塩田仁史

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塩田 仁史
名前
愛称 シオ[1][2]、スーパー仁史
カタカナ シオタ ヒトシ
ラテン文字 SHIOTA Hitoshi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1981-05-28) 1981年5月28日(42歳)
出身地 茨城県日立市
身長 185cm
体重 78kg
選手情報
ポジション GK
背番号 25
利き足 右足[1][3]
ユース

1994-1996
1997-1999
2000-2003
日高田尻サッカースポーツ少年団
日立市立滑川中学校
水戸短大附属高校
流通経済大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004-2014 FC東京 85 (0)
2015-2019 大宮アルディージャ 44 (0)
2020 栃木SC 12 (0)
2021 浦和レッズ 0 (0)
獲得メダル
ユニバーシアード
2003 大邱 サッカー
1. 国内リーグ戦に限る。2021年12月6日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
塩田仁史

塩田 仁史(しおた ひとし、1981年5月28日 - )は、茨城県日立市出身の元プロサッカー選手ポジションゴールキーパー(GK)

来歴[編集]

プロ入り前[編集]

小学2年(8歳[3])時にサッカーを始める[2]。中学からGKに転向。[4] 2度の国体に出場[5][6]

2000年、流通経済大学に進学しサッカー部に入部。「今まで指導した中でNo.1のGK」と監督の中野雄二の信頼を掴んだ[7]。1年次から関東大学選抜に選出され[5]、4年次(2003年)には全日本大学選抜としてユニバーシアード大会に出場[8][5]。共に選出された橋田聡司及び杉山哲を抑え、正GKとして連覇達成に貢献した[7][9]。この年、横浜F・マリノス特別指定選手として登録されている[10][6]

FC東京[編集]

複数クラブの注目を集める中[7]2004年に大学を卒業しFC東京に入団[5]。同年は、正GK土肥洋一日本代表遠征による不在の穴を埋めるべくナビスコカップで準決勝までの8試合に起用され決勝進出に大きく貢献。チームの決勝進出の立役者の一人だったが[11][1]浦和との決勝戦では土肥が先発を務め、さらにMVPも獲得した。その後も引き続き土肥の控えを務める中で2005年8月22日、右肩関節外傷性脱臼により全治約半年の重傷[12][13]。この頃チームメートの宮沢正史から、出場のチャンスを欲しがる気持ちとフォアザチームの気持ちの両方を持ち続けながら日々の努力を続けることの大切さを説かれ、自身の指針とするようになった[14]

2006年11月26日、J1第33節浦和戦(味の素スタジアム)にてリーグ戦デビュー。この試合は、浦和の優勝が懸かっていたこと、試合後に功労者である三浦文丈の引退セレモニーが行われること[15]、プロ入り以来目標としてきた土肥のリーグ戦連続出場記録[注 1]を阻んでの出場だったことから[1]緊張感の高い試合となったが、勇敢なセービングで完封し[11]浦和の優勝決定を阻止した。

2007年には土肥から正GKの座を奪取。塩田の成長はチームにとって大きな収穫となり[16]、土肥が退団した2008年からは、正GKとしての期待をかけられ背番号を「1」に変更[16]。リーグ戦全試合にフル出場した[17]

2009年1月下旬のグアムキャンプで体調に異変を感じ急遽帰国。当初は熱中症と診断されたが、1週間後に壊死性虫垂炎であることが判明し入院、手術を受けた。術後合併症による麻痺性腸閉塞を併発したため1ヶ月半の入院治療を強いられ[18]、開幕スタメンを20歳の権田修一に譲った。3月19日に退院し[18]、リハビリを開始。4月から部分的にチーム練習に合流。7月29日のナビスコカップ準決勝第2戦名古屋戦で先発出場を果たすが[19]、権田からレギュラーを奪い返すには至らなかった。

2010年も引き続き権田の控えを務めるも、チームはJ2降格となり、同年限りで契約が切れることもあって[20][21]複数のJ1クラブからオファーを受けたが[21] チームに残留。2011年は序盤戦こそ権田の控えであったが、権田がロンドンオリンピック予選に招集されたことを機に[22] 3年ぶりに先発に定着。「負けたら(権田と)代えられる」という状況下[23]、塩田はこの年のリーグで最小の防御率を記録し[24][25] シーズンを通して激しい正GK争いを続けた[26]。また、2005年から2011年までは東京での選手会長および日本プロサッカー選手会支部代表を務めていた[27]

2012年からは第2GKに戻ったものの、戦術眼とコーチングへの評価は高く[28]、カップ戦では権田や他の選手を差し置いてスタメン起用されることが多かった。2013年には日本人最年長選手としてチームを支えた[29]。2014年限りで11年に渡って在籍したFC東京を退団[30]

大宮アルディージャ[編集]

2014年11月30日、J2・大宮アルディージャへ完全移籍[31]。加入当初から加藤順大と激しいポジション争いを続けたが[32][33]、正GKには加藤が定着。終盤戦にチームの連敗を止めるべく[34] 一時起用された時には、好セーブで停滞を断ち切る活躍を見せた[35][36]。出場試合数では不本意な結果となったが[37]、その存在感は絶大で[38]、様々な形でチーム強化・J1昇格に寄与[37]。ベテランとしてのプレーを続ける中で精神・肉体共に最適なバランスを見出し[39][40]、2016年の開幕節では加藤に変わって先発に抜擢。古巣FC東京との対戦に複雑な思いを抱えつつも[41] これに完封勝利した[42]。 その後は加藤に再びポジションを譲るも、加藤の怪我もあってレギュラーに定着した。 しかし続く2017年は加藤が怪我から復帰したこともあって第2GKに降格。中盤戦には松井謙弥に追いやられベンチ外となる試合もあり、チームもJ2に降格した。2018年は加藤が第3GKに降格し、松井と入れ替わりで加入した笠原昂史が正GKに抜擢されたが、塩田は常に第2GKとしてベンチ入りを果たし10試合に出場した。2019年は笠原や加藤有輝の台頭もあって、5試合の出場に留まった。

栃木SC[編集]

2020年、栃木SCへ完全移籍[43]。 加入後は開幕スタメンこそ川田修平に譲るも、すぐにレギュラーに定着。その後は怪我やオビ・パウエル・オビンナの加入もあって遠ざかるも、怪我から復帰後は再びレギュラーに定着した。

浦和レッズ[編集]

2020年12月28日、栃木SCのチームメイト明本考浩と共に浦和レッズに完全移籍で加入した[44]。 加入後は西川周作鈴木彩艶の控え(第3GK)を務め、主にカップ戦の控えがメインとなっている。

2021年12月22日、現役引退を発表した[45]

2022年からは浦和レッズGKコーチを務める。

エピソード[編集]

  • 前述のナビスコ初優勝直後の優勝祝賀会では「おいしいところだけをもっていった土肥さんに何かおごってもらいます」と発言して笑いを誘った[46]

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2001 流経大 - - - 2 0 2 0
2004 FC東京 22 J1 0 0 8 0 0 0 8 0
2005 0 0 6 0 0 0 6 0
2006 2 0 4 0 2 0 8 0
2007 20 0 4 0 3 0 27 0
2008 1 34 0 7 0 4 0 45 0
2009 0 0 1 0 2 0 3 0
2010 4 0 1 0 3 0 8 0
2011 J2 18 0 - 1 0 19 0
2012 J1 4 0 4 0 1 0 9 0
2013 1 0 4 0 5 0 10 0
2014 2 0 6 0 0 0 8 0
2015 大宮 21 J2 5 0 - 1 0 6 0
2016 J1 15 0 5 0 3 0 23 0
2017 9 0 1 0 2 0 12 0
2018 J2 10 0 - 2 0 12 0
2019 5 0 - 1 0 6 0
2020 栃木 22 12 0 - - 12 0
2021 浦和 25 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
通算 日本 J1 91 0 51 0 25 0 167 0
日本 J2 50 0 - 5 0 55 0
日本 - - 2 0 2 0
総通算 141 0 51 0 32 0 224 0

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2012 FC東京 1 3 0
通算 AFC 3 0

代表歴[編集]

  • 1998年 - 1999年 茨城県国体少年選抜
  • 2000年 関東大学選抜
  • 2002年 関東大学選抜
  • 2003年 関東大学選抜
  • 2003年 全日本大学選抜
  • 2003年 ユニバーシアード日本代表

タイトル[編集]

クラブ[編集]

流通経済大学
FC東京
大宮アルディージャ
浦和レッズ
  • 天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会 (2021年)

代表[編集]

ユニバーシアード日本代表

個人[編集]

指導歴[編集]

  • 2022年 - 日本の旗 浦和レッズ
    • 2022年 - 2023年 トップチーム アシスタントGKコーチ
    • 2024年 - ユース GKコーチ

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 選手データベース 塩田仁史”. 2010年1月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年12月23日閲覧。 WEBサッカーマガジン
  2. ^ a b c d 『FC東京ファンブック 2004』毎日新聞社、2004年、53頁。 
  3. ^ a b 『Jリーグ選手名鑑 2014J1・J2・J3エルゴラッソ特別編集』三栄書房、2014年、64頁。 
  4. ^ TOKYO MANIA 塩田仁史選手インタビュー 182ch.net (2004年6月2日)
  5. ^ a b c d e 塩田仁史選手(流通経済大学)来季新加入内定のお知らせ”. 2005年9月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月27日閲覧。 FC東京 (2003年10月1日)
  6. ^ a b 横浜新GKは無名大学生”. 2003年4月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月14日閲覧。スポーツニッポン (2003年4月11日)
  7. ^ a b c 大学NO・1のGK塩田が東京入り”. 2003年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月14日閲覧。 日刊スポーツ (2003年10月1日)
  8. ^ ユニバーシアード競技大会(2003 テグ)日本代表選手団 成績一覧 サッカー 日本オリンピック委員会 (2003年9月8日)
  9. ^ 公式記録 第22回ユニバーシアード競技大会 (2003/テグ)決勝戦”. 2004年6月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年2月29日閲覧。日本サッカー協会 (2003年8月30日)
  10. ^ JFA・Jリーグ特別指定選手について”. 2004年10月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月27日閲覧。 横浜F・マリノス (2003年4月10日)
  11. ^ a b インタビュー「FIELD」スペシャル版! 塩田仁史「熱い思いを胸に」”. 2008年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月27日閲覧。 WEBサッカーマガジン
  12. ^ 塩田仁史選手の検査結果について - ウェイバックマシン(2005年12月10日アーカイブ分)FC東京 (2005年8月22日)
  13. ^ 塩田仁史選手の手術結果について”. 2005年11月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年2月29日閲覧。FC東京 (2005年9月10日)
  14. ^ 【大宮】塩田仁史インタビュー「持っている」ベテランGKの達観と葛藤 (前編) (4/4) サッカーダイジェスト (2016年2月26日)
  15. ^ 塩田ゴール死守 文丈魂乗り移った!! リーグ戦完ぺきデビュー J1第33節 vs浦和 東京中日スポーツ (2006年11月27日)
  16. ^ a b 塩田 今季から背番号1 東京中日スポーツ (2008年1月18日)
  17. ^ 選手出場記録 Jリーグ (2008年12月6日)
  18. ^ a b 塩田仁史選手 退院のお知らせ”. 2009年3月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年10月27日閲覧。 FC東京 (2010年3月19日)
  19. ^ 東京GK塩田が今季初先発/ナビスコ杯 日刊スポーツ (2009年7月29日)
  20. ^ 塩田残留 来季も若いチームをけん引 東京中日スポーツ (2010年12月18日)
  21. ^ a b 森重「やります」FC東京残留を正式表明 スポーツニッポン (2010年12月18日)
  22. ^ 【J2:第17節 FC東京 vs 徳島】プレビュー Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2011年6月19日)
  23. ^ 【大宮】塩田仁史インタビュー「持っている」ベテランGKの達観と葛藤 (前編) (3/4) サッカーダイジェスト (2016年2月26日)
  24. ^ GK防御率一覧”. 2014年12月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月27日閲覧。 Jリーグ (2011年12月3日)
  25. ^ 塩田絶叫、砂浜トレ!! 東京中日スポーツ (2012年2月7日)
  26. ^ 選手出場記録 Jリーグ (2011年12月3日)
  27. ^ JPFA 日本プロサッカー選手会 役員名簿 2005 同2006 同2007 同2008 同2009 同2010 同2011
  28. ^ ポポ絶賛「シオは言葉に重みある」 東京中日スポーツ (2012年10月11日)
  29. ^ 日本人最年長シオさんが屋台骨だ 東京中日スポーツ (2013年1月18日)
  30. ^ 塩田仁史選手 大宮アルディージャへ完全移籍のお知らせ FC東京 (2014年12月30日)
  31. ^ FC東京 塩田 仁史選手 大宮アルディージャ加入のお知らせ 大宮アルディージャ (2014年12月30日)
  32. ^ 月刊J2マガジン 2015年3月号』ベースボール・マガジン社、2015年、44頁。 
  33. ^ 大宮、11対11で対策を共有 ホームで札幌戦”. 2015年3月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月14日閲覧。埼玉新聞 (2015年3月28日)
  34. ^ 大宮、5試合ぶり勝利を GK塩田、連敗阻止へ今季初先発濃厚”. 2015年9月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年2月29日閲覧。埼玉新聞 (2015年9月23日)
  35. ^ 【大宮】塩田仁史―オレンジの最後方で躍動した“水色の壁” サッカーダイジェスト (2015年9月27日)
  36. ^ 【大宮】塩田仁史インタビュー「持っている」ベテランGKの達観と葛藤 (前編) (2/4) サッカーダイジェスト (2016年2月26日)
  37. ^ a b 【大宮】塩田仁史インタビュー「持っている」ベテランGKの達観と葛藤 (前編) (1/4) サッカーダイジェスト (2016年2月26日)
  38. ^ 塩田仁史のアドバイスがチームにもたらしたこと blogola (2015年7月11日)
  39. ^ 【大宮】塩田仁史インタビュー「持っている」ベテランGKの達観と葛藤 (後編) (1/4) サッカーダイジェスト (2016年2月27日)
  40. ^ 【大宮】塩田仁史インタビュー「持っている」ベテランGKの達観と葛藤 (後編) (2/4) サッカーダイジェスト (2016年2月27日)
  41. ^ 【大宮】塩田仁史インタビュー「持っている」ベテランGKの達観と葛藤 (後編) (4/4) サッカーダイジェスト (2016年2月27日)
  42. ^ 大宮2年ぶりJ1勝利 GK塩田が古巣を完封 日刊スポーツ (2016年2月28日)
  43. ^ 塩田仁史選手 大宮アルディージャより完全移籍加入のお知らせ 栃木SC (2020年1月6日)
  44. ^ 浦和が栃木から2選手獲得! 39歳GK塩田仁史、今季7得点の大卒ルーキーMF明本考浩”. ゲキサカ (2020年12月28日). 2020年12月28日閲覧。
  45. ^ 塩田仁史選手 現役引退のお知らせ”. 浦和レッドダイヤモンズ (2021年12月22日). 2021年12月22日閲覧。
  46. ^ 【2004Jリーグヤマザキナビスコカップ FC東京優勝報告会】選手コメント Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2004年11月3日)
  47. ^ 後藤勝『トーキョーワッショイ!』双葉社、2005年、217頁。 
  48. ^ 2003年度 第77回関東大学サッカーリーグ 表彰者一覧 College Soccer Central

注釈[編集]

  1. ^ 土肥は2000年の開幕戦以来216試合連続フル出場中であった。後にこの記録は曽ヶ端準によって更新された(2007年~2014年までの間に244試合連続出場)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]