ミッチェル・ランゲラック

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ミッチェル・ランゲラック
名前
本名 ミッチェル・ジェームズ・ランゲラック
Mitchell James Langerak[1]
愛称 ミッチ
カタカナ ミッチェル ランゲラック
ラテン文字 Mitchell Langerak
基本情報
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
生年月日 (1988-08-22) 1988年8月22日(35歳)
出身地 クイーンズランド州エメラルド英語版
身長 193cm
体重 79kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 名古屋グランパス
ポジション GK
背番号 1
利き足 右足
ユース
1996-2002 オーストラリアの旗 Tieri Tigers
2003-2005 オーストラリアの旗 Bundaberg Waves
2006-2007 オーストラリアの旗 オーストラリア国立スポーツ研究所
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2007-2010 オーストラリアの旗 メルボルン・ビクトリーFC 21 (0)
2007 オーストラリアの旗 サウス・メルボルンFC (loan) 14 (0)
2010-2012 ドイツの旗 ボルシア・ドルトムント II 10 (0)
2010-2015 ドイツの旗 ボルシア・ドルトムント 19 (0)
2015-2017 ドイツの旗 VfBシュトゥットガルト 37 (0)
2017 スペインの旗 レバンテUD 0 (0)
2018- 日本の旗 名古屋グランパス 206 (0)
代表歴2
2006  オーストラリア U-20 5 (0)
2013-2022 オーストラリアの旗 オーストラリア 8 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2023年12月4日現在。
2. 2021年5月13日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ミッチェル・ジェームズ・ランゲラック: Mitchell James Langerak1988年8月22日 - )は、オーストラリアクイーンズランド州エメラルド英語版出身のプロサッカー選手Jリーグ名古屋グランパス所属。ポジションはゴールキーパー(GK)。元オーストラリア代表

ボルシア・ドルトムントでは香川真司と同期。

名古屋での登録名は「ランゲラック」。Jリーグの連続無失点記録保持者(823分、2022年11月現在)。

来歴[編集]

クラブ[編集]

メルボルン・ビクトリーFC[編集]

2009年、メルボルン・ビクトリーユースでプレーするランゲラック。

2007年、Aリーグメルボルン・ビクトリーFCとの間に初めてのプロ契約を結ぶ[2]。入団後すぐ、出場時間と経験を得るため、そして余剰人員の放出のため、ビクトリアンプレミアリーグ英語版サウス・メルボルンFC期限付き移籍した。

期限付き移籍を終えると、ユージン・ガレコヴィッチアデレード・ユナイテッドFCに移籍するまで、ランゲラックはメルボルン・ビクトリーの第3ゴールキーパーだった。彼のメルボルン・ビクトリーでのデビューは2007-2008シーズンのシドニーFC戦で、2失点を許し試合はドローに終わった[3]

ガレコヴィッチがアデレード・ユナイテッドに移籍し、ランゲラックは第2ゴールキーパーとなった。第1ゴールキーパーのマイケル・セオ英語版が海外に移籍し、クラブはニュージーランド代表グレン・モスウェリントン・フェニックスFCから獲得した。モスが2009–10シーズンの第1ゴールキーパーとなり、ランゲラックはレギュラーの座を掴むことができなかった。

2010年4月13日、メルボルンはボルシア・ドルトムントによるランゲラック獲得オファーを断ったが、話し合いはまだ続いていると発表した。2010年5月4日、ドルトムントは再びオファーを出すものの、またしてもメルボルン側に拒否された。

ボルシア・ドルトムント[編集]

ボルシア・ドルトムントでのランゲラック(2014年)

2010年5月12日、メルボルンがドルトムントの三度目のオファーを受け入れ、ランゲラックはドルトムントと4年間の契約を結んだ。ドルトムント加入後、ブンデスリーガ2010-11シーズンにおいてランゲラックはクラブの第2ゴールキーパーとなり、リザーブチームではレギュラーになった。

ローマン・ヴァイデンフェラーの怪我での離脱に伴い、バイエルン・ミュンヘン戦でブンデスリーガ初出場を果たした。試合は3-1で勝利し、ランゲラックは堅実なパフォーマンスを見せた。ヴァイデンフェラーが復帰するまで、ランゲラックはファーストチームに初めて加わり、DFBポカール第2ラウンドの1.FCディナモ・ドレスデン戦に出場した。ヴェストファーレンシュタディオンでは多数の発炎筒が焚かれ、影響が懸念されたが勝利し、8万人超の観客の前で初めて無失点を記録できた喜びを試合後にユルゲン・クロップ監督に見せた。

2012年5月12日、ドルトムントに移籍して丁度2年、DFBポカール決勝戦バイエルン・ミュンヘン戦にて、32分に交代出場した。これはヴァイデンフェラーの負傷によるもので、試合序盤のマリオ・ゴメスのチャレンジによるあばらの怪我が疑われた結果だった。ドルトムントは5-2で勝利してカップを手にし、2つのリーグタイトルに加えて、ランゲラックにとっての3つ目のタイトルとなった。

2013-2014シーズンでは開幕戦のFCアウクスブルク戦に出場し、4-0のクリーンシートで勝利した[4]。これで、ランゲラックがブンデスリーガのリーグ戦で出場したここまで7試合全てでドルトムントが勝利したことになる。

2013年9月18日、ヴァイデンフェラーの退場によってチャンピオンズリーグSSCナポリ戦に出場し、これがチャンピオンズリーグデビューとなる。この試合でランゲラックはロレンツォ・インシーニェのシュートを止めようとしてゴールポストに激突し、前歯2本を折ってしまう[5]

2014年8月23日、2014-2015シーズン開幕戦のバイエル・レバークーゼン戦において、開始わずか9秒でのゴールを許してしまう。これはブンデスリーガ史上最速得点記録で、ドルトムントは0-2で破れた[6]

VfBシュトゥットガルト[編集]

2015年6月29日、VfBシュトゥットガルトへ2018年6月までの3年契約で完全移籍した[7]。2015-16シーズンはバイエルン・ミュンヘンへ移籍したスヴェン・ウルライヒの後釜と期待されていたが開幕前に筋束を断裂し、同期に加入したプシェミスワフ・ティトンに正GKの座を奪われ、リーグ戦3試合の出場に留まりチームも2部へ降格した。2016-17シーズンはライバルだったティトンが移籍したことに伴い正GKとなり、リーグ戦全試合フルタイム出場を果たして1シーズンでの1部復帰に貢献した。

レバンテUD[編集]

2017-18シーズンにはこのシーズンに加入したロン=ロベルト・ツィーラーに正GKの座を奪われたことで出場機会を求め、2017年8月30日にレバンテUDへ完全移籍した[8]。 レバンテ在籍中には、後に柏レイソルでプレーすることになるジローナFCマイケル・オルンガと対戦経験がある[9]

名古屋グランパス[編集]

2018年シーズンよりJ1リーグ名古屋グランパスに移籍[10]。2月24日、ガンバ大阪戦でデビューし[11]、一年目はリーグ戦全試合に出場し、チームのJ1残留に貢献。

2019年シーズンより、昨季に引退した楢﨑正剛が長らく名古屋で付けていた背番号「1番」を継承した[12]

2020年シーズン、11月28日の大分トリニータ戦ではクラブ新記録となる、シーズン14回目のクリーンシートを達成した[13]。12月12日の横浜FC戦でJ1通算100試合出場(J1史上最速のデビューからトータル101試合目で)を達成した[14]。12月には歴代最多となるシーズン17回目のクリーンシートを達成[15][16]、同月の月間MVPを受賞した[17][注 1]

2021年シーズンは開幕のアビスパ福岡戦でオウンゴールで失点して以来、無失点を継続。4月15日のサンフレッチェ広島戦で、それまでシジマールが保持していた731分の連続無失点記録を28年ぶりに更新した[18]。続く4月18日のサガン鳥栖戦で前半6分に林大地にゴールを許し無失点は途絶えたが、823分間の無失点記録を達成した[19]。 最終的にこのシーズンはリーグ戦38試合全てにフル出場し、リーグ記録のクリーンシート21試合、失点数は2位の30失点におさえた。また、クラブ初となるルヴァンカップ制覇にも貢献した。シーズンの活躍が認められ、シーズン終了後、自身初となるJリーグベストイレブンに選出された。

2023年シーズン、第13節の鹿島アントラーズとの対戦に出場したことにより、グランパスでの試合出場数を185とし、ストイコヴィッチを抜き、グランパスに所属した歴代外国人籍選手としての最多出場記録を更新した[20]

代表[編集]

オーストラリア代表U-20に選出され、AFCユース選手権2006に参加した。フル代表に招集されたのは2011年3月で、ドイツと戦う「17-man squad」と、ホルガー・オジェックに名付けられた一員となった。

ランゲラックがオーストラリア代表デビューをしたのは2013年10月12日のことで、フランスとの親善試合においてだった。この試合では、フランク・リベリーオリヴィエ・ジルーヨアン・キャバイェマテュー・ドゥビュシーカリム・ベンゼマの得点を許し、6-0の大敗を喫した。この試合はホルガー・オジェックのオーストラリア代表監督としての最後の試合となり、この試合の結果を受けてすぐに彼は解雇された。代表としての2度目の出場はカナダ戦で、ジョシュア・ケネディダリオ・ヴィドシッチマシュー・レッキーの得点により、3-0で勝利した。2014 FIFAワールドカップオーストラリア代表の23名のメンバーに選出された。

2021年5月13日、家族を優先したいという本人の願望もあり、オーストラリア代表からの引退を発表した[21]。代表通算8試合0ゴール。

2022年9月14日、代表スタッフに求められて代表復帰を果たす。しかし、カタールW杯メンバーからは落選となり、地元メディアからもランゲラックに失礼だという声が上がった[22]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
オーストラリア リーグ戦 リーグ杯FFA杯 期間通算
2007 サウス・メルボルン 1 ビクトリア州 14 0 - - 14 0
2007-08 メルボルン Aリーグ 1 0 - 3 0 4 0
2008-09 4 0 - 1 0 5 0
2009-10 16 0 - - 16 0
ドイツ リーグ戦 リーグ杯DFBポカール 期間通算
2010-11 ドルトムント 20 ブンデス1部 1 0 - 0 0 1 0
2011-12 2 0 - 3 0 5 0
2012-13 3 0 - 0 0 3 0
2013-14 4 0 - 3 0 7 0
2014-15 22 9 0 - 6 0 15 0
2015-16 シュトゥットガルト 1 3 0 - 1 0 4 0
2016-17 ブンデス2部 34 0 - 2 0 36 0
スペイン リーグ戦 国王杯オープン杯 期間通算
2017-18 レバンテ 25 リーガ・エスパニョーラ 0 0 0 0 - 0 0
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2018 名古屋 22 J1 34 0 0 0 1 0 35 0
2019 1 33 0 2 0 0 0 35 0
2020 34 0 4 0 - 38 0
2021 38 0 5 0 4 0 47 0
2022 33 0 7 0 1 0 41 0
2023 34 0 6 0 3 0 43 0
2024
通算 オーストラリア Aリーグ 21 0 - 4 0 25 0
オーストラリア ビクトリア州 14 0 - - 14 0
ドイツ ブンデス1部 19 0 - 12 0 31 0
ドイツ ブンデス2部 34 0 - 2 0 36 0
スペイン リーガ・エスパニョーラ 0 0 - 0 0 0 0
日本 J1 206 0 24 0 9 0 239 0
総通算 294 0 24 0 27 0 345 0
国際大会個人成績 FIFA 期間通算
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
AFC AFC CL AFC CUP CWC 期間通算
2007-08 メルボルン 1 1 0 - - 1 0
2009-10 5 0 - - 5 0
UEFA UEFA CL UEFA EL CWC 期間通算
2010-11 ドルトムント 20 - 0 0 - 0 0
2011-12 0 0 - - 0 0
2012-13 0 0 - - 0 0
2013-14 2 0 - - 2 0
2014-15 22 1 0 - - 1 0
AFC AFC CL AFC CUP CWC 期間通算
2021 名古屋 1 7 0 - - 7 0
通算 AFC 13 0 0 0 0 0 13 0
UEFA 3 0 0 0 0 0 3 0
総通算 16 0 0 0 0 0 16 0

代表歴[編集]

出場大会[編集]

試合数[編集]

国際Aマッチ 8試合 0得点(2013年 - 2021年)


オーストラリア代表国際Aマッチ
出場得点
2013 2 0
2014 3 0
2015 1 0
2017 2 0
通算 8 0

タイトル[編集]

クラブ[編集]

メルボルン
ドルトムント
名古屋グランパス

代表[編集]

オーストラリア代表

個人[編集]

  • PFAハリー・キューウェルメダル:2009-10
  • Jリーグ月間MVP : 2回(2020年12月、2021年9月)
  • Jリーグ優秀選手賞 : 3回(2020年、2021年、2023年[23])
  • Jリーグベストイレブン : 2021年
  • グランパスランクル賞最優秀選手賞 : 2022
  • グランパスランクル賞特別賞 : 2020, 2021

脚注[編集]

  1. ^ “2014 FIFA World Cup Brazil: List of Players” (PDF). FIFA. (2014年6月11日). p. 3. http://www.fifadata.com/document/fwc/2014/pdf/fwc_2014_squadlists.pdf 2014年9月16日閲覧。 
  2. ^ “Kevin Muscat top shelf”. Herald Sun. (2007年2月24日). http://www.heraldsun.com.au/sport/soccer/kevin-muscat-top-shelf/story-e6frfg8x-1111113049772 2014年9月16日閲覧。 
  3. ^ Mitch Langerak is keeping up”. The Age (2008年9月26日). 2014年9月16日閲覧。
  4. ^ 4-0:オーバメヤンの活躍で完璧なスタート”. Borussia Dortmund 公式ホームページ (2013年8月11日). 2014年9月16日閲覧。
  5. ^ ベンダー:「次は最高の結果を出さないとね!」”. Borussia Dortmund 公式ホームページ (2013年9月21日). 2014年9月16日閲覧。
  6. ^ ブンデスリーガ史上最速ゴール”. Borussia Dortmund 公式ホームページ (2014年8月24日). 2014年9月16日閲覧。
  7. ^ Der VfB verpflichtet Mitchell Langerak”. VfBシュトゥットガルト公式ホームページ (2015年6月29日). 2015年6月29日閲覧。
  8. ^ Langerak se compromete con el Levante UD por las dos próximas temporadas レバンテUD 2017年8月30日(2017年8月31日閲覧)
  9. ^ Jリーグで活躍する外国籍選手たちが、自宅から彼らの”今”を発信するトーク番組「J.LEAGUE CHAT」
  10. ^ ランゲラック選手、移籍加入のお知らせ 名古屋グランパス 2018年1月14日
  11. ^ 名古屋ランゲラックが史上最速J1通算100試合”. nikkansports (2020年12月12日). 2020年12月12日閲覧。
  12. ^ 名古屋が2019シーズンの体制を発表 ランゲラックが1、マテウスが11を着用 サンスポ 2019年1月14日
  13. ^ 【J1】名古屋はクラブ記録更新も大分と引き分け GKランゲラック”. tokyo-sports (2020年11月28日). 2020年12月12日閲覧。
  14. ^ Jリーグデビュー戦から101試合目での達成はJ1史上最速”. 名古屋グランパス (2020年12月12日). 2020年12月12日閲覧。
  15. ^ 名古屋の絶対的守護神が語る日本サッカー 来日4年目で見えた“真実”「イニエスタは…」”. Footballzone (2021年2月19日). 2021年2月23日閲覧。
  16. ^ 名古屋GKランゲラックがJリーグ12月月間MVP リーグ記録に並ぶ年間17試合無失点”. 中日スポーツ (2020年12月21日). 2020年12月23日閲覧。
  17. ^ 12月度「2020明治安田生命Jリーグ KONAMI月間MVP」を発表!「月間ベストゴール」、「月間優秀監督賞」も決定!”. J.LEAGUE (2020年12月21日). 2020年12月23日閲覧。
  18. ^ 名古屋 28年ぶりJ1新818分無失点!清水の731分塗り替えた”. スポニチ (2021年7月21日). 2021年4月15日閲覧。
  19. ^ 名古屋、“無失点記録”は823分でストップ 9試合ぶりの得点者は鳥栖のU-24代表FW林”. FOOTBALL ZONE WEB (2021年7月21日). 2021年4月18日閲覧。
  20. ^ 名古屋GKランゲラック、J1通算出場数が『185』に到達…“ピクシー”を抜いてクラブ外国籍選手歴代1位に!”. サッカーキング (2023年5月15日). 2023年5月17日閲覧。
  21. ^ ‘Family first’: Socceroos goalkeeper makes shock retirement call, citing pandemic” (英語). brisbane times (2021年5月13日). 2021年5月13日閲覧。
  22. ^ J1名古屋GKランゲラックのW杯・豪州代表落選に現地も驚きの声「失礼な決断だと思うが…」中日スポーツ 2022年11月8日
  23. ^ ランゲラック選手、森下 龍矢選手、藤井 陽也選手 2023Jリーグ優秀選手賞 受賞のお知らせ”. 2023年12月14日閲覧。

注釈[編集]

  1. ^ 従来の記録は、浦和西川周作が2014年に記録した16試合完封。なお、チームとしての17試合完封は2008年の大分と並ぶJリーグ記録だが、この時は西川が11試合・下川誠吾が6試合という内訳であった。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]