藤本淳吾

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藤本 淳吾 Football pictogram.svg
名前
愛称 ジュンゴ
カタカナ フジモト ジュンゴ
ラテン文字 FUJIMOTO Jungo
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1984-03-24) 1984年3月24日(33歳)
出身地 神奈川県大和市
身長 173cm
体重 69kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 ガンバ大阪
ポジション MF (OH,SH) / FW (WG)
背番号 25
利き足 左足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2006-2010 日本の旗 清水エスパルス 139 (31)
2011-2013 日本の旗 名古屋グランパス 94 (14)
2014-2015 日本の旗 横浜F・マリノス 45 (6)
2016- 日本の旗 ガンバ大阪 13 (0)
代表歴2
2007-2012 日本の旗 日本 13 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年12月12日現在。
2. 2012年8月15日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

藤本 淳吾(ふじもと じゅんご、1984年3月24日 - )は、神奈川県大和市出身のプロサッカー選手Jリーグガンバ大阪所属。ポジションはミッドフィールダー。元日本代表

来歴[編集]

プロ入り以前[編集]

小学生の頃より地元の横浜マリノスプライマリーに入り、そのまま中学1年までマリノスの下部組織に所属。しかし中学2年に上がるときにメンバーに残ることができず、横浜栄FCを経て桐光学園高校に進学した。

高校時代は、U-16、U-17日本代表に選出され、2001年U-17世界選手権(現U-17ワールドカップ)に出場。グループリーグ敗退も3戦全てに先発出場した。

しかし、高校サッカー選手権には縁が無く、同じU-17日本代表だった阿部祐大朗のいる桐蔭学園に屈し続け、最後の冬も県大会決勝で敗れている(目立った成績は、高校3年時のインターハイベスト8ぐらいである)。各年代の日本代表には選ばれ続けたものの、チームとしてタイトルには縁遠かったこともあり、高校3年生の時に正式なオファーを貰ったのは当時J2の川崎フロンターレのみ。元サッカー選手の父親で日本鋼管で活躍した藤本貢壽から「現状ではプロに行っても長くプレーできないかもしれない」と言われたこと、また地元のJ1チーム・マリノス以外なら筑波大学進学と決めていたこともあって大学進学を決意。

筑波大でも1年時よりレギュラーを獲得。1年時の第76回関東大学リーグでは2得点1アシスト。2年時の第77回関東大学リーグでは4得点5アシスト。第52回全日本大学サッカー選手権大会決勝では貴重な決勝点(筑波大1-0駒大)を挙げ、2連覇に貢献。大会ベストMFに。3年時の第78回関東大学リーグでは同大学を4年ぶり14回目の優勝に導き、自身も5得点7アシストでアシスト王とベストイレブンに輝いている。さらに4年時の第79回関東大学リーグでも12アシストでアシスト王とベストイレブンに輝く。これらの活躍から、大学在籍4年間を通して大学選抜に選ばれ続けた。筑波での同期には来栖由基秋葉陽一中野洋司阿部翔平がいる。

日本代表関連では、2005年6月の第33回トゥーロン国際大会参加のU-21日本代表メンバーに選ばれ、また8月のユニバーシアード・イズミル大会では背番号10番を背負い司令塔として日本を3連覇に導き、大会MVPと得点王(6得点)に輝いている。

清水エスパルス[編集]

同年、清水エスパルス特別指定選手としてナビスコカップに1試合出場。

目覚しい活躍をみせた大学時には、高校時代とは打って変わって多くのJ1クラブが獲得候補選手リストに掲げ争奪戦を繰り広げたが、その中から藤本は清水エスパルスを選択。2006年に正式加入した。清水を選んだのは、特別指定選手として練習に参加した際、軽いプレーをした藤本に対して長谷川健太監督が「やる気がないなら帰れ」と叱責、このことからお客さん扱いではなく1人の戦力として見てくれていることに喜びを感じ清水でプレーしたいという気持ちがわいたためと語っている。

プロ1年目でその前年に引退したミスター・エスパルスこと澤登正朗の後継者として指名され、ルーキーながら澤登のトレードマークでもあった背番号10を受け継いだ[1]。シーズンの序盤はコンディション作りや怪我に悩まされ安定した活躍ができなかったが、シーズン終盤ポジションを右サイドハーフに移し視野を広げたことでプレーの幅が広がり爆発的な活躍をした。第31節、第32節では2試合でプロ入りして初のハットトリックを含む5得点1アシストを記録するなど、28試合出場8得点4アシストで1シーズン目を終えた。これらの活躍が評価され2006年シーズンのJリーグ新人王(奇しくも初代新人王は澤登)、第39回内閣総理大臣杯日本プロスポーツ大賞新人賞を受賞。

2年目の2007年シーズンは日本代表候補に初選出され、自身の誕生日にフル代表デビューを果たす。また、Jリーグオールスターサッカーに東西両軍を合わせ最多得票を集めて選出され出場した。

2008年7月22日大宮アルディージャ戦で相手タックルにより左足首を負傷。精密検査の結果、左足腓骨骨折および左足首内側靭帯損傷で全治3ヶ月の重症であることが判明、2008年シーズン残り試合の出場は絶望的となった(腓骨骨折を経験したサッカー選手には、田中達也戸田光洋稲本潤一ルイス・フィーゴらがおり、いずれも復帰に半年から1年がかかっている)。翌2009年シーズンの2節で復帰。その影響もあって2009年は1得点にとどまった。

2010年は小野伸二の加入に伴い、4-3-3の右フォワードに転向。自己最多の13得点を挙げ、初のJリーグベストイレブンに選出。日本代表にも復帰した。

名古屋グランパス[編集]

2011年より名古屋グランパスに移籍。背番号は8となった。アジアカップ決勝では、決勝トーナメントで負傷帰国したエース香川に代わり先発メンバーに抜擢されるが、試合の流れを引き込むには至らず、後半から交代している。ACLアル・アイン戦で、フリーキックからグランパスでの公式戦初ゴールを決めた。リーグ戦では9得点を挙げるなど名古屋の優勝争いに貢献し、2年連続でベストイレブンに選出された。

2012年2月24日のキリンチャレンジカップアイスランド戦で代表初得点を挙げた。同年10月20日、Jリーグ第29節サガン鳥栖戦で、Jリーグ通算200試合出場となった。

横浜F・マリノス[編集]

2013シーズン終了後、名古屋から契約延長オファーを受けるも、2014年1月8日に名古屋からの退団が発表され同日に横浜F・マリノスへの移籍が発表された[2]。背番号は同じくマリノスの下部組織出身にして桐光学園高校の先輩、さらには同じレフティの司令塔として尊敬する中村俊輔の背番号25を受け継いだ。2014年シーズンはレギュラーとしてリーグ戦26試合に出場したが、コンディション不良が続き常に負傷を抱えていたことで満足な結果を残せなかった。

2015年は開幕当初こそ先発出場が多かったが、この年マリノスの監督に就任したエリク・モンバエルツのスピード重視の起用方針により、後半戦の先発出場は4試合に留まり2nd第9節以降のリーグ戦出場はわずか1分と出場機会が激減した[3]

ガンバ大阪[編集]

2016年、清水時代の監督だった長谷川健太が指揮を執るガンバ大阪から獲得オファーを受け、1月11日にガンバ大阪に完全移籍することが発表された[4][5]。しかしいざ開幕するとベンチ入りも困難になり、J3のU-23チームでプレーすることもあった。

所属クラブ[編集]

ユース・その他経歴
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2002 筑波大 15 - - - 1 0 1 0
2005 10 - - 2 1 2 1
2005 清水 35 J1 0 0 1 0 - 1 0
2006 10 28 8 5 0 3 3 36 11
2007 34 7 4 1 3 0 41 8
2008 18 2 6 4 0 0 24 6
2009 27 1 9 0 5 0 41 1
2010 32 13 8 1 4 1 44 15
2011 名古屋 8 33 9 0 0 3 0 36 9
2012 33 2 2 2 4 0 39 4
2013 28 3 2 0 1 0 31 3
2014 横浜FM 25 26 3 2 0 1 2 29 5
2015 19 3 3 0 3 0 25 3
2016 G大阪 13 0 5 0 1 0 19 0
2017
通算 日本 J1 291 51 47 8 28 6 366 65
日本 - - 3 1 3 1
総通算 291 51 47 8 31 7 369 66
  • 2005年は特別指定選手として出場

その他の公式戦

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 期間通算
出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 期間通算
2016 G大23 25 J3 4 2 4 2
通算 日本 J3 4 2 4 2
総通算 4 2 4 2
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2011 名古屋 8 7 3
2012 5 2
2014 横浜FM 25 4 0
2016 G大阪 4 0
通算 AFC 20 5

代表歴[編集]

出場大会[編集]

  • 2000年 U-16日本代表
  • 2001年 U-17世界選手権代表、U-18日本代表
  • 2005年 ユニバーシアード日本代表、U-21日本代表
  • 2007年 日本代表
    • 初cap 2007年3月24日ペルー戦

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 13試合 1得点(2007年 - 2012年)


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2007 4 0
2008 0 0
2009 0 0
2010 2 0
2011 4 0
2012 3 1
通算 13 1

ゴール[編集]

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2012年2月24日 日本大阪 アイスランドの旗 アイスランド ○3-1 キリンチャレンジカップ

タイトル[編集]

個人

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 「新世代の肖像」藤本淳吾 エスパルスの10番は代表で生き残れるか。”. number (2007年5月31日). 2016年1月16日閲覧。
  2. ^ 藤本淳吾選手 移籍加入のお知らせ”. 横浜F・マリノス (2013年1月8日). 2014年1月9日閲覧。
  3. ^ 藤本は悩んでいた。難しい決断だった。[藤本淳吾、ガンバ大阪へ完全移籍藤井雅彦] ザ・ヨコハマ・エクスプレス 2016年1月11日
  4. ^ 藤本 淳吾選手 ガンバ大阪へ完全移籍のお知らせ”. ガンバ大阪 (2016年1月11日). 2016年1月11日閲覧。
  5. ^ 藤本淳吾選手 ガンバ大阪へ完全移籍のお知らせ”. 横浜F・マリノス (2016年1月11日). 2016年1月11日閲覧。

外部リンク[編集]