レオナルド・ロウレンソ・バストス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
レオ
名前
本名 レオナルド・ロウレンソ・バストス
Leonardo Lourenço Bastos
ラテン文字 Leo
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1975-07-06) 1975年7月6日(48歳)
出身地 カンポス・ドス・ゴイタカゼス
身長 169cm
体重 76kg
選手情報
ポジション DF (左SB)
利き足 左足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996 ブラジルの旗 アメリカーノ 32 (5)
1997-1998 ブラジルの旗 サンジョアン 40 (1)
1999 ブラジルの旗 パルメイラス 0 (0)
2000-2005 ブラジルの旗 サントス 156 (10)
2005-2009 ポルトガルの旗 ベンフィカ 82 (1)
2009-2014 ブラジルの旗 サントス 95 (3)
1996-2014 合計 405 (20)
代表歴2
2001-2005 ブラジルの旗 ブラジル 7 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年5月20日現在。
2. 2012年11月8日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

レオナルド・ロウレンソ・バストスLeonardo Lourenço Bastos, 1975年7月6日 - )は、ブラジルリオデジャネイロ州カンポス・ドス・ゴイタカゼス英語版出身の元同国代表サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(左サイドバック)。

経歴[編集]

ブラジル[編集]

1996年に地元のアメリカーノFCでキャリアをスタートさせると、翌年サンパウロにあるウニオン・サンジョアンECへ移籍した。2シーズン後にSEパルメイラスへ移籍するも、ルイス・フェリペ・スコラーリ監督の下では1試合しか出場出来ず、わずか6ヶ月で退団した。

その後に加入したサントスFCで、すぐにチームにとってなくてはならない存在となり、2002 カンピオナート・ブラジレイロ・セリエAではジエゴエラーノレナト、そしてロビーニョらと共に自身キャリアで初の優勝を経験するも、翌年のコパ・リベルタドーレスは決勝で敗退した。

ベンフィカ[編集]

サントスで公式戦201試合に出場した後、30歳の時にポルトガルSLベンフィカと移籍金不明・契約期間3年で加入した。2005年9月18日、ホームでのUDレイリア戦を4-0とデビュー戦を勝利で飾った。最初の3シーズンで平均27試合出場したが、その間、チームは常に優勝どころか2位をも逃していた。

2005-06シーズンのレオは公式戦36試合(全試合スタメン)に出場し、UEFAチャンピオンズリーグ 2005-06で準々決勝まで駒を進めた。

サントス復帰[編集]

2008-09シーズン、同胞のダヴィド・ルイスとの激しいポジション争いに敗れ、出場機会が激減したため、2009年1月14日にベンフィカを去りサントスへ復帰した[1]。2011年は、リベルタドーレスを含む主要な4タイトルを獲得する中で、レオは彼の年齢にもかかわらず堅実なパフォーマンスを見せ、同年のカンピオナート・パウリスタで最優秀左SB選手に選ばれた[2]。2014年4月24日、契約満了に伴いチームを退団するとともに現役を引退することを発表した[3]

代表[編集]

2001年5月31日、3-0と勝利したFIFAコンフェデレーションズカップ2001カメルーン戦でブラジル代表デビューをした。チームは4位に終わり、レオはこの大会で5試合に出場した。ドイツで開催されたFIFAコンフェデレーションズカップ2005ではジウベルトのバックアップという位置づけで、グループステージの2-2で引き分けた日本代表戦が唯一の出場試合だった。

所属クラブ[編集]

個人タイトル[編集]

脚注[編集]

  1. ^ "Leo comemora volta à Vila: 'É um privilégio voltar à casa onde despontei' [Leo celebrates return to the Vila : 'It's an honour to return to the place where i grew up'"]
  2. ^ "Santos domina seleção do Campeonato Paulista [Santos rules Campeonato Paulista's All-Star team"]
  3. ^ Sem acordo com o Santos, lateral Léo anuncia aposentadoria aos 38 anos Folha de S. Paulo 2014年4月24日付

外部リンク[編集]