ヴラディミル・ユーゴヴィッチ
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名前 | ||||||
愛称 | Vlade[1], ユガ(Југа, Juga) | |||||
ラテン文字 | Vladimir Jugović | |||||
キリル文字 | Владимир Југовић | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
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生年月日 | 1969年8月30日(54歳) | |||||
出身地 |
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身長 | 179cm | |||||
体重 | 76kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1989-1992 |
![]() | 62 | (11) | |||
1990 |
→![]() | 16 | (7) | |||
1992-1995 |
![]() | 81 | (18) | |||
1995-1997 |
![]() | 56 | (8) | |||
1997-1998 |
![]() | 27 | (2) | |||
1998-1999 |
![]() | 17 | (3) | |||
1999-2001 |
![]() | 38 | (3) | |||
2001-2003 |
![]() | 19 | (0) | |||
2003-2004 |
![]() | 25 | (3) | |||
2004-2005 |
![]() | 19 | (2) | |||
代表歴 | ||||||
1991-1992 |
![]() | 4 | (1) | |||
1994-2002 |
![]() | 37 | (2) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ヴラディミル・ユーゴヴィッチ(セルビア語: Владимир Југовић, ラテン文字転写: Vladimir Jugović、1969年8月30日 - )は、セルビア(旧ユーゴスラビア)の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。優れた戦術眼と高い技術を武器に活躍した[1]。中盤のポジションはサイド、センターと、どこでもこなすユーティリティープレーヤー。リッピやエリクソンといった監督に高く評価され、重宝された選手である。
経歴[編集]
12歳の時、地元の小さなクラブでサッカーを始め、半年後にはレッドスター・ベオグラードの下部組織に入団した[1]。1986年、親善試合ではあったが、トップチームでのデビューを飾った[1]。兵役に従事した後、チームに戻り、1989年に正式にトップデビューを果たした[1]。出場機会は多くなく、1990年には短期ながら、ラドへレンタル移籍した[1]。同年のうちにチームに戻り、1990-91シーズンのUEFAチャンピオンズカップ制覇に貢献[1]。1991年8月8日の対チェコスロバキア戦で代表デビューを果たし、同年のトヨタカップ、コロコロ戦では2得点を挙げ、世界王者のタイトルとMVPを獲得した[2][3]。1991年8月8日のチェコスロヴァキア戦で代表デビューを果たした。1992年のユーロを戦う代表チームのメンバーに選出されていたが、内戦への制裁により、チームは大会から締め出され、出場が出来なかった。
1992-93シーズンにセリエA・サンプドリアへ移籍。セリエAの開幕戦のラツィオ戦で直接FKからゴールを決めるセリエAデビュー[4]、同試合から3試合連続ゴールを決めるなど、すぐにレギュラーに定着、リーグ戦ではシーズン9ゴールを挙げた[1][4]。1993-94シーズンにはコッパ・イタリアでの優勝に貢献するなど、チームの中心選手として活躍を見せた。1994-95シーズン、レッドスター時代のチームメートシニシャ・ミハイロヴィッチと再びチームメートになったが、シーズン途中にルート・フリットがチームに複帰し、外国人枠の影響、そして怪我で離脱するなど、出場機会を減らした[1]。
高く評価していたリッピが獲得を希望し、1995-96シーズンにはユヴェントスへ移籍を果たし[5]、その年のチャンピオンズ・カップ準決勝、ナント戦の1stレグでゴールを決め勝利に貢献[1][6]、決勝のアヤックス戦ではPK戦で最後のキッカーとしてPKを成功させて、ユベントスは優勝を果たした[7] 、また同年のトヨタカップでは先発出場し、リーベルプレートを破り2度目の優勝[3]、1996-97シーズンのセリエA優勝のタイトル獲得するなど、ユーベで重要な役割を果たし[8]、リッピは活躍を高く評価していたが[9]、フロント陣によりラツィオに売却された。
サンプドリア時代の監督エリクソンが獲得を望み[1][10] 、1997-98年ラツィオに移籍、コッパ・イタリア決勝、ACミラン戦の2ndレグでゴールを決め優勝に貢献[1][6]。しかしチームは、クリスチャン・ヴィエリを獲得する資金を捻出するため、1998-99シーズン、サッキ監督のアトレティコ・マドリードに売られた[1]。しかし、足首の負傷で満足のいくシーズンを過ごせなかった[9]。1998年のフランスW杯ではユーゴスラビア代表として出場し、4試合にフル出場[11]、チームのベスト16に貢献。
1999-2000シーズン、リッピ監督から誘われ[9]、インテルで2シーズンプレー、怪我に苦しみ常時出場が出来なかった[8]。2000年のユーロ直前に代表復帰し、ユーロ2000では4試合全てに出場した[11]。2001-02シーズン、ユベントス時代のチームメートであったデシャンが率いるASモナコでプレーし、リーグカップ優勝に貢献した。2002年2月13日のメキシコ戦で代表最後の出場を果たした[11]。その後FCアドミラ・ヴァッカー・メードリングを経て、ブンデスリーガ2部のクラブチーム・LRアーレンで35歳で7現役引退した[1]。引退後は、スポーツエージェントやスカウトなどをしている[1]。
タイトル[編集]
- レッドスター・ベオグラード
- ユーゴスラビア・プルヴァ・リーガ:1989-90, 1990-91, 1991-92
- ユーゴスラビアカップ:1989-90
- UEFAチャンピオンズカップ:1990-91
- インターコンチネンタルカップ:1991
- UCサンプドリア
- コッパ・イタリア:1993-94
- ユヴェントスFC
- セリエA:1996-97
- UEFAチャンピオンズリーグ:1995-96
- インターコンチネンタルカップ:1996
- UEFAスーパーカップ:1996
- SSラツィオ
- コッパ・イタリア:1997-98
- ASモナコ
- クープ・ドゥ・ラ・リーグ:2003
脚注[編集]
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o “Vladimir Jugovic, l'elegante centrocampista che diede la Champions League alla Juventus”. GOAL (2022年8月30日). 2023年8月6日閲覧。
- ^ “FIFA CLUB WORLD CUP の歴史”. NTV. 2020年6月6日閲覧。
- ^ a b トヨタカップで2度の優勝を飾ったユーゴビッチ -Goal
- ^ a b “Jugovic all goals”. transfermarket. 2021年3月10日閲覧。
- ^ Calciatori ‒ La raccolta completa Panini 1961-2012. Vol. Vol. 12 (1995-1996). Modena. Panini. 2012. p. 10.
{{cite book}}
:|volume=
にvol.など余分の文字が入力されています。 (説明) - ^ a b Che fine ha fatto? Jugovic, dal rigore che valse la Champions al Raiola serbo -Calciomercato
- ^ [1] Romeo Agresti. Goal.com: Jugovic: I entered into Juventus legend with Champions League winner (英語). June 2, 2017. Retrieved May 27, 2018.
- ^ a b JUGOVIC, Vladimir-Treccani
- ^ a b c 週刊サッカーダイジェスト 1999年10月13日 pno.488 p.152-155
- ^ Vladimir Jugovic, o coadjuvante que ganhou quase tudo na Itália-Calciop
- ^ a b c “Jugovic National team”. transfermarket. 2021年3月10日閲覧。
外部リンク[編集]
- ヴラディミル・ユーゴヴィッチ - National-Football-Teams.com (英語)
- ヴラディミル・ユーゴヴィッチ - FootballDatabase.eu (英語)
- ヴラディミル・ユーゴヴィッチ - WorldFootball.net (英語)
- ヴラディミル・ユーゴヴィッチ - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)
- ヴラディミル・ユーゴヴィッチ - FIFA主催大会成績 (英語)
- ヴラディミル・ユーゴヴィッチ - UEFA (英語)