カルロ・アンチェロッティ

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カルロ・アンチェロッティ Football pictogram.svg
Carlo Ancelotti 2016 (cropped).jpg
2016年のアンチェロッティ
名前
愛称 カルレット
ラテン文字 Carlo Ancelotti
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1959-06-10) 1959年6月10日(63歳)
出身地 レッジョーロ
身長 179cm
体重 80kg
選手情報
ポジション MF(DMF)
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1976-1979 イタリアの旗 パルマ 55 (13)
1979-1987 イタリアの旗 ローマ 171 (12)
1987-1992 イタリアの旗 ミラン 112 (10)
通算 338 (35)
代表歴
1981-1991 イタリアの旗 イタリア 26 (1)
監督歴
1992-1995 イタリアの旗 イタリア代表 (アシスタント)
1995-1996 イタリアの旗 レッジャーナ
1996-1998 イタリアの旗 パルマ
1999-2001 イタリアの旗 ユヴェントス
2001-2009 イタリアの旗 ミラン
2009-2011 イングランドの旗 チェルシー
2011-2013 フランスの旗 パリ・サンジェルマン
2013-2015 スペインの旗 レアル・マドリード
2016-2017 ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン
2018-2019 イタリアの旗 ナポリ
2019-2021 イングランドの旗 エヴァートン
2021- スペインの旗 レアル・マドリード
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

カルロ・アンチェロッティCarlo Ancelotti, 1959年6月10日 - )は、イタリアレッジョ・エミリア県レッジョーロ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。レアル・マドリードの監督を務める。元イタリア代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー

概要[編集]

1959年レッジョーロにて誕生。現役時代はASローマACミランでプレーし、ハードなプレースタイルからタイガーとあだ名がついた[1]。現役引退後の1995年より指導者に転身、監督としての指導スタイルは、選手との対話や関係を良好に保つことを重視する[2]

2022年現在、UEFAチャンピオンズリーグ優勝回数は4回で、監督としては最多記録である。またミラン時代のセリエA(2004年)、チェルシー時代のプレミアリーグ(2010年)、パリ・サンジェルマン時代のリーグ・アン(2013年)、バイエルン・ミュンヘン時代のブンデスリーガ(2016年)、第二次レアル・マドリード時代のラ・リーガ(2021年)と5大リーグ制覇を達成した史上初の監督となっている。

息子のダビデ・アンチェロッティもサッカー指導者で、2012年からカルロの元でスタッフに加わっており、2021年に監督に就任したレアル・マドリードではアシスタントコーチを務めている。

選手経歴[編集]

下部リーグの弱小クラブであったパルマACでキャリアをスタートする。1979年にASローマに移籍し、9月23日、第2節のペスカーラ戦でセリエA初ゴールを決めた[3]。1982-83シーズンにスクデットを獲得。1983-84シーズン、12月4日のユヴェントス戦で試合途中に負傷し長期離脱、チームはチャンピオンズカップで決勝に進出したが、怪我の影響で決勝のリヴァプール戦は欠場した[4]。この後は主将も務めた。ローマでは227試合17ゴールの成績を残し[4]、2014年にはチームの殿堂入りを果たしている。

1987-88シーズン、ローマは放出を渋ったことから、移籍期限終了間際に、当時としては大金であった移籍金約5億円でACミランに移籍[1]、同シーズンには自身2度目のセリエA優勝を果たした。1988-89シーズン、UEFAチャンピオンズカップ準決勝のレアル・マドリード戦2ndレグではミドルシュートで先制点を挙げ[1]、チームを5-0の勝利に導き[3]、決勝でもスタメンで出場して優勝、同年のトヨタカップでも優勝した。1989-90シーズンのUEFAチャンピオンズカップでもレギュラーとして活躍、ミランの同大会2連覇に貢献した。1991-92シーズン、ベンチスタートになることも多くなり、リーグ優勝を置き土産に現役を引退、ホーム最終節のヴェローナ戦で2得点を記録した[3]

イタリア代表としては1986年、メキシコワールドカップでは代表入りしたが出場は無かった。1988年、ユーロドイツ大会に出場、1990年、イタリアワールドカップでは主に控えであったが、3位決定戦ではスタメンで出場を果たしている。

監督経歴[編集]

イタリア代表〜ACレッジャーナ[編集]

現役引退後の1992年にイタリア代表のアシスタントコーチとして指導者としてのキャリアをスタートさせる。当時の代表監督はミラン時代の恩師で、ゾーンプレスの生みの親と知られるアリゴ・サッキで、サッキの下で守備戦術の構築などの薫陶を受ける。1995年、セリエBACレッジャーナ1919監督に就任、1シーズンでセリエA昇格を果たす。

パルマFC[編集]

このシーズン限りで退任し、現役時代キャリアをスタートさせたパルマFCの指揮を執る。パルマはビッグクラブに変貌しており、各国の代表選手を纏め上げて1997年には強豪のインテルSSラツィオなどを抑えユヴェントスFCに次ぐ2位に導いた。

ユヴェントスFC[編集]

成績不振で解任されたマルチェロ・リッピの後を受け、1998年のシーズン途中にユヴェントスFCの監督に就任。1999-2000シーズンはチームを見事に立て直し、最終節のACペルージャ戦に勝てば優勝できたのだが、ここでまさかの敗北を喫して2位に終わる。2000-01シーズンも最終節でASローマに逃げ切られ2位。これでパルマFC時代と合わせ3回目の2位となりシルバーコレクターと揶揄される。ヨーロッパカップ戦においても結果を残せなかった為、このシーズン限りで解任された。

ACミラン[編集]

ミラン時代(2007年)

フリーの身となっていた2001-02シーズン途中、成績不振の古巣ACミランの監督に就任。2002-03シーズン、2006-07シーズンにはミランでUEFAチャンピオンズリーグ制覇を果たした。これにより選手、監督両方でUEFAチャンピオンズリーグを制覇した4人目の人物となった。なお、ACミランと契約する直前までパルマの監督就任が濃厚と報じられていたが、パルマと契約交渉する日の午前中にACミランとの契約に合意し、ACミランの監督に就任したという逸話がある(パルマとはその日の午後に交渉予定であった)。ACミランでは8年にわたり監督を務める長期政権になった。8年間安定した成績を収めUEFAチャンピオンズリーグでも常に上位に進出した。

チェルシーFC[編集]

チェルシーのキャプテンであるジョン・テリーと優勝を喜ぶアンチェロッティ

2009年6月1日、イングランドプレミアリーグのチェルシーの監督に就任した[5]。就任後、初の公式戦となったFAコミュニティ・シールドで、プレミア王者のマンチェスター・ユナイテッドをPK戦の末に倒し、自身の指導者としてのキャリアではイタリア国外で初となるタイトルを獲得した。2009-10シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは因縁の相手インテル[6]に敗れてベスト16に終わったが、リーグ戦では2度目の得点王に輝いたドログバが29ゴール、ミッドフィールダーのランパードが22ゴールを挙げたのを筆頭に当時プレミアリーグ史上最多の103ゴールに物を言わせた圧倒的な得点力を武器に最終節まで優勝争いが縺れた末に4シーズンぶりの優勝をもたらし、連覇を目指したFAカップも優勝。監督に就任して最初のシーズンで二冠を手にした。

しかし翌2010-11シーズンはケガ人が続出してシーズン半ばにチームが不振に陥った。冬の移籍市場でフェルナンド・トーレスダビド・ルイスを獲得し巻き返しをはかったが、ダビド・ルイスがチームにフィットした一方で5000万ユーロ(当時の為替レートで約70億円)という英国史上最高額の移籍金で加入したフェルナンド・トーレスを取り込む為の試行錯誤に手間取ったのが、当時首位を走っていたマンチェスター・ユナイテッド追撃への足枷となり、結局無冠、シーズン終了後に解任された[7][8]

パリ・サンジェルマンFC[編集]

2011年12月30日、ACミランで同僚だったレオナルドスポーツディレクターに誘われ、パリ・サンジェルマンFC監督に就任[9]。契約は2年半。2年目の2012-13シーズン、クラブは総額180億円の巨費を投じてブラジル代表チアゴ・シウバスウェーデン代表イブラヒモビッチアルゼンチン代表ラベッシ等を獲得。リーグ最多の69得点とリーグ最少の23失点で19年ぶり3回目のリーグ優勝。2012-13シーズンのUEFAチャンピオンズリーグではチーム史上最高のベスト8に導いた。

レアル・マドリード[編集]

2013年6月25日、レアル・マドリードの監督就任が発表された。契約は3年間[10]。2014年4月17日、コパ・デル・レイ決勝でFCバルセロナを破り、国王杯優勝を果たした。リーガではアトレティコ・マドリード、FCバルセロナとの混戦の末に優勝を逃し、2001-02シーズン以来13年ぶりの3位に沈んだ。チャンピオンズリーグでは準決勝でバイエルン・ミュンヘンと対戦。対戦前の通算成績では7勝11敗と相性が良いとは言えず、アウェイでは1引き分け全敗している前回王者相手に2連勝を飾った。これによりアリアンツアレーナで勝利した史上初の監督となる。初の同都市(マドリード)を本拠地とする対戦となったアトレティコ・マドリードとの決勝では、延長戦の末4-1で下しチャンピオンズリーグ優勝果たした。レアル・マドリードは記念すべき10度目の優勝(デシマ)、自身としては監督としてCL3度目の優勝となり、ボブ・ペイズリーと並び最多タイとなった。

2年目の14-15シーズン、前半戦はサッカー史上3番目の記録となる22連勝を果たすなど好調であったが後半戦に入ると失速した。また昨季CLで直接対決を制したアトレティコ・マドリードが最大の障壁となり、対決が実現した大会ではスーペルコパ・デ・エスパーニャ、連覇を目指した国王杯のタイトルをいずれも逃し、リーグ戦のアウェーゲームにおいては0-4の大敗を喫している。一方で、ベスト8で激突したチャンピオンズリーグでは2ndレグで1-0で勝利して準決勝に進出し、8試合目にして雪辱を果たした。しかし、準決勝ではユヴェントスに合計スコア2-3で敗戦。ベスト4で敗退し、史上初の連覇には失敗した。また、リーグ戦では審判への侮辱行為によって残り試合のベンチ入り禁止処分を受け、一足先にシーズンを終えることとなった。リーガ・エスパニョーラでも最終的に宿敵バルセロナに優勝を譲り、UEFAスーパーカップFIFAクラブワールドカップは制覇したものの主要タイトルでは無冠で終了、シーズン終了後に解任された[11]

FCバイエルン・ミュンヘン[編集]

2015年12月20日、2016-2017シーズンからFCバイエルン・ミュンヘンの指揮を取ることが発表された。2016-17シーズンはリーグ5連覇を果たしたものの、DFBポカールは準決勝でボルシア・ドルトムントに敗れベスト4、CLは準々決勝で王者レアル・マドリードに延長戦の末敗れベスト8に終わった。2017-18シーズンは、夏の移籍市場で自身が獲得を望んだハメス・ロドリゲスを獲得するなどしたが、第3節のホッフェンハイム戦で敗戦するなど不調が目立ち、CLグループステージ第2節のパリ・サンジェルマン戦において0-3で敗戦した直後の2017年9月28日、成績不振のため解任された[12]。バイエルン会長のウリ・ヘーネスはアンチェロッティと一部の主力選手との間に確執があったと告白している[13]。2017年12月、イタリア代表監督の候補として名前が挙がったが、本人は「代表監督就任は職業を変えることを意味する。クラブの監督を続けたい」との理由で拒否している[14]

SSCナポリ[編集]

2018年5月23日、SSCナポリと3年契約で監督に就任することが発表された[15]。就任1年目の2018-2019シーズンは、前年にマウリツィオ・サッリが作り上げたチームを引き継ぎリーグ戦2位という好成績を修めたが、悲願の優勝を目指して大型補強を行った2年目の2019-2020シーズンは序盤からよもやの不振に陥り、さらに2019年11月に起きた合宿ボイコット騒動(成績不振に激怒したアウレリオ・デ・ラウレンティス会長がチームに緊急合宿を命じたものの、一部の主力選手が拒否して帰宅。アンチェロッティも首脳陣の意に反して緊急合宿には同意しなかったと報じられている)を機にチーム幹部らとの確執に発展、2019年12月10日、成績不振を理由に解任が発表された。

エヴァートンFC[編集]

2019年12月21日、エヴァートンFCの監督に就任した[16]。契約期間は2024年6月までとなる。エバートン監督就任後は、ドミニク・キャルバート=ルーウィンをエースに抜擢したり、2020年夏には古巣のナポリとレアル・マドリードから教え子のアランハメス・ロドリゲスを獲得するなどした。

レアル・マドリード復帰[編集]

2021年6月1日、レアル・マドリードの監督に電撃復帰した事が発表された[17][18]。契約期間は3年間。2013年からの第一次政権時から旧知のメンバーが多く残っていたこともあって、即座にチームを掌握、ベテランだけでなく、ヴィニシウス・ジュニオールを始めとする若手選手も積極的に起用するなどして、ヴィニシウスの才能を開花させた。2022年5月1日に7年前には果たせなかったラ・リーガ制覇を果たしミラン時代のセリエA(2004年)、チェルシー時代のプレミアリーグ(2010年)、パリ・サンジェルマン時代のリーグ・アン(2013年)、バイエルン時代のブンデスリーガ(2016年)に続いて監督史上初の5大リーグ制覇を果たした[19]。またUEFAチャンピオンズリーグでも前評判は高くなかったものの、決勝トーナメントでは、パリ・サンジェルマンFC、チェルシーFC、マンチェスター・シティFCに三戦連続逆転勝利した勢いのまま、5月28日に行われた決勝戦でリヴァプールFCを破って、4年ぶり14回目のUEFAチャンピオンズリーグ優勝に導き、自身が持つ最多記録を更新する4回目の戴冠となった。これらの功績が認められて、2021-2022シーズンのUEFA年間最優秀監督賞を受賞。

個人成績[編集]

クラブでの出場記録[編集]

シーズン クラブ リーグ 国内リーグ 国内カップ 欧州カップ その他 通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
1976–77 パルマFC セリエC 1 0 1 0
1977–78 21 8 21 9
1978–79 セリエC1 33 5 33 5
1979–80 ASローマ セリエA 27 3 9 0 36 3
1980–81 29 2 6 2 2 1 37 5
1981–82 5 0 0 0 3 1 8 1
1982–83 23 2 3 0 6 0 32 2
1983–84 9 0 5 0 4 0 18 0
1984–85 22 3 2 0 3 0 27 3
1985–86 29 0 4 0 33 0
1986–87 27 2 7 1 2 0 36 3
1987–88 ACミラン セリエA 27 2 7 0 4 0 38 2
1988–89 28 2 2 0 7 1 1 0 38 3
1989–90 24 3 4 0 6 0 1 0 35 3
1990–91 21 1 4 0 4 0 2 0 31 1
1991–92 12 2 6 0 18 2
通算 パルマFC 55 13 55 13
ASローマ 171 12 36 3 20 2 227 17
ACミラン 112 10 23 0 21 1 4 0 160 11
総通算 338 35 59 3 41 3 4 0 442 41


試合数[編集]

国際Aマッチ 26試合 1得点(1981年-1991年)


イタリア代表国際Aマッチ
出場得点
1981 4 1
1982 - -
1983 4 0
1984 - -
1985 - -
1986 5 0
1987 3 0
1988 5 0
1989 0 0
1990 4 0
1991 1 0
通算 26 1

指導者としての成績[編集]

2022年4月6日時点[20]
クラブ 就任 退任 記録
勝率
ACレッジャーナ1919 1995年8月1日 1996年5月31日 41 17 14 10 45 36 +9 041.46
パルマFC 1996年8月1日 1998年5月31日 87 42 27 18 124 85 +39 048.28
ユヴェントスFC 1999年2月9日 2001年5月31日 114 63 33 18 185 101 +84 055.26
ACミラン 2001年11月6日 2009年5月31日 420 238 101 81 690 357 +333 056.67
チェルシーFC 2009年7月1日 2011年5月22日 109 67 20 22 241 94 +147 061.47
パリ・サンジェルマンFC 2011年12月30日 2013年7月1日 77 49 19 9 153 64 +89 063.64
レアル・マドリード 2013年6月25日 2015年5月25日 119 89 14 16 323 103 +220 074.79
FCバイエルン・ミュンヘン 2016年7月1日 2017年9月26日 60 42 9 9 156 50 +106 070.00
SSCナポリ 2018年7月1日 2019年12月10日 73 38 19 16 127 73 +54 052.05
エヴァートンFC 2019年12月21日 2021年6月1日 67 31 14 22 93 88 +5 046.27
レアル・マドリード 2021年6月1日 44 32 6 6 91 37 +54 072.73
通算 1,105 647 256 202 2,047 964 +1083 058.55

タイトル[編集]

選手時代[編集]

クラブ[編集]

ASローマ
ACミラン

指導者時代[編集]

クラブ[編集]

ACミラン
チェルシーFC
パリ・サンジェルマンFC
レアル・マドリード
バイエルン・ミュンヘン

個人[編集]

著書[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c トヨタカップ 1989年 大会公式パンフレット p.26-27
  2. ^ 片野道朗 『会長&オーナー "転がし"ならお手のもの』(月間フットボリスタ第1号)footballista、2013年8月12日、39頁。 
  3. ^ a b c Carlo Ancelotti Tutti gol” (英語). transfermarket.com. 2020年8月21日閲覧。
  4. ^ a b Carlo Ancelotti” (イタリア語). www.asroma.com. 2020年8月21日閲覧。
  5. ^ “アンチェロッティ氏、チェルシーの新監督に”. ロイター. (2009年6月2日). http://jp.reuters.com/article/sportsNews/idJPJAPAN-38341620090602 2012年1月2日閲覧。 
  6. ^ ACミラン時代のライバルであるだけでなく、インテルの監督は元チェルシーの監督ジョゼ・モウリーニョだった。
  7. ^ “チェルシーがアンチェロッティ監督を解任”. UEFA.com. (2011年5月22日). http://jp.uefa.com/memberassociations/association=eng/news/newsid=1634053.html 2012年1月2日閲覧。 
  8. ^ “チェルシー アンチェロッティ監督の解任を発表”. AFP BB News. (2011年5月23日). http://www.afpbb.com/article/sports/soccer/uk/2801911/7252711 2012年1月2日閲覧。 
  9. ^ “PSG新監督にアンチェロッティ氏”. UEFA.com. (2011年12月31日). http://jp.uefa.com/memberassociations/association=fra/news/newsid=1738429.html 2012年1月2日閲覧。 
  10. ^ “マドリー新監督にアンチェロッティ氏”. UEFA.com. (2013年6月25日). http://jp.uefa.com/uefachampionsleague/news/newsid=1966956.html 2013年6月26日閲覧。 
  11. ^ “レアル・マドリー、アンチェロッティ監督の解任を発表”. Goal. (2015年5月26日). http://www.goal.com/jp/news/73/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3/2015/05/26/12084242/%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E3%81%AE%E8%A7%A3%E4%BB%BB%E3%82%92%E7%99%BA%E8%A1%A8?ICID=HP_HN_HP_RI_0_3 2015年5月26日閲覧。 
  12. ^ バイエルン、カルロ・アンチェロッティ監督を解任”. Kicker日本語版 (2017-09-28日). 2017年9月29日閲覧。
  13. ^ 電撃解任の真相は主力選手との確執か…バイエルン会長「反アンチェロッティが5人いた」”. ゲキサカ (2017年9月29日). 2017年9月29日閲覧。
  14. ^ 欧州4リーグ制覇の名将…アンチェロッティが代表指揮官就任を拒否する理由とは?”. Goal (2017年12月4日). 2018年3月21日閲覧。
  15. ^ Carlo Ancelotti nuovo allenatore del Napoli”. SSC Napoli (2018年5月23日). 2019年5月24日閲覧。
  16. ^ ANCELOTTI APPOINTED EVERTON MANAGER” (英語). Everton FC (2019年12月21日). 2019年12月21日閲覧。
  17. ^ 公式声明:アンチェロッティ監督について”. レアル・マドリード (2021年6月1日). 2021年6月2日閲覧。
  18. ^ レアル、アンチェロッティ監督就任発表 ジダン氏の後任で“再登板””. 日刊スポーツ (2021年6月2日). 2021年6月2日閲覧。
  19. ^ アンチェロッティ、5大リーグを制した最初の監督に” (日本語). レアル・マドリード (2022年4月30日). 2022年5月1日閲覧。
  20. ^ (イタリア語)Carlo Ancelotti Juventus Statistics”. 2008年11月7日閲覧。

外部リンク[編集]