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サッカーロシア代表

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
サッカーロシア代表
国または地域 ロシアの旗 ロシア
協会 ロシアサッカー連合
FIFAコード RUS
監督 ロシアの旗 ヴァレリー・カルピン
最多出場選手 セルゲイ・イグナシェヴィッチ(127試合)
最多得点選手 アレクサンドル・ケルジャコフ
アルテム・ジューバ[注釈 1](30得点)
ホームカラー
アウェイカラー
初の国際試合
 フィンランド大公国 2–1 ロシア帝国 
ストックホルムスウェーデン; 1912年6月30日)
ロシア連邦として:
 ロシア 2–0 メキシコ 
モスクワロシア; 1992年8月16日)
最大差勝利試合
 ソビエト連邦 11–1 インド 
モスクワソビエト連邦; 1955年9月16日)
 フィンランド 0–10 ソビエト連邦 
ヘルシンキフィンランド; 1957年8月15日)
ロシア連邦として:
 ロシア 11–0 ブルネイ 
クラスノダールロシア; 2024年11月15日)
最大差敗戦試合
 ドイツ帝国 16–0 ロシア帝国 
ストックホルムスウェーデン; 1912年7月1日)
ロシア連邦として:
 ポルトガル 7-1 ロシア 
リスボンポルトガル; 2004年10月13日)
FIFAワールドカップ
出場回数 4回(初出場は1994
最高成績 ベスト8 (2018)
UEFA欧州選手権
出場回数 6回
最高成績 ベスト4 (2008)
FIFAコンフェデレーションズカップ
出場回数 1回
最高成績 グループリーグ敗退 (2017)

サッカーロシア代表(サッカーロシアだいひょう、Сборна России по футболу)は、ロシアサッカー連合(RFU)によって構成されるロシアサッカーナショナルチームである。ホームスタジアムは、首都モスクワにあるルジニキ・スタジアム

歴史

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帝政ロシア時代

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1912年ストックホルム五輪でのロシア代表

ロシアでは、帝政ロシアの時代に既にナショナルチームが結成されている。1912年ストックホルムオリンピックにおけるサッカー競技がロシア代表初の国際大会であり、この大会でのフィンランド[注釈 2]が、ロシア初の国際試合である[1]

帝政ロシアの時代においては、ロシア代表が9試合行った記録が残っている[1]。帝政ロシアとして最後の試合は1914年12月7日に行われたノルウェー戦で、1-1のドローであった[1]。この後、この地域のナショナルチームの活動は、第一次世界大戦ロシア革命、それに続く混乱のため、ナショナルチームを結成できない状態が続いた。サッカーソビエト連邦代表が新たに編成されるのは1923年を待たなければならない[1]。この1923年から1992年までは「ロシア代表」の名前は消え、この地域を代表するナショナルチームとしてサッカーソビエト連邦代表が編成され国際大会に参加していた。

新生ロシア時代

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1991年12月25日のソビエト連邦の崩壊後、ロシアサッカー連合が旧ソ連のサッカー協会を継承した。ただし、登録期間の締切などの問題もありユーロ92と同年のバルセロナオリンピックには、旧ソ連15共和国で独立国家共同体代表(CIS代表)を編成して参加している。旧ソ連・CIS代表チームの選手は、それぞれ独立した各国代表チームに分かれたが、最終的に所属する代表チームを選択するまでの猶予期間が与えられており、この間に別の代表チームで活動していた選手も多かった。そのため、初期のロシア代表メンバーにはユース年代から数えて旧ソ連・CIS時代を含む4つの代表チームでの活動実績を有する選手もいた。これらの選手は1994年アメリカワールドカップ出場のためにロシア代表を選択したとされる。

新生ロシア代表としての最初の国際試合は、1992年8月16日に行われたメキシコとの親善試合だった[1]。一方、ソ連からロシアへの移行後は国内の経済的混乱もあり、目立った成績を残せなかった。1994年アメリカワールドカップでは、グループB初戦のブラジル戦と次のスウェーデン戦に敗れ、第3戦のカメルーン戦に6-1で大勝したもののグループ3位で敗退した。カメルーン戦で5得点を挙げたオレグ・サレンコは結局、ブルガリアフリスト・ストイチコフとともに大会得点王(6得点)に輝いた[2]

2002年日韓ワールドカップではグループリーグ1位通過と予想する声があったが、1勝2敗で敗退して国民の期待を裏切った。ユーロ2004出場の際、代表の勝利を願い選手の妻やガールフレンド9人がロシアの新聞でヌードになる(しかし、胸や局部などは選手の写真プレートで隠している。)という企画が話題となったが、ギリシャに勝利のみの1勝2敗でグループリーグ敗退という結果に終わった。

2006年4月10日、PSV及びオーストラリア代表を率いているフース・ヒディンクドイツワールドカップ終了後に新たにロシア代表監督に就任することが発表された[3]。ロシア代表にとって初の外国人監督のもと始動したUEFA EURO2008予選では、イングランドクロアチアなどと同居するグループEとなったが、最終節でイングランドを上回る2位となり、本選出場のチケットを手に入れた[4]。 ちなみに、この予選の際にクロアチアに対し、イングランドを倒したらスパルタク・モスクワのオーナーである富豪がベンツ4台を送るという申し出があった。そして最終節でクロアチアはイングランドに2-3で逆転勝利。ロシアもアンドラに勝利して本大会出場が決定し、富豪はベンツを送るという公約を守りクロアチア協会に近いうちに送られたという[要出典]

UEFA EURO 2008でのロシア代表のサポーター

EURO2008本選ではギリシャスペインスウェーデンと同組のグループDとなる。初戦のスペイン戦では1-4と大敗し厳しいスタートとなるも、続く前回王者のギリシャとの戦いでは1-0と勝利し、最終節のスウェーデン戦でも2-0で勝利を収め、決勝トーナメント進出を果たした。準々決勝では、死のグループを全勝で突破したオランダを3-1で破り、準決勝に進出する。準決勝では再び相対したスペインに0-3で敗れるも、ベスト4という好成績を残した[5]。殊に、スウェーデン戦で出場停止から復帰したアンドレイ・アルシャヴィンは3試合の出場ながらもロシアの躍進の象徴となった[6][7]UEFAが選出する23人の優秀選手には、そのアルシャヴィンとロマン・パヴリュチェンココンスタンティン・ジリャノフユーリー・ジルコフの4人が選出された[8]

その後、ユーロ2008での主力が大半残り2010 FIFAワールドカップ出場を目指し予選に臨んだが、ロシアと同じグループに入ったドイツにホーム・アウェー共に惜敗し、グループ2位でスロベニアとのプレーオフに回った。前評判では有利と見られていたが、初戦のホームではMFディニャル・ビリャレトディノフの2得点で先行するものの、終了直前に痛恨のアウェーゴールを与えてしまう。アウェーでの試合ではスロベニアに先制されてしまい、後半から猛好を仕掛けるもののFWのアレクサンドル・ケルジャコフが一発レッドをもらい退場となった。試合終了間際にもMFユーリ・ジルコフが退場処分を受け1-0で敗戦、アウェーゴールの差で予選敗退となった。

UEFA EURO 2012のグループリーグでは第1戦でチェコに4-1で勝利し、次のポーランド戦では引き分けだったが、2試合を終えて勝ち点4とベスト8進出には有利な立場だった。しかし、第3戦でギリシャに敗れ、勝ち点は同じ4だったが直接対決の結果を優先する大会の規定によりグループA3位となり敗退となった。

2014 FIFAワールドカップ欧州予選は強豪ポルトガルと同組になったが首位で通過し、3大会ぶりの本大会出場を決めた。だが、本大会では2分1敗の成績でグループリーグ敗退となった。

UEFA EURO 2016は、4大会連続で本大会に出場したがグループリーグ1分け2敗の最下位で敗退した。

2018 FIFAワールドカップは地元開催となる為、2014年大会に続く2大会連続の出場となった。ロシアは大会前のFIFAランキングが出場32チームの中で最下位(70位)であったため、グループリーグ突破を不安視する声があったがグループAを2勝1敗の成績で2位となり、旧ソ連時代以来8大会ぶりとなるグループリーグ突破を果たした[9]。決勝トーナメント1回戦では優勝候補の一角スペインに対し、PK戦の末勝利した。準々決勝のクロアチア戦では先制したものの追いつかれ、延長前半にドマゴイ・ヴィダのゴールでクロアチアに一度は逆転を許したものの、延長後半のマリオ・フェルナンデスのゴールで追いつき2戦連続のPK戦に持ち込んだ。しかし、延長後半に同点ゴールを決めたマリオ・フェルナンデスがPK戦で失敗するなどしたため3-4で敗れ、旧ソ連時代の1966年大会以来52年ぶりとなる準決勝進出を逃した。

1年延期されたUEFA EURO 2020は、5大会連続で本大会に出場したがグループリーグ1勝2敗の3位で敗退した。

ウクライナ侵略による制裁後

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ロシアによるウクライナ侵略に対してFIFA並びにUEFAがロシア代表へのFIFA主催大会並びにUEFA主催大会への参加停止を課したため、2022 FIFAワールドカップヨーロッパ予選プレーオフでは制裁により不戦敗となり、3大会連続での出場は叶わなかった[10][11]UEFAネーションズリーグ2022-23でもリーグBグループ2に入っていたが、UEFAはロシア代表の参加を認めないことを発表したと同時に、グループ4位並びにリーグBの32位にする事を発表した[12][13][14]

成績

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FIFAワールドカップ

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開催国 / 年 成績
アメリカ合衆国の旗 1994 グループリーグ敗退 3 1 0 2 7 6
フランスの旗 1998 予選敗退
日本の旗大韓民国の旗 2002 グループリーグ敗退 3 1 0 2 4 4
ドイツの旗 2006 予選敗退
南アフリカ共和国の旗 2010
ブラジルの旗 2014 グループリーグ敗退 3 0 2 1 2 3
ロシアの旗 2018 ベスト8 5 2 2 1 11 7
カタールの旗 2022 出場停止
合計 出場4回 14 4 4 6 24 20

UEFA欧州選手権

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  • 1996 - グループリーグ敗退
  • 2000 - 予選敗退
  • 2004 - グループリーグ敗退
  • 2008 - ベスト4
  • 2012 - グループリーグ敗退
  • 2016 - グループリーグ敗退
  • 2020 - グループリーグ敗退
  • 2024 - 出場停止

歴代監督

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歴代選手

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主要大会のメンバー

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主な代表選手

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GK

DF

MF

FW

歴代記録

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出場数ランキング

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2023年3月26日時点

  水色は現役代表選手
順位 名前 試合数 得点数 期間
1 セルゲイ・イグナシェヴィッチ 127 8 2002-2016
2 イゴール・アキンフェエフ 111 0 2004–2018
3 ヴィクトル・オノプコ 109 7 1992–2004
4 ユーリ・ジルコフ 105 2 2005-2021
5 ヴァシリ・ベレズツキー 101 5 2003–2016
6 アレクサンドル・ケルジャコフ 90 30 2002–2015
7 アレクサンドル・アニュコフ 76 1 2004–2013
8 アンドレイ・アルシャヴィン 74 17 2002–2012
9 ヴァレリー・カルピン 72 17 1992–2003
10 ウラジーミル・ベスチャツニフ英語版 71 26 1992–2003

得点数ランキング

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2023年3月26日時点

  水色は現役代表選手
# 名前 得点数 試合数 期間 得点率
1 アレクサンドル・ケルジャコフ 30 90 2002–2016 0.33
アルテム・ジューバ 30 55 2011-2021 0.55
3 ウラジーミル・ベスチャツニフ英語版 26 71 1992–2003 0.37
4 ロマン・パヴリュチェンコ 21 50 2003–2012 0.42
5 ヴァレリー・カルピン 17 72 1992–2003 0.24
アンドレイ・アルシャヴィン 17 74 2002–2012 0.23
7 フョードル・スモロフ 16 44 2012- 0.36
8 ドミートリー・シチョフ 15 47 2002–2010 0.32
9 ロマン・シロコフ 13 56 2008–2016 0.23
10 イーゴリ・コリヴァノフ英語版 12 35 1992–1998 0.34
アレクサンドル・ココリン 12 47 2011-2017 0.26
デニス・チェリシェフ 12 33 2012- 0.36

脚注

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注釈

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  1. ^ 両者とも現ロシア連邦として。
  2. ^ 1912年6月30日、1-2でロシアは1回戦敗退。

出典

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  1. ^ a b c d e Russia/USSR - List of International Matches
  2. ^ 1994 FIFA World Cup USA ™”. FIFA. 2012年4月24日閲覧。
  3. ^ “Russia make Hiddink appointment” (英語). (2006年4月12日). http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/internationals/4901450.stm 2019年2月3日閲覧。 
  4. ^ Euro 2008 - Switzerland & Austria | Qualifying Group E”. www.soccerphile.com. 2019年2月3日閲覧。
  5. ^ uefa.com. “UEFA EURO 2008 - History - Russia” (英語). UEFA.com. 2019年2月3日閲覧。
  6. ^ Holland 1 Russia 3: Arshavin's touches of magic inspire a Russian” (英語). The Independent (2008年6月22日). 2019年2月3日閲覧。
  7. ^ Harding, Luke (2008年6月25日). “Football: Luke Harding profiles Russia's Euro 2008 star Andrei Arshavin” (英語). The Guardian. ISSN 0261-3077. https://www.theguardian.com/football/2008/jun/25/russia.euro2008 2019年2月3日閲覧。 
  8. ^ uefa.com (2008年6月30日). “Media releases - Media – UEFA.org” (英語). UEFA.com. 2019年3月16日閲覧。
  9. ^ 篠崎直也 (2018年6月29日). “ロシア「不作の世代」が意地の躍進。開催国でも手のひら返しがブームに。 - 海外サッカー -”. Number Web - ナンバー. 2018年7月2日閲覧。
  10. ^ "FIFA/UEFA suspend Russian clubs and national teams from all competitions" (Press release). FIFA.com. 28 February 2022. 2022年3月1日閲覧
  11. ^ “FIFAがロシアのW杯欧州予選追放を正式決定。この結果ポーランドが決勝進出…ウクライナ戦は6月に延期”. GOAL.com. (2022年3月9日). https://www.goal.com/jp/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9/fifa-boots-russia-202203082220/blt094fa483a02e7d47 2022年5月5日閲覧。 
  12. ^ "UEFA decisions for upcoming competitions relating to the ongoing suspension of Russian national teams and clubs" (Press release) (英語). 欧州サッカー連盟. 2 May 2022. 2022年5月5日閲覧
  13. ^ UEFAがロシアへの追加制裁を発表…今夏の女子EUROやUNL、来季欧州カップ戦などへ出場禁止”. GOAL.com (2022年5月3日). 2022年5月5日閲覧。
  14. ^ UEFA、ロシアへの制裁措置拡大 今夏の女子欧州選手権、23年大会、欧州選手権への参加禁止”. 日刊スポーツ (2022年5月3日). 2022年5月5日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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