マリオ・ザガロ
![]() |
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
![]() | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
マリオ・ジョルジ・ロボ・ザガロ Mário Jorge Lobo Zagallo | |||||
愛称 |
Velho Lobo (Old Wolf), The Professor | |||||
ラテン文字 | Mario Zagallo | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
![]() | |||||
生年月日 | 1931年8月9日(92歳) | |||||
出身地 | マセイオ | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | 左ウイング | |||||
背番号 | 7(1958年), 21(1962年) | |||||
利き足 | 左足 | |||||
代表歴 | ||||||
1958-1964 |
![]() | 36 | (5) | |||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
マリオ・ジョルジ・ロボ・ザガロ(Mário Jorge Lobo Zagallo, 1931年8月9日 - )は、ブラジル・アラゴアス州出身の元サッカー選手・サッカー指導者。選手時代のポジションはフォワード。
FIFAワールドカップにおいて選手時代に2度、監督・コーチとして1度の優勝、1度の準優勝経験を持つ。
経歴[編集]
選手として[編集]
1950年代前半、CRフラメンゴの左ウイングとして頭角を現したザガロは、フラメンゴ、ボタフォゴ時代も合計5回のリオ州選手権優勝を果たした[1]。
ブラジル代表に選出され、1958年のW杯スウェーデン大会と1962年のW杯チリ大会の連続優勝の偉業を達成したチームにおいて、ウイングとして常に先発メンバーに名を連ねた。体格面ではさほど恵まれてはいなかったが、足元の技術は元より、守備時に前線から真っ先に戻ってきて自陣を固める、献身的なプレイヤーだった。
代表選手としては37試合に出場し、30勝4分3敗の好成績を残した。
指導者として[編集]
1965年に現役を引退した後は指導者に転身し、自身も選手としてプレーしたボタフォゴFRなどブラジル国内の有力クラブの監督を歴任。またナショナルチームにも度々携わり、1970年のW杯メキシコ大会ではリヴェリーノ、ペレらをまとめ上げて優勝を果たし[1]、初の選手と指導者双方でのワールドカップのタイトルを獲得した(その後、選手と指導者双方で優勝したのはフランツ・ベッケンバウアーとディディエ・デシャンである)。
その後1994年のW杯アメリカ大会では、愛弟子でもあるカルロス・アルベルト・パレイラ監督をアシスタントコーチとして支えチームを優勝に導いた[1]。大会後、代表監督に復帰、オリンピック世代の代表監督も兼任した[1]。1995年のコパ・アメリカ以降は次の1998 FIFAワールドカップに向け、年齢を考慮した選手選考をするという明確な方針があり、これまで召集されてきた一部のベテラン選手たちが代表を外れた[1]。1996年のアトランタオリンピックでは3位に終わった。
1998年のW杯フランス大会ではアシスタントコーチにジーコを配して再び指揮を執り、決勝でフランスに敗れたはしたものの準優勝を果たした。ブラジル代表の監督・コーチとして臨んだ試合は合計154試合に上るが、うち110勝と33の引き分け、敗戦はたったの11試合しかない。(マイアミの奇跡が奇跡と呼ばれる一つの理由でもある)選手として、指導者として4度の世界王者に輝いたザガロは、多くの後輩たちから「教授」と呼ばれ尊敬を集める存在となっている。
監督時代には数々の輝かしい実績を残しているが、その守備寄りな戦術ゆえ、攻撃的なサッカーを好むブラジル国内ではしばしば批判の対象となった。しかし1994年、98年のW杯に見られた2人のボランチと両サイドバックが攻守に献身するサッカーは、ボール支配率を重視する現代サッカーを体現するものであり、優勝・準優勝という結果でもってその理念を証明して見せた。彼が重用した守備的なポジションのプレイヤーであるカフー、ロベルト・カルロスといった選手たちは、その後現代を代表する名選手として世界的な名声を手に入れ、また2006年7月から2010年7月まではザガロのチームで長く主将を務めたドゥンガが代表チームを指揮していた。
2001年のフラメンゴを最後に監督業からは勇退。W杯日韓大会でブラジル代表が5度目の優勝を遂げた直後の2002年11月20日、韓国代表との親善試合でブラジル代表監督に一時的に復帰し、3-2の勝利で自身の代表監督100勝目を飾った。
所属クラブ[編集]
選手時代[編集]
アメリカFC (リオデジャネイロ州) 1948-1949
CRフラメンゴ 1950-1958
ボタフォゴFR 1958-1965
指導者時代[編集]
- クラブ監督
ボタフォゴFR 1967-1970, 1975, 1977-1978, 1986-1987
フルミネンセFC 1971, 1979-1980
CRフラメンゴ 1972-1973, 1984-1985, 2001
アル・ヒラル 1978-1979
CRヴァスコ・ダ・ガマ 1980-1981, 1990-1991
アソシアソン・ポルトゥゲーザ・ジ・デスポルトス 1999
- 代表監督
ブラジル代表 (アシスタント) 1991-1994, 2003-2006
ブラジル代表 1970-1974, 1994-1998, 2002
クウェート代表 1976-1978
サウジアラビア代表 1981-1984
UAE代表 1989-1990
獲得タイトル[編集]
選手時代[編集]
- フラメンゴ
- カンピオナート・カリオカ : 1953, 1954, 1955
- ボタフォゴ
- カンピオナート・カリオカ : 1961, 1962
- ブラジル代表
- FIFAワールドカップ : 1958, 1962
監督時代[編集]
- ボタフォゴ
- タッサ・ブラジル : 1968
- カンピオナート・カリオカ : 1967, 1968
- フラメンゴ
- コパ・ドス・カンピオンイス : 2001
- カンピオナート・カリオカ : 1972, 2001
- ブラジル代表
脚注[編集]
外部リンク[編集]
- マリオ・ザガロ – FIFA主催大会成績(英語)
- FIFA.com - Entrenador clásico: Mario Zagallo(英語)