権田修一

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名前
愛称 ゴンちゃん[1][2][3]
カタカナ ゴンダ シュウイチ
ラテン文字 GONDA Shuichi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1989-03-03) 1989年3月3日(28歳)
出身地 東京都世田谷区
身長 187cm
体重 83kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 サガン鳥栖
ポジション GK
背番号 33
利き足 右足[1]
ユース
1995-2000 さぎぬまSC
2001-2003 FC東京U-15
2004-2006 FC東京U-18
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2007-2016 日本の旗 FC東京 203 (0)
2016 オーストリアの旗 SVホルン (loan) 17 (0)
2017- 日本の旗 サガン鳥栖
代表歴2
2003-2005  日本 U-15/16/17
2007-2009  日本 U-18/19/20
2011-2012  日本 U-22/23
2010-2015[4] 日本の旗 日本 3 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2017年2月6日現在。
2. 2015年3月27日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

権田 修一(ごんだ しゅういち、1989年3月3日 - )は、東京都世田谷区出身[5][注 1]プロサッカー選手Jリーグサガン鳥栖所属。ポジションゴールキーパー(GK)。元日本代表

妻はネイリストの篠田裕美(本名 権田裕美)[8]

来歴[編集]

プロ入り前[編集]

バスケットボール選手の両親を持つスポーツ一家で育つ[6]。小学校時は川崎市内のサッカークラブに所属していたため、GKとして川崎市選抜・神奈川県選抜に選ばれていた[6]。当時のお気に入りはアメリカ代表トニー・メオラ[9][10]。ユースチーム加入時には、横浜F・マリノス川崎フロンターレのユースチームにも合格し、さらに神奈川県選抜時の監督から湘南ベルマーレへの勧誘を受けていたが[9]、小学校時に近所のサッカースクールにFC東京がコーチングスタッフを派遣しており、権田が浅野寛文GKコーチの指導に好印象を受けた事と[注 2]、そのスクール生には観戦チケットがプレゼントされ、駒沢陸上競技場にてJ2時代のFC東京の試合を生観戦したことなどが決め手となり[6]FC東京U-15への入団を選択した。2003年のクラブユース選手権で優勝し日本一を経験。

FC東京[編集]

2005年10月から2種登録選手としてトップチームの練習に帯同し始め[5][11][注 3]2007年からは国士舘高校に在学しながらFC東京トップチームに正式に昇格となった[12]。FC東京初の「平成生まれの選手」でもある[13]。同年シーズン終盤にはサブとして公式戦ベンチ入りも果たした。

ながらく塩田仁史の控えとして過ごしていたが、2009年1月下旬に塩田が虫垂炎及び麻痺性腸閉塞による長期離脱を強いられたことから、権田が開幕スタメンに抜擢され公式戦デビューすることとなった。その開幕戦では4失点、第2節も3失点と苦いデビューとなったが、第3節で完封勝利して以降は落ち着いたプレーを取り戻し、シュートに対する鋭い反応でチームに貢献。出場時間が規定に達しプロA契約選手となった。実質のデビューシーズンであったが、年間15完封[14]というJ1リーグの個人記録(タイ記録)[15]を達成し[注 4]ナビスコカップ決勝でもフル出場しプロ初タイトルを獲得。無失点に抑え、鬼武健二チェアマンからはMVP級の活躍だったと評価された[17]

2010年も開幕から引き続き正GKとしてプレーしていたが、勝ちきれない試合が多く低迷。最終節では既に降格が決まっていた京都に敗れJ2降格が決まった。

J2に降格して迎えた2011年は若手の代表として[18]副将を務めた[19]。シーズン当初はレギュラーで出場していたが、ロンドンオリンピック予選の招集を機に[20]塩田にレギュラーを奪われ、A代表選手がクラブでは控えという状況にもなった[21]。シーズン終盤に差し掛かり再び正GKの座を奪取。塩田とのポジション争いは1年を通して続いた。

2012年は、ランコ・ポポヴィッチ監督から「日本でNo.1のGK」と全幅の信頼を寄せられ[22][23]、レギュラーを確保。しかし、塩田との間に差は無いとも評され[24]2013年の天皇杯では塩田の好守でチームがベスト4に進出する中、出場機会は無かった。また、2012年12月にドイツシュトゥットガルトイタリアエラス・ヴェローナの練習に参加した[25][26]

2014年は高いセーブ率で[16][27]失点の大幅減に成功[28]。2015年より塩田退団に伴い背番号を「1」へ変更。1stステージでは全試合フル出場を続けたが、同年7月にオーバートレーニング症候群を発症し、離脱。3ヶ月ほどで復調の兆しを見せたが[29]戦列には復帰できなかった。

SVホルン[編集]

復活を期すクラブの了承の下[30]本田圭佑の熱望を受けて[31]2016年1月にオーストリアSVホルン期限付き移籍[32][33]。初先発となった3月4日、第17節SKラピード・ウィーンⅡ戦で完封勝利したが、続く同月11日第18節SVオーバーヴァルト戦で右脛骨を骨折[34]。2015-16シーズン中の回復は間に合わず、同シーズンの出場はこの2試合に留まったが、権田はホルンの日本人新監督濱吉正則の指導に戸惑うオーストリア選手との橋渡し役[注 5]を務め[36]信頼を集めた[35]

2016-17シーズン第6節ウィーナー・ノイシュタット戦で5ヶ月ぶりに復帰した[37]。リーグ中断期間にあたる2016年12月でSVホルンとのレンタル契約が終了したためFC東京にレンタルバックした[38][39]

FC東京とは2017年末までの契約を残していたが[40]、2017年1月、ヨーロッパでのプレーを希望して契約解除を申し出た[41]。クラブは権田の意向を尊重する方針だったため[40]合意解除となった[42]

サガン鳥栖[編集]

ヨーロッパでの移籍先が見つからず[43]、2月に帰国[44]。夏の移籍期間[注 6]まで無所属となることを覚悟していたが[41]サガン鳥栖から熱意あるオファーが届き[44]同クラブへ移籍加入[46]。古巣との初対戦となったJ1第5節のFC東京戦では、古巣サポーターへ不義理な移籍を謝罪し[47]感謝を述べた[48]

日本代表[編集]

ユースではU-17日本代表に選ばれAFC U-17選手権2004で日本のゴールマウスを守った。

2007 FIFA U-20ワールドカップには香川真司と共に飛び級で選出されたが[49]メンバー発表後に後十字靭帯を損傷し[2]、出場を辞退[50][注 7]

2008年U-19日本代表の主将として[52]2009 FIFA U-20ワールドカップアジア地区予選を兼ねたAFC U-19選手権サウジアラビア)に臨んだ。準々決勝の韓国戦では好セーブを連発したものの[53]0-3と完敗。結果として日本が7大会連続で出場し続けていたU-20ワールドカップへの出場権を取り逃すという苦い経験をした。試合後には悔し涙を流しながらもTVインタビューに対応し、主将として責任感の強い部分を見せた。この年、FC東京は権田との契約を複数年延長し[54]、将来のチームの大黒柱候補としての期待の大きさを伺わせた。

2009年12月21日にはアジアカップ最終予選イエメン代表戦に向けたA代表に初招集され、2010年1月6日の試合では先発出場を果たし国際Aマッチデビューを飾った[4]

2010年9月30日には、アルベルト・ザッケローニ新監督の日本代表にも選出された[55][注 8]。ここでの出場機会は得られなかったが、その後、ザッケローニはインタビューにおいて「たとえば権田。FC東京でプレーする1990年生まれのGKで[注 9]、日本代表では第3GKだが、素晴らしい将来性がある。」と、大きな期待を示し[57][58]翌年開催のAFCアジアカップにも第3GKとして招集された。

アジアカップ以後は世代別代表を優先し[注 10]副将として[60]チームのまとめ役を担った[7]2012年7月2日ロンドンオリンピックに臨むU-23日本代表に選出された[61]。本大会ではグループリーグでのベストGKとの声が挙がる活躍で[62]4試合連続無失点を記録し[63]ベスト4入りに貢献。しかし、準決勝と3位決定戦では味方CBの判断ミスも重なって[62]連敗し44年ぶりのメダル獲得を逃した。

2014年6月に開催された2014 FIFAワールドカップにも第3GKとして招集されたが、本大会での出場機会はなくチームもグループリーグで敗退した。

2015年3月、Jリーグでの出色の出来を認められ[64]バヒド・ハリルホジッチ新体制においてA代表復帰。同月の親善試合チュニジア代表戦で完封勝利を飾った[65]。同年7月には東アジアカップ2015の代表メンバーに選出されたが、コンディション不良(後述)により辞退[66]

エピソード[編集]

所属クラブ[編集]

ユース経歴
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2007 FC東京 34 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2008 19 0 0 0 0 0 0 0 0
2009 20 34 0 10 0 1 0 45 0
2010 30 0 7 0 2 0 39 0
2011 J2 20 0 - 5 0 25 0
2012 J1 31 0 0 0 0 0 31 0
2013 33 0 2 0 0 0 35 0
2014 33 0 0 0 3 0 36 0
2015 1 22 0 5 0 0 0 27 0
オーストリア リーグ戦 リーグ杯 オーストリア杯 期間通算
2015-16 ホルン 33 レギオナル 2 0 - - 2 0
2016-17 エアステ 15 0 - 1 0 16 0
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2017 鳥栖 33 J1
通算 日本 J1 183 0 24 0 6 0 213 0
日本 J2 20 0 - 5 0 25 0
オーストリア エアステ 15 0 - 1 0 16 0
オーストリア レギオナル 2 0 - 0 0 2 0
総通算 220 0 24 0 12 0 256 0
  • 2005年、2006年はユース所属[注 3]
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2012 FC東京 20 5 0
通算 AFC 5 0
その他の国際公式戦

タイトル[編集]

クラブ[編集]

日本の旗 FC東京U-15

日本の旗 FC東京

オーストリアの旗 SVホルン

日本代表

個人[編集]

選抜・代表歴[編集]

出場大会など[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 3試合 0得点 (2010年 - 2015年)[4]


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2010 1 0
2011 0 0
2012 0 0
2013 1 0
2014 0 0
2015 1 0
通算 3 0

関連情報[編集]

書籍[編集]

出演[編集]

テレビ・ラジオ番組[編集]

脚注[編集]

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注釈
  1. ^ 生まれは神奈川県川崎市[6][7]
  2. ^ 基礎を重視した練習で、他クラブでは高評価を受けていた権田が、FC東京の練習会では唯一「褒められなかった」という[9]
  3. ^ a b 2004年も2種登録されている(ただし背番号は無し[80]。)
  4. ^ 1993年V川崎菊池新吉が樹立した記録に16年ぶりに並んだが、新潟との最終戦(新潟スタジアム)で失点し新記録は叶わず。なお、2008年に大分が17試合無失点を記録しているが、その内訳は西川周作が11試合先発、下川誠吾が6試合先発。後に西川が浦和で16試合完封を達成[16]
  5. ^ 当時ホルンには、権田、ハーフナー・ニッキ榊翔太新井瑞樹川中健太矢島倫太郎の6人の日本人選手がいたが、権田とハーフナーはドイツ語(オーストリアの公用語)を話せた[35]
  6. ^ ヨーロッパ主要リーグは1月の1ヶ月間と6月から8月までの3ヶ月前後を移籍可能な期間として制限している[45]
  7. ^ a b 桐畑和繁が代替招集された[51]
  8. ^ 権田によると、マウリツィオ・グイードGKコーチは「シュートを止めるまでの過程のポジショニングに可能性があるから(権田を選出した)」と述べている。権田自身も、ボール保持者と対峙する場面では、「相手がミスするように自分からポジションを詰めていく」と果敢に前へ出ることを身上としている[56]
  9. ^ 原文はportiere classe 1990。権田は1989年生まれなのでこれは誤り。
  10. ^ 原博実技術委員長はこの方針について「権田はA代表、U-22代表のいずれかには招集される存在。A代表で試合に出られないのなら五輪代表を優先に考えたい」とコメントしている[59]
  11. ^ 公式戦が行われない合宿時や、公式戦から遠ざかっていた川島永嗣のコンディションを確認するために代表復帰させた時[78]には計4名を招集している。
  12. ^ 他のクラブではフィールドプレーヤーがテクニックを見せていたが、GKで参加したのは権田だけだった。
出典
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]