セザール・サンパイオ

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Flag of Portugal.svg この名前はポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の)はサンパイオ、第二姓(父方の)はカンポスです。
セザール・サンパイオ Football pictogram.svg
名前
本名 Carlos César Sampaio Campos
ラテン文字 Cézar Sampaio
ポルトガル語 Carlos César Sampaio Campos
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 1968年3月31日(48歳)
出身地 サンパウロ州の旗 サンパウロ州サンパウロ市
身長 177cm
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1986-1991 ブラジルの旗 サントスFC 289 (9)
1991-1994 ブラジルの旗 SEパルメイラス 218 (18)
1995-1998 日本の旗 横浜フリューゲルス 150 (17)
1999-2000 ブラジルの旗 SEパルメイラス 86 (7)
2000-2001 スペインの旗 デポルティーボ・ラ・コルーニャ 17 (0)
2001 ブラジルの旗 SCコリンチャンス・パウリスタ 9 (0)
2002 日本の旗 柏レイソル 37 (4)
2003-2004 日本の旗 サンフレッチェ広島 71 (5)
2004 ブラジルの旗 サンパウロFC 25 (1)
代表歴2
1993-1998 ブラジルの旗 ブラジル 49 (6)
1. 国内リーグ戦に限る。2007年10月6日現在。
2. 2007年10月6日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

カルロス・セーザル・サンパイオ・カンポス(Carlos Cézar Sampaio Campos、1968年3月31日 - )は、ブラジルサンパウロ出身の元サッカー選手[1]。ポジションはMF

なお、一般には「セザール・サンパイオ (Cézar Sampaio)」として知られているため表題もそれに倣うが、本人のインタビューによると「セーザル・サンパイオ」というのが本来の読み方に近く、日本でも一時は「セーザル」と表記していた。

人物[編集]

ハードマークと空中戦に強さを発揮する古典的な守備的ミッドフィールダー[2][3]。1990年代ブラジルを代表するMFの一人であり、Jリーグ黎明期を代表するワールドクラスのボランチ[3]

経歴[編集]

現役前半[編集]

1986年17歳の時に、ブラジルのクラブチーム・サントスFCでプロキャリアをスタートする[1][2]。なお同年には三浦知良もサントスと契約しており、プロとして同期ということになる[4]。デビュー戦は1986年4月8日対CAジュベントス[1]。順調に試合出場を重ね、1990年にはボーラ・ジ・オーロを受賞している[4]

1991年、SEパルメイラスに移籍する。エジムンドリバウドロベルト・カルロスフレディ・リンコンジーニョエバイールアントニオ・カルロス・ザーゴエジウソンらとプレー、ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ監督時代の黄金期の一員として活躍し、93年・94年と2年連続でカンピオナート・ブラジレイロカンピオナート・パウリスタの2冠を達成した[4]。1993年ボーラ・ジ・オーロ受賞。

1995年、パルメイラス時代の同僚であるジーニョとエバイールとの3人で横浜フリューゲルスに移籍する[4]。横浜Fが3人を獲得するのに1,000万ドル以上を費やしたと言われている[3]。当初は日本特有のゾーンプレスに馴染めなかったが、ブラジル人のアントニオ・カルロス・シルバオタシリオに監督が代わると本領発揮、堅実な守備に加えて攻撃力も備えるMFとして日本代表山口素弘と中盤の底を担った[5]

1998年10月29日、横浜フリューゲルスがホームタウンを同じとする横浜マリノスとの合併(実態はクラブ消滅)を発表した。横浜フリューゲルス合併問題の際には、フリューゲルスイレブンとサポーターが合同で横浜駅前で『合併反対とフリューゲルス存続を求める』署名活動を行った。この活動にサンパイオ自身もチームメートと共に街頭で署名を呼びかけている。1999年元日の天皇杯優勝を最後にフリューゲルスが消滅した為、サンパイオは日本を離れ母国へ帰国することとなった。

セレソン[編集]

セレソンでは年代別代表として1987 FIFAワールドユース選手権に出場している。

1993年コパ・アメリカ1993でレギュラーとして活躍する[6] も、1994 FIFAワールドカップには選出されなかった。

コパ・アメリカ1995でもレギュラーとして準優勝[7]コパ・アメリカ1997ではマウロ・シウバドゥンガのバックアップとして優勝に貢献する[8]FIFAコンフェデレーションズカップ1997制覇にも貢献した[9]

1998 FIFAワールドカップではドゥンガとボランチのコンビを組み、大会の開幕戦となったスコットランド戦では前半4分に同大会最初のゴールをあげるなど3得点の活躍により、決勝進出の原動力となった[4][5][10]

ただ、この大会を最後にセレソンからは遠ざかることになる。

現役後半[編集]

1999年ブラジル帰国後、パルメイラスに復帰しコパ・リベルタドーレス1999制覇に貢献する[2]。日本に凱旋する形でトヨタカップにも出場したが準優勝に終わった。

2000年翌シーズンにはスペインのデポルティーボ・ラ・コルーニャへ移籍するも[2]、マウロ・シルバとドナトからレギュラーを奪えなかった。

2001年SCコリンチャンス・パウリスタに移籍後、2002年柏レイソルに入団する[5]。ただ柏ではチームにうまくハマらなかった[5]

2003年、当時Jリーグ ディビジョン2(J2)のサンフレッチェ広島へ移り、チームのJ1昇格に貢献した[5]。翌2004年8月一旦引退発表し広島からスタッフ入りを打診されていたが[5]、オファーが来たことからサンパウロFCでプレー、同年12月正式に現役引退した[1]

引退後[編集]

引退後は、スポーツ解説者として活躍する[11]

現役時代の1998年からスポーツマネージメント分野に関わり、リバウドとの共同でマネージメント会社「CSRフットボール・マーケティング」を設立し、以降規模の小さいクラブのマネージメント(GM)業務を行う[4][11]。まず、グアラチンゲタ・フチボウを強化し結果を残したが強化費用をかけすぎたため結果的には失敗した[12]

そこできちんと学ばなければならないと大学へ入り、マーケティング、マネージメント、ジャーナリズムを学ぶ[12]。その後はGEブラジウリオクラロFCポルトガル語版モジミリンECでクラブ経営業務を行った[11]

2011年11月から2012年12月まで、古巣パルメイラスのGM(Gerente de futebol)として活躍した[11]コパ・リベルタドーレス2013出場権を確保するものの、カンピオナート・ブラジレイロでは低迷しセリエBに降格してしまう[1]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
1986 サントス 10 0
1987 7 0
1988 15 0
1989 16 0
1990 18 1
1991 17 1
1992 パルメイラス 18 2
1993 20 2
1994 22 1
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1995 横浜F - J 32 0 - 2 1 34 1
1996 27 5 14 2 2 0 43 7
1997 8 29 6 9 1 2 0 40 7
1998 28 2 0 0 5 0 33 2
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
1999 パルメイラス 15 2
2000 7 0
スペイン リーグ戦 国王杯 オープン杯 期間通算
2000-01 ラ・コルーニャ プリメーラ 10 0
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
2001 コリンチャンス 9 0
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2002 8 J1 26 3 6 0 0 0 32 3
2003 広島 6 J2 41 5 - 4 0 45 5
2004 J1 14 0 2 0 - 16 0
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
2004 サンパウロ 25 1
通算 ブラジル
日本 J1 156 16 31 3 11 1 198 20
日本 J2 41 5 - 4 0 45 5
スペイン プリメーラ
総通算

タイトル[編集]

個人[編集]

代表[編集]

ブラジルの旗 ブラジル代表

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e Cézar Sampaio”. terceirotempo.bol.uol.com. 2013年6月20日閲覧。
  2. ^ a b c d Cézar Sampaio”. ウニヴェルソ・オンライン. 2013年6月20日閲覧。
  3. ^ a b c さよならサンパイオ、Jリーグの偉大なる奉仕者”. ジェレミー・ウォーカー (2004年7月1日). 2013年6月20日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 田崎健太「国境なきフットボール」(第2金曜更新) : 第50回 日本でプレーしたブラジル人たちのその後<Vol.7>”. Sports Communications (2011年11月11日). 2013年6月20日閲覧。
  5. ^ a b c d e f セザール・サンパイオ、引退。”. 紫熊倶楽部 (2004年7月11日). 2013年6月20日閲覧。
  6. ^ Copa América 1993”. rsssf. 2013年6月20日閲覧。
  7. ^ Copa América 1995”. rsssf. 2013年6月20日閲覧。
  8. ^ Copa América 1997”. rsssf. 2013年6月20日閲覧。
  9. ^ Intercontinental Cup for Nations 1997”. rsssf. 2013年6月20日閲覧。
  10. ^ World Cup 1998”. rsssf. 2013年6月20日閲覧。
  11. ^ a b c d César Sampaio é o novo gerente de futebol do Palmeiras”. Sports Communications (2011年11月4日). 2013年6月20日閲覧。
  12. ^ a b 田崎健太「国境なきフットボール」(第2金曜更新) : 第50回 日本でプレーしたブラジル人たちのその後<Vol.8>”. Sports Communications (2011年12月9日). 2013年6月20日閲覧。

参考資料[編集]

関連情報[編集]

  • 『SAMPAIO 勝者の証』セザール・サンパイオ著、 2004年6月、JCベストブックス、ISBN 4990212703

関連項目[編集]

外部リンク[編集]