レイ・ウィルキンス

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レイ・ウィルキンス Football pictogram.svg
Ray Wilkins 18-10-2008 1.jpg
名前
本名 レイモンド・コリン・ウィルキンス
Raymond Colin Wilkins
ラテン文字 Ray Wilkins
基本情報
国籍 イングランドの旗 イングランド
生年月日 (1956-09-14) 1956年9月14日
出身地 ロンドン
没年月日 (2018-04-04) 2018年4月4日(61歳没)
身長 173cm
選手情報
ポジション MF
代表歴
1976-1986 イングランドの旗 イングランド [1] 84 (3)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

レイ・ウィルキンス MBERay Wilkins MBE, 1956年9月14日 - 2018年4月4日)は、イングランドロンドン出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF。父親のジョージ・ウィルキンス、兄弟であるグレアム、スティーヴンもサッカー選手である。

経歴[編集]

1973年チェルシーFCでデビュー。この時グレアム、スティーヴンもチェルシーに所属していたが、レイほどの活躍は出来なかった。チェルシーではタイトルにこそあまり恵まれなかったものの、1975年からは18歳の若さでキャプテンを任され、その翌年にはイングランド代表としても初招集を受けた。

その後、1979年マンチェスター・ユナイテッドFCへと移籍し、1983年FAカップコミュニティーシールドを獲得した。1984年ACミランへと移籍。しかし、ここでもタイトルには恵まれず、オランダトリオと入れ替わるようにパリ・サンジェルマンFCへと移籍した。その後に所属したレンジャーズFCでは、リーグ優勝、スコティッシュリーグカップ連覇などを手にした。1989年クイーンズ・パーク・レンジャーズへと移籍し、5年間を同クラブで過ごした。

そして、1994年に選手兼コーチとしてのオファーを受け、クリスタル・パレスFCの一員となった。しかし、そのデビュー戦で左足に怪我を負ってしまう。その怪我が癒えた後、再びクイーンズ・パーク・レンジャーズへ今度は選手兼任監督として加わった。2年後にウィコム・ワンダラーズFCへと移籍、その後もクラブを転々とし、翌年にレイトン・オリエントFCにて引退した。引退後は、1年間のみフラムFCの監督をしていた他、1998-2000シーズンはチェルシーのアシスタントコーチをしていた。

イングランド代表としては84試合キャップ。UEFA欧州選手権19801982 FIFAワールドカップ1986 FIFAワールドカップにも招集された。2014年9月にヨルダン代表チームの監督に就任したが、AFCアジアカップ2015終了後の2015年2月に退任した。

退任後はテレビやラジオの専門家として働いていたが重度のアルコール中毒を抱えており、4年間の運転免許停止の処分を受けた他、2016年には5週間のリハビリを受けた。2017年には心臓のパイパス手術を受けている。2018年4月4日、ロンドンのセントジョージ病院にて死去。61歳没[2]

所属クラブ[編集]

監督歴[編集]

  • 1994-1996 イングランドの旗 クイーンズ・パーク・レンジャーズFC(選手兼任)
  • 1997-1998 イングランドの旗 フラムFC
  • 2009 イングランドの旗 チェルシーFC(暫定監督)
  • 2014-2015 ヨルダンの旗 ヨルダン代表

出典[編集]