森脇良太

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
森脇 良太 Football pictogram.svg
名前
愛称 リョウタ、浦和のバッファロー
カタカナ モリワキ リョウタ
ラテン文字 MORIWAKI Ryota
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1986-04-06) 1986年4月6日(30歳)
出身地 広島県福山市
身長 177cm
体重 75kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 浦和レッドダイヤモンズ
ポジション DF
背番号 46
利き足 右足
ユース
幕山サッカー教室
1999-2001 サンフレッチェびんごジュニアユース
2002-2004 サンフレッチェ広島ユース (吉田高)
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2005-2012 日本の旗 サンフレッチェ広島 141 (13)
2006-2007 日本の旗 愛媛FC (loan) 79 (4)
2013- 日本の旗 浦和レッドダイヤモンズ 129 (9)
代表歴2
2011-2013 日本の旗 日本 3 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年11月7日現在。
2. 2013年7月25日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

森脇 良太(もりわき りょうた、1986年4月6日 - )は、日本プロサッカー選手広島県福山市幕山台出身。Jリーグ浦和レッドダイヤモンズ所属。ポジションはディフェンダー広島県立吉田高等学校卒業。元日本代表。

人物[編集]

強引な突破とシュートが特徴の右アウトサイド。本職はサイドバックだが、ミハイロ・ペトロヴィッチは攻撃参加や楔のパスを評価し[1] 広島ではセンターバックとしてプレーする[2][3]

通称「太陽の男」[3]。節目でゴールを奪う傾向があり、特に愛媛FCに所属した2006年には四国ダービーでホーム・アウェー共に得点をあげたことから「ダービー男」と呼ばれた[4]

浦和移籍後は、加入会見からその長すぎる会見が話題になり、選手・サポーターからはそのウザさからいじられキャラとして扱われ愛のあるブーイングもしばしば受ける。また、ヒーローインタビューやインタビューも長すぎる為早回しや大幅カットされる事が多いだけでなく、2013年から3年間、今季初ゴールを許したチームはその年にJ2降格という伝説を作っている。

来歴[編集]

小さい頃は野球少年で憧れの選手は広島東洋カープ山内泰幸だった。友人に誘われ小学2年時にサッカーを始めた。1999年に地元福山市の隣町である尾道市のサンフレッチェびんごジュニアユースへ入団した。一期上に平石健太がいる。ジュニアユースではFWとしてプレーし島卓視らから指導を受けた[5]

2002年にサンフレッチェ広島ユースへ昇格した。同期には前田俊介佐藤昭大高萩洋次郎高柳一誠桑田慎一朗藤井大輔大屋翼冨成慎司らがいる。ユースではサイドバックにコンバートされ森山佳郎沢田謙太郎らから指導をうけた。ユース監督の森山佳郎はコンバートの理由について「ユースレベルならFWでも十分なレベルだが、プロではDFのほうが見込みがある」と語っている。高校2年時の2003年に右サイドバックとしてレギュラーに定着し、広島ユースはこの年に全国大会で活躍しユース2冠を達成した。翌2004年も引き続きレギュラーとしてチームに貢献し、ユース3大大会のうち全てで決勝に進出、うち2大会で優勝した[5][6]。同年にはトップチームに2種登録され、怪我で離脱していた駒野友一の代わりにナビスコカップ・セレッソ大阪戦で右ウイングバックとして先発フル出場した[7]

2005年にトップに昇格し正式にプロ契約を結んだ。同期に、前田、佐藤、高柳、桑田、入船和真中尾真那西河翔吾がいる。びんごジュニアユース出身としては初のトップ昇格選手となった。昇格後しばらくはレギュラーである駒野の前に出場機会に恵まれなかった[4]

2006年に出場機会を求めて望月一仁が監督を務める愛媛FCへレンタル移籍され、第1節からレギュラーとして起用された。翌2007年も引き続き愛媛に在籍し同チームの天皇杯ベスト8に貢献した[4]

2008年、広島に復帰。駒野が磐田へ移籍したこともあり当初は右アウトサイドの起用を検討されていた[8] が、ミハイロ・ペトロヴィッチは右センターバックに抜擢し[9]盛田剛平の怪我によりレギュラーに定着し、以降主力として活躍[4]。2010年はミハエル・ミキッチ山岸智服部公太らに負傷が相次いだため、CBだけではなくサイドのポジションでもプレーした[10]

2010年にはAFCアジアカップ2011に出場する日本代表の予備登録メンバーに選ばれ、大会直前に酒井高徳の腰痛による負傷離脱に伴い代替としてメンバー入りした[11]。同大会で選手登録されたフィールドプレイヤーとしては唯一試合に出場できなかったものの、バックアッパーやムードメーカーとして優勝に貢献した[12][13]。2011年3月29日に開催された東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチでは日本代表チームの一員としてプレーした[14] が、試合数日前に行われた募金の呼びかけ兼握手会では、募金をした女性と握手をしようとするもスルーされ岡崎慎司長谷部誠に慰められた[15]。6月1日のキリンカップペルー戦で、日本代表初出場を果たした。2012年にはリーグ戦33試合に出場し、広島のJ1初優勝に貢献した。同年12月17日、広島時代の恩師となるペトロヴィッチが監督を務める浦和レッズへの完全移籍が発表された[16]。背番号は自身の誕生日である46に決まった。

2013年7月、東アジアカップ2013の日本代表に選出された。

2014年3月15日Jリーグ第3節サンフレッチェ広島戦で交代後ロスタイムに原口元気の追加点が決まると、ゴールを決めた原口元気、槙野智章とゴールパフォーマンスに参加。ところがベンチに戻ろうとした際ピッチに入ってしまい、これがサッカー競技規則第12条ファウルと不正行為に抵触し、すでにイエローカードを受けていたためレッドカードで退場となり、交代選手が退場になる珍事が起きた。しかしルールを把握しておらず、この判定に激高し主審に詰め寄ろうとしてしまうが、いち早く気付いたピッチサイドリポーターを務めていた朝井夏海がなだめロッカールームに戻った。興奮が収まらなかったが、チームスタッフがルールを教え、ここでようやく自分の犯したミスに気がついた。この退場はすでに交代していた興梠慎三柏木陽介以外のスタメン出場選手は気がついておらず、試合終了後選手整列で一部始終を目撃していた濱田水輝によって知らされた。

2016年から槙野智章のリベロ転向、遠藤航の加入もあり左センターバックでスタメン出場したが3月6日Jリーグ第2節ジュビロ磐田自身のミスから失点に絡んでしまう、続く3月12日第3節アビスパ福岡戦も同ポジションで出場したが不安定さと攻撃にリズムが出ず後半から本来の右センターバックに戻った。

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2003 広島Y 14 - - - 1 0 1 0
2004 広島 35 J1 0 0 1 0 0 0 1 0
2005 29 0 0 1 0 0 0 1 0
2006 愛媛 15 J2 42 3 - 1 0 43 3
2007 37 1 - 3 0 40 1
2008 広島 24 21 5 - 3 1 24 6
2009 J1 29 2 4 0 1 0 34 2
2010 31 0 5 0 2 1 38 1
2011 27 2 1 0 0 0 28 2
2012 33 4 4 0 1 0 38 4
2013 浦和 46 33 3 5 0 0 0 38 3
2014 33 3 5 1 1 1 39 5
2015 30 2 2 0 3 0 35 2
2016 33 1 4 0 1 0 38 1
通算 日本 J1 249 17 32 1 9 2 290 20
日本 J2 100 9 - 7 1 107 10
日本 - - 1 0 1 0
総通算 349 26 32 1 17 3 398 30
  • 2004年は広島ユース所属。

その他の公式戦

国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFC ACL クラブW杯
2010 広島 24 5 0 -
2012 - 2 0
2013 浦和 46 5 0 -
2015 4 1 -
2016 7 0 -
通算 AFC 21 1 2 0

出場歴[編集]

タイトル[編集]

クラブ[編集]

サンフレッチェ広島ユース
サンフレッチェ広島
浦和レッズ

代表歴[編集]

出場大会[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 3試合 0得点 (2011年 - 2013年)


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2011 1 0
2012 1 0
2013 1 0
通算 3 0

注釈[編集]

[ヘルプ]


出典[編集]

  1. ^ サンフレ戦力分析<中> 攻撃”. 中国新聞 (2009年3月2日). 2010年1月29日閲覧。
  2. ^ 森脇良太さん(サンフレッチェ広島)”. 法務省人権啓蒙活動 (2009-01-??). 2010年1月25日閲覧。
  3. ^ a b 負けない気持ち DF24 森脇良太”. サンフレッチェ広島公式 (2009年1月25日). 2010年1月25日閲覧。
  4. ^ a b c d 紫熊倶楽部2008年7月号
  5. ^ a b サンフレッチェアシストマガジンAssist3009年夏号
  6. ^ 飛翔へ サンフレの新人たち”. 中国新聞 (2005年1月21日). 2010年1月25日閲覧。
  7. ^ ユース森脇 攻守に活躍 初先発、フル出場”. 中国新聞 (2004年6月5日). 2010年1月25日閲覧。
  8. ^ 森脇、早くも存在感 3年ぶり復帰「J2経験生かす」”. 中国新聞 (2008年1月30日). 2010年1月25日閲覧。
  9. ^ サンフレ戦力分析<下>守備 攻守のバランス意識”. 中国新聞 (2008年3月7日). 2010年1月25日閲覧。
  10. ^ 森脇、3000万円で合意 中心選手として期待”. 中国新聞 (2011年1月6日). 2011年2月11日閲覧。
  11. ^ 森脇を代替招集 初代表「びっくり」”. 中国新聞 (2011年1月9日). 2011年1月9日閲覧。
  12. ^ 森脇、出番なしでも貢献=アジア杯サッカー”. 時事通信 (2011年1月30日). 2011年1月30日閲覧。
  13. ^ ザッケローニ監督帰国会見要旨 (1/2)AFCアジアカップ2011”. スポーツナビ (2011年1月31日). 2011年2月1日閲覧。
  14. ^ 【チャリティーマッチ 日本代表 vs J選抜】試合終了後の日本代表コメント”. J's GOAL (2011年3月29日). 2011年3月30日閲覧。
  15. ^ 胃腸炎の岡崎は出場に意欲、デイリースポーツ、2011年3月27日
  16. ^ 森脇良太選手 完全移籍加入のお知らせ”. 浦和レッズ公式サイト (2012年12月17日). 2012年12月17日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]