ブルーノ・コンティ

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ブルーノ・コンティ Football pictogram.svg
Italia82.JPG
1982 FIFAワールドカップでのコンティ(前列左から2人目)
名前
愛称 Mara-zico、Folletto di Nettuno、Brunetto
ラテン文字 Bruno Conti
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 1955年3月13日(59歳)
出身地 ネットゥーノ
身長 169cm
体重 65kg
選手情報
ポジション MF
利き足 左足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1973-1975
1975-1976
1976-1978
1978-1979
1979-1991
ASローマ
ジェノア
ASローマ
ジェノア
ASローマ
4(0)
36(3)
46(4)
32(1)
254(33)
代表歴
1980-1986[1] イタリアの旗 イタリア代表 47(5)
監督歴
2005 ASローマ
1. 国内リーグ戦に限る。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

ブルーノ・コンティBruno Conti, 1955年3月13日 -)は、イタリアローマ県ネットゥーノ出身の元同国代表サッカー選手サッカー指導者。ポジションはMF(右サイドハーフ)。

略歴[編集]

1982年にイタリアが3度目のワールドカップ制覇を成し遂げた時の中心選手の一人。技巧的なドリブルと豊富な運動量が持ち味で、イタリア代表として1982年のワールドカップ・スペイン大会ではマルコ・タルデッリと共にゲームメーカーのジャンカルロ・アントニョーニをサポートし3度目の世界制覇に貢献。大会のベストイレブンにも名を連ねた。

クラブではASローマの下部組織で育ち、1973年にプロ契約を果たすが、当初は出場機会に恵まれずレンタル移籍に出される日々が続いた。その後1979-80シーズンからはレギュラーの座を掴み、パウロ・ロベルト・ファルカンらと共に1982-83シーズンのスクデット制覇に貢献した。

翌1983-84シーズンのUEFAチャンピオンズカップでは決勝戦に進出、決勝のリヴァプールFC戦の開催地は地元ローマという事もあって圧倒的優位が予想されたが1-1の同点のままPK戦に突入。PK戦の2人目のキッカーとして挑んだコンティはこのPKを失敗し準優勝という苦い結果に終わっている。

その後、1991年に現役引退するまでローマでプレーを続けた人気選手であった。

引退後は指導者の道へ進み、ローマの下部組織の監督等を務めていたが、2005年3月14日から2005年6月30日まで暫定的なローマの監督に就任。現在は、ローマのテクニカルディレクターを務めている。

エピソード[編集]

息子のアンドレア・コンティダニエレ・コンティもサッカー選手で、ともにローマでキャリアをスタートさせたが、2012年現在、兄のアンドレアはACベッリンツォーナ、弟のダニエレはカリアリに所属している。

出典[編集]