モンテディオ山形

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モンテディオ山形
原語表記 モンテディオ山形
呼称 モンテディオ山形
クラブカラー     ブルー[1]
    イエロー[1]
創設年 1984年
所属リーグ 日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン J2リーグ
クラブライセンス J1
ホームタウン 山形市天童市鶴岡市を中心とする山形県全県[1]
ホームスタジアム
NDsoftstadium20090628.JPG
NDソフトスタジアム山形[1]
収容人数 20,784[1]
運営法人 株式会社モンテディオ山形[1]
代表者 森谷俊雄[1]
監督 日本の旗 木山隆之
公式サイト 公式サイト
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
株式会社モンテディオ山形
Montedio Yamagata Co,ltd.
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
994-0000
山形県天童市山王1-1
山形県総合運動公園内総合体育館2F
設立 2013年8月29日
業種 サービス業
事業内容 サッカークラブの運営、競技場の運営・管理事業
代表者 森谷俊雄
資本金 1,000万円(2016年1月期)[2]
売上高 18億1,300万円(2016年1月期)[2]
営業利益 1億1,300万円(2016年1月期)[2]
経常利益 1億1,000万円(2016年1月期)[2]
純利益 7,800万円(2016年1月期)[2]
純資産 9,800万円(2016年1月期)[2]
総資産 5億4,000万円(2016年1月期)[2]
決算期 1月期
主要株主 山形県スポーツ振興21世紀協会
アビームコンサルティング
外部リンク www.montedioyamagata.jp
特記事項:2014年2月、山形県スポーツ振興21世紀協会より運営を移管
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モンテディオ山形(モンテディオやまがた、Montedio Yamagata)は、日本山形市天童市鶴岡市を中心とする山形県全県をホームタウンとする[1]日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

概要[編集]

1984年創部のNEC山形サッカー部が前身となり[1]1999年よりJリーグへ加盟している[1]。クラブ名称の「モンテディオ」は、イタリア語の「モンテ (Monte)」(山)と「ディオ (Dio)」(神)を合わせた造語で「山の神」を意味する[1]

ホームスタジアムはNDソフトスタジアム山形[1]、練習場は山形県総合運動公園である[1](詳細は#スタジアム・練習場を参照)。

運営法人は株式会社モンテディオ山形である[1](2013年8月設立[3])。なお、2013年度までトップチームを運営していた公益社団法人山形県スポーツ振興21世紀協会はユースなどのアカデミーの運営を行っている(詳細は#運営法人の株式会社化を参照)。

チームの歴史[編集]

前史[編集]

1984年に創部された山形日本電気のサッカー同好会が前身[1]1990年から1993年まで東北社会人サッカーリーグを4連覇、1994年よりジャパンフットボールリーグ(JFL)へ昇格[1]

1996年にチーム名をモンテディオ山形へ変更[1]。1998年2月に運営法人となる山形県スポーツ振興21世紀協会が設立された。[1]。1999年からのJリーグの2部制開始とともにJリーグ ディビジョン2(J2)に参加した。

1999年 - 2008年(J2)[編集]

1999年

平塚監督の植木繁晴が監督に就任した。

補強面では、市原から鷲田雅一を、平塚から岩元洋成を、京都から吉田達磨を、C大阪から卜部太郎を、ブラジルのリオクラロFCからアランを、川崎からムタイルを、札幌からバウテルを完全移籍で獲得し、横浜Mから平間智和をレンタル移籍で獲得した。新人では、鶴商学園高から根本亮助前橋育英高から小久保純静岡学園高から飯塚浩記が加入した。

リーグ戦については、第23節終了時までは中位付近を推移していたが、第24節から第29節にかけて5勝1分をマークし4位まで浮上した。しかし、残り7試合を勝利無しで終えた為、順位を落としてシーズンを終えた。リーグ戦の最終成績は15勝4分17敗の勝点48で7位だった。ヤマザキナビスコカップでは1回戦で京都に敗れた(合計スコア1-9)。天皇杯ではJ1勢の神戸、C大阪を続けて破った後、準々決勝でに敗れたものの、クラブ初の天皇杯ベスト8進出を果たした。

このシーズンは真下佐登史が得点源として活躍。最終的には18ゴールを挙げてJ2得点ランキング2位となった。

2000年

植木体制2年目。

庄司孝大分に、卜部太郎がオーストラリアのロッチデール・ローヴァーズ(en)に、高橋哲東北社会人1部TDK SCに完全移籍し、平間智和がレンタル元に復帰した。また、アランバウテルムタイル本街直樹原田紘介飯塚浩記が退団した。

補強面では、大分からエドウィンを、甲府から堀井岳也を、湘南から西山哲平を完全移籍で、ブラジルのアシスナイコフFCからジェフェルソンen)を、横浜FMから丸山良明をレンタル移籍で獲得した。新人では、中央大から小田島隆幸帝京大から依田光正第一経済大から岡村政幸日大山形高から笠原信各務原高から松田英樹、イタリアのデボルティボ・イタリアーノユースから中山夢歩が加入し、ユース所属の白井貞義がトップチームに昇格した。

シーズン途中には、元福岡永井篤志を完全移籍で、ブラジルのサンパウロFCからワシントンen)をレンタル移籍で獲得した。

リーグ戦については、4連敗以上の大きな連敗を4回繰り返すなど、全体的に精彩を欠いたシーズンとなり低迷したままシーズンを終えた。リーグ戦の最終成績は11勝2分27敗の勝点33で10位だった。しかし、同年にJ1昇格を決めた浦和と第11節で対戦した際にJ2初黒星をつけ、第40節にも2-1で勝利するなど、上位陣を苦しめる場面を作った。ヤマザキナビスコカップでは1回戦で広島に敗れた(合計スコア1-3)。天皇杯は2回戦でJFLジヤトコに敗れた。

シーズン終了後、植木が契約満了で監督を退任した。

2001年

サッカー日本代表柱谷幸一が監督に就任した。

真下佐登史関東社会人リーグ図南SCに、中森大介JFLジヤトコに、岡村政幸佐川急便東京SCに完全移籍し、丸山良明がレンタル元に復帰した。また、エドウィンワシントンen)、ジェフェルソンen)、岩元洋成中山夢歩白井貞義が退団した。

補強面では、大宮から佐藤悠介浮氣哲郎佐藤太一を、京都から大島秀夫を、湘南から鈴木健太郎を、水戸から渡辺卓を、札幌から大野貴史を、浦和から高橋厳一を完全移籍で獲得し、札幌から佐賀一平をレンタル移籍で獲得した。新人では、山形中央高から吉見一星が加入した。

シーズン途中には、堀井岳也が札幌へレンタル移籍した。

リーグ戦については、第19節終了時までは7勝5分7敗の8位と振るわなかったが、第20節〜第43節終了時までに20勝1分3敗と快進撃を見せ2位まで浮上。山形を含む最大6チームがJ1昇格に絡む大混戦となったが、京都が第43節の湘南戦に勝利し、J1昇格圏内の1位を確定させた為、最終節にJ1昇格圏内の2位を山形、仙台大分の3チームが勝ち点差3という接戦の中で争うことになった。暫定2位の山形は川崎に対し、90分以内で勝利することが出来れば2位が確定していたが、試合は0-0のまま90分間が終了し、Vゴール方式の延長戦に突入した為、暫定3位である仙台の対戦経過次第となった。仙台は後半ロスタイムに決勝点を挙げて京都に勝利した。この結果、仙台の2位が確定した為、山形はJ1昇格を逃した。その後、山形は延長戦の開始直後に失点して試合にも敗れた。リーグ戦の最終成績は27勝6分11敗の勝点80で3位だった。ヤマザキナビスコカップでは1回戦で浦和に敗れた(合計スコア2-3)。天皇杯は3回戦で神戸に敗れた。

2002年

柱谷体制2年目。

浮氣哲郎西山哲平大分に、高橋厳一笠原信JFLジヤトコに、吉田達磨がシンガポールのジュロンFC(en)に、佐藤太一がシンガポールのクレメンティ・カルサFCに、小田島隆幸群馬県社会人1部草津に、斉藤誠一佐川印刷に完全移籍し、佐藤淳志が退団した。また、札幌にレンタル移籍していた堀井岳也が完全移籍への移行に伴い退団した。

補強面では、湘南から酒井良貞富信宏を、浦和から小島徹を、市原から井上雄幾を完全移籍で獲得した。更に、佐賀一平がレンタル移籍から完全移籍に移行した。新人では、駒澤大から桜井繁順天堂大から藤田芳正国士舘大から松田和之が加入し、ユース所属の秋葉勝がトップチームに昇格した。

シーズン途中には、ドイツ3部のSVヴァッカー・ブルクハウゼンから西脇良平を完全移籍で獲得した。

リーグ戦については、開幕戦から4連敗を喫し最下位からのスタートとなった。その後も勝ち星を重ねることが出来ずに低迷を引きずったままシーズンを終えた。リーグ戦の最終成績は6勝17分21敗の勝点33で11位だった。天皇杯は1回戦で関東社会人リーグ群馬FCホリコシに敗れた。

2003年

柱谷体制3年目。

佐藤悠介C大阪に、鈴木健太郎東京Vに、吉見一星佐川印刷に、佐賀一平酒井良貞富信宏Kyuリーグ沖縄かりゆしFCに、西脇良平大野貴史松田英樹東海1部静岡FCに完全移籍し、小島徹が退団した。また、渡辺卓が現役を退いてユースチームの監督に就任した。その他では、根本亮助斉藤武志が、ブラジルのジャボチカバウ・アトレチコpt)に留学する為、1月から6月までチームを離脱した。

補強面では、鹿島から中村幸聖を、FC東京から星大輔松田正俊を、C大阪から川崎健太郎羽地登志晃越智隼人を、G大阪から阿江孝一を、札幌から古川毅を、大宮から伊東真吾を完全移籍で、ブラジルのマルトロンからニヴァウドをレンタル移籍で獲得した。また、ブラジルのオリンピア(pt)からアレッシャンドレen)をレンタル移籍で獲得したが、シーズン途中で退団している。新人では、帝京高から大瀧直也が加入した。

シーズン途中には、市原から小林久晃をレンタル移籍で獲得した。

リーグ戦については、開幕6試合で1分5敗と最下位スタートとなったが、第7節から勝ち星が付き始めて、第24節終了時には4位まで浮上した。しかし、その直後から連敗を重ねるようになり失速。そのままシーズンを終えた。リーグ戦の最終成績は15勝10分19敗の勝点55で8位だった。天皇杯は3回戦で神戸に敗れた。

シーズン終了後、柱谷が契約満了で監督を退任した。

2004年

JFAナショナルトレセンコーチを務めていた鈴木淳が監督に就任した。

鷲田雅一羽地登志晃市原に、依田光正小久保純JFL草津に完全移籍し、ニヴァウド藤田芳正伊東真吾松田和之が退団した。また、斉藤武志が現役を退いてクラブ下部組織の育成普及コーチに就任した。

補強面では、大宮から大塚真司を、川崎から林晃平を完全移籍で獲得。小林久晃がレンタル移籍から完全移籍に移行した。また、ブラジルのグアラニFCからレオナルドを、FC東京から迫井深也をレンタル移籍で獲得した。その他では、ブラジルのECサント・アンドレからデーニをレンタル移籍で獲得したが、シーズン途中で退団している。新人では、東海大山形高から堀内大輔鶴岡東高から井関武志が加入した。

シーズン途中には、新潟から宮沢克行を、浦和から梅田直哉をレンタル移籍で獲得した。

リーグ戦については、第11節終了時点で5勝5分1敗の2位につけるなど幸先の良いスタートを切ったものの、主力選手の怪我などが響いて停滞し、第30節終了時に6位まで順位を下げた。しかし上位進出を目指して、シーズン途中に宮沢らを獲得した結果、第29節から7勝2分と快進撃を見せ3位まで再浮上した。しかし、2位の大宮との直接対決に敗れた為、J1自動昇格圏内に入るまでには至らなかった。その後、J1・J2入れ替え戦の出場権が得られる3位を福岡京都と争ったが、最終節で3位の福岡との直接対決に敗れた為、J1・J2入れ替え戦進出を逃しシーズンを終えた。リーグ戦の最終成績は19勝14分11敗の勝点71で4位だった。天皇杯は4回戦で横浜FMに敗れた。

このシーズンは、大島秀夫が得点を量産し活躍。22得点を挙げてJ2得点ランキング2位(日本人選手では1位)となった。また、勝点105をマークするなど、圧倒的な強さでJ2を制した川崎に対して2勝1分1敗と、当時J2に所属していたチームの中で唯一勝ち越した。

シーズン終了後、NEC山形時代からゴールマウスを守り続けてきた、地元出身選手の鈴木克美が現役引退を表明した。

2005年
クラブスローガン:INNOVATION 我々が変わり、そして変えていく

鈴木体制2年目。

昨シーズンにJ2得点ランキング2位となった大島秀夫横浜FMに、星大輔松田正俊京都に、中村幸聖新潟に、井上雄幾甲府に、大瀧直也東北社会人1部盛岡に完全移籍し、宮沢克行梅田直哉迫井深也がレンタル元に復帰。古川毅越智隼人が退団した。

補強面では、横浜FMから小原章吾本橋卓巳を、横浜FCから臼井幸平を、広島から外池大亮を完全移籍で獲得。また、レオナルドがレンタル移籍から完全移籍に移行した。更に、横浜FMから阿部祐大朗を、広島から高木和正を、鹿島から田中康平を、名古屋から原竜太をレンタル移籍で獲得した。原はシーズン途中に完全移籍へ移行している。その他では、ブラジル2部のアヴァイFCからチッコen)をレンタル移籍で獲得したが、シーズン途中で退団している。新人では、大阪学院大から佐々木勇人が加入。開幕戦で先発メンバーに抜擢されるや否や、1ゴール2アシストを記録するなど、加入初年度から即戦力として活躍した。

シーズン途中には、から清水健太を、大分から小森田友明をレンタル移籍で獲得し、山形大塩沢勝吾特別指定選手として追加登録した。

リーグ戦については、非常に高い守備力を誇り、第36節終了時点で失点数が34点と、京都の33点に次いで2番目に少ない記録だった反面、得点力不足が影響して勝ち切れずに引き分ける試合が多かったことから、自動昇格圏内の京都と福岡に追い付くことが出来ずに3位〜4位を推移した。その後、J1・J2入れ替え戦の出場権が得られる3位を札幌仙台、甲府と争ったが、第37節から4連敗を喫し脱落した。リーグ戦の最終成績は16勝16分12敗の勝点64で5位だった。天皇杯は4回戦で浦和に敗れた。

シーズン終了後、鈴木が契約満了で監督を退任。新潟の監督に就任した。

2006年
クラブスローガン:CONCENTRATION 集中

横浜FMでトップチームコーチを務めた樋口靖洋が監督に就任した。

この年からサテライトリーグへの参加を開始した。(2009年に廃止。2010年以降はみやぎチャレンジリーグに参加)

大塚真司川崎健太郎札幌に、小林久晃神戸に、田中康平仙台に、外池大亮湘南に、高木和正東海社会人1部の岐阜に、堀内大輔東北社会人1部の盛岡に完全移籍。また、阿江孝一井関武志塩沢勝吾が退団し、小森田友明がレンタル元に復帰した。

補強面では、ベガルタ仙台の看板選手として活躍した財前宣之を、福岡から木藤健太を、川崎から渡辺匠木村誠を、鳥栖から氏原良二高林佑樹を完全移籍で獲得。更に、昨シーズン大宮でプレーしたレアンドロをナシオナルAC(en)からレンタル移籍で獲得した。新人では、四日市中央工高から坂井将吾向上高から鈴木雄太駒澤大から鈴木亮平羽黒高からドグラス、韓国の白岩高からイ・ジョンミンが加入した。

シーズン途中には、新潟から2004年に山形でプレーした宮沢克行を、FC東京から前田和也を完全移籍で獲得した。

リーグ戦については、第8節まで勝利することが出来ず最下位に沈んだ為、試合後に不満を抱えた一部の山形サポーターが監督の樋口や、専務理事兼ゼネラルマネージャーの金村勲(当時)に対して引責辞任を求める座り込みの抗議行動まで起こったが、第9節徳島戦で初勝利を挙げた後、第15節から4連勝、第25節から3連勝を達成した結果、順位が6位まで浮上した。しかし、守備に安定感を欠いたことや、主力選手を怪我で欠くなどの影響が及び、最後までJ1昇格争いに加わることが出来ないままシーズンを終えた。リーグ戦の最終成績は17勝14分17敗の勝点65で8位だった。天皇杯は4回戦で甲府に敗れた。

このシーズンは、レアンドロが得点を量産し活躍。23得点を挙げてJ2得点ランキング3位となった。

この年に経営陣の刷新が行われた。任期満了に伴い金森義弘が理事長をシーズン途中に退任。金村も連帯する形で退任した。後任には鹿島元専務の海保宣生が理事長に就任した。この刷新劇の前後に、金森が率いた前経営陣による「J1昇格争いをすれば観客動員が増え収入増になるはず」という強気な経営計画により約1億3000万円の負債を抱えた末に、その穴埋めとして『J1昇格準備金』として用意していた予算を大幅に取り崩していたことが判明し、内外にその厳しい台所事情を露呈した[4]。その他では、3月23日に、日本サッカー協会参事で山形県米沢市出身の新藤一晴が常務理事に就任。12月20日に、財政難で選手補強や有望新人の獲得が難しい状況の中、スカウト部門の強化を図るべく、鹿島のスカウト担当部長だった平野勝哉を強化育成部アドバイザーとして招聘した。

11月28日に、長年に渡りチームを支えた高橋健二と、太田雅之が現役引退を表明。共にフロント入りした。[5][6]

2007年
クラブスローガン:再創生 リスタート

樋口体制2年目。

昨シーズンに23得点を挙げるなど活躍したレアンドロ神戸に完全移籍した。また、永井篤志仙台に、内山俊彦が神戸に、原竜太湘南に、氏原良二草津に、高林佑樹JFLTDK SCに、阿部祐大朗北信越社会人1部フェルヴォローザ石川・白山FCに、ドグラスKyuリーグニューウェーブ北九州に完全移籍し、桜井繁甲府にレンタル移籍。イ・ジョンミンが退団した。

補強面では、名古屋から北京五輪代表を目指すべく出場機会を求めていた豊田陽平を、鹿島から1999年FIFAワールドユース選手権の準優勝メンバーだった石川竜也をレンタル移籍で獲得。更に、横浜FCから北村知隆を、京都から1999年〜2003年まで山形に在籍していた鷲田雅一を、FC東京から遠藤大志を完全移籍で、浦和から横山拓也をレンタル移籍で獲得した。また、清水健太がレンタル移籍から完全移籍に移行した。新人では、順天堂大から佐藤健太郎中央大から園田拓也富山第一高から高橋駿太が加入した。

シーズン途中には、群馬県社会人1部の図南SCから須田興輔を、ブラジル2部のアラピラケンセからグスタヴォen)を完全移籍で獲得した。

リーグ戦については、序盤は首位に立ったものの、怪我人の続出を補いきれない選手層の薄さと、深刻な得点力不足から急速にチームは失速。その後も浮上すること無く、第45節愛媛戦に敗れたことでJ1昇格の可能性が消滅。そのままシーズンを終えた。リーグ戦の最終成績は15勝13分20敗の勝点58で9位だった。天皇杯は4回戦でG大阪と対戦したが、PK戦で敗れた。

シーズン終了後、樋口が契約満了で監督を退任。コーチの島根聡一GKコーチの南省吾も退任した。

11月30日には、主力フォワードの一員として山形の攻撃陣を牽引した林晃平が現役引退を表明した[7]

2008年
クラブスローガン:BE MOVING!

C大阪元監督の小林伸二が監督に就任した。

チームの看板選手として活躍した佐々木勇人G大阪に、臼井幸平湘南に、前田和也関東1部日立栃木UVAに、鷲田雅一JFL栃木SCに、鈴木亮平北信越リーグ1部松本山雅に、横山拓也愛媛に完全移籍し、グスタヴォen)、須田興輔が退団した。

補強面では、から長谷川悠を、C大阪から宮本卓也を、FC東京からリチェーリをレンタル移籍で、福岡から宮崎光平内藤友康を完全移籍で獲得。新人では、明治大から石井秀典市立船橋高から山田拓巳柏レイソルU-18から太田徹郎前橋育英高から廣瀬智靖が加入した。

シーズン途中には、千葉から馬場憂太をレンタル移籍で獲得した。

リーグ戦については、第14節終了時は7位だったが、次第に組織的な守備をベースとした戦術が浸透し、少ない得点で勝ち切る試合が増えていった。また、北京五輪日本代表に選ばれた豊田陽平や、加入後にストライカーとして才能を開花させた長谷川を中心とした若手選手の活躍により、仙台とのみちのくダービーでは9年振りに勝ち越すなど、シーズン中盤からはJ1自動昇格圏内の2位をキープし、11月30日第44節の愛媛戦(右図)で勝利を収めて2位が確定。翌12月1日のJリーグ臨時理事会でJ1昇格が承認された。リーグ戦の最終成績は23勝9分10敗の勝点78で2位だった。天皇杯は4回戦で川崎に敗れた。

シーズン終了後、根本亮助が現役引退を表明。Jrユース庄内コーチに就任した。

2009年 - 2011年(J1)[編集]

2009年
クラブスローガン:J1出陣。

クラブ史上初となるJ1リーグ1年目のシーズンを迎え、小林体制2年目がスタートした。

2トップの一角としてJ1昇格に貢献した豊田陽平京都に、本橋卓巳栃木SCに、高橋駿太関東社会人1部日立栃木UVAに、内藤友康東北社会人1部福島ユナイテッドFCに、昨シーズンまで甲府にレンタル移籍していた桜井繁仙台に完全移籍し、リチェーリ馬場憂太が退団した。

補強面では、C大阪から古橋達弥を、ポルトガル1部のセトゥーバルからキム・ビョンスクを完全移籍で、川崎から植草裕樹から小林亮をレンタル移籍で獲得。更に、石川竜也宮本卓也レンタル移籍から完全移籍に移行した。また、ブラジル1部のクルゼイロからジャジャを、ブラジル2部のSEガマからアンドレ・シルバをレンタル移籍で獲得したが、出場機会を得られないままシーズン途中で退団している。新人では、山形FCユースから栗原祐樹が加入。ユース所属の佐藤永志がトップチームに昇格した。

シーズン途中には、浦和から赤星貴文を、広島から西河翔吾を、ブラジル1部のアトレチコ・パラナエンセからファグネルをレンタル移籍で獲得した。

リーグ戦については、開幕戦で磐田と対戦。チーム記録となる6得点を奪いJ1初勝利を収めた(スコア6-2)。その後は、怪我人が続出するなど戦力が維持出来なくなり、第16節終了時点でJ2降格圏内の16位まで順位を下げた。この苦境を打破するべく西河らをレンタル移籍で獲得。これが功を奏し、第30節終了時点で15位とJ1残留圏内まで浮上し、16位の柏との勝点差を10に広げた。しかし、第31節鹿島戦(スコア0-2)では、Jリーグ史上初となるシュート数0本を記録するなど、終盤に近づくにつれ精彩を欠いていった。11月28日の第33節名古屋戦においても敗れたが(スコア0-2)、柏が大宮[注 1] にて引き分けた為、残り1試合で勝ち点差が4となり、順位が降格圏まで下がる可能性が無くなったことから、J1残留が確定した。リーグ戦の最終成績は10勝9分15敗の勝点39で15位だった。ヤマザキナビスコカップは2勝1分3敗の5位で予選リーグ敗退。 天皇杯は3回戦で明治大学に敗れ(スコア0-3)、日本サッカー史上初となる、公式戦でJ1クラブが大学チームに敗れる波乱となった。

この年のJリーグアウォーズにおいて、J1フェアプレー賞を獲得した。

2010年
クラブスローガン:前へ!

小林体制3年目。

クラブの経営力向上に尽力した理事長の海保宣生が健康上の理由により3月末をもって退任。後任として山形県サッカー協会専務理事の川越進が就任した。また、強化育成部アドバイザーの平野勝哉も1月末をもって退任した。

財前宣之タイ・プレミアリーグムアントン・ユナイテッドに、小原章吾愛媛に、渡辺匠熊本に、木村誠がJFLの金沢に、木藤健太Kyuリーグ三菱重工長崎SCに、遠藤大志がJFLのソニー仙台に完全移籍した。また、長年に渡り守備の要として活躍したレオナルドと、赤星貴文坂井将吾ファグネルが退団した。

補強面では、懸案であった攻撃陣の弱さを補うべく、鹿島から田代有三増田誓志をレンタル移籍で獲得した。また、千葉から戦力外通告を受けてトライアウトに参加していた下村東美を、城南一和から元U-23韓国代表ハン・ドンウォンを完全移籍で、横浜FMからキム・クナンをレンタル移籍で獲得。更に、2008年・2009年のチーム得点王である長谷川悠と、昨シーズン途中加入し残留に大きく貢献した西河翔吾がレンタル移籍から完全移籍に移行した。新人では、国士舘大から伊東俊浦和ユースから中村隼高知大から中野圭が加入した。

シーズン途中には、C大阪から前田和哉を完全移籍で獲得した。

リーグ戦については、開幕から4試合連続未勝利でスタートしたが、第5節広島戦で初勝利を挙げた後、第12節終了時点で4勝2分6敗の13位でワールドカップに伴うリーグ中断期間を迎えた。リーグ再開後、ヤマザキナビスコカップから機能し始めた4-3-3システムが功を奏し、J1では初めての開催となるみちのくダービーでの勝利(スコア3-1)を皮切りに、浦和やG大阪、横浜FMといった強豪相手にも勝利を収めるなど、徐々に勝ち点を積み上げてJ1残留圏内を維持した。その後、第32節の京都戦に勝利してJ1残留を決めた。リーグ戦の最終成績は11勝9分14敗の勝点42で13位だった。ヤマザキナビスコカップは3勝1分2敗の3位で予選リーグ敗退。天皇杯は準々決勝で清水と対戦したが、PK戦で敗れた。

シーズン終了後、ヘッドコーチの長島裕明FC東京のトップチームコーチに就任する理由で退団した。

この年のJリーグアウォーズにおいて、J1フェアプレー賞を2年連続で獲得した。

2011年
クラブスローガン:「粘強」NEZZUGU

小林体制4年目。

田代有三増田誓志キム・クナンがレンタル元に復帰し、キム・ビョンソクハン・ドンウォン佐藤永志栗原祐樹が退団した。

補強面では、鹿島から船山祐二福岡から大久保哲哉、サンパウロリーグ1部(ブラジル)のリオクラロFCからマイコン、元東京Vエルサムニー・オサマを完全移籍で獲得。鹿島から川島大地をレンタル移籍で獲得した。また、植草裕樹小林亮がレンタル移籍から完全移籍に移行した。その他では、ルーマニア1部のCFRクルジュからウーゴを完全移籍で獲得したが、同年4月10日に「家庭の事情」により退団した。

シーズン途中には、広島から山崎雅人をレンタル移籍で獲得した。

リーグ戦については、開幕戦で川崎に敗れた6日後に東日本大震災が発生。リーグ戦は1ヶ月以上中断した。この間、震災後のインフラ被害や物資不足などの影響で満足にトレーニングを行うことが出来なかった為、リーグ戦を戦い抜く体力が培われず怪我人が続出した。更に、昨シーズンまでの守備偏重の戦術から、ショートカウンターで高い位置からボールを奪うことと、攻撃でポゼッション率を高める戦術に変えて試合に臨んだが成績は低迷し[8]、第20節終了時点でJ2降格圏内の17位に沈んだ。その後、シーズン途中に山崎を獲得して巻き返しを図ったが、崩壊した守備を立て直すことが出来ずに黒星を重ねた。そして、11月3日の第31節神戸戦に敗れてJ2降格圏の16位以下が確定。残り3節を残してJ2降格が決定した。その後、第32節福岡戦でも敗れて最下位に転落。そのままシーズンを終えた。リーグ戦の最終成績は5勝6分23敗の勝点21で18位だった。ヤマザキナビスコカップは1回戦で浦和に敗れた(合計スコア1-4)。天皇杯は3回戦でJ2勢の京都に敗れた。

シーズン終了後に小林伸二が任期満了で監督を退任した。理事長の川越も任期満了を待たずに辞任し、副理事長の高橋節が2012年3月末まで理事長代行を務めることになった。(2012年4月1日より理事長に就任)

この年のJリーグアウォーズにおいて、J1フェアプレー賞を3年連続で獲得した。

2012年 - 2014年(J2)[編集]

2012年
クラブスローガン:「連」 連動・連携・連結

鹿島トップチームコーチの奥野僚右が監督に就任した。

長谷川悠大宮に、古橋達弥下村東美湘南に、佐藤健太郎千葉に、宮崎光平徳島に、園田拓也愛媛に、大久保哲哉横浜FCに、植草裕樹神戸に完全移籍し、マイコンエルサムニー・オサマが退団した。

補強面では、山崎雅人がレンタル移籍から完全移籍に移行し、鳥栖から永田亮太、同じく鳥栖から昨シーズン草津でプレーしていた萬代宏樹を完全移籍で、仙台から中島裕希清水から岡根直哉から昨シーズンJFL秋田でプレーしていた比嘉厚平をレンタル移籍で獲得した。新人では、明治大学から宮阪政樹慶應義塾大から日高慶太が加入した。宮阪は2009年天皇杯3回戦で山形を破った明治大学イレブンの一人だった。

シーズン途中には、から林陵平C大阪からブランキーニョをレンタル移籍で獲得し、伊東俊愛媛へレンタル移籍した。

リーグ戦については、開幕戦で千葉に敗れたが、第2節から3連勝を達成し、第6節から11試合連続負け無しの成績を収めるなど、第13節、第17節、第18節、第21節終了時にそれぞれ首位に立った。しかし、後半戦初戦となる第22節栃木SC戦で敗れ4位に後退。その後はJ1昇格プレーオフ進出圏内となる6位前後を維持し、第32節終了時には4位まで順位を戻したものの、第33節鳥取戦から3連敗を喫するなど、最終10試合の成績は1勝2分7敗と失速。そのまま浮上すること無くシーズンを終えた。リーグ戦の最終成績は16勝13分13敗の勝点61で10位だった。天皇杯は3回戦でC大阪に敗れた。

6月3日の第17節鳥取戦で、3人の途中交代を含めた出場フィールドプレイヤー13人全員がシュートを記録した(シュート数27本、スコア5-1)。

前年度までキャプテンを務め、クラブ初のJ1昇格に貢献した宮沢克行が、11月8日に現役引退を表明した[9]

2013年
クラブスローガン:「信」 shin 進化 深化 神化

奥野体制2年目。コーチ陣が一新され、川崎町田の監督を歴任した相馬直樹がヘッドコーチに就任した。

太田徹郎に、鈴木雄太湘南に、船山祐二宮本卓也福岡に、前田和哉北九州に、永田亮太群馬に、中野圭佐川印刷に、北村知隆三重県2部ヴィアティンFCに完全移籍し、ブランキーニョ岡根直哉川島大地がレンタル元に復帰した。

補強面では、水戸からロメロ・フランク京都から中村太亮FC東京から常澤聡横浜FCから堀之内聖大分から作田裕次を完全移籍で獲得。また、レンタル移籍だった中島裕希林陵平比嘉厚平が完全移籍に移行し、愛媛にレンタル移籍していた伊東俊が復帰した。新人では、盛岡商業高から谷村憲一、韓国の成均館大学校からU-20韓国代表経験のあるイ・ジュヨン、同じく韓国の建国大学校からキム・ボムヨンが加入し、ユース所属の鈴木翼がトップチームに昇格した。

シーズン途中には、JFLのソニー仙台から大久保剛志、ウルグアイ1部のCAベジャ・ビスタからペーニャが加入し、日高慶太が町田へレンタル移籍した。

リーグ戦については、開幕2試合は連敗スタートだったが、第3節から4連勝を達成し2位に浮上した。しかし、第7節から3連敗、第22節から4連敗を喫するなど、第26節終了時点で14位まで順位を下げた。その後は、連敗無く中位付近の順位を推移してJ1昇格プレーオフ出場権争いにも絡んだが、第41節G大阪戦で敗れて9位以下が確定した。リーグ戦の最終成績は16勝11分15敗の勝点59で10位だった。天皇杯は4回戦で川崎に敗退した。

シーズン終了後、奥野が契約満了で監督を退任。相馬はヘッドコーチを退任後、町田の監督に再び就任した[10]

前年度と比較して得点力が大幅に向上し、総得点数は74点を記録。同年にJ1昇格を果たしたG大阪神戸に次いで3番目に高い記録だった反面、課題だった守備構築の改善が上向くことが無く失点を重ねた為、総失点数はリーグワースト4位となる61点を記録した。無失点試合は、第3節長崎戦、第10節熊本戦、第38節愛媛戦、第42節東京V戦の4試合に留まった。

2014年
クラブスローガン:新風

前身のNEC山形元監督である石崎信弘が監督に就任[11]。山形には16年振りの復帰となった。

この年、トップチーム事業を山形県スポーツ振興21世紀協会から、株式会社モンテディオ山形に移行。協会理事長の高橋節が初代社長に就任した。また、横浜FMの強化部長を務めていた石井肇をチーム強化・統括を担当するテクニカルダイレクターとして招聘した。

中村太亮千葉に、作田裕次金沢に、大久保剛志タイ・プレミアリーグバンコク・グラスFCに完全移籍し、廣瀬智靖徳島に、中村隼長崎にレンタル移籍。ペーニャが退団した。また、堀之内聖が昨シーズンをもって現役引退を表明した。

補強面では、ブラジル2部のアメリカ-RNから東京Vなどで活躍したディエゴを、富山から舩津徹也を、栃木SCから當間建文を、磐田から松岡亮輔を、愛媛から兼田亜季重を完全移籍で獲得し、G大阪から川西翔太をレンタル移籍で獲得した。また、町田にレンタル移籍していた日高慶太が復帰した。新人では、横浜FMユースから、2013年日本クラブユースサッカー選手権(U-18)においてMVPに輝いた汰木康也が加入した。

シーズン途中には、浦和から山岸範宏をレンタル移籍で獲得し、神奈川大高木利弥を特別指定選手として追加登録。谷村憲一鳥取へレンタル移籍した。

リーグ戦については、連勝を達成することが出来ないまま中位付近を推移していたが、第22節から3連敗を喫し12位に転落した。しかし、第30節水戸戦において、プレスがかからず押されていた理由から、システムを「4-2-3-1」から「3-4-2-1」に変更し勝利。この3バックシステムが現状の戦力に合致したことから、その後も同システムを採用し勝ち星を重ねていった。そして、第37節岡山戦に勝利し、初めてJ1昇格プレーオフ進出圏内の6位に立つと同時に今シーズン初の2連勝を達成した。その後、第38節横浜FC戦に敗れ7位に転落したものの、第40節に再び6位に返り咲くとシーズン終了まで順位を維持し、クラブ史上初のJ1昇格プレーオフ進出を果たした。リーグ戦の最終成績は18勝10分14敗の勝ち点64で6位だった。

J1昇格プレーオフでは、準決勝で磐田を(スコア2-1)、決勝で千葉を(スコア1-0)それぞれ破り優勝。4年ぶりのJ1復帰を果たした。

天皇杯は、準決勝で千葉を破ってクラブ史上初かつ東北地方のクラブとしては81年振りとなる決勝進出を果たした[12]。決勝はG大阪に敗れたが準優勝の成績を収めた。

この年のJリーグアウォーズにおいて、J2フェアプレー賞を獲得した。

2015年(J1)[編集]

2015年
クラブスローガン:山形総力戦

石崎体制2年目。

石井秀典徳島に、清水健太讃岐に、小林亮群馬に、常澤聡岐阜に、イ・ジュヨン韓国3部天安市庁FC英語版に、鈴木翼関西1部アルテリーヴォ和歌山に完全移籍し、ユース出身者で13シーズンに渡り山形を支え続けてきた秋葉勝金沢に、谷村憲一盛岡にレンタル移籍した。また、徳島にレンタル移籍していた廣瀬智靖が完全移籍への移行に伴い退団した。

補強面では、仙台から渡辺広大を、ブラジルのマリーリアACからでプレーした経験を持つアルセウを、湘南から宇佐美宏和を、群馬から瀬川和樹を完全移籍で獲得し、長崎にレンタル移籍していた中村隼が復帰した。更に、昨シーズン途中加入後にゲームキャプテンとしてJ1昇格に貢献した山岸範宏と、2シャドーの一角として攻撃の活性化を担い、同じくJ1昇格に貢献した川西翔太がレンタル移籍から完全移籍に移行した。新人では、昨シーズンに特別指定選手として加入していた高木利弥が正式に入団し、ユース所属の摂津颯登がトップチームに昇格した。

シーズン途中には、昨年は岐阜に所属していた中村英之を完全移籍で獲得し、清水から高木純平を、G大阪から小椋祥平を、鹿島から高崎寛之をレンタル移籍で獲得した。

リーグ戦については、前線から積極的にプレスをかけてボールを奪取する能動的な守備戦術で挑んだ。試合の主導権を握る展開が多かったものの、相手ゴール前での攻撃において迫力が足りず得点力不足に陥った為、守ることは出来ても得点が取れずに勝ち星を逃すことが多いシーズンとなった。また、1st開幕戦で仙台と対戦した際にDF渡辺とDF山田が負傷。続く1st第2節浦和戦でもDF宇佐美が負傷し、それぞれ長期離脱を余儀なくされた為、リーグ戦開始直後からDF陣が手薄になるという苦しい船出を強いられるなど、主力メンバーの負傷による離脱も大きく成績に響いた。

1stステージについては、1st第3節川崎戦で早々にリーグ戦初勝利を収めた後、1st第8節から2勝2分と4試合連続で勝点を重ねて上昇気流に乗るかと思われたが、1試合平均失点数が1.41点と失点は比較的少なかった反面、前出の得点力不足が響いて僅差で敗れたり、引き分けに終わる試合が目立つようになった。

2ndステージについては、得点力不足が改善されないことに加えて、リスクをかけた全員攻撃が仇となり走力を活かしたカウンター攻撃に屈する場面が増えるなど、長所だった守備面においても陰りが見えて精彩を欠いた結果、1st第11節戦以来、18試合連続で勝利から見放された。そして、2nd第15節神戸戦で敗れたことによりJ2降格圏の16位以下が確定。残り2節を残してJ2降格が決定した。リーグ戦の年間成績は4勝12分18敗の勝点24で18位だった。ヤマザキナビスコカップは2勝2分2敗の4位で予選リーグ敗退。天皇杯は4回戦で鳥栖に敗れた。

シーズン終了後、11月26日に開かれた臨時株主総会において、球団社長の高橋節がJ2降格の責任を追及され任期満了を待たずに辞任[13]。後任として山形県OBで山形県産業技術振興機構で専務理事を務めていた森谷俊雄が選任された[14]

この年のJリーグアウォーズにおいて、J1フェアプレー賞を獲得した。

2016年 - (J2)[編集]

2016年
クラブスローガン:一新同体

石崎体制3年目。ユースチームのコーチを務めていた内山俊彦がトップチームコーチに就任した。

宮阪政樹當間建文松本に、山崎雅人金沢に、中島裕希町田に、萬代宏樹水戸に、ロメロ・フランク新潟[注 2]キム・ボムヨン広島に、西河翔吾横浜FCに、舩津徹也群馬に、日高慶太秋田に、兼田亜季重福岡に、高木純平東京Vに、金沢にレンタル移籍していた秋葉勝岐阜に完全移籍した。また、小椋祥平高崎寛之がレンタル元に復帰し、盛岡にレンタル移籍していた谷村憲一が完全移籍への移行に伴い退団。中村英之は昨シーズンをもって現役引退を表明した。

補強面では、ブラジル2部のルヴェルデンセECからディエゴ・ローザを、横浜FMから佐藤優平を、水戸から鈴木雄斗を、千葉から田代真一栗山直樹を、栃木SCから荒堀謙次を、群馬から富居大樹を完全移籍で獲得し、鹿島から梅鉢貴秀を、京都から大黒将志をレンタル移籍で獲得した。新人では、市立船橋高から永藤歩朝鮮大学校から韓浩康、韓国の東国大学校からイ・ジェスンが加入した。

シーズン中には、韓浩康が秋田へレンタル移籍し、ク・ボンヒョクが新加入した。

シーズン開幕直後はJ3降格圏内の順位が続き、その後は降格圏内から抜け出すことはできたが、順位は伸び悩み1度も一ケタ順位まで上がることなく、最終的にはチームのJ2史上最低順位となる14位でシーズンを終了。シーズン終了直前の11月13日に石崎監督の退任が発表された。さらに石井肇強化部部長も退任した。

また11月1日には所属選手が児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律違反で逮捕される事件が発生。逮捕された選手は略式起訴のうえ、罰金30万円の判決が下り釈放されたが、社会に与えた影響の大きさに鑑み契約解除処分。また代表取締役社長、強化部担当の取締役、強化部部長は減給処分となった。 

2017年
クラブスローガン:

愛媛監督の木山隆之が監督に就任した。

渡辺広大山口に、川西翔太大分に、伊東俊京都に、林陵平水戸に、田代真一長崎に完全移籍、山岸範宏北九州にレンタル移籍、アルセウディエゴディエゴ・ローザが退団、大黒将志梅鉢貴秀がレンタル先に復帰、比嘉厚平は昨シーズンをもって現役引退を表明した。

補強面では、北九州から風間宏希を、群馬から中村駿浦和から加賀健一、昨シーズン愛媛に在籍していた阪野豊史、愛媛から児玉剛山口から中山仁斗東京Vから南秀仁、京都から菅沼駿哉清水から本田拓也を完全移籍で、浦和から昨シーズン愛媛に在籍していた茂木力也、清水から同じく昨シーズン愛媛に在籍していた瀬沼優司をレンタル移籍で獲得、ユースから髙橋成樹が昇格した。

シーズン中には、から安西海斗鳥栖から5年半ぶりの復帰となる太田徹郎をレンタル移籍で獲得、ク・ボンヒョクが昨年まで監督だった石崎信弘が今年から率いる九州リーグテゲバジャーロ宮崎へレンタル移籍した。

成績[編集]

タイトル・表彰[編集]

クラブ[編集]

個人別[編集]

スタジアム・練習場[編集]

Jヴィレッジスタジアム
年度・競技場別の試合数
※1999年のJ2加盟以後。[16]
年度 リーグ戦 Jリーグ杯 備考
山形県陸 その他
1999 14 山形市陸2
鶴岡2
山形県陸1
2000 16
2001
2002 22   不参加 この年より県内での試合を山形県陸に一本化
2003
2004 21 秋田陸1
2005 Jヴィレ1
2006 24  
2007 山形県陸=命名権採用により「NDスタ」に変更
2008 21   J1昇格
2009 17 NDスタ3
2010
2011 NDスタ1 J2降格
2012 21   不参加
2013  
2014   J1昇格
2015 18   NDスタ3
2016 21   不参加

ホームスタジアム[編集]

メインスタンド防水層の劣化による漏水、スタンド表面の防水層の剥がれによる歩行上の支障等により、2006年から2年間NDスタの改修工事が行われた[17]

2009年J1第2節(3月14日)の名古屋戦は積雪のもとで試合を行った[18]

2013年2月22日、山形市はモンテディオのホームスタジアム移転も視野に入れて、山形県などと共同で山形市内に新しいスタジアムを建設したい旨を表明[19]。3月5日の山形県議会で「山形市のスタジアム構想」に関して質疑が行われ、山形県は山形駅西口の県有地への建設は困難との考えを示した[20]。3月5日、天童市議会は本拠地の存続などを求める要望書を山形県知事に提出する旨の議案を全会一致で可決した[21]

観客数[編集]

ベスト5
順位 対戦チーム 年度 観客数 収容率 スタジアム 所属
1 仙台 2010 13 20,131 95% NDスタ J1
2 浦和 2009 16 20,102 94.4% NDスタ J1
3 仙台 2004 10 20,062 94.2% 山形県 J2
4 仙台 2005 18 19,418 91.2% 山形県  J2
5 浦和 2010 3 19,021 89.3% NDスタ J1


マスコット[編集]

  • ディーオ:カモシカをモチーフとしたマスコット。角を3本持ちスピードや力強さ、賢さを表現[1][22]
  • モンテス:岩石をモチーフとしたマスコット。頭部の3つの突起が出羽三山を表現[1][22]

マスコット決定の経緯[編集]

2005年8月よりマスコットのデザインに関する公募を開始[22]。1,766点の応募より絞り込まれた3点に対するサポーター投票が行われた[22]

なお、2005年12月20日の第2回選定委員会でチームマスコットとなる1点を決定する予定だったが、選定委員会の席上でサポーター投票で最下位の岩石をモチーフとしたキャラクターを推す選定委員長である東北芸術工科大学教授(当時)上條喬久とそれに反発するサポーター選定委員2名との間で意見が分かれてしまい、そのために折衷案としてJリーグとしては初の異なるモチーフの2体がマスコットとして併用されることになった。ちなみに、そのときの採用謝礼金の30万円は折半された。[23]

2006年1月18日のJリーグ実行委員会よりマスコットとしての使用が承認。2006年3月より名称の公募を行い[22]、同年6月30日に1,655点の中から2体の名称がそれぞれ『ディーオ』と『モンテス』と名付けられた[22]

登場からしばらく、ディーオ、モンテス共に他チームのマスコットのような「着ぐるみ化」はされていなかったが、2008年1月に東北芸術工科大学の学生が卒業作品として制作したディーオの着ぐるみが登場。同年3月に荘内銀行が寄贈したモンテスのエアドームが登場した。

トピック[編集]

モンテディオ山形フルモデルチェンジ構想[編集]

2008年、山形県スポーツ振興21世紀協会は、ホーム戦の観客動員数が慢性的に低迷していた状況を踏まえ、その梃子入れ策の一環としてクラブのイメージを一新する『モンテディオ山形フルモデルチェンジ構想』を打ち出した。7月以降、デザイナーで東北芸術工科大学教授の中山ダイスケにプランニングを依頼。12月18日、最終的な構想案を山形県総合運動公園総合体育館内の会議室で行われた非公開の臨時理事会で説明した。

概要
  • クラブ名称は県内の4地域全てから見ることが出来る出羽三山月山から名づけた「月山山形」[24][25]
  • イメージカラーは東北地方と雪国などをイメージした「」、月山や山形の空などから想像した「[25]
  • 月山をイメージした月と山を組み合わせたロゴ
  • 三角マークを組み合わせた市松模様のデザインを使ったユニホーム[25]
  • スポンサーなどとチームが一体となった、チームと山形の観光・物産のPR[25]

モデルチェンジ案は山形にこだわり、チームの新しいイメージを構築することを目的としたもので、中山は「新しいファンを呼び込むにはイメージ一新が必要」と主張[26]、提案した新名称「月山山形」は中山自ら商標登録を出願して保護した[24]

一方、臨時理事会に出席した13人の理事の半分以上が「J1昇格で盛り上がる時期に変える必要はない」「モンテディオに愛着がある」と、構想案に懸念を示し[27][28]、この日の理事会は「海保・中山・21世紀協会理事・公募のサポーターなどを含めた10人程度のプロジェクトチームを組織して、2009年5月のJリーグ理事会までをめどに結論を出す」という方針を決定したのみで、クラブ名称やイメージカラーの変更に関しては継続審議として終了した[29]。また、モデルチェンジ案が報道などで知られるところとなると、サポーターからの反発を招いた[25][30]

2009年1月30日、先の方針を受けて同構想を検討するプロジェクトチームの一般公募メンバーが決定、2月5日にはプロジェクトチームの初会合が行われた。その後、2月25日3月11日の計3回に渡って会合を重ね、チームを通じて山形県全体をアピールするというコンセプトについては合意を得られたものの、クラブ名称とイメージカラーの変更に関しては、合意を得ることは出来ずに終わった[30]3月19日に県総合運動公園総合体育館会議室で行われた同協会の通常総会において、構想の実現を断念すると報告された[30]

運営法人の株式会社化[編集]

2013年まで運営法人はJリーグ加盟クラブで唯一公益法人(山形県スポーツ振興21世紀協会。以下「協会」)であった。しかし、逆に選手の年俸や選手補強にかけられる予算が他クラブよりも限られているために高額な年俸の選手は抱えられないという一面もあり、監督経験の少ない新人監督や他クラブで戦力構想外となった解雇選手やレンタル移籍の選手を獲得せざるを得ない状況であった。しかし、山形はそういった人材の育成には実績があり、山形での活躍を機に他クラブへと移籍していく例は非常に多い。

その反面、資金的な問題から他クラブに引き抜かれそうな監督や主力選手に対しての金銭面での引き留めは難しく、結果的に彼らの大半はそのまま好条件のクラブへ引き抜かれる事となる。そのため人材の流動が激しく、チームの成績もなかなか安定しなかった。2009年は、シーズン終了時点の所属選手はJ1昇格を決めた2008年以降の加入者が大半を占めていた。

協会は2012年4月に今後の運営体制を検討する「法人運営検討委員会」を発足。議論の結果、トップチームの運営を株式会社化する一方で、ユース・アカデミー・ホームタウン事業は引き続き協会にて行うことを決めた[31]

2013年5月、トップチームの株式会社化に向けたパートナー企業の募集を開始[32]。6月、パートナー企業としてアビームコンサルティングを選定[33]。8月20日、協会は臨時総会で「株式会社モンテディオ山形」の設立に必要な出資案件を可決し[34]、8月29日に株式会社モンテディオ山形を設立した[3]。11月、山形県は株式会社モンテディオ山形を山形県総合運動公園の指定管理者に選定した(期間は2014年4月1日から5年間)[35]

2014年2月1日付けをもって、男子サッカー部トップチーム(第1種登録)の運営を正式に(公社)山形県スポーツ振興21世紀協会から(株)モンテディオ山形に移管。また同2月28日をもって、NDスタを含む山形県総合運動公園の指定管理業務を行っていたやまがたスポーツパーク(株)を合併(統合後の存続会社は(株)モンテディオ山形)[36] した。

株式会社モンテディオ山形の(2015年末現在の)株主構成は、山形県スポーツ振興21世紀協会が49%、アビーム社が49%、山形県が2%の出資比率である[37][38]。山形県と(山形県の外郭団体である)山形県スポーツ振興21世紀協会の出資比率を合わせると過半数となることから、2015年シーズン後の社長交代劇に対しては、高橋前社長の経営黒字化をはじめとする実績をないがしろにし、後任に県職員OBを充てたことに「(吉村美栄子知事らはモンテディオ山形を)出資法人の一つ程度としか思っていないのだろう」との批判の声も聞かれた[38]

ユニフォーム[編集]

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st)
FP(2nd)
GK(1st)
GK(2nd)
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd

クラブカラー[編集]

  •    [1]   [1]
1stユニフォーム
  • 1999年:青(肩部分に白と黄)。
  • 2000年 - 2009年:青×白の縦ストライプ
  • 2010年 - 2011年:青地に白い縦線が左胸に1本
  • 2012年 - 2013年:青地の下半分に白いストライプ
  • 2014年:青地に白い2本の縦縞
  • 2015年 - :青地に濃い青の山の形をしたラインが多数

また、白いストッキングはアウェイの仙台戦[注 3]、栃木戦など、対戦相手の1stユニフォームのシャツが黄色系統、ソックスが青色系統の場合に使用する。

2ndユニフォーム

2014年までは、紅花をイメージした黄色のユニフォームを採用していた。サプライヤーがプーマからニューバランスに変更となった2015年は、悲願のJ1昇格を達成し、より成熟したチームを目指す意味も込め、紅花が成熟した色である赤を採用していたが[39]、再び戦いの場をJ2に移した2016年からは白を採用することになった。

ユニフォームスポンサー[編集]

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
アビームコンサルティング ABeam
Consulting
2015年 -
背中上部 山形つや姫ブランド化戦略推進本部 つや姫 2015年 - 1998年は袖
1999年 - 2007年
(「はえぬき」表記)、
2009年 - 2014年は胸
背中下部 なし
でん六 でん六 2001年 -
パンツ 平田牧場 平田牧場 2016年 - 1999年 - 2007年、
2009年 - 2014年は背中
2008年は胸

ユニフォームサプライヤー遍歴[編集]

歴代ユニフォームスポンサー年表[編集]

年度 背中上部 背中下部 パンツ サプライヤー
1999 米どころ山形県
はえぬき
平田牧場 解禁前 四季感動の
やまがた
PUMA
2000
2001 はえぬき でん六
2002 NEC山形
2003
2004
2005
2006
2007
2008 平田牧場 - NECセミコン
ダクターズ山形
2009 つや姫[40] 平田牧場
2010 トプコン山形
2011
2012
2013
2014 山形代表
2015 ABeam
Consulting
つや姫 New Balance
2016 - 平田牧場
2017
  • 2009年の胸スポンサーと背中スポンサーについては、開幕前に決定していたが、ユニフォームに掲出するロゴの制作が間に合わず(#「はえぬき」と「つや姫」を参照)、第1節はスポンサーロゴを掲示しなかった。

「はえぬき」と「つや姫」[編集]

山形県農業協同組合中央会(JAグループ山形)はモンテディオの1999年のJリーグ加盟初年度以来、ユニフォームの胸スポンサーを務めていたが(上表参照)、2008年は広告料の値上げを希望していたクラブ側と金銭面で折り合わなかったのが原因で一時撤退した経緯がある。

JAグループ山形は県内で開発された水稲の新品種「山形97号」に関し、2009年のJ1昇格に合わせ、再びクラブの胸スポンサーとなってPRする意向を示した。2009年2月23日、この新品種の名称が7つのネーミング候補の中から「つや姫」に選ばれると共に、急ピッチで胸ロゴの制作に着手。3月7日のアウェイでの開幕戦(磐田戦)には間に合わなかったものの、3月14日のホーム開幕戦(名古屋戦)でユニフォームが披露された。

2015年はチームの大株主であるアビームコンサルティングが胸スポンサーとなったため、「つや姫」は背中スポンサーとなった。

アカデミー[編集]

  • モンテディオ山形U-18
  • モンテディオ山形 ジュニアユース村山(U-15)
  • モンテディオ山形 ジュニアユース庄内(U-15)
  • モンテディオ山形 庄内ジュニア(U-12)

応援スタイル[編集]

アンセム[編集]

応援歌[編集]

試合勝利時に歌われる。
  • BLUE IS THE COLOUR (モンテディオ山形Ver.)
原曲はイングランドチェルシーFCの応援歌であるが、「Chelsea」の部分を「Yamagata」へ変えている。
  • チームコール
  • モンテディオコール
  • 青き旗
  • Park (モンテディオ山形Ver.)
原曲はシカゴ「Saturday In The Park」。
  • FORZA山形
  • SAMBA
  • 山形DIO
  • Get Goal
  • バモ山形
  • カモン山形
  • SAMURAI (モンテディオ山形Ver.)
原曲は「Carnaval de Paris」
  • 山形ゴール
  • ハンドクラップ
  • オレオ山形

脚注[編集]

注釈
  1. ^ 名古屋戦終了の約1時間後にキックオフ。
  2. ^ 2016シーズンは水戸にレンタル移籍。
  3. ^ 2010年まで。2011年からは仙台がゴールドのストッキングを採用しているため、それ以降のアウェイ仙台戦では青のストッキングを使用している。
出典
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v クラブガイド:モンテディオ山形”. 日本プロサッカーリーグ. 2016年3月15日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 2015年度(平成27年度)Jクラブ個別情報開示資料”. 日本プロサッカーリーグ. 2016年8月20日閲覧。
  3. ^ a b “株式会社モンテディオ山形 会社概要のお知らせ” (プレスリリース), モンテディオ山形, (2013年9月12日), http://www.montedio.or.jp/info/clubinfo/20130912-03.html 2013年11月30日閲覧。 
  4. ^ クラブ経営について37”. J OKAYAMA 〜岡山サッカーの桃源郷へ (2010年10月24日). 2015年1月4日閲覧。
  5. ^ モンテディオ山形 高橋 健二選手引退のお知らせ”. モンテディオ山形オフィシャルサイト (2006年11月28日). 2014年1月20日閲覧。
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]