カルロス・テベス

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カルロス・テベス Football pictogram.svg
Carlos Tevez with Argentina at the Boleyn Ground in November 2014.jpg
名前
本名 カルロス・アルベルト・テベス
Carlos Alberto Tévez
愛称 カルリートス、エル・アパッチェ
ラテン文字 Carlos TEVEZ
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
生年月日 1984年2月5日(31歳)
出身地 ブエノスアイレス州の旗ブエノスアイレス州シウタデリャ
身長 173cm
体重 75kg
選手情報
在籍チーム アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ
ポジション FW
背番号 10
利き足 右足
ユース
1992-1996 アルゼンチンの旗 オール・ボーイズ
1997-2001 アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2004 アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ 75 (26)
2004-2006 ブラジルの旗 コリンチャンス 38 (25)
2006-2009 イングランドの旗 ウェストハム・ユナイテッド 26 (7)
2007-2009 イングランドの旗 マンチェスター・ユナイテッド (loan) 63 (19)
2009-2013 イングランドの旗 マンチェスター・シティ 113 (58)
2013-2015 イタリアの旗 ユヴェントス 66 (39)
2015- アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ 0 (0)
代表歴2
2001 アルゼンチンの旗 アルゼンチン U-17 6 (2)
2004 アルゼンチンの旗 アルゼンチン U-23 6 (8)
2004- アルゼンチンの旗 アルゼンチン 72 (13)
1. 国内リーグ戦に限る。2015年5月30日現在。
2. 2015年6月27日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

カルロス・アルベルト・テベス(Carlos Alberto Tévez, 1984年2月5日 - )は、アルゼンチンブエノスアイレス州シウタデリャ出身のサッカー選手プリメーラ・ディビシオンボカ・ジュニアーズ所属。アルゼンチン代表。ポジションはフォワード

来歴[編集]

生い立ち[編集]

ブエノスアイレスの貧民街で5人兄弟の長男として生まれた[1]

クラブ[編集]

南米[編集]

プリメーラB・ナシオナル(2部)のCAオール・ボーイズでプレーしていた時にボカ・ジュニアーズにスカウトされ[2]、13歳でボカ・ジュニアーズの下部組織に入団した。17歳でトップチームデビューするとすぐにレギュラーの座を獲得した[1]

ボカ・ジュニアーズ所属時代は2003年のリーグ優勝、コパ・リベルタドーレス優勝、トヨタカップではACミランをPK戦の末に破るなど大きな活躍をした。

MSI社が保有権を獲得し、特殊な移籍形態で2004年にコリンチャンスに移籍した。移籍から半年後にはキャプテンを任され[2]、2005年のブラジル全国選手権で優勝した。アルゼンチン人ながらブラジルのサッカーファンに愛された。ブラジルのルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ大統領は、「アルゼンチン人サッカー選手がブラジルで活躍することはないだろう」と発言したことがあったが、テベスがリーグ最優秀選手に輝いたために自身の発言を謝罪した[2]。2003年から2005年まで3年連続で南米年間最優秀選手賞に輝いた。

ウェストハム・ユナイテッド[編集]

2006年、ハビエル・マスチェラーノとともにプレミアリーグウェストハム・ユナイテッドFCに移籍する。入団当初は不振であったが、シーズン終盤には10試合で7得点を挙げて、チームを残留に導く原動力となる。

マンチェスター・ユナイテッド[編集]

マンチェスター・ユナイテッドFCでのテベス

2007年にマンチェスター・ユナイテッドFCに2年間の期限付き移籍が決定した。2007-08シーズンはクリスティアーノ・ロナウドウェイン・ルーニーとともに、マンチェスター・ユナイテッドの2冠(プレミアリーグUEFAチャンピオンズリーグ)に貢献。39試合に出場し19得点を挙げた。シーズン前、ウェイン・ルーニーとの共存は不可能ではないかとされていたが、プレミアリーグ屈指のコンビであると試合で証明した。2008年12月に行われたFIFAクラブワールドカップで優勝したため、南米・欧州の両代表で同タイトルを獲得した史上初の選手となった。

マンチェスター・シティ[編集]

マンチェスター・シティFCでのテベス

2009年7月13日、契約満了に伴いマンチェスター・シティFCに5年契約で移籍した。移籍1年目に23得点を挙げる活躍でチームの中心となると、2010-11シーズンからはキャプテンに就任。クラブ35年ぶりのタイトルとなるFAカップ優勝と、クラブ初となるチャンピオンズリーグ出場権獲得に貢献。またプレミアリーグでは20得点を挙げ、マンチェスター・ユナイテッドで共にプレーしたディミタール・ベルバトフとともに初の得点王に輝いた。

2011年のシーズンオフには移籍志願したものの[3]、条件が折り合わずに残留となった。だが2011年9月27日、UEFAチャンピオンズリーグのバイエルン・ミュンヘン戦で途中出場を拒否したとして騒動となった[4]。この出場拒否により週給4週間分の罰金を科せられたが、イングランドサッカー選手協会の異議により2週間分に減額。ロベルト・マンチーニ監督は謝罪すれば起用するとしたものの、謝罪を拒否しアルゼンチンに無断帰国するなどした。そのため2011-12シーズンの冬の移籍期間ではACミランへの移籍が有力視されていたが、条件が折り合わず残留。2012年2月21日、クラブの公式ページで謝罪を発表[5]。 2012-13シーズンはリーグ戦は11得点に終わったものの14アシストをあげた。

ユヴェントス[編集]

2013年6月、ユヴェントスFCへの移籍が決定[6]。移籍金は合計1200万ユーロともいわれている。契約は3年間。背番号は、ミシェル・プラティニロベルト・バッジョアレッサンドロ・デル・ピエロといった名選手が背負った10番である。2013-14シーズンはリーグ戦でチーム最多となる19ゴールを決め、ユヴェントスの優勝に貢献した。 2014-15シーズンは32試合に出場し20ゴールを記録、リーグ優勝とコッパ・イタリア獲得に貢献した。また、チャンピオンズリーグでも13試合に出場し7ゴールと活躍しユヴェントスの決勝進出に貢献した。

ボカへの帰還[編集]

2015年6月、テベスの古巣ボカ・ジュニアーズがテベスの復帰を発表。約11年ぶりの復帰となる。

代表[編集]

2001年に2001 FIFA U-17世界選手権に出場し2得点を記録。アテネオリンピックでは、8ゴールを記録して得点王となり、ハビエル・マスチェラーノらと共にアルゼンチンの金メダル獲得に大きく貢献した。

A代表では2004年3月30日のエクアドル戦でデビュー。コパ・アメリカ2004ペルー戦で決勝点となる代表初得点を挙げた。

2006 FIFAワールドカップのメンバーにも選ばれ、セルビア・モンテネグロ戦で途中出場し、得点を決めている。

2010 FIFAワールドカップ決勝トーナメント1回戦の対メキシコ戦で、前半26分にリオネル・メッシからのパスを受けて先制ゴールを決める。パスを受けたのはオフサイドポジションだったが、判定によりテベスのゴールが認められた[7]。この試合でテベスはミドルシュートでもう1得点を挙げ、大会選定のマンオブザマッチに選出された。

アレハンドロ・サベーラが監督となってからはなぜかチームの戦術の構想からは外され、2014年ワールドカップの代表候補30人にも選ばれなかった。テベスが代表から外された理由についてはフリオ・グロンドーナ会長との関係悪化が噂された[8]

2014年10月27日、国際親善試合に向けて国外クラブに所属するアルゼンチン代表メンバー25人を発表し約3年ぶりの代表復帰となった。

エピソード[編集]

  • テベスは1歳の時に誤って熱湯を浴び、火傷を負った。母親によってタオルにくるまれた際に繊維が皮膚に付着し、首や胸には成人になった現在でも傷が残っている[2]ボカ・ジュニアーズ時代に、この火傷の痕を取り除く手術の費用をチームが負担するとオファーされたものの、「この顔は神様から与えてもらったものだから、変えるつもりはない。それに、この傷は生きてきた証でもある。」として固辞している[9]
  • 金銭にまみれた現代のサッカー界や年長者への敬意を欠く若手に辟易しており、早期の引退を希望していた[10]
  • マンチェスター・ユナイテッド監督のアレックス・ファーガソンが「自分が生きている間にシティに負けることはない」と発言をしていたことに対して反撃するかのごとく、2011-2012シーズンのリーグ優勝パレードでテベスは「RIP Fergie(安らかに眠れ、ファーガソン)」と書いたプレートを掲げた。この事に対してマンチェスター・シティは謝罪の意を表明した[11]
  • 2014年7月29日、ブエノスアイレス近郊でテベスの育ての父が誘拐されたが身代金を払い、約8時間後に無事解放された[12]

所属クラブ[編集]

ユース経歴
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
アルゼンチン リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
2001-02 ボカ・ジュニアーズ プリメーラ 11 1 11 1
2002-03 32 11 32 11
2003-04 23 12 23 12
2004-05 9 2 9 2
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
2005 コリンチャンス セリエA 38 25 38 25
2006 9 6 9 6
イングランド リーグ戦 FLカップ FAカップ 期間通算
2006-07 ウェストハム 32 プレミア 26 7 0 0 1 0 27 7
2007-08 マンチェスター・U 34 14 0 0 2 1 36 15
2008-09 29 5 6 6 3 2 38 13
2009-10 マンチェスター・C 35 23 6 6 1 0 42 29
2010-11 31 20 0 0 6 3 37 24
2011-12 13 4 1 0 0 0 14 4
2012-13 34 11 1 0 6 5 41 16
イタリア リーグ戦 イタリア杯 オープン杯 期間通算
2013-14 ユヴェントス 10 セリエA 34 19 1 0 0 0 35 19
通算 アルゼンチン プリメーラ 75 26 75 26
ブラジル セリエA 47 31 47 31
イングランド プレミア 202 84 14 12 19 11 235 107
イタリア セリエA 34 19 1 0 0 0 35 19
総通算 358 160 15 12 19 11 392 183
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
UEFA UEFA EL UEFA CL
2007-08 マンチェスター・U 32 - 12 4
2008-09 - 9 2
2010-11 マンチェスター・C 6 0 -
2011-12 - 1 0
2012-13 - 5 0
2013-14 ユヴェントス 10 6 1 6 0
通算 UEFA 12 1 33 6

タイトル[編集]

クラブ[編集]

アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ
ブラジルの旗 コリンチャンス
イングランドの旗 マンチェスター・ユナイテッドFC
イングランドの旗 マンチェスター・シティFC
イタリアの旗 ユヴェントスFC

代表[編集]

個人[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 「誇りとわだかまりの間で」footballista、ソルメディア、2009年3月25日号、4-5頁
  2. ^ a b c d 「カルリートスの来た道」ワールドサッカーキング増刊号、フロムワン、2008年4月30日号[要ページ番号]
  3. ^ “テベス、退団希望の声明を発表”. Goal.com. (2011年7月5日). http://www.goal.com/jp/news/74/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89/2011/07/05/2560913/%E3%83%86%E3%83%99%E3%82%B9%E9%80%80%E5%9B%A3%E5%B8%8C%E6%9C%9B%E3%81%AE%E5%A3%B0%E6%98%8E%E3%82%92%E7%99%BA%E8%A1%A8 2012年6月2日閲覧。 
  4. ^ “マンチーニ激怒、テベスが途中出場拒否”. Goal.com. (2011年9月28日). http://www.goal.com/jp/news/175/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B0/2011/09/28/2686025/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%8B%E6%BF%80%E6%80%92%E3%83%86%E3%83%99%E3%82%B9%E3%81%8C%E9%80%94%E4%B8%AD%E5%87%BA%E5%A0%B4%E6%8B%92%E5%90%A6 2012年6月2日閲覧。 
  5. ^ Manchester City's Carlos Tevez apologises and withdraws appeal - Manchester City FC
  6. ^ http://www.juventus.com/juve/en/news/foto/carlo+tevez+alla+juventus/carlos+tevez+alla+juventus
  7. ^ “誤審、神の手ゴール…「幸運」呼ぶマラドーナ”. 読売新聞. (2010年6月28日). http://www.yomiuri.co.jp/wcup/2010/news/tournament/news/20100628-OYT1T00575.htm 2010年6月28日閲覧。 
  8. ^ バティスタがアルゼンチン代表に招集しない本当の理由
  9. ^ “凄惨な過去を語るテベス”. Goal.com. (2009年11月1日). http://goal.com/jp/news/74/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89/2009/11/01/1597234/%E5%87%84%E6%83%A8%E3%81%AA%E9%81%8E%E5%8E%BB%E3%82%92%E8%AA%9E%E3%82%8B%E3%83%86%E3%83%99%E3%82%B9 2012年6月2日閲覧。 
  10. ^ “テベス:「カネまみれのサッカーにあと3、4年でさよなら」”. Goal.com. (2010年11月26日). http://www.goal.com/jp/news/74/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89/2010/11/26/2232889/%E3%83%86%E3%83%99%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%8D%E3%81%BE%E3%81%BF%E3%82%8C%E3%81%AE%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%81%AB%E3%81%82%E3%81%A8%EF%BC%93%EF%BC%94%E5%B9%B4%E3%81%A7%E3%81%95%E3%82%88%E3%81%AA%E3%82%89 2012年6月2日閲覧。 
  11. ^ “テベスがファギーを中傷? シティは謝罪”. Goal.com. (2012年5月15日). http://www.goal.com/jp/news/74/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89/2012/05/15/3103748/%E3%83%86%E3%83%99%E3%82%B9%E3%81%8C%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%AE%E3%83%BC%E3%82%92%E4%B8%AD%E5%82%B7-%E3%82%B7%E3%83%86%E3%82%A3%E3%81%AF%E8%AC%9D%E7%BD%AA 2012年6月2日閲覧。 
  12. ^ “テベスの父親が誘拐、8時間後に解放”. Goal. (2014年7月30日). http://www.goal.com/jp/news/3203/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%B3/2014/07/30/4992088/%E3%83%86%E3%83%99%E3%82%B9%E3%81%AE%E7%88%B6%E8%A6%AA%E3%81%8C%E8%AA%98%E6%8B%90%EF%BC%98%E6%99%82%E9%96%93%E5%BE%8C%E3%81%AB%E8%A7%A3%E6%94%BE 2014年8月9日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]