サッカーヨルダン代表
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国または地域 | ヨルダン | |||
協会 | ヨルダンサッカー協会 | |||
FIFAコード | JOR | |||
愛称 |
النشامى (The Chivalrous Ones) | |||
監督 | フセイン・アムタ | |||
キャプテン | バハー・アブドッラフマーン | |||
最多出場選手 | アーメル・シャフィーア(173試合) | |||
最多得点選手 | ハムゼ・アッ=ダルドゥール(32得点) | |||
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初の国際試合 | ||||
シリア 3 - 1 ヨルダン (アレクサンドリア, 1953年8月1日) | ||||
最大差勝利試合 | ||||
ヨルダン 9 - 0 ネパール (アンマン, 2011年7月23日) | ||||
最大差敗戦試合 | ||||
レバノン 6 - 0 ヨルダン (ベイルート, 1957年10月22日) 中華人民共和国 6 - 0 ヨルダン (広州市, 1984年9月15日) 日本 6 - 0 ヨルダン (さいたま市, 2012年6月8日) ノルウェー 6 - 0 ヨルダン (オスロ, 2023年9月7日) | ||||
FIFAワールドカップ | ||||
出場回数 | 0回 | |||
最高成績 | - | |||
AFCアジアカップ | ||||
出場回数 | 5回 | |||
最高成績 | 準優勝 (2023) | |||
サッカーヨルダン代表(サッカーヨルダンだいひょう)は、ヨルダンサッカー協会(JFA)によって構成される、ヨルダンのサッカーのナショナルチームである。ホームスタジアムは、首都アンマンにあるアンマン国際スタジアムとキング・アブドゥッラー・スタジアム。
概要
[編集]FIFAワールドカップの本大会への出場はまだないものの、AFCアジアカップでは2004年大会、2011年大会、2019年大会、2023年大会で決勝トーナメント進出を果たしている。特に、2004年大会は初出場でのベスト8進出であり[1]、準々決勝で敗退したが前回大会の覇者日本に対しPK戦まで持ち込んだ[2]。
歴史
[編集]1953年、ヨルダン代表の初の国際試合がエジプトで行われ、シリアに1-3で敗れた。FIFAワールドカップには1986年大会・予選から参加しているが、本大会出場には至っていない。
1997年、1999年のパンアラブ競技大会で連続優勝を果たすも、ワールドカップ予選では1998年大会、2002年大会でそれぞれ1次予選敗退と、早期敗退が続いた。
2002年、代表監督にエジプト出身のマハムード・エル=ゴハリが就任すると、マハムードに率いられたヨルダンは、順調にAFCアジアカップ2004・予選を勝ち抜いた。
翌年、中国で開催された本大会ではグループリーグを1勝2分で突破。準々決勝では前回大会王者の日本と対戦となった。120分で1-1と決着が着かずPK戦に突入したが、これに敗れベスト8となった。同年、FIFAランキングでは過去最高位となる37位を記録している。
2006 FIFAワールドカップ・アジア1次予選では同組のイランをアウェーで下したが、ホームで敗れるなど競り負け、初の最終予選進出はならなかった。AFCアジアカップ2007・予選では前回大会の成績によりポットAに属していたにもかかわらず、UAE、オマーンに次ぐグループ3位に終わり、本大会出場権を得られなかった。
AFCアジアカップ2011(カタール開催)では、1次リーグで日本と引き分ける[3]など、勝ち点7を獲得し2大会ぶりにベスト8進出を果たした。
2014年W杯アジア予選では4次予選を終えB組3位の成績でA組3位のウズベキスタンとアジア第5代表の座を争う5次予選に進出した。そのプレーオフでは2試合合計2-2で延長戦でも決着が着かずPK戦となったが、そのPK戦に9-8と勝利し大陸間プレーオフへ進出した。その大陸間プレーオフでは南米予選5位のウルグアイと1敗1分、合計スコア0-5で敗れ本大会出場はならなかった。
2018年W杯アジア予選では2次予選で同組のオーストラリアに対しホームで2-0と勝利するなどグループ2位につけたが、各組2位中の上位4か国に入れず2次予選で敗退した。
AFCアジアカップ2023では初戦のマレーシア戦で前半に3得点を挙げるなど4-0で快勝すると、続く韓国戦では前半9分にソン・フンミンにPKから得点を奪われるも前半終了間際に逆転ゴールを決めたヤザン・アル・ナイマトの活躍もあり、勝点1を獲得した。3戦目のバーレーン戦は前半34分にアブドゥラー・ユスフ・ヘラルに先制ゴールを決められそのまま0-1で敗れグループE3位に転落したが、各組3位チームの1位に入ったことでグループリーグ突破が確定。決勝トーナメント1回戦で日本に勝利し3連勝でグループD1位通過を決めたイラクと対戦した。前半終了間際にアイマトが先制ゴールを決め、76分にアイマン・フセインのゴールによって一時逆転されるも、試合終了間際の連続ゴールで逆転し大逆転で3大会ぶりに準々決勝に進出。準々決勝はこの大会初出場のタジキスタンと対戦し66分にバフダト・ハノノフのオウンゴールで先制点を奪い、そのまま逃げ切って初のベスト4進出を決めた。準決勝はグループリーグ第2戦の再戦となった韓国と対戦し、53分にナイマトの先制ゴールなど後半に2点を奪って初の決勝進出を果たした[4]。決勝は2019年大会優勝かつ開催国のカタールと対戦した。前半22分にアクラム・アフィーフにPKを決められ先制点を奪われるも、67分にアイマトが同点ゴールを決める。しかし、その後にアフィーフにPKから2得点を奪われヨルダン史上初のアジアカップ優勝にあと一歩届かなかった[5]。
成績
[編集]FIFAワールドカップ
[編集]- 1950年 - 不参加
- 1954年 - 不参加
- 1958年 - 不参加
- 1962年 - 不参加
- 1966年 - 不参加
- 1970年 - 不参加
- 1974年 - 不参加
- 1978年 - 不参加
- 1982年 - 不参加
- 1986年 - 予選敗退
- 1990年 - 予選敗退
- 1994年 - 予選敗退
- 1998年 - 予選敗退
- 2002年 - 予選敗退
- 2006年 - 予選敗退
- 2010年 - 予選敗退
- 2014年 - 予選敗退
- 2018年 - 予選敗退
- 2022年 - 予選敗退
AFCアジアカップ
[編集]開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
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1956 | 不参加 | ||||||
1960 | |||||||
1964 | |||||||
1968 | |||||||
1972 | 予選敗退 | ||||||
1976 | 不参加 | ||||||
1980 | |||||||
1984 | 予選敗退 | ||||||
1988 | |||||||
1992 | 不参加 | ||||||
1996 | 予選敗退 | ||||||
2000 | |||||||
2004 | ベスト8 | 4 | 1 | 3 | 0 | 3 | 1 |
2007 | 予選敗退 | ||||||
2011 | ベスト8 | 4 | 2 | 1 | 1 | 5 | 4 |
2015 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 0 | 2 | 5 | 4 |
2019 | ベスト16 | 4 | 3 | 1 | 0 | 4 | 1 |
2023 | 準優勝 | 7 | 4 | 1 | 2 | 13 | 8 |
合計 | 5/18 | 22 | 11 | 6 | 5 | 30 | 18 |
西アジアサッカー選手権
[編集]開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 | 得失点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2000 | 4位 | 4 | 1 | 2 | 1 | 3 | 4 | -1 |
2002 | 準優勝 | 4 | 3 | 0 | 1 | 6 | 4 | +2 |
2004 | 3位 | 4 | 2 | 1 | 1 | 7 | 3 | +4 |
2007 | ベスト4 | 3 | 1 | 0 | 2 | 3 | 2 | +1 |
2008 | 準優勝 | 4 | 2 | 1 | 1 | 7 | 3 | +4 |
2010 | グループリーグ敗退 | 2 | 0 | 2 | 0 | 3 | 3 | 0 |
2012 | 2 | 0 | 0 | 2 | 1 | 3 | -2 | |
2014 | 準優勝 | 4 | 2 | 1 | 1 | 3 | 3 | 0 |
2019 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 1 | 1 | 4 | 2 | +2 |
合計 | 9/9 | 30 | 12 | 8 | 10 | 37 | 27 | +10 |
アラブカップ
[編集]開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
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1963 | グループリーグ敗退 | 4 | 0 | 0 | 4 | 1 | 14 |
1964 | 4 | 0 | 1 | 3 | 3 | 10 | |
1966 | 4 | 1 | 1 | 2 | 6 | 7 | |
1985 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 6 | |
1988 | 4位 | 6 | 2 | 1 | 3 | 4 | 7 |
1992 | グループリーグ敗退 | 2 | 0 | 0 | 2 | 2 | 5 |
1998 | 2 | 1 | 0 | 1 | 2 | 3 | |
2002 | ベスト4 | 5 | 2 | 2 | 1 | 7 | 6 |
2012 | 不参加 | ||||||
2021 | ベスト8 | 4 | 2 | 0 | 2 | 7 | 8 |
合計 | 9/10 | 33 | 8 | 5 | 20 | 32 | 66 |
パンアラブ競技大会
[編集]開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 | 得失点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1953 | 4位 | 3 | 1 | 0 | 2 | 7 | 7 | 0 |
1957 | グループリーグ敗退 | 2 | 0 | 0 | 2 | 2 | 5 | -3 |
1961 | 2 | 0 | 1 | 1 | 2 | 4 | -2 | |
1965 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 3 | -3 | |
1976 | 2 | 0 | 1 | 1 | 2 | 3 | -1 | |
1985 | 2 | 0 | 0 | 2 | 1 | 4 | -3 | |
1992 | 2 | 0 | 1 | 1 | 2 | 5 | -3 | |
1997 | 優勝 | 5 | 4 | 1 | 0 | 7 | 2 | +5 |
1999 | 7 | 6 | 0 | 1 | 18 | 7 | +11 | |
2007 | 不参加 | |||||||
2011 | 準優勝 | 5 | 2 | 2 | 1 | 6 | 2 | +4 |
合計 | 10/11 | 32 | 13 | 6 | 13 | 47 | 42 | +5 |
歴代監督
[編集]名前 | 国籍 | 期間 |
---|---|---|
ダニー・マクレナン | 1984 | |
エジソン・アラウージョ・タヴァレス | 1986 | |
ムハンマド・アワド | 1992-2000 | |
ブランコ・スミリャニッチ | 2000-2002 | |
マハムード・エル=ゴハリ | 2002-2007 | |
ネロ・ヴィンガダ | 2007-2009 | |
アドナーン・ハマド | 2009-2013 | |
ホサーム・ハサン | 2013-2014 | |
レイ・ウィルキンス | 2014-2015 | |
アハマド・アブドゥルカーディル | 2015 | |
ポール・ピュト | 2015-2016 | |
アブドッラー・アブー・ゼマア | 2016 | |
ハリー・レドナップ | 2016 | |
アブドッラー・アブー・ゼマア | 2016 | |
アブドッラー・メスフェル | 2016-2017 | |
ジャマール・アブー・アービド | 2017-2018 | |
フィタル・ボルケルマンス | 2018-2021 | |
アドナーン・ハマド | 2021-2023 | |
フセイン・アムタ | 2023- |
歴代選手
[編集]GK
[編集]DF
[編集]MF
[編集]FW
[編集]脚注
[編集]- ^ “asahi.com : スポーツ サッカー日本代表:アジアカップ2004”. www.asahi.com. 2023年12月25日閲覧。
- ^ “asahi.com : スポーツ サッカー日本代表:アジアカップ2004”. www.asahi.com. 2023年12月25日閲覧。
- ^ “日本、ヨルダンとドロー サッカーアジア杯”. 日本経済新聞 (2011年1月10日). 2024年8月10日閲覧。
- ^ “ヨルダン、初のアジアカップ決勝進出! 16大会ぶりの優勝を目指した韓国は4強敗退”. サッカーキング (2024年2月6日). 2024年2月6日閲覧。
- ^ “アジアカップ初制覇逸も…ヨルダン指揮官「誇りしかない」「PKで非常に難しくなった」”. Goal.com (2024年2月11日). 2024年2月11日閲覧。