平本一樹

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平本 一樹 Football pictogram.svg
名前
愛称 カズキ
カタカナ ヒラモト カズキ
ラテン文字 HIRAMOTO Kazuki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1981-08-18) 1981年8月18日(36歳)
出身地 東京都八王子市
身長 180cm
体重 75kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 東京ヴェルディ1969
ポジション FW
背番号 25
利き足 左足
ユース
読売クラブユース
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1998- V川崎/東京V 340 (56)
2007 横浜FC (loan) 14 (3)
2012 FC町田ゼルビア (loan) 36 (6)
2013 ヴァンフォーレ甲府 (loan) 23 (3)
代表歴
2000-2001  日本 U-20
2002-2003  日本 U-23
1. 国内リーグ戦に限る。2016年12月2日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

平本 一樹(ひらもと かずき、1981年8月18日 - )は、東京都八王子市出身のサッカー選手。ポジションはFW東京ヴェルディ所属。

来歴[編集]

読売サッカークラブ(現:東京ヴェルディ1969)の下部組織(ジュニア、ジュニアユース、ユース)で育ち、1998年にトップに昇格。2006年は副主将に就任した。2007年途中にJ1残留を目指す横浜FC期限付き移籍したがJ2へ降格。2008年からは東京Vへ復帰。2010年の当初は、SBをしていた。2012年FC町田ゼルビアへ期限付き移籍するもJFLへ降格。2013年はヴァンフォーレ甲府へ期限付き移籍。2014年、東京Vへ3年ぶりに復帰[1]

かつて東京Vを指揮していた時にオズワルド・アルディレスは、「平本はある時はペレで、ある時は(通訳の)羽生だ」というコメントで、そのパフォーマンスの波が大きいことを表現したことがある[2]

所属クラブ[編集]

ユース経歴
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
1999 V川崎
/東京V
27 J1 6 1 1 0 3 1 10 2
2000 25 9 1 2 0 0 0 11 1
2001 7 0 1 0 3 0 11 0
2002 25 2 4 2 1 0 30 4
2003 11 28 5 6 0 1 0 35 5
2004 25 6 6 2 5 3 36 11
2005 26 6 5 1 0 0 31 7
2006 25 J2 40 15 - 1 0 41 15
2007 3 0 - - 3 0
横浜FC J1 14 3 1 0 0 0 15 3
2008 東京V 23 2 1 0 1 0 25 2
2009 J2 30 5 - 0 0 30 5
2010 32 10 - 1 0 33 10
2011 11 0 - 2 0 13 0
2012 町田 36 6 - 2 0 38 6
2013 甲府 J1 23 3 4 0 0 0 27 4
2014 東京V J2 30 3 - 1 0 31 3
2015 30 5 - 2 1 32 6
2016 15 1 - 0 0 15 1
2017 -
通算 日本 J1 186 29 31 5 14 4 231 38
日本 J2 227 45 - 9 1 236 46
総通算 413 74 31 5 23 5 467 84
  • 1999年はユース所属

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2006 東京V 25 1 0
通算 AFC 1 0

代表歴[編集]

飯尾一慶との関係[編集]

東京ヴェルディの同僚であるFW飯尾一慶とは中1の時から共にヴェルディユースでプレーしていた。今でこそ一緒に買い物行ったり、良くつるんでいる仲だが、2003年頃までは仲が悪かった(中学、高校の時は喋ってはいたが、トップチームに昇格してから仲が悪くなった)。その理由を平本は「お互いに性格が悪いと思っていたから」と話している。

2人がトップチームに昇格した年、遠征前の時間に飯尾と美容院に行ったところ、別々にオーダーしたのにカットし終わったら髪型が全く一緒になっていたというエピソードがある。

上記のことから、平本は飯尾との出会いを、「運命的な出会い」だと話している。

2004年の天皇杯では5回戦以降、平本と飯尾が2トップを組み、見事優勝に貢献する。その後は外国人FWの獲得や互いのレンタル移籍などでこの2トップはしばらくなかったが、2008年8月9日のJ1第20節アルビレックス新潟戦で久々に飯尾・平本の2トップが実現。飯尾が2ゴール、平本が1ゴールを挙げ、チームを勝利へ導いた。試合後平本は「やっぱり僕とチビ(飯尾)はいいですね。」と語っている。また、この試合は飯尾のJ1通算100試合出場、平本のJ1通算150試合出場のセレモニーが行われた記念の試合だった。

また、平本は飯尾とのコンビネーションが良い理由について尋ねられた際、「僕はチビ(飯尾)がどこでプレーしているのかが常にわかっているし、次にどんなプレーを狙っているのかもわかっている。」と語っている。

エピソード[編集]

  • ユースの同期には飯尾一慶、戸川健太相馬崇人がいる。
  • 地元である南大沢によく出没する。
  • 若手時代はシーズンオフに自主トレを全くしないで完全にオフにするといったこともしていたが、現在は改めている[4]
  • 2002年名古屋グランパス戦において、控え選手としてベンチにいる時に審判に対して暴言を吐きレッドカードを受けた。試合出場前に退場になるのはJリーグでは1995年中西哲生に次いで2例目のことだった。
  • 2005年10月にサテライトリーグの試合で倒れた相手選手の顔を蹴った上に退場を命じた審判の胸を手で突き、3試合の出場停止の処分を受けた。
  • 2005年12月、東京VのJ2降格が決まり、J1クラブへと去る選手も多い中、缶ジュースを買おうと握っていた100円玉と10円玉を差し出し「もし年俸がこれだけだって言われても、自分はここでプレーします」と言って東京Vに残留し男気を見せた。
  • 2006年9月に結婚。
  • 2006年のシーズン終了後には、前年のナビスコ杯王者であるジェフ千葉から正式オファーが届き、J1リーグ王者である浦和や、名古屋からも興味を示される中、「本当に悩んだが裏切りたくなかった。お誘いはうれしかったんですけどね」と強豪クラブからの話を断り、来季こそJ1復帰を目指す東京Vに残ることを決めた。いずれのクラブもJ1の強豪で、2006年の推定年俸2000万円よりも好条件を用意していたとされ、またも東京Vに対する深い愛情を見せた。
  • 2007年5月、J1昇格後苦戦続きの横浜FCからオファーがあり、東京Vで出場機会が減っていた事も重なり「眠れないほど悩んだ」末にレンタル移籍を決断。「愛するヴェルディがJ1に復帰することを信じています」と公式コメントを残す。
  • 2007年オフに柱谷哲二監督(当時)は「戦力として考えていない。アイツ(平本)自身の人間性と練習への姿勢が変わらない限り、練習もさせない」と平本の期限付き移籍からの復帰に対して厳しくコメントした。その後、横浜FCから東京Vに復帰したが、年俸は異例の72%ダウンの600万円(推定)。しかし、一定のノルマを達成すれば年俸は平年通り貰えるという契約になった。年俸が下がったことによって家も住み替えなければならなくなったが、これによってハングリー精神が芽生えたとコメントしている[5]
  • 2011年5月4日のFC東京戦では、3人の交代枠を使い切った後にGK土肥洋一が負傷退場。試合終了まで平本がグローブをつけてゴールを守るハプニングが起きたが、既にロスタイムに入っておりシュートは浴びずに済んだ。 東京ダービーであったこの試合の残りの2分間はFC東京のロベルト・セザーが2枚のイエローカードを提示され退場したので10人同士の試合となった。また、2011年シーズン初勝ち点(0-0のスコアレスドロー)でもある。
  • 2012年3月17日のJ2第3節・ガイナーレ鳥取戦の後半2分に、FC町田ゼルビアのJリーグ初得点となるゴール挙げると同時に、J2通算10000ゴールを達成。この得点が決勝点となり、町田のJリーグ初勝利に貢献した。同年8月16日、町田のホームスタジアムである町田市立陸上競技場の芝生広場にJ's GOALから寄贈された「J2通算10000ゴール記念碑」が設置された[6]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]