コンテンツにスキップ

リカルド・ジ・オリヴェイラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
リカルド・オリヴェイラ
ACミラン時代のリカルド・オリヴェイラ
名前
本名 リカルド・ジ・オリヴェイラ
Ricardo de Oliveira
ラテン文字 Ricardo Oliveira
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1980-05-06) 1980年5月6日(44歳)
出身地 サンパウロ
身長 183cm
体重 79kg
選手情報
ポジション FW (CF)
利き足 右足
ユース
1997-1999 ブラジルの旗 コリンチャンス
1999-2000 ブラジルの旗 ポルトゥゲーザ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2002 ブラジルの旗 ポルトゥゲーザ 46 (23)
2003 ブラジルの旗 サントス 14 (4)
2003-2004 スペインの旗 バレンシア 21 (8)
2004-2006 スペインの旗 ベティス 46 (26)
2006 ブラジルの旗 サンパウロ (loan) 8 (5)
2006-2008 イタリアの旗 ミラン 26 (3)
2007-2008 スペインの旗 サラゴサ (loan) 36 (18)
2008-2009 スペインの旗 サラゴサ 18 (9)
2009 スペインの旗 ベティス 16 (6)
2009-2014 アラブ首長国連邦の旗 アル・ジャジーラ 78 (54)
2010 ブラジルの旗 サンパウロ (loan) 15 (7)
2014 アラブ首長国連邦の旗 アル・ワスル 11 (4)
2015-2017 ブラジルの旗 サントス 75 (39)
2018-2020 ブラジルの旗 アトレチコ・ミネイロ 83 (28)
2020-2021 ブラジルの旗 コリチーバ 18 (2)
2022 ブラジルの旗 アスレティック-MG 9 (1)
2023 ブラジルの旗 ブラジリア 7 (2)
代表歴
2004-2016 ブラジルの旗 ブラジル 16 (5)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

リカルド・ジ・オリヴェイラ(Ricardo de Oliveira, 1980年5月6日 - )は、ブラジルサンパウロ出身の元サッカー選手。元ブラジル代表。現役時代のポジションはフォワード

「ヒカルド・オリベイラ」と表記されることもある。2度に渡って地元のサンパウロFCに在籍し、さらにスペイン・リーガ・エスパニョーラでは通算120試合に出場して58得点を挙げた。2004年にブラジル代表デビューし、コパ・アメリカFIFAコンフェデレーションズカップに1度ずつ出場した。

クラブ経歴

[編集]

デビュー直後

[編集]

アソシアソン・ポルトゥゲーザ・ジ・デスポルトスからデビューし、サントスFCに移籍するまでに46試合に出場して23得点を挙げた。サントスFCではリーグ戦で14試合に出場して4得点を挙げたが、2003年のコパ・リベルタドーレスではリーグ戦以上の得点ラッシュを見せ、決勝でボカ・ジュニアーズに敗れるまでにゴールを量産して大会得点王に輝いた。

バレンシアCF

[編集]

2003年7月31日、スペイン・リーガ・エスパニョーラバレンシアCFと5年契約を結び、サントスFCとバレンシアCFの共同保有選手となった[1]。10月のFCバルセロナ戦 (1-0) ではロングシュートで決勝点を挙げ、11月のRCDマジョルカ戦 (5-0) ではハットトリックを達成した。ラファエル・ベニテス監督が率いるチームで21試合に出場して8得点を記録した。2003-04シーズンにはリーグ戦とUEFAカップの2冠に輝いたが、わずか1シーズンでバレンシアCFを去った。

レアル・ベティス

[編集]

2004年7月、400万ユーロと言われる移籍金でレアル・ベティスに移籍した[2]。2004-05シーズンは37試合に出場して22得点を記録し、クラブ史上最高位の4位でUEFAチャンピオンズリーグ予選出場権を獲得した。同シーズンのコパ・デル・レイでは決勝でCAオサスナと対戦し、オリヴェイラの先制点などで相手を2-1で破って優勝した。2005-06シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ予選3回戦ASモナコ戦では単独の突破で得点した。本選での初得点はRSCアンデルレヒト戦であり、チームメイトの2得点に続いてチームの3点目を決めた。2005年11月1日のチェルシーFC戦で靭帯を負傷した影響で、2005-06シーズンのリーグ戦では9試合の出場にとどまったが、4得点を挙げた。

2006年初頭、2006 FIFAワールドカップに出場するためにブラジルのサンパウロFCにレンタル移籍し、結局FIFAワールドカップ出場は叶わなかったが、8月10日までにサンパウロFCで戦い続けることを明言した。しかし、8月21日にはレアル・ベティス復帰が決まり、クラブと首脳陣への忠誠心の欠如が議論を巻き起こした。サンパウロFCとの契約は当初予定されていたコパ・リベルタドーレス決勝当日までであったが、南米サッカー連盟 (CONMEBOL) が決勝の日程を1週間先延ばしにし、この無計画な日程変更が復帰騒動を引き起こした。オリヴェイラは決勝への出場を希望し、ベティスとの交渉を行い、さらに国際サッカー連盟 (FIFA) の特別許可を得たが、ベティスが協力しなかったために決勝には出場できなかった[3]。チームへの合流が遅れたことと、ベティスの許可なしにACミランのメディカルチェックを受けたことで、ベティスから2度の罰金処分を課された。

ACミラン

[編集]

2006年5月に発覚したカルチョ・スキャンダル後、イタリア・セリエAのACミランはアンドリー・シェフチェンコを失っており、その代役として2006年8月31日にオリヴェイラがACミランと5年契約を結んだ。移籍金は約1750万ユーロにも達するとされ、レアル・ベティスにはヨハン・フォーゲルが移籍した[4]。シェフチェンコが着けていた背番号7を受け継ぐと、2006-07シーズン開幕戦のSSラツィオ戦 (2-1) 後半途中にデビューし、ゴールライン上からアンジェロ・ペルッツィの頭上を超えるヘディングシュートを決めた。しかし、2006-07シーズンのリーグ戦ではわずか2点しか挙げられず、コッパ・イタリアの2点を加えてもシーズン通算4点に終わった。2006年10月に起こった妹の誘拐事件の影響を受け、2007年3月12日に無事解放されるまでシーズンの大半を心理的な重圧の中で過ごした。

2007年7月14日、スペインのレアル・サラゴサにレンタル移籍した。アルゼンチン代表ディエゴ・ミリートと2トップのコンビを組み、2007-08シーズンのチーム総得点50点のうち、ふたりだけで33点を荒稼ぎしたにもかかわらず、レアル・サラゴサはセグンダ・ディビシオン(2部)降格となった。契約にはシーズン終了後に完全移籍ができるオプションが付けられており、2008年5月25日、1000万ユーロと言われる移籍金でACミランからレアル・サラゴサに完全移籍した[5]

レアル・ベティス復帰

[編集]

2009年1月後半、移籍金890万ユーロで古巣レアル・ベティスと2013年6月までの契約を結んだ[6]。2月7日にエスタディオ・ラモン・サンチェス・ピスフアンで行われたセビージャFCとのセビージャ・ダービー (2-1) で移籍後初出場し、83分に決勝点を挙げた。最終節のレアル・バリャドリード戦 (1-1) では勝ち点に結びつく得点を挙げたが、17位のヘタフェCFと同勝ち点の18位に終わり、結局セグンダ・ディビシオン降格となった。彼とセルヒオ・ガルシアのふたりは2シーズン連続での降格を味わった。

UAE

[編集]

既にレアル・ベティスでプレシーズンを開始していた2009年7月中旬、レアル・ベティスが獲得した際よりも高額の約1400万ユーロでアラブ首長国連邦のアル・ジャジーラ・クラブに移籍した[7]。2010年1月、母国のサンパウロFCにレンタル移籍したが、1シーズンで復帰。2014年からアル・ワスルFCへ移籍した。

母国復帰

[編集]

2015年から、ブラジルのサントスFCへ移籍。そこで息を吹き返し、得点王に輝いた。

2018年、アトレチコ・ミネイロに移籍。

2020年9月29日、コリチーバFCに移籍した。

2022年2月5日、 アスレティック・クラブに加入した。

2023年1月2日、ブラジリアFCに加入した。

2023年7月28日、現役引退を表明した。

代表経歴

[編集]

2004年5月25日、カタルーニャ代表との非公式親善試合 (5-1) でブラジル代表デビューし、その試合で得点を挙げた。同年7月にはコパ・アメリカ2004に出場するメンバーに選ばれ、7月8日のパラグアイ戦で国際Aマッチ初出場を果たした。7月18日の準々決勝・メキシコ戦で国際Aマッチ初得点を挙げ、優勝に貢献した。これ以後、ロナウドアドリアーノロビーニョなどの控えとしてブラジル代表に定着していった。2005年にはFIFAコンフェデレーションズカップ2005に出場して優勝したがクラブでのプレー中に怪我を負い、予想より早く復帰したものの2006 FIFAワールドカップ出場は逃した。2006 FIFAワールドカップ後にドゥンガ監督が就任すると、約1年ぶりに代表に招集され、11月15日のスイスとの親善試合で復帰した。

その後代表からは遠ざかっていたが、35歳になった2015年9月に、負傷したロベルト・フィルミーノの代役として約8年ぶりにブラジル代表に招集された[8]。10月13日のワールドカップ予選ベネズエラ戦で2005年2月9日の香港戦以来10年8ヶ月ぶりとなる得点を挙げた[9]

個人成績

[編集]
クラブ シーズン 国内リーグ
国内カップ2

AFC1
通算
出場 得点 アシスト 出場 得点 アシスト 出場 得点 アシスト 出場 得点 アシスト
アル・ジャジーラ 2009-10 11 8 8 5 5 2 0 0 0 16 13 10
2010-11 11 10 - 4 4 - 3 1 - 18 15 -
通算 22 18 8 9 9 2 3 1 0 34 28 10


1AFCチャンピオンズリーグ
2UAEプレジデンツ・カップエティサラート・エミレーツ・カップなど

タイトル

[編集]

クラブ

[編集]
サンパウロFC
バレンシアCF
レアル・ベティス
ACミラン
アル・ジャジーラ・クラブ
サントスFC
アトレチコ・ミネイロ

代表

[編集]
ブラジル代表

個人

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ “Valencia sign South American duo”. UEFA.com. (2003年7月31日). http://www.uefa.com/uefaeuropaleague/news/newsid=86934.html 2011年7月21日閲覧。 
  2. ^ “Oliveira bound for Betis”. UEFA.com. (2004年7月30日). http://www.uefa.com/memberassociations/news/newsid=211206.html 2008年5月27日閲覧。 
  3. ^ “Al menos llegó otro brasileño” (Spanish). ESPNsoccernet. (2006年4月25日). http://espndeportes.espn.go.com/news/story?id=473899 2011年4月29日閲覧。 
  4. ^ “Oliveira makes Milan move”. Sky Sports. (2006年8月31日). http://www.skysports.com/story/0,19528,11847_2388628,00.html 2011年8月29日閲覧。 
  5. ^ Zaragoza keep Oliveira Sky Sports、2008年5月25日
  6. ^ “Real Betis signs Ricardo Oliveira from Zaragoza”. USA Today. (2009年1月31日). http://www.usatoday.com/sports/soccer/2009-01-31-2998931573_x.htm 2011年4月29日閲覧。 
  7. ^ “Oliveira seals Al-Jazira switch”. Sky Sports. (2009年7月19日). http://www.skysports.com/story/0,19528,11836_5441438,00.html 2009年7月19日閲覧。 
  8. ^ “ブラジル代表、フィルミノの代役にリカルド・オリベイラを指名!《ロシアW杯南米予選》”. 超ワールドサッカー. (2015年9月25日). http://web.ultra-soccer.jp/news/view?news_no=217281 2015年10月14日閲覧。 
  9. ^ “ブラジル、ウィリアン2発でベネズエラに勝利。アルゼンチンは未勝利続く…”. フットボールチャンネル. (2015年10月14日). http://www.footballchannel.jp/2015/10/14/post113846/ 2015年10月14日閲覧。 

外部リンク

[編集]