望月一仁

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望月 一仁 Football pictogram.svg
名前
カタカナ モチヅキ カズヒト
ラテン文字 MOCHIZUKI Kazuhito
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1957年12月1日(58歳)
出身地 静岡県清水市[1]
ユース
静岡県自動車工業高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1977-1986 ヤマハ発動機
監督歴
当項目参照
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

望月 一仁(もちづき かずひと、1957年12月1日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。

来歴[編集]

静岡県自動車工業高校(現:静岡北高校)を卒業後、アマチュアの清水クラブを経て、ヤマハ発動機サッカー部(現・ジュビロ磐田)に入部。前線からの積極的な守備が持ち味のFWとして活躍し、日本サッカーリーグ1部昇格や天皇杯優勝にも貢献。1986年に現役を引退した。

引退後はヤマハやジュビロ磐田のアカデミーの監督やナショナルトレセンコーチを経て、2005年から当時日本フットボールリーグ所属だった愛媛FCの監督に就任。同年に日本フットボールリーグ優勝を果たしてJリーグ参入をつかみ、J2でも引き続き愛媛を指揮。資金的に厳しく、また他クラブからのレンタル移籍選手を中心とした編成のため、毎年のように選手が大幅に入れ替わりチーム作りをやり直す苦しいチーム事情ながらも、若手育成などに手腕を発揮した。一方で、成績面では参入1年目の9位をピークに、徐々に下降。2008年に15クラブ中14位、2009年も18クラブ中15位と低迷し、結局この年の9月に、成績不振により解任された。

2010年にユース及びジュニアユース世代の育成責任者として磐田へ復帰。

2014年、アスルクラロ沼津の監督に就任[2]したが、1年で監督を退任した。

2015年よりヴァンラーレ八戸監督に就任[1]。1stステージでヴァンラーレ八戸の1位の結果を残した。

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1977 ヤマハ 東海 -
1978 -
1979 JSL2部
1980 JSL1部 8
1981
1982 JSL2部
1983 JSL1部 5
1984
1985-86
通算 日本 JSL1部 80 16
日本 JSL2部
日本 東海 -
総通算

指導歴[編集]

  • 1986年-1987年 ヤマハ発動機:ジュニア監督
  • 1988年 ヤマハ発動機:ユース監督
  • 1990年 ヤマハ発動機:ジュニアユース監督
  • 1991年 日本サッカー協会指導委員会
  • 1991年 静岡県中学生選抜:コーチ
  • 1994年 静岡県中学生選抜:監督
  • 1995年 - 1997年 東海中学生選抜:監督
  • 1998年 - 1999年 日本サッカー協会ナショナルコーチングスタッフ
  • 2000年 ジュビロ磐田:ユースコーチ
  • 2001年 - 2003年 ジュビロ磐田:ユース監督
  • 2004年 日本サッカー協会ナショナルコーチングスタッフ
  • 2005年 - 2009年9月 愛媛FC:監督
  • 2010年 - 2013年 ジュビロ磐田:育成センター育成統括
  • 2014年 アスルクラロ沼津:監督
  • 2015年 - ヴァンラーレ八戸:監督


監督成績[編集]

年度 所属 クラブ リーグ戦 カップ戦
順位 試合 勝点 ナビスコ杯 天皇杯
2005 JFL 愛媛FC 優勝 30 66 21 3 6 - 3回戦
2006 J2 9位 48 53 14 11 23 - 4回戦
2007 10位 48 45 12 9 27 - ベスト8
2008 14位 42 37 9 10 23 - 4回戦
2009 - - -
2014 JFL 沼津 8位 26 32 8 8 10 - -
2015 八戸 2位 30 59 17 8 5 - 1回戦
2016 -

脚注[編集]

  1. ^ a b “監督就任のお知らせ” (プレスリリース), ヴァンラーレ八戸, (2014年12月24日), http://www.vanraure.net/archives/11507 2016年5月22日閲覧。 
  2. ^ アスルクラロ沼津トップチーム新監督就任のお知らせ”. アスルクラロ沼津 (2014年1月10日). 2014年1月11日閲覧。

関連項目[編集]