南雄太

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
南 雄太 Football pictogram.svg
名前
愛称 ユータ
カタカナ ミナミ ユウタ
ラテン文字 MINAMI Yuta
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1979-09-30) 1979年9月30日(37歳)
出身地 神奈川県川崎市
身長 185cm
体重 78kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 横浜FC
ポジション GK
背番号 18
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1998-2009
2010-2013
2014-
柏レイソル
ロアッソ熊本
横浜FC
291 (0)
155 (0)
81 (0)
代表歴
2001 日本の旗 日本 0 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年1月18日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

南 雄太(みなみ ゆうた、1979年9月30日 - )は、神奈川県川崎市生まれで東京都杉並区出身のプロサッカー選手Jリーグ横浜FC所属。元日本代表。ポジションはゴールキーパー

来歴[編集]

中学時代は読売ジュニアユースに所属、高校は静岡学園高校に進み1995年度の全国高校サッカー選手権大会優勝に貢献した。1997年にはまだ高校生ながらU-20日本代表に選出、ワールドユースでも正GKとして活躍し、将来を大いに期待された。

1998年柏レイソルに加入。すぐさま土肥洋一から定位置を奪うと、同年からはシドニー五輪を目指すU-21代表にも継続的に選出された。1999年にはU-20代表の一員としてナイジェリアで行なわれたワールドユースに2大会連続で出場。日本が初めてFIFA主催の国際大会で決勝まで勝ち進むキーマンとして活躍した。しかしながら、以後はキックの精度や集中力に欠ける部分を指摘されることも多くなり、シドニー五輪一次予選を最後に曽ヶ端準に正GKの座を奪われ、U-22代表からも遠ざかった。

2001年にはプロ入り後一度も警告を受けていない点が評価され、Jリーグアウォーズでフェアプレー個人賞を受賞した。2001年11月には、イタリアとの親善試合前に日本代表GK楢崎正剛川口能活が負傷したことから、急遽試合当日にA代表への合流を要請された。ちなみにこの日ピッチにいたGKは五輪予選で南からポジションを奪った曽ヶ端であった。

2006年、柏がJ2に降格し、キャプテンだった明神智和が移籍したことで新キャプテンに就任。チームをしっかり牽引し、1年でのJ1復帰に大きく貢献した。

明神らの移籍によって柏の最長在籍選手となり、柏を象徴する選手の一人としてサポーターから愛されたが、J2の横浜FCから加入した菅野孝憲2008年シーズン途中にポジションを奪われ第2GKに降格する。それでも腐ることなく常に試合出場の準備を怠らなかったが、柏が2度目のJ2降格を喫した2009年のオフに経費削減の目的もあって戦力外通告を受けた。

2010年、J2のロアッソ熊本に移籍。J1クラブを含め、熊本より条件の良いオファーもいくつか届いていたが、戦力外発表の10分後に最初の連絡をしたという熊本の熱意が決め手になった。1年目は開幕からレギュラーに定着し、自身初となる公式戦(天皇杯含む)全試合フル出場を果たした。

2011年、本人の意向によりキャプテンに就任した。天皇杯は岩丸史也に譲ったが、リーグ公式戦は2年連続で全試合フル出場した。

2013年12月26日、4年間所属したロアッソ熊本を退団。J2の横浜FCに移籍することが発表された。

エピソード[編集]

  • 小学校時代はフォワードであったが、「ライバルが少ないから」という理由で読売ジュニアユースにゴールキーパーで入団した。中学時代はサッカーよりもバスケットボールの方が好きだったという。
  • 2004年5月22日サンフレッチェ広島戦(広島ビッグアーチ)では、キャッチングしたボールを味方に投げようとした際、手元を誤り、真後ろの自陣ゴールにボールを投げ入れてのオウンゴールという失態を犯してしまった。このプレーのため、翌週発売の『週刊サッカーダイジェスト』では3.0、『週刊サッカーマガジン』では2.0(ともに10段階評価)と、通常のプレーでは用いられることがほとんどない低い採点で評価された。このあとの2試合は本人の希望でメンバー外となる。
  • 2007年からは、前年のチームのJ1昇格を機に「ゼロからやり直したい。」という自身の意向により、前年までつけていた背番号1を新加入の水谷雄一に譲り、入団当時の背番号21に変更した。翌年に水谷は退団したため1番は空いたが、それでも南に背番号変更の意思はなく、若手の桐畑和繁に譲った。

所属クラブ[編集]

ユース経歴
  • 宝陽幼稚園サッカー部 (東京都杉並区)
  • 武蔵丘FC (東京都世田谷区)
  • 読売日本SCジュニアユース
  • 1995年 - 1997年 静岡学園高校
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
1998 21 J 22 0 4 0 1 0 27 0
1999 J1 18 0 2 0 4 0 24 0
2000 1 20 0 0 0 2 0 22 0
2001 29 0 4 0 1 0 34 0
2002 27 0 7 0 1 0 35 0
2003 26 0 3 0 0 0 29 0
2004 28 0 4 0 0 0 32 0
2005 33 0 5 0 1 0 39 0
2006 J2 45 0 - 0 0 45 0
2007 21 J1 33 0 2 0 0 0 35 0
2008 10 0 1 0 1 0 12 0
2009 0 0 3 0 0 0 3 0
2010 熊本 18 J2 36 0 - 2 0 38 0
2011 38 0 - 0 0 38 0
2012 39 0 - 2 0 41 0
2013 42 0 - 0 0 42 0
2014 横浜FC 39 0 - 1 0 40 0
2015 42 0 -
通算 日本 J1 246 0 35 0 11 0 292 0
日本 J2 281 0 - 6 0 245 0
総通算 527 0 35 0 17 0 537 0

その他の公式戦

代表歴[編集]

タイトル[編集]

  • Jリーグフェアプレー個人賞(2001年)

外部リンク[編集]