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クラウディオ・ラニエリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
クラウディオ・ラニエリ
カリアリ監督時代のラニエリ (2023年)
名前
愛称 アッジュスタトーレ (修理屋[1])
ラテン文字 Claudio RANIERI
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1951-10-20) 1951年10月20日(74歳)
出身地 ローマ
選手情報
ポジション DF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1973-1974 イタリアの旗 ローマ 6 (0)
1974-1982 イタリアの旗 カタンザーロ 225 (8)
1982-1984 イタリアの旗 カターニア 92 (1)
1984-1986 イタリアの旗 パレルモ 40 (0)
通算 363 (9)
監督歴
1986-1987 イタリアの旗 ラメーツィア
1987-1988 イタリアの旗 カンパニア州
1988 イタリアの旗 カンパニア
1988-1991 イタリアの旗 カリアリ
1991-1993 イタリアの旗 ナポリ
1993-1997 イタリアの旗 フィオレンティーナ
1997-1999 スペインの旗 バレンシア
1999-2000 スペインの旗 アトレティコ・マドリード
2000-2004 イングランドの旗 チェルシー
2004-2005 スペインの旗 バレンシア
2007 イタリアの旗 パルマ
2007-2009 イタリアの旗 ユヴェントス
2009-2011 イタリアの旗 ローマ
2011-2012 イタリアの旗 インテル
2012-2014 モナコの旗 モナコ
2014 ギリシャの旗 ギリシャ
2015-2017 イングランドの旗 レスター
2017-2018 フランスの旗 ナント
2018-2019 イングランドの旗 フラム
2019 イタリアの旗 ローマ
2019-2021 イタリアの旗 サンプドリア
2021-2022 イングランドの旗 ワトフォード
2022-2024 イタリアの旗 カリアリ
2024-2025 イタリアの旗 ローマ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

クラウディオ・ラニエリClaudio Ranieri1951年10月20日 - )は、イタリアローマ出身の元サッカー選手および指導者。現役時代のポジションはディフェンダー

選手経歴

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ローマ時代のラニエリ(1973年のパニーニ・ステッカーより)

1973年にASローマでプロデビュー。しかし、出場機会に恵まれず、2シーズンで6試合に出場したのみで移籍。その後はカタンザーロカターニアパレルモと渡り歩き、主にDFとしてプレー。1985-86シーズンを最後に引退した。

監督経歴

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キャリア初期

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1986年より監督としてのキャリアを開始。イタリア下部のチームを率いた後、1988年にカリアリの監督に就任した。同クラブをセリエC1からセリエAまで引き上げる。この実績が認められ、1991年にはナポリの監督に就任[2]。就任2年目に成績不振で解任されたが、衰えの見えていたディエゴ・マラドーナに代わり、若手だったジャンフランコ・ゾラの才能を見出した。1993年よりフィオレンティーナの指揮官に就任すると、セリエAへの昇格に成功。1996年にはコッパ・イタリア優勝に導いた[2]

バレンシア (第1期)

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1997年にはスペインに新天地を求め、バレンシアの監督に就任[2]カウンターアタックによる攻撃スタイルを確立し、2シーズンの間にバレンシアを上位争いに食い込むチームへと成長させた。また、人材の育成や獲得にも手腕を発揮。下部組織出身のガイスカ・メンディエタミゲル・アンヘル・アングロを育て、レアル・マドリードからサンティアゴ・カニサレスを獲得し正GKに据えた。

アトレティコ・マドリード

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1999年、アトレティコ・マドリードの監督に就任。しかし、勝ち点を伸ばすことができず、17位まで低迷した翌年3月に解任された[2]

チェルシー

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アトレティコ・マドリードの監督を経て、2000年にイングランドチェルシーFCの監督に就任[2]。ナポリ監督時代の教え子ゾラを中軸に据えつつ、フランク・ランパードウィリアム・ギャラスを獲得し、未来のキャプテンであるジョン・テリーを抜擢する一方で、ベテランのデニス・ワイズを放出するなどチームの改革に成功した。2003年夏にロマン・アブラモヴィッチが新オーナーになると、1億5,000万ユーロを投じる空前の大型補強が行われる。期待が高まる中で迎えた2003-04シーズンは、無敗で優勝したアーセナルに次ぐ国内リーグ2位、UEFAチャンピオンズリーグではアーセナルを破ってのベスト4と一定の結果を出したが、求められていたタイトル獲得はならず。ラニエリはシーズン終了と同時に解任され[2]ジョゼ・モウリーニョがその後釜に座ることになった。

バレンシア (第2期)

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2004年夏、バレンシアの監督に復帰[2]。開幕前にマルコ・ディ・ヴァイオステファノ・フィオーレエミリアーノ・モレッティといったイタリア人の戦力を集め話題になる。しかし、成績は振るわずシーズン途中の2005年2月に解任された[2]

パルマ

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パルマ時代

2年の空白期間を経て、2007年2月にパルマFCの監督に就任。冬の移籍市場で加入したジュゼッペ・ロッシの大活躍にも助けられ、就任時に18位だったチームを立て直し、最終的に12位まで順位を上げてセリエA残留に成功した[2]

ユヴェントス

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パルマとは契約を延長せず、翌2007-08シーズンよりセリエAに復帰するユヴェントスの指揮官に3年契約で迎えられる[3]。昇格直後のチームを率いてリーグ戦を3位で終え、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。

就任2年目の2008-09シーズンは、チャンピオンズリーグのグループステージでレアル・マドリードに連勝したものの、決勝トーナメント一回戦でチェルシーFCに敗北。国内リーグでも勝ちきれない試合が続き、2009年5月18日に解任された[4]

ローマ(第1期)

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2009年9月2日、開幕直後に辞任したルチアーノ・スパレッティの後任として、古巣であり出身地のクラブでもあるASローマの監督に就任[5]。実利優先の堅実なサッカーを導入し、チームを上昇気流に乗せることに成功[6]。優勝したインテルと勝ち点2差の2位でシーズンを終え、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を得た。しかし、翌シーズンは一転して不振に陥り、シーズン途中の2011年2月20日に辞任した[2]

インテル

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2011年9月22日、ジャン・ピエロ・ガスペリーニの後を受けてインテルの監督に就任した[2]。契約期間は2013年6月30日までの2年間。長友佑都、スナイデルなどの活躍により7連勝を挙げるなど一時は好調だったが、2012年1月末から9戦勝ちなし、UEFAチャンピオンズリーグもベスト16で敗退と低迷。ユヴェントスに0-2で敗れた後、解任された[7]

ASモナコ

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2012年5月、リーグ・ドゥASモナコの監督に就任。2012-13シーズンは1部昇格に導き、大量補強をした2013-14シーズンは2位に導きチャンピオンズリーグ出場権を得るものの、2014年5月に解任[2]

ギリシャ代表

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2014年のワールドカップ終了後にギリシャ代表監督に就任するが、成績不振により同年11月に解任[8]。公式戦の戦績は4試合で3敗1分け。UEFA EURO 2016予選は最下位に低迷していた。

レスター・シティ

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シーズン開幕前に電撃解任されたナイジェル・ピアソンの後を受け、2015-16シーズンから指揮をとった。ラニエリは監督就任すると真っ先に守備を整備し、シンプルなフォーメーション 442の堅守速攻[9]へと舵を切り、先発メンバーを固定し、基本と堅守を徹底し難しい戦術などは切り捨てた。プレミアリーグ新となる11戦連続ゴールを記録し[10]、叩き上げのFW ジェイミー・ヴァーディを活かすカウンター、岡崎慎司オフ・ザ・ボールの戦術などで手堅く勝ち点を積み重ね常勝していった。

ヴァーディはチームでの活躍を評価されナショナルチーム初招集を受けた。ダニー・ドリンクウォーターエンゴロ・カンテはこのシーズンのPFA年間最優秀選手賞を受賞した。リヤド・マフレズなどの進境著しい選手を率い、残留争いを演じていた前シーズンとは一転、シーズン前半から首位争いを演じた。シーズンを折り返した後も2位につけていた優勝争いの常連、マンチェスター・シティを敵地エティハド・スタジアムで破り[11]首位を守るなど好調を維持。2016年5月2日に優勝が確定、レスター・シティにクラブ創設133年目にして初のトップリーグタイトルをもたらす[12]とともに、自身も長年欧州各国の強豪チームの監督を務めたにもかかわらず無縁だったリーグタイトルを、初めて手にすることになった[13]

翌シーズンは、UEFAチャンピオンズリーグではグループステージを首位突破したものの、リーグ戦では降格圏に低迷。2017年2月23日、成績不振による解任が発表された[14]

ナント

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2017年6月12日、FCナントの監督に就任。シーズン終盤までは好調だったが、その後は勝ち星を得られず、最終試合を前に今シーズン限りでの退任を発表した[2]

フラム

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2018年11月14日、フラムFCの監督に就任した[15]。しかし、シーズン通じての悪い流れを変えることは出来ず、2019年2月28日に解任された[16]

ローマ(第2期)

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2019年3月8日、解任されたエウゼビオ・ディ・フランチェスコの後任として、ASローマの監督に就任[17]2018-19シーズン終了まで監督を務めた[2]

サンプドリア

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2019年10月12日、UCサンプドリアの監督に就任[18]。2020-21シーズン終了後に退任した[2]

ワトフォード

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2021年10月4日、ワトフォードFCの監督に就任した[19]。シーズン途中に就任したが不振に陥り、ノリッジ・シティ戦に0-3で敗れた後、2022年1月25日、解任が発表された[20]

カリアリ(第2期)

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2022年12月23日、解任されたファビオ・リベラー二の後任としてセリエBのカリアリ監督に就任、当時セリエC1だった1988年以来32シーズン振りの復帰であった。契約期間は2025年6月まで。

就任当初リーグ14位と低迷していたチームを立て直し、5位でセリエA昇格プレーオフに進出。決勝でSSCバーリに勝利し、1年で再昇格に導いた[21]

2024年に監督業の引退を表明し、2023-24シーズンをもって勇退した[22]

ローマ(第3期)

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2024年11月16日、廃業の身であったが低迷していた古巣ローマの立て直しを請われ、解任されたイヴァン・ユリッチの後任として監督に就任した[23]。以降はリーグ戦を16勝6分4敗という驚異的なV字回復で好転させ、UEFAヨーロッパリーグの出場権も手にした。

シーズン終了後にはクラブの上級管理職に就任し、スポーツ面でのオーナーのアドバイザーとなることも併せて発表された[24]

監督成績

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2025年5月30日現在
クラブ 就任 退任 記録
勝率
ラメーツィア イタリアの旗 1986年5月28日 1987年6月9日 3021814412+32070.00
ポッツオーリ イタリアの旗 1987年6月10日 1988年1月25日 2457121434−20020.83
ポッツオーリ イタリアの旗 1988年5月9日 1988年6月9日 4013311−8000.00
カリアリ イタリアの旗 1988年6月7日 1991年5月31日 12348482712698+28039.02
ナポリ イタリアの旗 1991年5月31日 1992年11月22日 552516149266+26045.45
フィオレンティーナ イタリアの旗 1993年9月19日 1997年6月3日 174765840266185+81043.68
バレンシア スペインの旗 1997年9月19日 1999年6月27日 96511827169106+63053.13
アトレティコ・マドリード スペインの旗 1999年6月29日 2000年2月3日 391610136353+10041.03
チェルシー イングランドの旗 2000年9月18日 2004年5月31日 1991074646358197+161053.77
バレンシア (第2期) スペインの旗 2004年6月16日 2005年2月25日 36159124841+7041.67
パルマ イタリアの旗 2007年2月13日 2007年5月31日 187652419+5038.89
ユヴェントス イタリアの旗 2007年6月4日 2009年5月18日 9346301716896+72049.46
ローマ イタリアの旗 2009年9月2日 2011年2月20日 84471621140103+37055.95
インテル イタリアの旗 2011年9月22日 2012年3月26日 35175134642+4048.57
モナコ フランスの旗 2012年5月30日 2014年5月20日 8851261115277+75057.95
ギリシャ代表 ギリシャの旗 2014年7月25日 2014年11月15日 401315−4000.00
レスター・シティ イングランドの旗 2015年6月15日 2017年2月23日 81362223119105+14044.44
ナント フランスの旗 2017年6月15日 2018年6月1日 411510164448−4036.59
フラム イングランドの旗 2018年11月14日 2019年2月28日 1733111634−18017.65
ローマ (第2期) イタリアの旗 2019年3月8日 2019年5月27日 126421712+5050.00
サンプドリア イタリアの旗 2019年10月12日 2021年6月30日 7227133299108−9037.50
ワトフォード イングランドの旗 2021年10月4日 2022年1月24日 1421111734−17014.29
カリアリ (第2期) イタリアの旗 2023年1月1日 2024年5月23日 652222218189−8033.85
ローマ (第3期) イタリアの旗 2024年11月14日 2025年5月 3622776132+29061.11
合計 1,4396653863882,1681,607+561046.21

タイトル

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クラブ

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ACFフィオレンティーナ
バレンシアCF
レスター・シティFC

個人

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関連書籍

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出典

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  1. “修理屋”ラニエリでもお手上げ!? インテルが直面する未曾有の危機。1 Number
  2. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 ワトフォードでの初陣は大敗…ラニエリ監督のキャリアを初陣で振り返る”. サッカーキング (2021年10月18日). 2021年10月18日閲覧。
  3. UEFA.com. ユベントスの選択はラニエリ氏”. UEFA.com. 2016年5月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年6月5日閲覧。
  4. ユヴェントスがラニエリ監督解任を発表”. www.goal.com (2009年5月19日). 2021年10月18日閲覧。
  5. ローマ監督就任を喜ぶラニエリ”. www.goal.com (2009年2月14日). 2021年10月18日閲覧。
  6. ローマを上昇気流に乗せたラニエリの手腕とは[リンク切れ]
  7. インテル、ついに監督交代 ラニエリ退任 | Goal.com”. www.goal.com (2012年3月27日). 2021年10月18日閲覧。
  8. ギリシャのラニエリ監督が解任、連盟が発表
  9. レスターが起こした“反革命”…覆された現代サッカーにおける6つの常識”. soccer-king.jp (2016年5月7日). 2016年5月7日閲覧。
  10. ヴァーディの連続得点記録がストップ…レスター、完封勝利で首位浮上”. サッカーキング (2015年12月6日). 2021年10月18日閲覧。
  11. 試合結果[リンク切れ]
  12. 岡崎レスター、プレミア初制覇!トットナム痛恨ドローで決定”. スポニチAnnex (2016年5月3日). 2016年5月7日閲覧。
  13. ラニエリ監督、自身初のリーグ制覇に「必ず成し遂げられると信じていた」”. sanspo.com (2016年5月3日). 2016年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年5月7日閲覧。
  14. “岡崎所属レスターがラニエリ監督を解任…奇跡の優勝から一転、今季は降格迫る低迷”. サッカーキング (サッカーキング SOCCERKING). (2017年2月24日) 2017年2月24日閲覧。
  15. 最下位フルアムがミラクル・レスターを率いたラニエリ監督を招へい!”. 超ワールドサッカー (2018年11月14日). 2018年11月14日閲覧。
  16. フルアムがラニエリ監督を解任! 暫定監督にコーチのスコット・パーカー氏が就任”. 超ワールドサッカー (2019年3月1日). 2019年3月1日閲覧。
  17. Claudio Ranieri takes charge at AS Roma (英語). www.asroma.com. 2019年5月31日閲覧。
  18. サンプドリア、ラニエリ氏の新指揮官就任を発表! 初陣は昨季指揮官を務めたローマ戦に”. 超ワールドサッカー (2019年10月13日). 2019年10月13日閲覧。
  19. ワトフォード、名将・ラニエリ氏を新監督に招へい!”. 超ワールドサッカー (2021年10月4日). 2021年10月5日閲覧。
  20. 19位に沈むワトフォード、成績不振でラニエリ監督を解任…約4カ月でわずか2勝に終わる”. 超ワールドサッカー (2022年1月25日). 2022年1月25日閲覧。
  21. カリアリを劇的セリエA復帰に導いたラニエリが感極まる…「サルデーニャの人々の勝利と昇格」”. CWS Brains【超ワールドサッカー】 (2023年6月12日). 2023年6月12日閲覧。
  22. サッカー=ラニエリ監督が引退表明、レスターで岡崎らとプレミア制覇”. ロイター (2024年5月25日). 2024年11月2日閲覧。
  23. Claudio Ranieri è il nuovo responsabile tecnico dell'AS Roma (イタリア語). AS Roma (2024年11月14日). 2024年11月19日閲覧。
  24. ローマ、“修理屋”ラニエリ監督の指揮官就任を正式発表!「おかえりなさい、ミステル!」”. Soccer-king (2024年11月14日). 2024年11月15日閲覧。

外部リンク

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