了が発表された。

レノファ山口FC

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2021年より、レノファ山口FCに移籍[10]。 加入直後からレギュラーを務め、開幕戦は昨季ポジションを争っていた吉満大介山田元気を押しのけて先発に抜擢された。その後は自身が怪我で離脱した時期を除くと、シーズン通してレギュラーとして出場し、チームの残留に貢献した。

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2002 国見高 1 - - - 3 0 3 0
2003 - - 2 0 2 0
2007 明大 - - 3 0 3 0
2008 仙台 21 J2 0 0 - 0 0 0 0
2009 0 0 - 0 0 0 0
2010 横浜FC 31 13 0 - 1 0 14 0
2011 38 0 - 1 0 39 0
2012 8 0 - 1 0 9 0
2013 仙台 21 J1 0 0 0 0 1 0 1 0
2014 33 0 1 0 1 0 35 0
2015 2 0 4 0 3 0 9 0
2016 20 0 4 0 1 0 25 0
2017 14 0 6 0 1 0 21 0
2018 16 0 2 0 2 0 20 0
2019 0 0 5 0 0 0 5 0
2020 0 0 0 0 - 0 0
2021 山口 J2 36 0 - 0 0 36 0
2022 36 0 - 0 0 36 0
2023 23 0 - 0 0 23 0
通算 日本 J1 85 0 22 0 9 0 116 0
日本 J2 154 0 - 3 0 157 0
日本 - - 8 0 8 0
総通算 239 0 22 0 20 0 281 0

脚注

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  1. ^ 国見高の小嶺忠敏監督(当時)と前橋育英高の山田耕介監督とが師弟関係にあり、当時国見高のGKが不足していたことから前橋育英高にGKの譲渡を依頼し、規則に引っ掛からない普通科所属の関に白羽の矢が立った。
  2. ^ GKシュミット・ダニエルがJ2松本から仙台に復帰”. 日刊スポーツ (2016年12月9日). 2017年12月7日閲覧。
  3. ^ a b 【仙台】2年ぶり開幕ピッチでGK関が守って完封勝利!”. スポーツ報知 (2017年2月26日). 2017年12月7日閲覧。
  4. ^ a b 【仙台 vs 大宮】 ウォーミングアップコラム:関憲太郎。粛々と、勝つための準備を進めるGK”. J's GOAL (2017年11月7日). 2017年12月7日閲覧。
  5. ^ 【仙台】開幕GK“当確”の関、3―4―3の「景色に慣れてきた」”. スポーツ報知 (2017年2月16日). 2017年12月7日閲覧。
  6. ^ 【仙台】GK関「手堅く、したたかに守れた」自身初の開幕2戦連続完封!”. スポーツ報知 (2017年3月4日). 2017年12月7日閲覧。
  7. ^ 【仙台】GK関「これが現実。受け止めないと」好セーブ連発も7失点”. スポーツ報知 (2017年4月8日). 2017年12月7日閲覧。
  8. ^ 【仙台】石原チーム最多8点!椎橋リーグ戦プロ初弾!野沢14年連続弾で快勝”. スポーツ報知 (2017年9月23日). 2017年12月7日閲覧。
  9. ^ 【J1採点&寸評】C大阪1-4仙台|攻守に機能した仙台は「7」が3人!C大阪は今季ワーストの出来”. サッカーダイジェストWeb (2017年9月24日). 2017年12月7日閲覧。
  10. ^ 関 憲太郎 選手 ベガルタ仙台より完全移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)レノファ山口FC、2020年12月27日https://www.renofa.com/archives/69315/2020年12月28日閲覧 

関連項目

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外部リンク

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