原口元気

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原口 元気 Football pictogram.svg
名前
愛称 ゲンキ
カタカナ ハラグチ ゲンキ
ラテン文字 HARAGUCHI Genki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1991-05-09) 1991年5月9日(26歳)
出身地 埼玉県熊谷市
身長 179cm
体重 68kg
選手情報
在籍チーム ドイツの旗 ヘルタ・ベルリン
ポジション FW / MF / DF
背番号 24
利き足 右足
ユース
2004-2006 浦和レッズジュニアユース
2007-2009 浦和レッズユース
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2009-2014 日本の旗 浦和レッズ 167 (33)
2014- ドイツの旗 ヘルタ・ベルリン 84 (4)
代表歴2
2011- 日本の旗 日本 29 (6)
1. 国内リーグ戦に限る。2017年5月21日現在。
2. 2017年11月14日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

原口 元気(はらぐち げんき、1991年5月9日 - )は、埼玉県熊谷市出身のプロサッカー選手ポジションフォワードミッドフィールダーディフェンダー日本代表ブンデスリーガヘルタ・ベルリン所属。 妻はタレント香屋ルリコ

来歴[編集]

プロ入り前[編集]

江南南サッカー少年団の主力選手として2003年の第27回全日本少年サッカー大会で優勝に貢献。その同年に行われた全日本少年フットサル大会に出場、決勝では6ゴール7アシストと全ゴールに絡む活躍で兵庫FCを圧倒し優勝二冠を手にした。中学進学と共に浦和レッズジュニアユースに所属。その後、飛び級でユースに昇格した。

ユースチーム昇格1年目からサテライトの試合に出場(2007年は4試合、2008年は2試合)。トップチームへの登録がスポーツ新聞で取りざたされたり、浦和の提携先であるFCバイエルン・ミュンヘンから練習生としての2年間オファーを受けるなど、動向が注目されていたが、2008年5月23日付けで2種登録選手としてトップ登録された[1]。そして、5月25日のナビスコカップ、対名古屋グランパスエイト戦で公式戦デビューを飾った。これは、FCバイエルン・ミュンヘンのオファーに危機感を持ったフロントの意向もあったとされる[2]10月13日高円宮杯第19回全日本ユースサッカー選手権 (U-18)大会決勝の、対名古屋グランパスエイトU-18戦に出場。1得点2アシストを挙げ、優勝に貢献した。また、AFC U-19選手権2008に出場するU-19日本代表に選出され、1試合に出場している。ユース時代は主に3トップの左ウィングとして起用されていた。

浦和レッズ[編集]

2009年1月30日に浦和とプロ契約を締結[3]。これは日本人でクラブ史上最年少である(エスクデロ・セルヒオは17歳ちょうどで契約したが、その時はまだ日本に帰化前)。2009年シーズンは、開幕戦の3月7日対鹿島アントラーズ戦でスタメンを飾りJリーグ初出場を果たすと、4月12日第5節名古屋グランパスエイト戦において、負傷した田中達也と交代で途中出場。クラブ日本人最年少ゴール(17歳11ヶ月3日)を決めた。その後、田中や梅崎司を怪我で欠くチーム事情もあり、スタメンに定着し、チーム2位となる32試合に出場した(1位は、全34試合に出場した阿部勇樹)。4月27日にはリーグ史上4番目の若さ(森本貴幸、阿部勇樹、稲本潤一に次ぐ)でA契約を結んだ。推定年俸は700万円。

2010年は開幕からしばらくは攻撃的なポジションの選手の層が厚かった影響で、途中出場が多かったが、第10節の名古屋グランパスエイト戦で負傷した田中達也との交代で途中出場し今季初ゴールとなる決勝点を記録[4]。その後は故障者が多かったこともあり、スタメン出場も増えていったが、終盤戦は故障者の負傷が癒え好調を維持していた高橋峻希にスタメンの座を譲ることが多くなり、ベンチを暖めることが多かった。

2011年は開幕からレギュラーに定着し、低迷するチームの中でコンスタントに得点を重ねる。この年、チームが残留争いに巻き込まれる中、後半戦は代表招集やほとんどの試合をフル出場する中でコンディションを落としてあまり目立った活躍はできなかったものの、リーグ戦トータルではチームトップの9得点を挙げ、ナビスコカップニューヒーロー賞を受賞した。

2012年はベンチスタートが多かったがJ1第14節ガンバ大阪戦からスタメンに定着する。不慣れな1トップでの起用が多く、公式戦6得点に終わる。2013年は主にシャドーの位置で出場、初めてリーグ戦で2桁得点を記録。2014年からは背番号「9」を背負うことになった[5]

ヘルタ・ベルリン[編集]

2014年5月25日、ドイツブンデスリーガヘルタ・ベルリンへ完全移籍することが発表された[6]。契約期間は2014年6月から4年間。公式戦デビューとなったDFBポカール1回戦のSCフォルトゥナ・ケルン戦で、左MFに先発して移籍後初ゴールを挙げた。8月24日のブンデスリーガ開幕節ヴェルダー・ブレーメン戦でスタメン出場し、2得点に絡む活躍を見せた[7] が、終了間際に相手からのタックルにより右肩関節を負傷し、3週間の離脱となってしまった[8]。2015年3月14日、ブンデスリーガ第25節シャルケ04戦に途中出場し、ブンデスリーガ初ゴールを上げた。また、リーグ戦終盤にかけて監督の信頼を勝ち取り、献身的な動きでサイドのレギュラーを獲得した[9]

2015-16年、第4節のVfBシュトゥットガルト戦で今シーズン初得点をあげた。2016年3月19日、第27節のFCインゴルシュタット04では1得点1アシストの活躍を見せてMOMに選出された。

2016-17年、第2節のFCインゴルシュタット04戦で先発出場し、2アシストの活躍でマン・オブ・ザ・マッチに選出された。その後もリーグ戦第9節までフル出場していたが、第11節で初めて先発を外されて以来、ベンチスタートが増えていく。2月4日、第19節のFCインゴルシュタット04戦では開始59秒でシーズン初得点を決め、再び先発出場する機会を増やすが、終盤は思ったような結果が残せず、また出場機会は減っていった[10]。シーズン後半の不調をパル・ダルダイ監督は、ライバルであるミッチェル・ヴァイザーの復帰による『過剰なモチベーション』にあると分析した[11]

2017-18年、シーズン開幕前はヘルタとの契約を延長せずに、以前からプレーする事を希望していたプレミアリーグブライトンへ移籍する可能性が高いと報道されていたが、結局ヘルタに残留してプレーする事を決断[12]。8月19日のブンデスリーガ開幕節VfBシュトゥットガルト戦にて後半から途中出場し、今季初出場をしている。9月14日、欧州ELアスレティック・ビルバオ戦で途中出場してELデビューを果たした。9月20日、ブンデスリーガ第5節バイエル・レバークーゼン戦で途中出場を果たし、ヘルタでの公式戦100試合出場を達成した[13]。 10月1日、ブンデスリーガ第7節FCバイエルン・ミュンヘン戦で今季初スタメン出場を果たすと、ジェローム・ボアテングヨシュア・キミッヒマッツ・フンメルスドイツ代表3人を抜き去り今季初アシストを記録し、MOMとベストイレブンに選出された[14]

日本代表[編集]

ロンドンオリンピックを目指すU-23日本代表の予選では活躍するも本大会メンバーからは落選した。

2011年10月7日のキリンチャレンジカップベトナム戦でA代表デビューを果たす。2015年6月、約2年ぶりに日本代表に招集され、6月11日に行われたイラク戦で日本代表初ゴールを決めた。

2016年3月29日、W杯2次予選のシリア戦ではボランチで起用されて1得点を決めて結果を出した。W杯最終予選ではタイ戦、イラク戦、オーストラリア戦、サウジアラビア戦で連続ゴールを決め、三浦知良呂比須ワグナーの記録を塗り替えるW杯最終予選としては史上初となる4試合連続得点を記録した[15]

所属クラブ[編集]

ユース経歴
  • 江南南サッカー少年団
  • 2004年 - 2006年 浦和レッズジュニアユース
  • 2007年 - 2009年1月 浦和レッズユース
    • 2008年 浦和レッズ (2種登録)
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2008 浦和 35 J1 0 0 1 0 0 0 1 0
2009 24 32 1 6 1 1 0 39 2
2010 26 2 6 0 2 2 34 4
2011 30 9 4 2 1 0 35 11
2012 32 6 4 0 1 0 37 6
2013 33 11 4 0 0 0 37 11
2014 9 14 4 3 0 - 17 4
ドイツ リーグ戦 リーグ杯 DFBポカール 期間通算
2014-15 ヘルタ・ベルリン 24 ブンデス1部 21 1 - 2 1 23 2
2015-16 32 2 - 5 1 37 3
2016-17 31 1 - 2 0 33 1
2017-18 -
通算 日本 J1 167 33 28 3 5 2 200 38
ドイツ ブンデス1部 84 4 - 9 2 93 6
総通算 251 37 28 3 14 4 256 41
  • 2008年は2種登録選手。
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2013 浦和 24 4 2
通算 AFC 4 2

その他の国際公式戦

出場歴

タイトル[編集]

クラブ[編集]

江南南サッカー少年団
浦和レッズジュニアユース
浦和レッズユース

代表[編集]

日本代表

個人[編集]

代表・選抜歴[編集]

出場大会[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 29試合 6得点 (2011年 - )


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2011 1 0
2013 2 0
2015 8 1
2016 9 5
2017 9 0
通算 29 6

ゴール[編集]

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2015年6月11日 日本横浜 イラクの旗 イラク ○4-0 キリンチャレンジカップ2015
2. 2016年3月29日 日本、埼玉 シリアの旗 シリア ○5-0 2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選
3. 2016年9月6日 タイバンコク タイ王国の旗 タイ ○2-0 2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
4. 2016年10月6日 日本、埼玉 イラクの旗 イラク ○2-1
5. 2016年10月12日 オーストラリアメルボルン オーストラリアの旗 オーストラリア △1-1
6. 2016年11月15日 日本、埼玉 サウジアラビアの旗 サウジアラビア ○2-1

テレビ出演[編集]

脚注[編集]

  1. ^ レッズユース、原口元気をトップ登録 Archived 2008年6月15日, at the Wayback Machine.
  2. ^ 若き才能・原口元気が覚醒する日
  3. ^ 原口元気(浦和レッズユース)と契約 Archived 2011年9月14日, at the Wayback Machine.
  4. ^ 浦和逆転勝ち 原口左足で押し込んだ!
  5. ^ ミスター・レッズの9番、原口が継承 デイリースポーツ
  6. ^ 浦和FW原口元気、細貝所属のヘルタへ完全移籍…渡独後正式契約”. サッカーキング (2014年5月25日). 2014年5月25日閲覧。
  7. ^ 元気 ブンデス初陣で存在感!絶妙パス&強烈左足で2点絡む”. スポニチ (2014年8月25日). 2014年8月25日閲覧。
  8. ^ 原口 右肩関節負傷で3週間離脱”. スポニチ (2014年8月25日). 2014年8月25日閲覧。
  9. ^ 1部残留へ。ヘルタ原口元気が信頼を勝ち得た理由 
  10. ^ なぜ原口元気は失速したのか?4つの原因と移籍の可能性とは【海外日本人総括】 Goal.com 2017年5月22日
  11. ^ ヘルタ指揮官が原口元気を批判…気負う理由を「過剰なモチベーション」と分析 Goal.com 2017年3月22日
  12. ^ 原口元気のブライトン移籍は濃厚か!? 地元紙「サヨナラ・ゲンキ」と報じる フットボールチャンネル 2017年6月9日
  13. ^ 原口がヘルタで公式戦100試合出場”. BUNDESLIGA (2017年9月20日). 2017年10月2日閲覧。
  14. ^ 「あのプレーは世界級」原口元気が独代表DF3人抜き&アシスト…監督や同僚から称賛の声”. Goal.com (2017年10月2日). 2017年10月2日閲覧。
  15. ^ 原口、カズ超え歴史塗り替えた!「ゴールはおまけ」も日本代表史上初最終予選4戦連発!! ゲキサカ 2016年11月15日
  16. ^ アスリートの魂「走り抜く信念 原口元気・サッカー日本代表」”. NHKオンライン. 2017年6月11日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]