アントニオ・コンテ
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チェルシーFC監督時代(2017年2月) | ||||||
| 名前 | ||||||
| 本名 | Antonio Conte | |||||
| ラテン文字 | Antonio CONTE | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1969年7月31日(49歳) | |||||
| 出身地 | レッチェ | |||||
| 身長 | 178cm | |||||
| 体重 | 73kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | MF(CH,RSH) | |||||
| 利き足 | 右 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1985-1991 |
| 71 | (1) | |||
| 1991-2004 |
| 296 | (29) | |||
| 通算 | 367 | (30) | ||||
| 代表歴 | ||||||
| 1994-2000 |
| 20 | (2) | |||
| 監督歴 | ||||||
| 2005-2006 |
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| 2006-2007 |
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| 2007-2009 |
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| 2009-2010 |
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| 2010-2011 |
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| 2011-2014 |
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| 2014-2016 |
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| 2016-2018 |
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アントニオ・コンテ(Antonio Conte、1969年7月31日 - )は、イタリア・レッチェ出身の元同国代表のサッカー選手、同国代表のサッカー指導者で、元チェルシーFC監督。ポジションはMF。
目次
経歴[編集]
選手[編集]
生まれ故郷レッチェを本拠地とするUSレッチェで5年以上プレーした後、10年以上もの間、ユヴェントスFCに在籍し、チームのキャプテンを務めた。1992-93シーズンはUEFAカップ優勝、1994-95シーズンはリーグ優勝とコパイタリア優勝に、1995-96シーズンはチャンピオンズリーグ優勝に貢献。キャリアの晩年は右膝の故障により、左足一本でのプレーとなった。
代表では1994年にフィンランドとの親善試合で代表デビュー。アメリカW杯とEURO2000のメンバーに選出された。イタリアはコンテがメンバー入りした両大会も準優勝という成績を収めた。EURO1996はチャンピオンズリーグ決勝のアヤックス戦での怪我もあり代表入りを逃した。 中盤の守備的な選手であったが、特に2000年の欧州選手権のトルコ戦ではオーバーヘッドを決める活躍をみせた。
指導者[編集]
引退後は指導者の道へ進み、2006-07シーズンはセリエBのアレッツォで監督を務めたが、成績不振により辞任した。2007年末には、セリエBのASバーリ監督に就任。2008-09シーズンにはチームをセリエA昇格に導き、古巣ユヴェントスの監督就任が噂されたが、バーリとの契約を延長した。しかし、直後に契約解除となる。その後、開幕4試合で解任されたアンジェロ・グレグッチの後任としてアタランタBCの監督に就任。しかし、2010年1月8日にチームの不振が原因で監督を辞任した。わずか3ヶ月半の在任だった。その後2010年5月にセリエBのACシエナの監督に就任。2トップに加え、両ウイングを配した「4-2-4」システムを用い、シエナをわずか1年でセリエA復帰に貢献した。
ユヴェントス[編集]
2011年5月、解任されたルイジ・デルネーリの後任として古巣のユヴェントスFCの監督就任が決定。就任当初は懐疑的な声が上がったものの、「闘将」とよばれた現役時代と同様にチームをタッチライン際で鼓舞する姿を見せ、2002-03シーズン以来(カルチョポリで剥奪されたタイトルを含めると2005-06以来)のセリエA優勝、しかも23勝15分という無敗での優勝に導いた。2012年5月、2013年までの契約を2015年まで延長した。
ACシエナ時代に八百長を知りながら告発しなかった罪に問われ、裁定の結果10か月の資格停止処分を受けた(その後処分は4ヶ月に短縮)[1]。復帰するとハンデをものともせず、2012-13シーズンも優勝し、さらに2013-14シーズンのセリエAも優勝し3連覇を達成し、さらに勝点102という欧州記録を達成した。
2014年7月15日、ユヴェントスの監督を退任したことがクラブの公式サイトで発表された[2]。
イタリア代表[編集]
2014年8月14日、イタリア代表の監督に就任した[3]。 自身初のナショナルチームの監督就任である。 UEFA EURO 2016出場に導くものの、2016年3月、イタリアサッカー協会は、UEFA EURO 2016終了後にアントニオ・コンテ監督が退任すると発表。同大会ではラウンドオブ16でスペインに勝利し同チームの大会3連覇を阻止し、イタリア代表をベスト8に導いた。
チェルシーFC[編集]
2016年4月4日、2015-16シーズンは10位に低迷したチェルシーFCの監督就任が決定。契約は3年間。
序盤戦は強豪であるリバプールとアーセナルに完敗し解任報道も出たが、その後3バックを導入しクラブ新記録となる13連勝を記録した。また、プレミアリーグ史上初となる月間最優秀監督賞を3ヶ月連続で受賞した。
後半戦はややペースダウンしたものの、首位をキープし、2017年5月12日のアウェーでのウエストブロミッチ戦で1-0で勝利し、チェルシーFCの2年ぶりの優勝を決めた。
しかし、翌2017-18シーズンは5位で終了。FAカップこそ優勝したものの、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を逃した責任を取らされ、2018年7月14日に解任された。
私生活[編集]
2013年6月10日、10年間にわたって交際していたイタリア人女性と結婚。2人の間には娘がいる[4]。
代表歴[編集]
タイトル[編集]
選手[編集]
- ユヴェントス
- セリエA:5回(1994-95, 1995-97, 1998-99, 2001-02, 2002-03)
- コッパ・イタリア:1回(1994-95)
- UEFAチャンピオンズリーグ:1回(1995-96)
- UEFAカップ:1回(1992-93)
- スーペルコッパ・イタリアーナ:4回(1995, 1997, 2002, 2003)
- インターコンチネンタルカップ:1回(1996)
- UEFAスーパーカップ:1回(1996)
- UEFAインタートトカップ:1回(1999)
指導者[編集]
クラブ[編集]
- ASバーリ
- セリエB:1回(2008-09)
- ユヴェントスFC
- セリエA:3回(2011-12, 2012-13, 2013-14)
- スーペルコッパ・イタリアーナ:2回(2012, 2013)
個人[編集]
- プレミアリーグ月間最優秀監督:3回(2016年10月、2016年11月、2016年12月)
監督成績[編集]
- 2018年7月13日現在
| クラブ | 就任 | 退任 | 記録 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 勝ち | 分け | 負け | 勝率 % | ||||
| アレッツォ | 2006年7月 | 2007年6月 | 12 | 3 | 5 | 4 | 25.00 | |
| バーリ | 2007年12月27日 | 2009年6月23日 | 67 | 32 | 20 | 15 | 47.76 | |
| アタランタ | 2009年9月21日 | 2010年1月7日 | 14 | 3 | 4 | 7 | 21.43 | |
| シエナ | 2010年7月1日 | 2011年5月21日 | 44 | 22 | 14 | 8 | 50.00 | |
| ユヴェントス | 2011年5月22日 | 2014年7月15日 | 152 | 102 | 35 | 15 | 67.11 | |
| イタリア代表 | 2014年8月14日 | 2016年7月2日 | 25 | 14 | 7 | 4 | 56.00 | |
| チェルシー | 2016年7月3日 | 2018年7月13日 | 106 | 69 | 17 | 20 | 65.09 | |
| 合計 | 419 | 244 | 102 | 73 | 58.23 | |||
脚注[編集]
- ^ Goal.com (2012年8月10日). “コンテに10カ月の停止処分”. 2012年9月6日閲覧。
- ^ Juventus.com (2014年7月15日). “Conte e Juventus: risoluzione del contratto”. 2014年7月16日閲覧。
- ^ Figc.it (2014年8月14日). “ANTONIO CONTE È IL NUOVO COMMISSARIO TECNICO: MARTEDÌ 19 ALLE ORE 11.30 LA CONFERENZA STAMPA”. 2014年8月15日閲覧。
- ^ http://www.soccer-king.jp/news/world/ita/20130611/115813.html
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