原口元気

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名前
愛称 ゲンキ
カタカナ ハラグチ ゲンキ
ラテン文字 HARAGUCHI Genki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1991年5月9日(22歳)
出身地 埼玉県熊谷市
身長 178cm
体重 68kg
選手情報
在籍チーム 浦和レッドダイヤモンズ
ポジション FW(WG, CF) / MF(SH, OH)
背番号 9
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2008- 浦和レッズ 153 (29)
代表歴2
2011- 日本の旗 日本 3 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年1月14日現在。
2. 2013年7月28日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

原口 元気(はらぐち げんき、1991年5月9日 - )は、埼玉県熊谷市出身のプロサッカー選手。ポジションセンターフォワード、左ウィング左サイドハーフトップ下Jリーグ浦和レッドダイヤモンズ所属。元日本代表。

来歴[編集]

プロ入り前[編集]

江南南サッカー少年団の主力選手として2003年の第27回全日本少年サッカー大会で優勝に貢献。「江南の鷹」の異名を取った。中学進学と共に浦和レッズジュニアユースに所属。その後、飛び級でユースに昇格した。

ユースチーム昇格1年目からサテライトの試合に出場(2007年は4試合、2008年は2試合)。トップチームへの登録がスポーツ新聞で取りざたされたり、浦和の提携先であるバイエルン・ミュンヘンから練習生としての2年間オファーを受けるなど、動向が注目されていたが、2008年5月23日付けで2種登録選手としてトップ登録された[1]。そして、5月25日ナビスコカップ、対名古屋戦で公式戦デビューを飾った。これは、バイエルンのオファーに危機感を持ったフロントの意向もあったとされる[2]10月13日高円宮杯U-18決勝の、対名古屋グランパスU-18戦に出場。1得点2アシストを挙げ、優勝に貢献した。また、AFC U-19選手権2008に出場するU-19日本代表に選出し、1試合に出場している。ユース時代は主に3トップの左ウィングとして起用されていた。

浦和レッズ[編集]

2009年1月30日に浦和とプロ契約を締結[3]。これは日本人でクラブ史上最年少である(エスクデロは17歳ちょうどで契約したが、その時はまだ日本に帰化前)。2009年シーズンは、開幕戦の3月7日鹿島戦でスタメンを飾りJリーグ初出場を果たすと、4月12日第5節名古屋戦において、負傷した田中達也と交代で途中出場。クラブ日本人最年少ゴール(17歳11ヶ月3日)を決めた。その後、田中や梅崎司を怪我で欠くチーム事情もあり、スタメンに定着し、チーム2位となる32試合に出場した(1位は、全34試合に出場した阿部勇樹)。4月27日にはリーグ史上4番目の若さ(森本貴幸、阿部勇樹、稲本潤一に次ぐ)でA契約を結んだ。推定年俸は700万円。

2010年は開幕からしばらくは攻撃的なポジションの選手の層が厚かった影響で、途中出場が多かったが、第10節の名古屋戦で負傷した田中達也との交代で途中出場し今季初ゴールとなる決勝点を記録[4]。その後は故障者が多かったこともあり、スタメン出場も増えていったが、終盤戦は負傷が癒え好調を維持していた高橋峻希にスタメンの座を譲ることが多くなり、ベンチを暖めることが多かった。

2011年は開幕からレギュラーに定着し、低迷するチームの中でコンスタントに得点を重ね、10月7日のキリンチャレンジカップベトナム戦でA代表デビューを果たす。この年、後半戦こそ、代表招集やほとんどの試合をフル出場する中でコンディションを落としてあまり目立った活躍は出来なかったものの、リーグ戦トータルではチームトップの9得点を挙げ、ナビスコカップニューヒーロー賞を受賞した。

2012年はベンチスタートが多かったがJ1第14節ガンバ大阪戦からスタメンに定着する。J1第27節柏レイソルでは、前半27分で交代させられた後、監督のミハイロ・ペトロヴィッチに詰め寄り[5]チームメイトになだめられたものの試合後サポーターへの挨拶の場に出向かず帰宅した[6]。その翌日、練習場にてチームメイトら全員の前で謝罪した[6]。2013年は初めてリーグ戦で2桁得点を記録。2014年からは背番号「9」を背負うことになった[7]

人物[編集]

チームメイトである柏木陽介のブログで「生意気小僧」と評されていた[8]。2009年には練習中にエジミウソンと小競り合いを起こし「謝れよ!」と怒鳴った[9]が、練習後和解している。

2011年12月10日にチームメートの岡本拓也と喧嘩になり、コーチ陣が制止しているにも関わらず倒れていた岡本の左肩を蹴って左肩関節脱臼(全治3週間)の怪我を負わせ、翌11日にクラブからけん責及び1週間の謹慎処分が下された[10][11][12]

所属クラブ[編集]

ユース経歴
  • 江南南サッカー少年団
  • 2004年 - 2006年 浦和レッズジュニアユース
  • 2007年 - 2009年1月 浦和レッドダイヤモンズユース
プロ経歴
  • 2008年 - 浦和レッドダイヤモンズ

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2008 浦和 35 J1 0 0 1 0 0 0 1 0
2009 24 32 1 6 1 1 0 39 2
2010 26 2 6 0 2 2 34 4
2011 30 9 4 2 1 0 35 11
2012 32 6 4 0 1 0 37 6
2013 33 11 4 0 0 0 37 11
2014 9
通算 日本 J1 153 29 25 3 5 2 183 34
総通算 153 29 25 3 5 2 183 34
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2013 浦和 24 4 2
通算 AFC 4 2

経歴[編集]

タイトル[編集]

個人
  • ニューヒーロー賞:2011

代表・選抜歴[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 3試合 0得点 (2011年 - )


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2011 1 0
2012 0 0
2013 2 0
通算 3 0

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]