宇佐美貴史

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宇佐美 貴史 Football pictogram.svg
Takashi-Usami-2016-07.jpg
名前
愛称 タカシ
カタカナ ウサミ タカシ
ラテン文字 USAMI Takashi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1992-05-06) 1992年5月6日(24歳)
出身地 京都府長岡京市
身長 178cm
体重 69kg
選手情報
在籍チーム ドイツの旗 FCアウクスブルク
ポジション MF (OH, SH) / FW (ST)
背番号 39
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2009-2016 日本の旗 ガンバ大阪 138 (64)
2011-2012 ドイツの旗 バイエルン (loan) 3 (0)
2012-2013 ドイツの旗 ホッフェンハイム (loan) 20 (2)
2016- ドイツの旗 アウクスブルク
代表歴2
2007-2009  日本 U-17 16 (11)
2009-2010  日本 U-20 13 (5)
2011-2012  日本 U-23 12 (2)
2015- 日本の旗 日本 18 (3)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年6月25日現在。
2. 2016年9月7日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

宇佐美 貴史(うさみ たかし、1992年5月6日 - )は、京都府長岡京市出身のプロサッカー選手[1]ブンデスリーガFCアウクスブルク所属。ポジションミッドフィールダーフォワード日本代表。妻はタレントの宇佐美蘭

来歴[編集]

プロ入り前[編集]

京都府長岡京市出身[1]。両親揃ってのガンバ大阪サポーターである家庭に男三人兄弟の末っ子として生まれ、上2人の兄がサッカーをしていたことに影響され、1歳半の頃から自然とボールに触れ始め、3歳ぐらいになると一人で公園に行き、ボールを蹴っていたという[2]

5歳になった1997年、地元の長岡京サッカースポーツ少年団(長岡京SS)[3] に入団すると、小1のときに小4、小2のときには小5のチームに飛び級し、小4から卒業するまで毎年200点前後、合計600点以上の得点を挙げるなど、地元では「天才少年」として知れ渡っていた[2]

2005年、長岡京SSからガンバ大阪ジュニアユースに入団[4]。同年6月、韓国で開催されU-13日本ユース選抜[5] として出場したMBC国際ユース大会決勝戦では、5人抜きドリブルを披露するなど高木善朗の2得点を演出する圧巻の活躍を見せた[6]2006年高円宮杯第18回全日本ユース選手権では、大会得点王となる10得点を挙げる活躍で、G大阪JYの高円宮杯ユース選手権初優勝に貢献[7]。JYの同期には大森晃太郎昌子源らがいる。

2007年、中学3年次でガンバ大阪ユース(高校生年代)に飛び級で昇格すると、唯一の中学3年生ながらレギュラーに定着し、同年の第31回日本クラブユースサッカー選手権優勝に貢献。2008年の高校1年次には背番号「10」を背負い、同年12月の第16回Jユースカップ決勝セレッソ大阪U-18戦では、2点ビハインドの状況からPKを獲得し、逆転後には4点目のダメ押しミドルシュートを決めるなど2得点に絡む活躍でG大阪ユースの6年ぶり4度目のJユースカップ優勝に貢献するなど[8]、数多くの活躍を見せたことからG大阪下部組織の「史上最高傑作」と称された[2]。この時点でシュートパスといったアタッキング能力全般に定評があった[9]

ガンバ大阪[編集]

2009年ガンバ大阪のトップチームにクラブ史上初となる高校2年次での飛び級で昇格(同期昇格は2学年上の大塚翔平菅沼駿哉[10]。背番号は安田理大のプロ1年目と同じ「33」。5月20日ACLグループリーグ第6節のFCソウル戦にて先発メンバーに名を連ね[注 1]稲本潤一が1997年に記録した17歳171日のG大阪史上最年少デビュー記録を更新する17歳14日での公式戦初出場を果たし、後半19分に公式戦初得点も記録した[2]5月24日、J1第13節の鹿島戦でJリーグ初出場を果たす。しかし、その後は調子が振るわず、シーズン通して控えメンバーにすらほとんど入ることができず、リーグ戦の出場も初出場の鹿島戦以降はJ1第16節名古屋戦、第17節清水戦のみとなり、2009年の公式戦出場はわずか4試合に留まった。

2010年、開幕当初は前年同様なかなか出場機会を得られなかったが、主力選手にケガ人が続出したことで、4月10日のJ1第6節大宮戦でこの年初めてスタメンで起用される。J1第8節FC東京戦でリーグ戦初得点を挙げ、ACLグループリーグ第5節の水原三星戦では、ロスタイムに決勝点を挙げチームの逆転勝利に貢献[11]。シーズン中盤から高校3年生ながら遠藤保仁二川孝広橋本英郎明神智和らの代表経験者で構成されたG大阪の「黄金の中盤」に割って入り[12]、主に左サイドハーフ、または2トップの一角として起用され、2004年に森本貴幸が記録した高校生Jリーガーのシーズン最多得点(4得点)を更新する7得点を挙げる活躍を見せ[注 2]、G大阪では初となるJリーグベストヤングプレーヤー賞(新人王)を受賞し[13]、G大阪の公式応援番組『GAMBA TV〜青と黒〜』の年末特別企画『GAMBA TV アウォーズ』では、選手とサポーターが選ぶシーズンMVPに選出された。 なお、2010年のJ1リーグで放ったシュート数は日本人選手トップを記録した[14]

2011年、背番号をかつて松波正信播戸竜二が付けていた「11」に変更[15]。ポジションは左MFやトップ下などの中盤を担当することになった。しかし、中盤でのゲームメイクに徹するあまり、本来の持ち味である突破力や決定力を発揮できず、開幕から公式戦8試合連続無得点が続き、スタメンを外されることもあったが[16]、日本代表のアルベルト・ザッケローニ監督が視察に訪れた5月15日のJ1第11節福岡戦で、2011年のリーグ戦初得点を挙げ[17]、代表入りへアピールした。6月27日、ドイツ・ブンデスリーガの名門バイエルン・ミュンヘンへの完全移籍のオプション付きとなる1年間の期限付き移籍が決定した[18][19]。7月13日、移籍前のラストゲームとなったJ1第4節神戸戦では、有終の美を飾る1得点1アシストの活躍を見せた[20]

バイエルン・ミュンヘン[編集]

2011年7月18日、現地ミュンヘンで入団会見が行われた。背番号は「14」。8月13日、リーグ戦第2節VfLヴォルフスブルク戦でブンデスリーガ初出場を果たした。10月26日、ヴォルフスブルク戦以来の公式戦出場となったDFBポカール2回戦のFCインゴルシュタット04戦で移籍後初得点を決め[21]、12月7日のUEFAチャンピオンズリーググループリーグ最終戦マンチェスター・シティ戦では、日本人最年少となるCL初出場を果たした[22]。2012年4月21日、第32節ブレーメン戦では移籍後初のスタメンフル出場を果たした[23]。5月19日、CL決勝チェルシー戦では、日本人初のCL決勝ベンチ入りするも[注 3]、出場機会は訪れずチームもPK戦の末敗れた[24]。最終的に2011-12シーズンの公式戦出場は、わずか5試合に留まり、バイエルンのハイレベルなポジション争いに割って入ることはできなかった。また、バイエルンが完全移籍のオプションを行使しなかったため、1シーズン限りでの退団が決定した。

ホッフェンハイム[編集]

2012年5月23日、ブンデスリーガ・TSG1899ホッフェンハイムへの完全移籍のオプション付きとなる1年間の期限付き移籍が発表された[25][26]。9月16日、移籍後初先発となったリーグ戦第3節SCフライブルク戦でブンデスリーガ初得点を決めた。クラブではシーズン当初こそレギュラーとして起用されたが、クラブは極度の成績不振で監督交代が相次ぎ、シーズン終盤は出番が減少していった。2013年4月24日、2012-13シーズン限りでホッフェンハイムを退団することが発表された[27]

ガンバ大阪(第2次)[編集]

2013年6月18日より古巣のG大阪に復帰が決定[28]。復帰初戦となった7月20日のJ2第25節神戸戦で、いきなり2得点を挙げる活躍で、首位攻防戦の勝利に貢献[29]。以後同じくこの年に加入したブラジル人FWロチャと2トップを組みゴールを量産し[30]、8月には5試合5得点の活躍を見せ、月間MVPを受賞した。遠藤保仁とツートップを組んだシーズン終盤もペースを落とすことなく得点を重ね、J2第38節徳島戦では、プロ入り初の4得点のハットトリックを達成[31]。J2優勝に王手をかけた第41節山形戦でも2得点の活躍を見せるなど、11月は4試合4得点をあげ2度目の月間MVPを受賞。最終的にリーグ全42試合の半分以下の18試合で試合数を上回る19得点を記録[32]。途中加入ながら得点ランク2位につける得点力を発揮し、G大阪のJ2優勝と1年でのJ1復帰に貢献した。

2014年、ポジション登録をFWに変更。開幕前の2月中旬、練習中に左足を負傷し、左腓骨筋腱脱臼の全治8週間と診断されプロ入り初の長期離脱となりシーズン前半戦の欠場を余儀なくされた[33]。4月26日のJ1第9節川崎戦で復帰し、初先発となったJ1第12節徳島戦で復帰後初得点を決めた。自身が離脱中、チームは一時期降格圏内に沈むほど低迷していたが、2014 FIFAワールドカップによる中断明け以降は新加入のブラジル人FWパトリックとの2トップでコンスタントに得点を重ね、後半戦躍進の中心的存在となり9月には月間MVPを受賞[34]ナビスコカップでは決勝までの6試合でチーム最多の5得点を決めG大阪では安田理大以来となるナビスコカップニューヒーロー賞を受賞[35]。決勝の広島戦では、パトリックの同点ゴールをアシストしG大阪の7年ぶり、自身にとっては初の優勝に貢献した。10月以降、好調なチームとは対照的に相手からの徹底マークにあったことで、公式戦8試合連続無得点と不振に陥ったが、シーズン終盤は復調し天皇杯準決勝清水戦、第33節神戸戦ではそれぞれ2得点をあげ、天皇杯決勝山形戦では2ゴール1アシストと全得点に絡む活躍を見せた。最終的に2014年の公式戦全得点は21点を記録(J1・10得点、ナビスコカップ・5得点、天皇杯・6得点)。これはJ1全体でトップの数字であり、天皇杯では永井謙佑と並び大会得点王となった。さらに、Jリーグベストイレブンを初受賞するなど、G大阪のリーグ優勝さらには国内三冠の立役者となる1年であった[36][37]

2015年、国内でのシーズン開幕戦ゼロックススーパーカップでは決勝ゴールを決め、ガンバの8年ぶりとなるスーパーカップ制覇に貢献した。リーグ戦は開幕戦から好調をキープして得点をかさね、第3節甲府戦から第8節の松本戦にかけてクラブタイ記録となる6試合連続ゴールを決め、4月の月間MVPを受賞した。6月27日の1stステージ最終節山形戦では後半5分から12分間でハットトリックを達成し、これが自身にとってJ1初のハットトリックとなった[38]。1stステージは17試合13得点で得点ランキングのトップに立ったが、後半戦は日本代表との掛け持ちで大きくコンディションを落としたことで2ndステージ17試合6得点と得点ペースが激減。リーグ戦計19得点はJ1での自己最多記録となったが目標としていた20得点には届かず得点王を逃し、CSでも3試合無得点と結果を出せなかった。中断空けの天皇杯準々決勝鳥栖戦では公式戦約3カ月ぶりとなる得点を含む2得点の活躍で、万博記念競技場最後の試合を勝利で飾った[39]。続く準決勝ではCSで敗れた広島から2得点を挙げる活躍でリーグでの雪辱を果たした。2015年の公式戦出場数(代表含む)はJ1全選手中最多の66試合にのぼった[40]

2016年6月25日、アウクスブルク移籍前の最後の試合となったJ1・1st第17節名古屋戦終了後に退団セレモニーが行われた[41]

アウクスブルク[編集]

2016年6月20日、ブンデスリーガFCアウクスブルクへの完全移籍が発表された[42]。4年契約で移籍金は推定2億円。8月27日、開幕戦のVfLヴォルフスブルク戦で途中出場し、移籍後初出場を果たした。

日本代表[編集]

各年代の日本代表チームにおいて、常にその世代の中心選手として、2007年の豊田国際ユースサッカー大会や2009年のコパ・チーバスなど数多くの大会で得点王や最優秀選手を獲得した。この世代には宇佐美を始め、宮吉拓実高木善朗宮市亮柴崎岳といった逸材が揃っていることから、「プラチナ世代」と称されている[43]

2009年11月にU-17日本代表として出場したFIFA U-17ワールドカップでは、3試合で無得点と結果を出すことができず、日本代表もグループリーグ3連敗のグループ最下位で敗退した[44]

2010年10月にU-19日本代表として出場したAFC U-19選手権では、グループリーグ第2戦のベトナム戦でハットトリックを達成する活躍を見せるも[45]、日本代表は準々決勝で敗退。また、AFCアジアカップ2011の予備登録メンバーにも選出された[46]

2011年6月のキリンカップに出場する日本代表に初選出された[47]。キリンカップでA代表初出場とはならなかったが、本人は初めての代表合宿で大きな経験を得られたと語っている[48]

2012年8月、U-23日本代表として出場したロンドンオリンピックでは4試合に出場するも無得点に終わり、チームもあと一歩でメダル獲得を逃した。11月、1年半ぶりにA代表に選出されるも出場機会はなかった[49]

2015年3月19日、ヴァヒド・ハリルホジッチ新体制となったサッカー日本代表メンバーに約2年半ぶりに選出される。3月27日のキリンチャレンジカップチュニジア戦で初招集から約4年越しで代表デビューを果たし、3月31日のウズベキスタン代表戦で代表初ゴールを決めた。6月11日、イラク代表戦で代表初先発。

人物・エピソード[編集]

  • ガンバ大阪でユースチーム在籍中にトップ昇格した選手としては稲本潤一新井場徹家長昭博に次いで4人目。高校2年生進級時での正式なトップチーム昇格(プロ契約)はG大阪では初めてのケースであった[2]
  • ジュニアユース在籍が2年間、ユース在籍も2年間と共に飛び級で昇格している。これをG大阪の育成普及部長(当時)である上野山信行は「いい選手にはいい環境を与える。これは当然のことです」と語っている[50]
  • G大阪時代の2010年に2度、通勤用に乗っていた自転車の盗難被害に遭ったことがある。1度目は4月上旬に盗まれ、約2か月後に発見されたが、11月に再び盗難に遭った[51]。それでも、この年の年末に自動車の運転免許を取得し、それからはマイカーで通勤していた[52]
  • ジュニアユース時代から過ごしたG大阪への想いは強く、2011年7月12日の移籍前最後の練習では、集まったサポーターからの激励に感極まり涙した[53]
  • 両親はJリーグ発足時からの熱狂的なG大阪サポーターであり、特に松波正信のファン[50]。その影響もあって、自身も物心がつく前からのG大阪サポーターであり[54]、実家には子供の頃にG大阪の選手と一緒に撮った写真が飾られている。
  • 長兄は宇佐美と同じく長岡京SSからG大阪下部組織に入った家長昭博と元チームメイト。同じくG大阪下部組織出身の本田圭佑とも中学からの知り合いであり、宇佐美もその頃から本田と面識がある[55]
  • 2011年6月27日、バイエルン・ミュンヘンへの移籍と同時に1歳年上の幼なじみ[56] であるタレント宇佐美蘭(旧姓・田井中蘭)との入籍を発表[57][58]。またこれにより妻が所属している芸能事務所セント・フォースと、スポーツ選手ではバドミントン日本代表潮田玲子についで2人目、男性としては全分野を通して初となるマネジメント契約[注 4] を締結した[59]。2014年12月20日、入籍から3年越しで結婚披露宴を行った[60]。2015年12月24日、第1子の長女が誕生[61]。その2日後に行われた天皇杯鳥栖戦でゴールを決め、長女誕生を祝うゆりかごパフォーマンスを行った[62]
  • 長岡京市立長岡中学校時代の同級生に競泳ロンドンオリンピック日本代表の高橋美帆がいる。中学校1年次のクラスの水泳の授業では水泳の苦手な宇佐美に高橋がアドバイスしたこともあったという[63]
  • バイエルン時代、フランス代表フランク・リベリーから、サッカー選手としての心構えに対する多くのアドバイスを貰ったことを『週刊サッカーダイジェスト』で隔週連載されている自身のコラム『宇佐美日記』で度々取り上げていた。また、移籍前にはリベリーから「才能に恵まれた選手だが、経験が少なすぎる。成長するために出場機会を増やすべきだ」とアドバイスを送られた[64]
  • バイエルン時代のチームメイトであるフィリップ・ラームからは「彼はあまりに若く、経験が少ないままバイエルンに加入してしまった。でも、間違いなくものすごい才能の持ち主だったよ」と2015年に評されている[65]
  • 同学年の女子サッカー選手岩渕真奈とは、一時同じチーム(ホッフェンハイム)に在籍していた上、2013年2月に岩渕が靭帯を痛めた際に、リハビリの「手助け」として2ヶ月ほど同居していた(岩渕が宇佐美家に居候する形)など、深い交流がある。当時は宇佐美家の飼い犬が宇佐美ではなく岩渕の方に懐いていたほどだったという[66]
  • 食べ物ではスイカが苦手[67]。本人曰く「瓜系の食べ物全般が苦手」で、メロンきゅうりも大嫌いだという[68]

所属クラブ[編集]

ユース経歴
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2009 G大阪 33 J1 3 0 0 0 0 0 3 0
2010 26 7 2 0 4 2 32 9
2011 11 14 4 - - 14 4
ドイツ リーグ戦 リーグ杯 DFBポカール 期間通算
2011-12 バイエルン 14 ブンデス1部 3 0 - 1 1 4 1
2012-13 ホッフェンハイム 33 20 2 - 1 0 21 2
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2013 G大阪 39 J2 18 19 - 2 1 20 20
2014 J1 26 10 7 5 4 6 37 21
2015 34 19 1 0 3 4 38 23
2016 17 5 - - 17 5
ドイツ リーグ戦 リーグ杯 DFBポカール 期間通算
2016-17 アウクスブルク 39 ブンデス1部 -
通算 日本 J1 120 45 10 5 11 12 141 62
日本 J2 18 19 - 2 1 20 20
ドイツ ブンデス1部 23 2 - 2 1 25 3
総通算 161 66 10 5 15 14 186 85

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2009 G大阪 33 1 1
2010 4 2
2011 11 7 1
UEFA UEFA CL
2011-12 バイエルン 14 1 0
AFC ACL
2015 G大阪 39 11 4
2016 5 0
通算 AFC 28 8
通算 UEFA 1 0
出場歴

タイトル[編集]

クラブ[編集]

ガンバ大阪ジュニアユース
ガンバ大阪ユース
ガンバ大阪

個人[編集]

ユース時代
プロ時代
その他受賞

代表歴[編集]

出場大会[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 18試合 3得点(2015年 - )


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2015 13 2
2016 5 1
通算 18 3

ゴール[編集]

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2015年3月31日 日本調布 ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン ○5-1 JALチャレンジカップ2015
2. 2015年10月9日 オマーンマスカット シリアの旗 シリア ○3-0 2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選
3. 2016年6月3日 日本、豊田 ブルガリアの旗 ブルガリア ○7-2 キリンカップサッカー2016

出演[編集]

CM[編集]

MV[編集]

脚注[編集]

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注釈
  1. ^ 第5節終了時点で、G大阪がすでにグループリーグ1位突破を決め第6節が消化試合となったため、スタメンの大半は控えメンバーであった。
  2. ^ ただし、森本の記録は高校1年生での記録であった。
  3. ^ バイエルンは累積警告により3人が決勝戦出場停止となっていた。
  4. ^ 公式にはセント・フォース内の一セクションである「セント・フォース・ゾーン」の所属タレントとしてである。
出典
  1. ^ a b 安藤隆人『プラチナ世代のW杯』p.14
  2. ^ a b c d e <日本代表の未来を担う男>宇佐美貴史「伝説を紡ぐ不敵な怪童」”. Number Web (2011年2月18日). 2011年2月21日閲覧。
  3. ^ 長岡京サッカースポーツ少年団
  4. ^ 安藤隆人『プラチナ世代のW杯』p.15
  5. ^ 【U-13日本ユース選抜】韓国遠征/2005MBC国際ユーストーナメント(6/11~21)[JFA] J's GOAL、2005年5月24日
  6. ^ [세계유소년축구] 일본, 남아공 꺾고 우승 -중앙일보-(朝鮮語) 韓国MBC公式サイト、2005年6月19日
  7. ^ 安藤隆人『プラチナ世代のW杯』p.16
  8. ^ G大阪、兄と同じ超攻撃でV/Jユース杯 日刊スポーツ、2008年12月28日
  9. ^ 宇佐美貴史、若き才能が見せる最大の武器”. スポーツナビ (2010年11月16日). 2011年2月21日閲覧。
  10. ^ ガンバ大阪ユースより菅沼・宇佐美・大塚の3選手が2009年トップ昇格仮契約終了 ガンバ大阪オフィシャルサイト、2008年11月16日
  11. ^ G大阪17歳宇佐美が劇的V弾/アジアCL 日刊スポーツ、2010年4月14日
  12. ^ 18歳・宇佐美、G大阪の「黄金の中盤」に新風 日本経済新聞、2010年12月2日
  13. ^ 2010 J.LEAGUE AWARDS:ベストヤングプレーヤー賞”. Jリーグ公式サイト (2010年12月6日). 2012年2月2日閲覧。
  14. ^ 意外な記録が語る18歳・宇佐美貴史の魅力と可能性 スポーツタイムズ、2010年12月11日
  15. ^ 安藤隆人『プラチナ世代のW杯』p.22
  16. ^ OSAKA発、世界。宇佐美貴史の挑戦”. Soccer journal (2011年7月16日). 2011年7月26日閲覧。
  17. ^ 宇佐美ザック監督へのアピール弾/J1 日刊スポーツ 2011年5月16日
  18. ^ 宇佐美貴史選手 ドイツブンデスリーガ「FCバイエルン・ミュンヘン」へ期限付き移籍決定のお知らせ ガンバ大阪オフィシャルサイト、2011年6月27日
  19. ^ FCB leiht Japaner Usami aus(ドイツ語)FC Bayern München AG、2011年6月27日
  20. ^ 【Jリーグ】ラストゲームを飾った宇佐美貴史。「欧州でも伝説を作る」”. Sportiva (2011年7月15日). 2011年7月26日閲覧。
  21. ^ バイエルン宇佐美、カップ戦で待望のトップチーム公式戦初ゴール SOCCER KING、2011年10月27日
  22. ^ 宇佐美「楽しかった」日本人最年少CLデビュー! スポニチ、2011年12月9日
  23. ^ 宇佐美がブンデス初先発フル出場…バイエルン逆転勝利で優勝に望みつなぐ SOCCER KING、2012年4月22日
  24. ^ 宇佐美がCL決勝の舞台で日本人初のベンチ入り…出場機会は訪れず SOCCER KING、2012年5月20日
  25. ^ MF 宇佐美貴史選手 ドイツブンデスリーガ / TSG 1899 ホッフェンハイム 期限付き移籍のお知らせ ガンバ大阪オフィシャルサイト、2012年5月24日
  26. ^ “ホッフェンハイム、宇佐美獲得を正式発表”. 朝日新聞. (2012年5月24日). http://www.asahi.com/sports/fb/world/goal/GOC201205240002.html 2012年5月24日閲覧。 
  27. ^ Chris und Usami verlassen die TSG ホッフェンハイム公式HP、2013年4月24日
  28. ^ MF 宇佐美貴史選手 ガンバ大阪へ復帰のお知らせ ガンバ大阪オフィシャルサイト、2013年5月31日
  29. ^ ガンバで一時代を築きたい――。捲土重来を期す宇佐美貴史が語ったクラブへの熱き思い”. フットボールチャンネル (2013年7月24日). 2013年12月2日閲覧。
  30. ^ 宇佐美貴史がガンバで放つ圧倒的な存在感 活躍を支えるドイツで得た身体の強さ”. スポーツナビ (2013年9月24日). 2013年12月2日閲覧。
  31. ^ 磨かれ続ける“ガンバの至宝”。長谷川監督はいかにして宇佐美の高いポテンシャルを引き出したのか?”. フットボールチャンネル (2013年10月30日). 2013年12月2日閲覧。
  32. ^ 1試合1ゴール以上。実はスゴいぞ、今季の宇佐美!”. sportiva (2013年11月28日). 2013年12月2日閲覧。
  33. ^ G大阪宇佐美が負傷 全治約8週間”. 日刊スポーツ (2014年2月20日). 2014年3月26日閲覧。
  34. ^ 【2014Jリーグ J1リーグ戦/J2リーグ戦】9月度の「コカ・コーラJリーグ月間MVP」決定 ~ J1:宇佐美 貴史選手(ガンバ大阪)”. Jリーグ公式サイト (2014年10月21日). 2014年11月9日閲覧。
  35. ^ 【2014Jリーグヤマザキナビスコカップ】ニューヒーロー賞 宇佐美 貴史選手(ガンバ大阪)に決定”. Jリーグ公式サイト (2014年10月30日). 2014年11月9日閲覧。
  36. ^ 「主役」宇佐美貴史の成長度。ガンバ優勝までの1年を振り返る。”. NunberWeb (2014年12月8日). 2014年12月20日閲覧。
  37. ^ “フットボールチャンネルが選ぶ2014年ベスト30。ガンバに三冠をもたらしたエース、宇佐美貴史(4位)”. フットボールチャンネル. (2014年12月25日). http://www.footballchannel.jp/2014/12/25/post62548/ 2014年12月29日閲覧。 
  38. ^ 宇佐美が12分間でハットトリック達成…G大阪が最終節を快勝で飾る サッカーキング 2015年6月27日
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  66. ^ 宇佐美“元同居人”岩渕にエール「点決めて勝ってくれたら」 - スポーツニッポン・2015年7月4日
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]