ライー

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この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の)はヴィエイラ第二姓(父方の)はジ・オリヴェイラです。
ライー Football pictogram.svg
Rai em 2009 cropped.jpg
2009年のライー
名前
本名 ライー・ソウザ・ヴィエイラ・ジ・オリヴェイラ
Raí Souza Vieira de Oliveira
ラテン文字 RAÍ
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1965-05-15) 1965年5月15日(53歳)
出身地 リベイラン・プレト
身長 189cm
体重 89kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1981-1986 ブラジルの旗 ボタフォゴ
1987 ブラジルの旗 ポンチ・プレッタ 10 (1)
1988-1993 ブラジルの旗 サンパウロ 110 (25)
1993-1998 フランスの旗 パリSG 145 (51)
1998-2000 ブラジルの旗 サンパウロ 19 (1)
代表歴
1987-1998 ブラジルの旗 ブラジル 51 (17)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ライー (Raí) こと、ライー・ソウザ・ヴィエイラ・ジ・オリヴェイラ(Raí Souza Vieira de Oliveira, 1965年5月15日 - )は、ブラジルサンパウロ州リベイラン・プレト出身の元同国代表サッカー選手

実兄のソクラテスは、スペインW杯の「黄金のカルテット」の一人で「ドトール(医者、博士)」の愛称で呼ばれた1980年代を代表するサッカー選手である。

経歴[編集]

サンパウロFC1992年トヨタカップを制した時のキャプテンである。ライー自身も決勝で2得点を決めて優勝に貢献し、トヨタカップMVPも獲得した。また、当時のチームメイトにはミューレルカフーらがいた。

ボタフォゴFCでキャリアをスタートすると頭角を現し1988年にブラジル代表へ選出、同年にはサンパウロFCに移籍するが適応することが出来ず、長い低迷期に入り代表からも外れ、1990 FIFAワールドカップにも出場できなかった。

数年の雌伏を経てライーは復調を果たし、サンパウロFCの不動のエースに成長。ブラジル代表には1991年カルロス・アルベルト・パレイラが監督に就任すると復帰し、不動の10番として活躍した。1992年にはサンパウロFCにリベルタドーレス杯、トヨタカップをもたらした。トヨタカップではバルサを相手に2得点の活躍で、大会MVPに選出された。

この活躍を受けて、1993年にライーはフランスパリ・サンジェルマンFCに移籍。しかし、ライーはここでも短期間でフィットすることができず、絶不調に陥る。ちょうどワールドカップアメリカ大会予選の真っ最中だったが、パレイラはあくまでライーを10番(プレーメーカー)として起用し続けた。絶不調に対し「10番論争」がブラジル世論を席巻したが、「ライーが復調すれば10番問題は片付く」とパレイラは擁護し続けた。

しかし、ライーは1994年に入っても不振を極め、同じブラジル人バウドにポジション争いで敗れる屈辱を味わったばかりか、当時、日本で最晩年を迎えたジーコ待望論が起きるほどだった。ワールドカップアメリカ大会の開幕戦、先発出場したライーは、PKで得点するが、全般的に低調で、決勝トーナメントに入るとレギュラーを外れた。

ライーはワールドカップ終了後、パリ・サンジェルマンで復調し、94-95シーズンは12得点、翌95-96シーズンは14得点を記録した。だが、マリオ・ザガロが代表監督に就任すると長らく彼の構想から外れたが、比較的復調していたこともあり、1998年にはアルゼンチン代表との試合で代表復帰[1]、しかし1998年ワールドカップフランス大会には招集されなかった。

ライーは選手としての晩年をサンパウロFCで過ごし、2000年に現役を引退した。サンパウロFC時代で残した結果は、393試合(クラブ歴代最多出場21位)124ゴール (クラブ最多得点ランキング8位)であった。

脚注[編集]

  1. ^ [1]29 de Abril de 1998 – Brasil 0 x 1 Argentina

外部リンク[編集]