ミハエル・ミキッチ

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ミハエル・ミキッチ Football pictogram.svg
名前
愛称 ミカ
ラテン文字 Mihael Mikić
基本情報
国籍 クロアチアの旗 クロアチア
生年月日 (1980-01-06) 1980年1月6日(37歳)
出身地 ザグレブ
身長 177cm
体重 68kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 サンフレッチェ広島
ポジション MF
背番号 14
利き足 右足
ユース
クロアチアの旗 NKビストラ(hr:NK Bistra)
クロアチアの旗 NKインケル・ザプレシッチ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996-1997 クロアチアの旗 NKザプレシッチ 25 (5)
1997-2004 クロアチアの旗 ディナモ・ザグレブ 144 (26)
2004-2006 ドイツの旗 カイザースラウテルン 26 (0)
2006 クロアチアの旗 HNKリエカ 14 (0)
2007-2008 クロアチアの旗 ディナモ・ザグレブ 46 (4)
2009- 日本の旗 サンフレッチェ広島 207 (7)
代表歴2
1997-1999 クロアチアの旗 クロアチア U-19 12 (5)
1999-2001 クロアチアの旗 クロアチア U-21 19 (6)
1. 国内リーグ戦に限る。2017年1月1日現在。
2. 2010年11月15日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ミハエル・ミキッチMihael Mikić1980年1月6日 - )は、クロアチアザグレブ出身のサッカー選手である。Jリーグサンフレッチェ広島所属。元クロアチア代表

人物[編集]

現在はサイドプレイヤーとしての起用が最も多いが、過去には攻撃的ミッドフィルダー、ストライカーとしてもプレーした経験がある(下記来歴参照)。

妻のリュプカ・ゴイッチen:Ljupka Gojić)は、ジバンシィに所属するクロアチアのファッションモデル

来歴[編集]

クラブ[編集]

7歳のとき、NK Bistraというクラブの下部組織でサッカーを始める。13歳のとき、NKインケル・ザプレシッチ(現NKインテル・ザプレシッチ)のユースへ加入し、16歳でこのクラブにおいてプロのキャリアをスタート。2年目にクロアチア・ザグレブ(現ディナモ・ザグレブ)へ移籍し、19歳までにレギュラーをつかんだ。同い年であり、スピードタイプのFWというプレースタイルも似ていたことから、当時はサポーターから「クロアチアのマイケル・オーウェン」と呼ばれ、将来を嘱望された。

1998年秋には、18歳にしてクロアチア・ザグレブのメンバーとしてUEFAチャンピオンズリーグに参加。初戦となるホームのFCポルト戦で、前半7分にクラブのチャンピオンズリーグ第1号ゴールを決めている。クロアチア・ザグレブはこのポルト戦に勝利し、さらにアヤックス・アムステルダムに勝利、オリンピアコスに引き分けるなど健闘したが、決勝トーナメント進出はならなかった。ミキッチはクロアチア・ザグレブのホームゲーム3試合に全て出場(うち2試合は先発)し、ストライカーとしてプレーした。

しかし翌1999年、クラブが三浦知良らの外国人FWを獲得。助っ人外国人の起用優先というクラブの方針により、満足な競争も行われないままレギュラーの座を奪われる。この年もチャンピオンズリーグに出場し、グループステージ6試合中5試合に出場したものの、先発は1試合だけだった。最終戦のオリンピック・マルセイユ戦で、2-2のドローに持ち込む同点ゴールを挙げたが、クロアチア・ザグレブはグループステージ最下位に終わった。さらにこの時期、血液の病気に侵されてしばらくサッカーから離れる不運も重なり、不振が続いた。

そんな折、1999年のシーズン途中にクロアチア・ザグレブの監督に就任したオズワルド・アルディレスは、ミキッチのスピードに目をつけ、サイドプレーヤーへの転向を打診。FWにこだわりを持っていたミキッチは当初激しく反発し、またアルディレスも成績不振から早期解任されたものの、結果的にはこれがミキッチのサッカー人生における転機となった。

以降、サイドプレーヤーとして2003-2004シーズンまでの7シーズンの間、クロアチア・ザグレブ/ディナモ・ザグレブでのプレーを続け、翌2004-2005シーズンより、初の国外クラブとなるドイツ・ブンデスリーガ1.FCカイザースラウテルンに移籍した。ドイツでの1年目は、リーグ戦でわずか6試合の出場にとどまる。2年目も前半戦は4試合出場とレギュラーをつかめないでいたが、ウインターブレーク明けからレギュラーとなり、シーズン終了までに前半戦と合わせて20試合に出場した。しかし、2年間でリーグ26試合、公式戦29試合に出場して無得点という結果に終わり、チームも2005-2006シーズンは16位で2部降格となってしまった。

2006年6月に、再びクロアチアに戻ってHNKリエカと契約。6月13日のUEFAカップ1回戦・対ACオモニア戦の第1レグで公式戦デビューを飾るが、リエカは2戦合計3-4でオモニアに破れ、1回戦で姿を消した。国内リーグ戦では6月30日の2006-2007シーズン開幕戦で初出場し、勝利に貢献した。

しかしシーズン途中の2007年1月、わずかリーグ14試合に出場したところでリエカを退団し、古巣であるディナモ・ザグレブへ移籍。23試合で4ゴールを挙げる活躍を見せた。

2009年より、Jリーグサンフレッチェ広島へ完全移籍した[1]。すぐに右サイドのレギュラーに定着、同シーズンリーグ4位に貢献した[2]

上記のクラブ遍歴を経て選んだJリーグのレベルを高く評価する一方で、日本人選手の安易な海外志向に疑問を呈している [3]

広島に加入以降は怪我による離脱はあるものの右サイドのレギュラーを確保し続けており、2012年・2013年には広島のJ1連覇に貢献。2014年には在籍が6年目を迎え、1993-1997年の5年間在籍した盧廷潤を越えて、広島の外国籍選手では史上最長在籍の選手となっている。

国際試合[編集]

クロアチアA代表には選出歴があるのみで出場歴はないが、U-19、U-21のユース年代のレベルでは、華々しい国際試合のキャリアを持つ。

1997年に、アイルランドで開催されたUEFA U-19欧州選手権の対北アイルランド戦で、17歳でU-19代表デビュー。同大会では3試合に出場し1得点を挙げた。翌年のキプロス大会にも出場し、クロアチアの中心選手として4試合で3得点の活躍。チームの3位に貢献した。1999年のスウェーデン大会にも3大会連続で出場し、4試合で1得点を挙げている。

U-19での最後の国際試合を勝利で終えた後、1999年にナイジェリアで行われたFIFAワールドユースにおいてU-20代表デビュー。チームの全4試合に出場し、ベスト16の成績を挙げた。ここから1999年末までに開催されたUEFA U-21欧州選手権予選では5試合に出場して3得点を挙げた。2000年の本大会に出場を果たすも、グループステージ敗退。以降も2001年までU-21代表でのプレーを続け、6試合で3得点を挙げている。

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
クロアチア リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
1996-97 ザプレシッチ 1.HNL 25 5
1997-98 クロアチア・ザグレブ/
ディナモ・ザグレブ
5 2
1998-99 15 6
1999-00 26 6
2000-01 28 3
2001-02 25 3
2002-03 28 3
2003-04 17 1
ドイツ リーグ戦 リーグ杯 DFBポカール 期間通算
2004-05 カイザースラウテルン 14 ブンデス 6 0 - 2 0 8 0
2005-06 20 0 - 1 0 21 0
クロアチア リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
2006-07 リエカ 1.HNL 14 0
ディナモ・ザグレブ 14 10 3
2007-08 21 1
2008-09 15 0
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2009 広島 14 J1 25 0 5 0 0 0 30 0
2010 16 1 4 0 2 1 22 2
2011 31 2 1 0 1 0 33 2
2012 28 0 1 0 0 0 29 0
2013 29 2 2 0 4 0 35 2
2014 20 0 2 0 1 0 23 0
2015 31 1 1 0 2 0 34 1
2016 27 1 1 0 1 0 29 1
2017
通算 クロアチア 1部 229 35
ドイツ 1部 26 0 - 3 0 29 0
日本 J1 207 7 17 0 11 1 235 8
総通算 462 42

その他の公式戦

国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
UEFA UEFA EL CL予選 UEFA CL クラブW杯
1998-99 クロアチア・ザグレブ/
ディナモ・ザグレブ
3 1 -
1999-00 5 1 -
2003-04 2 0 -
2007-08 1 0 3 0 -
2008-09 6 0 6 0 -
AFC ACL - - クラブW杯
2010 広島 14 0 0 - - -
2012 - - - 2 0
2013 2 0 - - -
2014 4 0 - - -
2015 - - - 3 0
2016 1 0 - - -
通算 UEFA 7 0 11 0 8 2 0 0
通算 AFC 7 0 - - 5 0

タイトル[編集]

クラブ[編集]

ディナモ・ザグレブ
  • プルヴァHNL:6回(1997-98、1998-99、1999-00、2002-03、2006-07、2007-08)
  • クロアチアカップ:5回(1998年、2001年、2002年、2007年、2008年)
  • クロアチアスーパーカップ:2回(2002年、2003年)
サンフレッチェ広島

代表歴[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ サンフレッチェ広島公式 (2008年12月26日). “ミハエル・ミキッチ選手 加入のお知らせ”. 2010年1月26日閲覧。
  2. ^ 中国新聞 (2010年1月7日). “ストヤノフとミキッチ、残留合意 2人ともけがは回復”. 2010年1月26日閲覧。
  3. ^ 安易な海外移籍決断に異を唱える、広島・ミキッチのJリーグ主義。 -NumberWeb: 2012年4月10日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]