アルベルト・ジラルディーノ

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Alberto Gilardino.jpg
名前
愛称 ジラ
ラテン文字 Alberto GILARDINO
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1982-07-05) 1982年7月5日(34歳)
出身地 ビエッラ
身長 184cm
体重 79kg
選手情報
在籍チーム イタリアの旗 ペスカーラ・カルチョ
ポジション FW (CF)
背番号 18
利き足 右足
ユース
イタリアの旗 ピアチェンツァ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2000 イタリアの旗 ピアチェンツァ 17 (3)
2000-2002 イタリアの旗 ヴェローナ 39 (5)
2002-2005 イタリアの旗 パルマ 96 (50)
2005-2008 イタリアの旗 ミラン 94 (36)
2008-2012 イタリアの旗 フィオレンティーナ 118 (48)
2012-2014 イタリアの旗 ジェノア 50 (19)
2012-2013 イタリアの旗 ボローニャ (loan) 36 (13)
2014-2015 中華人民共和国の旗 広州恒大 14 (5)
2015 イタリアの旗 フィオレンティーナ (loan) 14 (4)
2015-2016 イタリアの旗 パレルモ 33 (10)
2016 イタリアの旗 エンポリ 0 (0)
2017- イタリアの旗 ペスカーラ・カルチョ
代表歴2
2000-2004 イタリアの旗 イタリア U-21 30 (19)
2004-2013 イタリアの旗 イタリア 57 (19)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年7月8日現在。
2. 2013年10月11日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アルベルト・ジラルディーノ(Alberto Gilardino, 1982年7月5日 - )は、イタリアピエモンテ州ビエッラ出身のサッカー選手セリエAペスカーラ・カルチョ所属。元イタリア代表。ポジションはフォワード。愛称は「ジラ」。

来歴[編集]

6歳で生まれ故郷のクラブ・コッサテーゼの下部組織に入団。その後ビエッレーゼの下部組織を経て、1997年ピアチェンツァに入団。2000年1月6日に17歳でトップチームデビュー。2000年3月25日ヴェネツィア戦でプロ初ゴールを記録した。

2000年7月1日にピアチェンツァとの共同保有の条件でエラス・ヴェローナへ移籍。2002-03シーズンにはパルマFCへ移籍。当初は出番が少なかったが、2002-03シーズン終了後にアドリアーノアドリアン・ムトゥらが移籍した事で、出場機会が増えた。2003-04シーズンには定位置を確保し23得点を記録、アンドリー・シェフチェンコACミラン・当時)に次ぐ得点ランキング2位(イタリア人では1位)という結果で終え、その知名度が一気に高まる。2004年UEFA U-21欧州選手権ではダニエレ・デ・ロッシらとともに出場して優勝し、大会最優秀選手に輝いた。2004年8月30日にはイタリア代表に初選出され、9月4日ノルウェー戦(パレルモ)で代表デビューを飾った。同年10月13日ベラルーシ戦で代表初ゴールを記録した。

2004年のアテネオリンピックでは4得点を挙げ、U-23イタリア代表の銅メダル獲得に貢献した。この大会でイタリア代表はグループステージで日本代表と戦ったことから、日本におけるジラルディーノの存在が知れ渡ることになった。大会直前に、中村俊輔(当時セリエA・レッジーナ・カルチョ所属)が「イタリアのオリンピック代表チームで一番注意しなくてはいけないのはジラルディーノ」と断言したことも、その名前が日本に浸透する一因となった。

2005年7月17日ACミラン移籍。移籍当初はここでも歴戦の猛者たちを押しのけ先発メンバーの座を奪取していた。しかし、自身の伸び悩みや、ロナウドの加入・フィリッポ・インザーギの復活・アレシャンドレ・パトの台頭によって徐々に出場機会が減り、2008年欧州選手権イタリア代表メンバーからも外れた。

2008年5月28日に、出場機会を求めてパルマ時代の恩師チェーザレ・プランデッリ監督が指揮するACFフィオレンティーナに移籍が決定した。

移籍後初のシーズンとなった2008-09シーズンでは、相次ぐ主力の離脱に苦しむチームの中にありながらもリーグ戦19ゴールとチームを牽引し、CL出場権獲得に大きく貢献した。また、この活躍やイタリア代表の監督にマルチェロ・リッピが再就任したこともあり、イタリア代表にも復帰した。

2008年10月18日に行われたセリエA第7節レッジーナ・カルチョ戦に於いて途中交代ながら2ゴールを決め、セリエA通算100ゴールを達成した。

2009年10月10日W杯予選アイルランド戦において試合終了間際の同点ゴールでチームのW杯出場を決めると、続く10月14日キプロス戦では2点リードされた状態から3ゴールを決め逆転に貢献。代表では自身初のハットトリックを達成した。

2012年1月3日ジェノアCFCに移籍。しかし、14試合で4ゴールとお世辞にも結果を残したとは言えず、結局最後まで残留争いに巻き込まれ17位に終わった。2012年8月31日マルコ・ボリエッロの加入に伴いマルコ・ディ・ヴァイオの後釜としてボローニャFCにレンタル移籍。

2014年7月11日、広州恒大に移籍した[1]。背番号は38番を着用。

2015年1月26日、広州恒大から買い取りオプションつきレンタルで古巣のACFフィオレンティーナに復帰[2]。レンタル期間は2015年6月までとなっていた[3]。だがACFフィオレンティーナは買い取らず、広州恒大にも復帰しなかった。2015年8月27日にUSチッタ・ディ・パレルモへ移籍することを発表した。

2016年7月7日、エンポリFCに移籍した。

エピソード[編集]

  • ヴェローナへ移籍した当時はまだ高校の最終学年であったが、サッカーと学業を両立させ、生物科学学位免状を取得している。
  • 18歳の時に友人2人とドライブ中に交通事故を起こし女性を怪我させたが、ジラルディーノ本人が見舞いに通い続け、2人は大の親友になったという。
  • ACミランではアンドレア・ピルロアレッサンドロ・ネスタと仲が良く、一緒にプレイステーションで遊んでいた。
  • ジラルディーノが生まれた1982年7月5日は、W杯スペイン大会でイタリア代表が優勝候補のブラジル代表に勝利した日という運命的な日でもある。この試合でハットトリックを達成したパオロ・ロッシの異名に準えて、ジラルディーノを「神の子の系譜」と評する声もあった。
  • イタリアのブランド "イタリアンダンディ ITALIANDANDY" のブランドキャラクター兼デザインディレクターを務めている。
  • 2008年、長女が誕生。

個人成績[編集]

クラブでの成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点
イタリア リーグ戦 イタリア杯 期間通算
1999-00 ピアチェンツァ セリエA 17 3 0 0 17 3
2000-01 セリエB 0 0 3 2 3 2
2000-01 エラス・ヴェローナ 30 セリエA 22+2 3+0 0 0 24 3
2001-02 9 17 2 2 1 19 3
2002-03 パルマ 18 24 4 2 1 26 5
2003-04 11 34 23 2 0 36 23
2004-05 38+1 23+1 1 0 40 24
2005-06 ミラン 34 17 3 2 37 19
2006-07 30 12 4 2 34 14
2007-08 30 7 1 0 31 7
2008-09 フィオレンティーナ 35 19 1 0 36 19
2009-10 36 15 3 0 39 15
2010-11 35 12 1 0 36 12
2011-12 12 2 1 1 13 3
2011-12 ジェノア 82 14 4 0 0 14 0
2012-13 0 0 1 1 1 1
2012-13 ボローニャ 10 36 13 1 0 37 13
2013-14 ジェノア 36 15 1 1 37 15
2014 広州恒大 超級 14 5 1 1 15 6
2014-15 フィオレンティーナ セリエA 14 4 0 0 14 4
2015-16 パレルモ 11 33 10 1 1 34 11
2016-17 エンポリ 0 0 0 0 0 0
通算 イタリア セリエA 500 192 25 10 525 205
イタリア セリエB 0 0 3 2 3 2
中国 超級 14 5 1 1 15 6
総通算 514 200 29 13 543 213

試合数[編集]

2016年7月8日現在
代表国 出場 得点
2004  イタリア 4 1
2005 8 4
2006 11 4
2007 2 0
2008 5 1
2009 9 6
2010 6 1
2011 2 0
2012 - -
2013 10 2
通算 57 19

代表での得点[編集]

タイトル[編集]

クラブ[編集]

ACミラン

代表[編集]

個人[編集]

脚注[編集]

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]