ヴヤディン・ボシュコヴ
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| 名前 | |||||||||||||||||
| ラテン文字 | Vujadin Boškov | ||||||||||||||||
| 基本情報 | |||||||||||||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1931年5月16日 | ||||||||||||||||
| 出身地 | Begeč | ||||||||||||||||
| 没年月日 | 2014年4月27日(82歳没) | ||||||||||||||||
| 選手情報 | |||||||||||||||||
| ポジション | MF | ||||||||||||||||
| 代表歴 | |||||||||||||||||
| 1951-1958 |
| 57 | (0) | ||||||||||||||
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| ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | |||||||||||||||||
ヴヤディン・ボシュコヴ(Vujadin Boškov、1931年5月16日 - 2014年4月27日)は、セルビア出身のサッカー選手、サッカー指導者。ボスコフと表記されることも多い[1]。
来歴
[編集]選手としてユーゴスラビア代表として1954年と1958年のワールドカップに2度出場し、主将なども務めた。
指導者としてはスイス、オランダ、イタリア、スペインなどあらゆる国で指揮し華々しい成績を残している。フェイエノールト、レアル・マドリード、サンプドリア、ローマ、ナポリなど強豪チームを指揮し、レアル・マドリードでは1979年、1980年、サンプドリア時代には1990年、1991年のリーグ優勝が最大の業績。
特にサンプドリア時代は1992年、現UEFAチャンピオンズリーグの前身であるチャンピオンズカップにおいて、チームを決勝に導いた。 EURO2000のユーゴスラビア代表監督を最後に監督業を引退。ユーゴスラビア全時代を通じて最も成功した監督の一人といわれている。
2014年4月27日死去[2]。82歳没。
所属クラブ
[編集]選手
[編集]監督
[編集]- 1962-1964
ヤングボーイズ (選手兼コーチ) - 1964-1971
ヴォイヴォディナ - 1971-1973
ユーゴスラビア代表 (共同) - 1974-1976
デン・ハーグ - 1976-1978
フェイエノールト - 1978-1979
レアル・サラゴサ - 1979-1982
レアル・マドリード - 1983-1984
スポルティング・デ・ヒホン - 1984-1986
アスコリ・カルチョ - 1986-1992
サンプドリア - 1992-1993
ASローマ - 1994-1996
ナポリ - 1996-1997
セルベットFC - 1998-1999
サンプドリア - 1999
ペルージャ - 1999-2000
ユーゴスラビア代表 - 2001
ユーゴスラビア代表 (共同)
脚注
[編集]- ↑ 週刊サッカーダイジェスト 1996年1/31日号 創刊300号記念特大号 p.21-23
- ↑ Rマドリードなど率いたボスコフ氏が死去 日刊スポーツ 2014年4月28日