レオナルド・ジャルディム

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この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の)はヌネス・アルベス第二姓(父方の)はソウザ・ジャルディムです。
レオナルド・ジャルディム Football pictogram.svg
Leonardo Jardim sous les couleurs de l'AS Monaco en 2017.jpg
モナコでのジャルディム (2017年)
名前
本名 ジョゼ・レオナルド・ヌネス・アルベス・ソウザ・ジャルディム
José Leonardo Nunes Alves Sousa Jardim
ラテン文字 Leonardo Jardim
基本情報
国籍 ポルトガルの旗 ポルトガル
生年月日 (1974-08-01) 1974年8月1日(44歳)
出身地 ベネズエラの旗 ベネズエラ バルセロナ
監督歴
チーム
2001-2003 ポルトガルの旗 カマーシャ (アシスタント)
2003-2008 ポルトガルの旗 カマーシャ
2008-2009 ポルトガルの旗 シャヴェス
2009-2011 ポルトガルの旗 ベイラ・マル
2011-2012 ポルトガルの旗 ブラガ
2012-2013 ギリシャの旗 オリンピアコス
2013-2014 ポルトガルの旗 スポルティングCP
2014-2018 モナコの旗 モナコ
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

レオナルド・ジャルディム(Leonardo Jardim, 1974年8月1日 - )は、ベネズエラバルセロナ出身のサッカー指導者。

経歴[編集]

ベネズエラに在住していたポルトガル人夫婦の間に出生、その後、両親の故郷であるマデイラ島に戻った。プロサッカー選手としてのキャリアはなく、大学時代には既にサッカー指導者を目指しており、大学卒業後には子供や女子チームだけでなくハンドボールチームの指導も経験した[1]

2001年、マデイラ島にあるクラブADカマーシャ英語版にアシスタントコーチとして入団。2年後の2003年には監督に就任し当時27歳で監督デビューを果たし、5シーズンの間チームを率いた[2]。その後2009年SCベイラ・マルの監督に就任すると1年でプリメイラ・リーガ昇格を成し遂げた。

2011年SCブラガの監督に就任。2011-12シーズンにはリーグ戦13連勝を記録しクラブ新記録を樹立。勝ち点62のリーグ3位に導き、UEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得に貢献。翌2012年にはギリシャオリンピアコスFCへ移籍し、UEFAチャンピオンズリーグでの初采配を経験した。

2013年スポルティングCPの監督に就任。前シーズンを7位で追えるなど低迷していたスポルティングの中で、下部組織出身のジョアン・マリオウィリアム・カルヴァーリョセドリック・ソアレスなどを発掘し若手中心のチームを作り上げ、UEFAチャンピオンズリーグ出場圏内の2位に導いた。

2014年6月、リーグ・アンASモナコと2年契約を締結[3]。2014-15シーズン開幕前にはクラブの方針の影響でハメス・ロドリゲスラダメル・ファルカオを失ったが[4]ヤニック・フェレイラ・カラスコベルナルド・シウバなどの若手選手を積極的に起用。UEFAチャンピオンズリーグではラウンド16でアーセナルFCを下しベスト8進出を果たすなどの健闘を見せ、2015年5月12日に2019年まで契約を延長した[5]。2016-17シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグレバークーゼントッテナム・ホットスパーと同居するグループを首位で通過し、ラウンド16ではマンチェスター・シティ、準々決勝ではボルシア・ドルトムントを撃破。準決勝ではユヴェントスに敗れたものの、13季ぶりとなる準決勝へ進出した。リーグ戦では最終的に107得点となる攻撃力を武器に第19節以降の20試合を無敗で終え、モナコに17季ぶりとなるリーグ優勝をもたらした[6]。この活躍によりシーズンのリーグ・アン年間最優秀監督賞を受賞した。

2017-18シーズンには自身がトップチームデビューさせたキリアン・エムバペをライバルのパリ・サンジェルマンへ放出し、その他にもベルナルド・シウバなどを放出した。UEFAチャンピオンズリーグではグループリーグで2分4敗に終わり最下位で敗退。しかしリーグ序盤戦では首位パリ・サンジェルマンを追い2位につけ、中盤戦には順位を落としたものの、最終的にはオリンピック・リヨンオリンピック・マルセイユの追走を振り切り2位でシーズンを終えた。翌2018-19シーズンもトマ・レマルなどを引き抜かれ、シーズン前のトロフェ・デ・シャンピオンではパリ・サンジェルマンに0-4の大敗を喫した。リーグ戦でも9試合を終えて1勝3分5敗の18位に甘んじ、2018年10月11日に解任が発表された[7]

戦術[編集]

準備したフォーメーションに選手を嵌めることを好み、4-4-2を採用する[8]FWにはある程度の自由を与え個人のスキルを活かしたプレーをさせるものの[9]、守備参加の意識を高く持たせている[8]

若手を積極的に起用する監督として知られており、ASモナコ時代にはキリアン・エムバペベルナルド・シウバヤニック・フェレイラ・カラスコティエムエ・バカヨコトマ・レマルファビーニョなどをブレイクさせた。また選手のポジションをコンバートさせることもあり、元々DFであったファビーニョMFとして開花させた[1]

タイトル[編集]

クラブ[編集]

カマーシャ
  • AFマデイラ・カップ : 2003-04
ベイラ・マル
オリンピアコス
モナコ

個人[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]