石川直宏

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石川 直宏 Football pictogram.svg
名前
愛称 ナオ[1][注 1]
カタカナ イシカワ ナオヒロ
ラテン文字 ISHIKAWA Naohiro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1981-05-12) 1981年5月12日(36歳)
出身地 神奈川県横須賀市[4][5]
身長 175cm
体重 70kg
選手情報
ポジション MFSH[5],OH[5]) / FWWG[1]
背番号 18
利き足 右足[1]
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2002 横浜F・マリノス 15 (01)
2002- FC東京 297 (51)
代表歴2
2000-2001  日本 U-19/20
2002-2004  日本 U-21/22/23
2003-2012[6] 日本の旗 日本 6 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年12月27日現在。
2. 2012年2月24日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

石川 直宏(いしかわ なおひろ、1981年5月12日 - )は、神奈川県横須賀市出身の元プロサッカー選手。ポジションは主にミッドフィールダー(MF)。

サッカー選手の石川貢石川扶は実弟[7]

来歴[編集]

プロ入り前[編集]

5歳の時にサッカーを始める[2][8]。小学校時、地元の少年少女サッカークラブである横須賀シーガルスに所属。出身地の近い鈴木達也[9]、神奈川県内の大会で対戦した茂庭照幸とはこの頃から面識があった[8]。中学に入ると横浜マリノスジュニアユース追浜に所属し、高校進学時に横浜マリノスユースに昇格。成長の遅れによる体格差[10][11][12]やクラムジー[注 2]の発症[14]、当時得意としたトップ下のポジションを争う同期・大橋正博の台頭[5][8]樋口靖洋監督による不慣れな右サイドへのコンバート[15][10]、加えて横浜フリューゲルスとの合併による選手層拡大[4][8]が重なるなど困難が続いたが[16]、徐々にスピードを身に付け[5]サイドアタッカーとしての能力を開花させ始めた[10]

横浜F・マリノス[編集]

2000年には横浜F・マリノスのトップチームに昇格し、Jリーグデビュー。同年、U-19日本代表としてアジアユースに出場。

2001年にはU-20日本代表としてワールドユース アルゼンチン大会に背番号10を背負って出場。グループリーグで敗退するも、鋭い切り込みでゴールへ迫る姿勢[17]は高い評価を得た[11]。この大会のテレビ解説を原博実が担当していたことが後にサッカー人生の契機となる[注 3]

しかし、横浜FMでは出場機会を失っていく。パスの出し手であるMF中村俊輔との呼吸がかみ合わず[19][2][20]、チームの成績も低迷、監督交代が相次いだ。ラザロニ監督とは特に相性が合わず、石川は紅白戦での「Bチームの控え」にも入れてもらえず[4][20]2002年も引き続いてラザロニが指揮を執ることになった状況に危機感を持ち、自ら横浜FM強化部に出場機会を直訴[4]サンフレッチェ広島が移籍先の有力候補に挙がったが[4][21]、この年にFC東京の監督に就任した原博実が石川の獲得を熱望したこともあり[4]、4月にFC東京へのレンタル移籍が決定[22]

FC東京[編集]

移籍発表からわずか3日後の駒沢でのナビスコカップ清水戦で早速右のサイドアタッカーとして先発出場すると、ずば抜けたスピードによる突破で得点をアシスト。早々にチームにフィットし[11]、同時期にFC東京の右サイドバックとして出場機会を与えられたDF加地亮とのコンビネーションで[8]右サイドからの攻撃を担い[注 4]、レギュラーを確保した。U-21日本代表としては、10月の釜山アジア大会では準優勝に貢献。

2003年8月、FC東京に完全移籍[23]。同年のJリーグフェアプレー個人賞を受賞[24]。また、アテネオリンピックを目指すU-22日本代表として活動する一方で、この年のキリンカップのためのA代表に初選出される。同年の東アジア選手権でもA代表に選出され、香港戦において国際Aマッチ初出場を記録[6](U-22代表から抜擢されたのは大久保嘉人松井大輔と石川の3人)。

2004年には再び日本代表候補合宿に招集されていたが、日本サッカー協会のオリンピック優先という方針によりU-23日本代表に合流、アテネオリンピックアジア最終予選を突破する。アテネオリンピック本大会では同じ右サイドに攻撃を得意とする石川とともに守備的な徳永悠平が招集されており、山本昌邦監督は守備重視の戦術[注 5]で大会に臨んだため、出場機会を得たのは消化試合となったグループリーグ第3戦からだった。この試合では攻撃を牽引したにもかかわらず[26]後半早々に交代[27]。消化不良のままグループリーグでの敗退が決定。競技場のサポーターに挨拶する際には号泣し[26]、失意の帰国となった[2]。クラブでは、リーグ戦での得点はなかったが、初選出されたオールスター戦でゴールを決め、MVPを受賞[28][29]ナビスコ杯では優勝を体験するが、決勝の浦和戦では退場者を出したことで更に運動量が求められ、自身初となる延長戦までの120分フル出場[注 6]で走り回り奮闘したため足がつっており[31]、決着をつけるPK戦のメンバーには入らなかった。

2005年8月にイタリア・セリエAに昇格したトレヴィゾから獲得オファーを受けるも[32]、FC東京の苦戦が続いた時期と重なっていたこともあり、交渉最終段階にきてオファーを断った[33][34]。その決断の直後の9月日産スタジアムでの古巣・横浜FM戦の試合後半に右膝を傷め途中退場。検査の結果、右膝前十字靭帯損傷及び右膝外側半月板損傷[1]・全治8ヶ月との診断を受け、長期のリハビリテーション期間を過ごすことになった。

2006年ガーロ監督が就任したが、その在任期間が右膝のリハビリの時期と重なっており、ガーロ体制下でのプレーは少なかった。同年7月19日アビスパ福岡戦で305日ぶりの復帰を果たした[1]

2007年倉又寿雄監督体制下から原監督が復帰したシーズンは、以前までのサイドから仕掛けるスタイルを求めた原に対し、石川は中へ切れ込んだり、引いてボールを受けたりという自身のプレーの幅の広がりを模索していたこともあってか[35][36][37]調子が上がらず[38]、出場機会が減った時期もあった[39]

2008年に就任した城福浩監督は攻撃の選手に流動性を求めており[37]自由度が増した結果、苦し紛れのパスは減り、課題であったパスやクロスの精度が向上し、安定感が増した。同タイプのプレーをする鈴木達也の新加入や大竹洋平などの台頭によるチーム内での競争の活性化もあってか、再び生き生きとしたプレーが見られるようになった。

2009年は、平山相太のポストプレーや羽生直剛の労を惜しまない運動量といったチームメートとの長所が噛み合い[40][41]5月2日のJ1大宮戦でプロ入り後初のハットトリックを決めるなど[42](この日は、年に一度しか来ない家族が見に行った日でもあった)、一時磐田のFW前田遼一と得点王の座を争う程ゴールを量産。チームのリーグ5位、ナビスコカップ決勝進出の原動力となり、同年10月には約5年半ぶりに日本代表に招集された[19]岡田武史代表監督からは切り札に指名され[19]「ゲームの流れを変えるのに使える」と評価を得たが[43][44]同月17日の戦で得点直後に相手選手と接触し負傷離脱。チームが2度目の優勝を決めたナビスコカップ決勝には出場できなかった。12月のJリーグアウォーズでは活躍を評価され、初めてJリーグベストイレブンに選出された[注 7]

2010年FIFAワールドカップ登録メンバー発表前の最後の国際Aマッチで「国内組(Jリーガー)の最終見極め[46]」となったセルビア戦では、途中出場ながらチーム最多タイのシュートを放つなど[47]前線を活性化させた[48][注 8]が、予備登録の7名に入るにとどまった[注 9]

2011年は、FC東京のベテラン代表として[51]副主将を務めた[52]。この年は「シーズンの終わりまで石川を(負傷離脱などさせることなく)チームに置いておきたい[53]」という大熊清監督の起用法により、出場時間は多くなかったものの[54]、FC東京の連勝記録を塗り替える得点を挙げるなど[55]勝負所での活躍を見せた。

2012年アルベルト・ザッケローニ日本代表監督から、攻撃面での「Velocità(スピード)」と「Imprevedibilità(en)(予測不可能性)」を併せ持つ選手として指名され[56][10]、日本代表に復帰。FC東京では新監督のランコ・ポポヴィッチによって戦意を新たにし[57]AFCチャンピオンズリーグと並行する過密日程の中でも好調を維持[54]。ゴールへ向かう積極性を発揮した[57][58]

2013年はFWルーカスが右SHに配されたことによって定位置を失い[59]、「(東京加入以来)怪我以外で一番試合に出ていない」という苦しい1年を過ごす中[60]、控え組を牽引し、チームを突き上げた[61]

2014年は腰椎椎間板ヘルニアにより[62][63]前半戦の大半の欠場を余儀なくされる。夏場にかけて復調したが[64][65]完調には至らず[63]、同年の公式戦先発出場はカップ戦の1試合に留まった。

2015年4月にはJ1第4節甲府で1年4か月振りのゴールを決めた[66]。2トップのFWという新たな起用法の中、躍動感あふれるプレーを見せていたが[67]、8月の親善試合E.フランクフルト戦で左膝前十字靭帯を断裂し(同箇所は2009年にも痛めており[68]、石川自身は「よく(ここまで)もってくれた」と述懐[69]。)長期離脱を強いられた[70]

2度の手術を経て[71]2016年9月19日、FC東京U-23として参加しているJ3第22節秋田戦で418日ぶりに公式戦に出場[72]。しかし年末にかけて状態が悪化[72]。同年限りでの引退を考えたが、クラブからの強い慰留を受けて再起を期した[72]

2017年8月2日、今シーズン限りで引退をすることが発表された。12月2日、最終節のガンバ大阪戦では今季初出場を飾り、味の素スタジアムで最後の出場となった。[73]次の日のJ3最終節セレッソ大阪U-23戦にもオーバーエージ枠として途中から出場し、原大智の得点をアシストしてラストマッチを勝利で飾った。[74]

エピソード[編集]

  • 趣味サーフィン[2][5]。プロサーファー・鍋島庵莉との親交が厚い[75][76]
  • 原博実の勧誘文句「今(FC東京に)来たら使っちゃうよ」は名言だと語る[7]
  • スタジアムでは東京スカパラダイスオーケストラの「Down Beat Stomp」のサビ部分に独自の歌詞をつけたものが応援歌となっている[39]。石川とスカパラのベーシスト川上つよしは交友関係があり、それが縁で2003年、2004年シーズンの開幕戦ではスカパラがゲストとしてミニライブを行なったり、FC東京の応援ソング「スタジアムへ行こう」を楽曲提供するなどの交流が派生した[77]
  • 雑誌「サッカーai」のあなたが選ぶBEST11で7号連続第1位を獲得している。
  • 2003年度にJリーグ選手協会(後の日本プロサッカー選手会)支部代表[78]、2004年度から2015年度(2016年6月)まで同会副会長を務めている[79]

所属クラブ[編集]

ユース経歴
プロ経歴
  • 2000年 - 2003年7月 日本の旗 横浜F・マリノス
  • 2003年8月 - 2017年 日本の旗 FC東京

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2000 横浜FM 28 J1 2 0 1 0 2 0 5 0
2001 18 13 1 2 0 0 0 15 1
2002 0 0 - - 0 0
FC東京 36 19 4 3 0 1 0 23 4
2003 18 29 5 7 3 1 0 37 8
2004 17 0 4 0 3 2 24 2
2005 23 3 6 1 0 0 29 4
2006 20 5 0 0 1 0 21 5
2007 27 4 7 1 3 0 37 5
2008 21 2 6 1 3 0 30 3
2009 24 15 8 3 0 0 32 18
2010 31 2 5 0 3 3 39 5
2011 J2 23 3 - 6 1 29 4
2012 J1 28 5 4 2 1 0 33 7
2013 22 2 3 1 4 0 29 3
2014 3 0 2 0 1 0 6 0
2015 10 1 3 1 0 0 13 2
2016 0 0 0 0 0 0 0 0
2017
通算 日本 J1 289 49 61 13 23 5 373 67
日本 J2 23 3 - 6 1 29 4
総通算 312 52 61 13 29 6 402 71
国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 期間通算
出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 期間通算
2016 F東23 18 J3 2 0 2 0
通算 日本 J3 2 0 2 0
総通算 2 0 2 0

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2012 FC東京 18 6 0
2016 0 0
通算 AFC 6 0

その他の国際公式戦

タイトル[編集]

クラブ[編集]

横浜F・マリノスユース
横浜F・マリノス
FC東京

個人[編集]

選抜・代表歴[編集]

出場大会など[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 6試合 0得点 (2003年 - 2012年)[6]


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2003 1 0
2004 1 0
2009 2 0
2010 1 0
2012 1 0
通算 6 0

書籍[編集]

関連書籍[編集]

作品[編集]

DVD[編集]

  • 『スピードスター・石川直宏』(2010年)

脚注[編集]

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注釈
  1. ^ 横須賀シーガルズで呼ばれるようになる[2][3]。古くからの知人には「イシ」とも呼ばれる。
  2. ^ 体格の急激な変化により、身体のバランスが崩れイメージ通りの動きができなくなる現象。第二次性徴期前後に見られる。石川の場合は中学2年から高校3年の頃にかけて3年近く続いた[13]
  3. ^ 原は後に「とにかく走る姿が綺麗だった」と回想している[18][10]
  4. ^ 石川加入以前に右サイドのレギュラーだったMF佐藤由紀彦が投入された際などには、石川が左サイドに移り、2人が共存する形で戦った試合もあった。
  5. ^ 山本によると、得点源として期待したFW高原直泰の招集を断念したため、先に失点しない戦い方を選ぶ必要があった[25]。また、本大会から加わったMF小野伸二ら前線の選手を活かすため、サイドの選手には守備力を求めた[26]
  6. ^ 石川は後半すぎ、自身の交代を進言するよう、ベンチに近いサイドでプレーしていた戸田光洋に伝令を頼んでいた。しかし、戸田は「俺よりもナオ(石川)がピッチに残った方が相手が嫌がる」と判断し、この伝令をしなかった。石川は交代の準備が遅々として進まず、しかも伝令を頼んだはずの戸田が最後の交代枠を使ってベンチに退いていったため、混乱したとのこと[30]
  7. ^ リーグ戦全34試合3060分中、24試合1762分の出場[45]に留まっていながらの選出であったことからも、その活躍が与えたインパクトの大きさが伺える。
  8. ^ この試合を取材した宇都宮徹壱は「石川をスタメンで起用してみてもよいだろう」と記している[46]
  9. ^ 登録メンバーに入った長友佑都は「意外だったのは、直さん(石川)が入ってないところですね。絶対入ると思っていたし、入ってほしかったし。」とコメント[49]。同じくメンバー入りした遠藤保仁は、著書の中で「あの頃は攻撃するサッカーだったからギリギリまで名前が残っていたと思う。」と述べており[50]、守備的戦術への転換構想が落選の一因という見方を示している。
出典
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  10. ^ a b c d e Jリーガーたちの原点 vol.4 サカママ (2012年12月12日)
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]

公式
個人成績
特集