エジムンド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の)はデ・ソウザ第二姓(父方の)はネトです。
エジムンド Football pictogram.svg
Edmundo.jpg
名前
本名 エジムンド・アウヴェス・デ・ソウザ・ネト
Edmundo Alves de Souza Neto
愛称 野獣、アニマウ
ラテン文字 Edmundo
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1971-04-02) 1971年4月2日(48歳)
出身地 ニテロイ
身長 173cm
体重 72kg
選手情報
ポジション FW (CF)
利き足 右足
ユース
1982-1987 ブラジルの旗 ヴァスコ・ダ・ガマ
1987-1989 ブラジルの旗 ボタフォゴ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1989-1992 ブラジルの旗 ヴァスコ・ダ・ガマ 23 (8)
1992-1995 ブラジルの旗 パルメイラス 180 (74)
1995 ブラジルの旗 フラメンゴ 14 (2)
1996 ブラジルの旗 コリンチャンス 0 (0)
1996-1997 ブラジルの旗 ヴァスコ・ダ・ガマ 44 (38)
1997-1999 イタリアの旗 フィオレンティーナ 37 (12)
1999-2000 ブラジルの旗 ヴァスコ・ダ・ガマ 16 (13)
2000 ブラジルの旗 サントス 20 (13)
2001 イタリアの旗 ナポリ 17 (4)
2001 ブラジルの旗 クルゼイロ 12 (3)
2001-2002 日本の旗 東京ヴェルディ 31 (18)
2003 日本の旗 浦和レッズ 0 (0)
2003-2004 ブラジルの旗 ヴァスコ・ダ・ガマ 20 (7)
2004 ブラジルの旗 フルミネンセ 19 (7)
2005 ブラジルの旗 ノヴァ・イグアス 2 (1)
2005 ブラジルの旗 フィゲイレンセ 31 (15)
2006-2007 ブラジルの旗 パルメイラス 49 (14)
2008 ブラジルの旗 ヴァスコ・ダ・ガマ 26 (13)
代表歴
1992-2000 ブラジルの旗 ブラジル 39 (10)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

エジムンド・アウヴェス・デ・ソウザ・ネト(Edmundo Alves de Souza Neto, 1971年4月2日 - )は、ブラジルリオデジャネイロ州ニテロイの元サッカー選手リオデジャネイロ州ニテロイ市出身。ポジションはフォワード。登録名はエジムンド (Edmundo) 。

クラブ経歴[編集]

デビューからセリエAでの活躍[編集]

1992年、CRヴァスコ・ダ・ガマのユースの試合で中央から4人抜きゴールを決め、数日後Aチームとの練習で監督に認められ、わずか16歳でユースから昇格した。

翌年パルメイラスが獲得、毎試合マン・オブ・ザ・マッチになり続ける姿を、あるラジオリポーターが「アニマル(野獣)」と名付け、以後あだ名として定着した。反面ラフプレーも多くレッドカードも少なくなかったため、問題児としても有名になった。1993年、1994年はリンコン、エジウソンエバイールらと攻撃陣を形成し、ブラジル選手権優勝に貢献した。しかし、チームメイトの間柄は良好とは言えず、1994年の末にフラメンゴに売却された。

フラメンゴではロマーリオサヴィオらとファンタスティックトリオを結成、しかしチームはうまくいかず相手サポーターからは世界一弱い攻撃陣と呼ばれるなど、屈辱の時を味わった。

1997年のブラジル選手権ではヴァスコ・ダ・ガマを優勝に導き自身も1試合6ゴールを決めるなど活躍。その年の得点王に輝いた。

その後、イタリア・セリエAフィオレンティーナに移籍し、ルイ・コスタバティストゥータらと並んで攻撃陣の一角を占めて活躍しフィオレンティーナの優勝争いに貢献したが(最終成績は3位)、終盤で得点源バティストゥータが故障離脱し危機的な状況の時に「リオのカーニバルに参加する為」ブラジルへ帰国。もともと契約にはカーニバル休暇の条項があったとはいえ、正念場での離脱行為は多くのサポーターやチームメートからの信頼を失った[1]。1998年シーズン第4節ウディネーゼ戦では試合終了直前に決勝ゴールを決めるなど、一時はヴィオラを首位に立たせる活躍をしていたが、その後ヴァスコ・ダ・ガマへ復帰、サントスを経て、一時レンタル移籍でナポリでもプレーした[2]

Jリーグでの活躍[編集]

2001年にはJ2降格の危機に立たされていた東京ヴェルディ1969に急遽入団。Jリーグデビューとなったセカンドステージ11節C大阪戦でいきなりゴールを決めるなど活躍、東京ヴェルディ1969はエジムンドの加入後3勝1敗1分けの成績で14位に滑り込み、チームのJ1残留に大きく貢献した[3]

2002年は5節からの登場となったが、ヴェルディのゲームメーカー兼エースストライカーとして、7節浦和戦で2002年初ゴールを決め、10節FC東京戦では決勝点を含む2ゴール、セカンドステージ神戸戦2節神戸戦で決勝点を含め2ゴール、6節名古屋戦では決勝ゴールを、最終節の仙台戦でも2ゴールを決めるなど、合計16点を獲る活躍をしたが、高額な年俸(2億)がネックとなり[4]浦和レッズに移籍。

2003年のシーズン開幕直後にハンス・オフト監督との意見の相違からブラジル帰国を希望し、まもなく退団。出場はナビスコカップ予選2試合だったため、リーグ戦の出場なしということになった。

ブラジルへの複帰[編集]

フルミネンセでは再びロマーリオと2トップを組み、話題になった。長期の負傷から復帰したばかりの2005年にノヴァ・イグアスへ移籍するが、1か月足らずで退団。直後に加入したフィゲイレンセでエースとして活躍。2006年には古巣であるパルメイラスに移籍し、2008年からはキャリアをスタートさせたヴァスコ・ダ・ガマに復帰し、現役を引退した[5]

代表歴[編集]

1992年から2000年まで39試合でプレー10得点を記録[6] 。3度のコパアメリカとフランスワールドカップに出場、フランスワールドカップでは2試合に出場した[7]。1997年のコパアメリカでは優勝も経験、1995年のアンブロカップや1997年フランスプレワールドカップでもプレーしたが、不運にも同時期にロマーリオ、ベベット、ロナウドが居たため、途中出場やベンチが多く、レギュラーを掴めなかった[5]

引退後[編集]

現役引退後はFOXスポーツなどの解説者を務めている。2016年11月には、同月30日にコロンビアメデジンで開催される予定であったコパ・スダメリカーナ2016決勝1stレグの解説のため、シャペコエンセの遠征メンバーと同じチャーター便に搭乗する予定であったが、直前にキャンセルとなったため、ラミア航空2933便墜落事故の遭遇を免れた。なお、元ブラジル代表のマリオ・セルジオ・ポンテス・デ・パイバ英語版が、エジムンドの代わりにシャペコエンセの遠征に同行し、墜落事故に遭遇して命を落としている[8]

人物[編集]

  • プレーそのものの質はハイレベルでありながら素行の悪さでも有名で、数多くの問題行動からあだ名は「野獣(アニマウ)」だった。長年プレーしたヴァスコ・ダ・ガマパルメイラスのサポーターから愛され英雄である。
  • ヴェルディ時代のエピソードとして、試合前集中するために、どうしても一人になりたいと。ホーム、アウェイに関わらず一人になれる部屋を準備させていた[9]
  • 2002年の最終戦対ベガルタ仙台戦の試合前、ヴェルディの全選手が集まり、母国ブラジルで射殺されたエジムンドの弟の冥福を祈った。その試合で2得点を挙げ、さらに永井秀樹へのアシストを記録した[10]

個人タイトル[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1992 ヴァスコ・ダ・ガマ 24 8
1993 パルメイラス 19 11
1994 21 10
1995 フラメンゴ 13 2
1996 コリンチャンス 11 4
1996 ヴァスコ・ダ・ガマ 16 9
1997 26 29
イタリア リーグ戦 イタリア杯オープン杯 期間通算
1997-98 フィオレンティーナ 29 セリエA 9 4
1998-99 11 28 8
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1999 ヴァスコ・ダ・ガマ 26 16
2000 サントス 21 12
イタリア リーグ戦 イタリア杯オープン杯 期間通算
2000-01 ナポリ 97 セリエA 17 4
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2001 クルゼイロ 12 3
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2001 東京V 36 J1 5 2 - 3 2 8 4
2002 7 26 16 6 5 0 0 32 21
2003 浦和 0 0 2 0 - 2 0
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2003 ヴァスコ・ダ・ガマ 20 7
2004 フルミネンセ 19 7
2005 ノヴァ・イグアス 2 1
2005 フィゲイレンセ 31 15
2006 パルメイラス 29 10
2007 20 4
2008 ヴァスコ・ダ・ガマ 3 3 7 6
通算 ブラジル
イタリア セリエA 54 16
日本 J1 31 18 8 5 3 2 42 25
総通算

脚注[編集]

  1. ^ Bad boy Edmundo joins Santos”. ESPN FC (2000年8月1日). 2015年10月24日閲覧。
  2. ^ Edmundo esce, l' Udinese colpisce” (Italian). La Gazzetta dello Sport (2001年1月22日). 2015年10月24日閲覧。
  3. ^ 救世主列伝のなかでも極めつけはエジムンド - SOCCER DIGEST WEB 2014年9月28日
  4. ^ さらばエジムンド 君の事は忘れない! - A View from a Brit
  5. ^ a b Happy B day to You” (2011年3月27日). 2015年10月24日閲覧。
  6. ^ エジムンド - National-Football-Teams.com
  7. ^ World: Americas Soccer star Edmundo jailed”. BBC News (1999年3月6日). 2015年10月24日閲覧。
  8. ^ “エジムンド氏、解説予定も急きょ変更で搭乗せず”. ニッカンスポーツ・コム. 日刊スポーツ新聞社. (2016年12月1日). http://www.nikkansports.com/soccer/world/news/1745613.html 2016年12月1日閲覧。 
  9. ^ 日本人初!プロのホペイロになった松浦紀典が語る物への矜持 Vol.4 エジムンドとの衝撃的なエピソードとホペイロのお告げ -KING GEAR 2017年7月17日
  10. ^ さらばエジムンド 君の事は忘れない! - A View from a Brit