サッカーロシア代表

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サッカーロシア代表
国または地域 ロシアの旗 ロシア[1]
協会 ロシアサッカー連合
FIFAコード RUS
監督 ロシアの旗 スタニスラフ・チェルチェソフ
最多出場選手 セルゲイ・イグナシェヴィッチ(120試合)
最多得点選手 アレクサンドル・ケルジャコフ(30得点)
ホームカラー
アウェイカラー
初の国際試合
 フィンランド 2–1 ロシア帝国 
ストックホルムスウェーデン; 1912年6月30日)
 ロシア 2–0 メキシコ 
モスクワロシア; 1992年8月16日)
最大差勝利試合
[[ファイル:{{{flag alias-1955}}}|25x20px|border |alt=|link=|ソビエト連邦の旗]] ソビエト連邦 11–1 インド 
モスクワソビエト連邦; 1955年9月16日)
 サンマリノ 0–7 ロシア 
サンマリノサンマリノ; 1995年6月7日)
最大差敗戦試合
 ドイツ 16–0 ロシア帝国 
ストックホルムスウェーデン; 1912年7月1日)
 ポルトガル 7-1 ロシア 
リスボンポルトガル; 2004年10月13日)
FIFAワールドカップ
出場回数 11回(初出場は1994
最高成績 4位(1966
UEFA欧州選手権
出場回数 3回
最高成績 ベスト4(2008

サッカーロシア代表Сборна России по футболу)は、ロシアサッカー連合(RFU)によって編成されるロシアサッカーのナショナルチーム。

歴史[編集]

帝政ロシア時代[編集]

1912年五輪の選手たち。

ロシアでは、帝政ロシアの時代に既にナショナルチームが結成されている。1912年ストックホルムオリンピックにおけるサッカー競技がロシア代表初の国際大会であり、この大会でのフィンランド戦(1912年6月30日、1-2でロシアは1回戦敗退)が、ロシア初の国際試合である[2]

帝政ロシアの時代においては、ロシア代表が9試合行った記録が残っている[2]。帝政ロシアとして最後の試合は1914年12月7日に行われたノルウェー戦で、1-1のドローであった[2]。この後、この地域のナショナルチームの活動は、第一次世界大戦ロシア革命、それに続く混乱のため、ナショナルチームを結成できない状態が続いた。サッカーソビエト連邦代表が新たに編成されるのは1923年を待たなければならない[2]。この1923年から1992年までは「ロシア代表」の名前は消え、この地域を代表するナショナルチームとしてサッカーソビエト連邦代表が編成され国際大会に参加していた。この期間のナショナルチームの活動に関しては、その項目を参照。

新生ロシア時代[編集]

サポーター(ユーロ2008)。

1991年12月25日ソ連崩壊後、ロシアサッカー連合が旧ソ連のサッカー協会を継承した。ただし、登録期間の締切などの問題もありユーロ92と同年のバルセロナオリンピックには、旧ソ連15共和国で独立国家共同体代表(CIS代表)を編成して参加している。旧ソ連・CIS代表チームの選手は、それぞれ独立した各国代表チームに分かれたが、最終的に所属する代表チームを選択するまでの猶予期間が与えられており、この間に別の代表チームで活動していた選手も多かった。そのため、初期のロシア代表メンバーにはユース年代から数えて旧ソ連・CIS時代を含む4つの代表チームでの活動実績を有する選手もいた。これらの選手は1994年アメリカワールドカップ出場のためにロシア代表を選択したとされる。

新生ロシア代表としての最初の国際試合は、1992年8月16日に行われたメキシコとの親善試合だった[2]。一方、ソ連からロシアへの移行後は国内の経済的混乱もあり、目立った成績を残せなかった。1994年アメリカワールドカップでは、グループB初戦のブラジル戦と次のスウェーデン戦に敗れ、第3戦のカメルーン戦に6-1で大勝したもののグループ3位で敗退した。カメルーン戦で5得点を挙げたオレグ・サレンコは結局、ブルガリアフリスト・ストイチコフとともに大会得点王(6得点)に輝いた[3]

2002年日韓ワールドカップではグループリーグ1位通過と予想する声があったが、1勝2敗で敗退して国民の期待を裏切った。ユーロ2004出場の際、代表の勝利を願い選手の妻やガールフレンド9人がロシアの新聞でヌードになる(しかし、胸や局部などは選手の写真プレートで隠している。)という企画が話題となったが、ギリシャに勝利のみの1勝2敗でグループリーグ敗退という結果に終わった。

2006年、ロシアにとって初の外国人監督となるオランダ人のフース・ヒディンクが監督に就任した。ユーロ2008の予選の際には同じ予選グループのクロアチアイングランドを倒したらスパルタク・モスクワのオーナーである富豪がベンツ4台を送るという申し出があった。その後クロアチアはイングランドに2-3で逆転勝利。ロシアもアンドラに勝利して本大会進出が決定し、富豪はベンツを送るという公約を守りクロアチア協会に近いうちに送られるという。そのユーロ2008では初戦、準決勝とスペインに2度苦杯をなめたものの、準々決勝では死のグループで圧倒的な力を見せ付けていたオランダを撃破し、ソ連時代以来久々に上位に食い込んだ。更に国内の景気が回復し、そして上昇した事で国内リーグに外国人、とりわけ今まで見られなかった南米の選手が多くなってきたのが目立ち、リーグのレベルはCSKAモスクワゼニト・サンクトペテルブルクUEFAカップ制覇で確実に上昇している。

その後、ユーロ2008での主力が大半残り2010 FIFAワールドカップ出場を目指し予選に臨んだが、ロシアと同じグループに入ったドイツにホーム・アウェー共に惜敗し、グループ2位でスロベニアとのプレーオフに回った。前評判では有利と見られていたが、初戦のホームではMFディニャル・ビリャレトディノフの2得点で先行するものの、終了直前に痛恨のアウェイゴールを与えてしまう。アウェーでの試合ではスロベニアに先制されてしまい、後半から猛好を仕掛けるもののFWのアレクサンドル・ケルジャコフが一発レッドをもらい退場となった。試合終了間際にもMFユーリ・ジルコフが退場処分を受け1-0で敗戦、アウェーゴールの差で予選敗退となった。

ユーロ2012のグループリーグでは第1戦でチェコに4-1で勝利し、次のポーランド戦では引き分けだったが、2試合を終えて勝ち点4とベスト8進出には有利な立場だった。しかし、第3戦でギリシャに敗れ、勝ち点は同じ4だったが直接対決の結果を優先する大会の規定によりグループA3位となり敗退となった。

2014 FIFAワールドカップ欧州予選は強豪ポルトガルと同組になったが首位で通過し、3大会ぶりの本大会出場を決めた。だが、本大会では2分1敗の成績でグループリーグ敗退となった。

ユーロ2016は、4大会連続で本大会に出場したがグループリーグで1分け2敗の最下位で敗退した。

2018 FIFAワールドカップは地元開催となる為、2014年大会に続く2大会連続の出場となった。ロシアは大会前のFIFAランキングが出場32チームの中で最下位(70位)であったため、グループリーグ突破を不安視する声があったがグループAを2勝1敗の成績で2位となり、旧ソ連時代以来8大会ぶりとなるグループリーグ突破を果たした[4]。決勝トーナメント1回戦では優勝候補の一角スペインに対し、PK戦の末勝利した。準々決勝のクロアチア戦では先制したものの追いつかれ、延長でドマゴイ・ヴィダのゴールでクロアチアに一旦逆転を許したものの、延長後半のマリオ・フェルナンデスのゴールで追いつき2戦連続のPK戦にもつれ込んだ。が、同点ゴールを決めたフェルナンデスがPK戦ではゴールを外すなどしたため3-4で敗れ、旧ソ連時代の1966年大会以来52年ぶりとなる準決勝進出を逃した。

FIFAワールドカップの成績[編集]

開催国 / 年 成績
アメリカ合衆国の旗 1994 グループリーグ敗退 3 1 0 2 7 6
フランスの旗 1998 予選敗退
日本の旗大韓民国の旗 2002 グループリーグ敗退 3 1 0 2 4 4
ドイツの旗 2006 予選敗退
南アフリカ共和国の旗 2010
ブラジルの旗 2014 グループリーグ敗退 3 0 2 1 2 3
ロシアの旗 2018 ベスト8 5 2 2 1 11 7
合計 出場4回 14 4 4 6 24 20

UEFA欧州選手権の成績[編集]

  • 1996 - グループリーグ敗退
  • 2000 - 予選敗退
  • 2004 - グループリーグ敗退
  • 2008 - ベスト4
  • 2012 - グループリーグ敗退
  • 2016 - グループリーグ敗退

歴代監督[編集]

選手[編集]

関連項目[編集]

出典[編集]

  1. ^ 以下の成績はソビエト連邦時代を含めない
  2. ^ a b c d e Russia/USSR - List of International Matches
  3. ^ 1994 FIFA World Cup USA ™”. FIFA. 2012年4月24日閲覧。
  4. ^ 篠崎直也 (2018年6月29日). “ロシア「不作の世代」が意地の躍進。開催国でも手のひら返しがブームに。 - 海外サッカー -”. Number Web - ナンバー. 2018年7月2日閲覧。

外部リンク[編集]