マンチェスター・ユナイテッドFC
マンチェスター・ユナイテッドFC | |||
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原語表記 | Manchester United Football Club | ||
呼称 |
Man United / Utd United Man U | ||
愛称 | The Red Devils(赤い悪魔) | ||
クラブカラー | 赤 | ||
創設年 | 1878年 | ||
所属リーグ | プレミアリーグ | ||
ホームタウン | マンチェスター | ||
ホームスタジアム |
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収容人数 | 75,653 | ||
代表者 |
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監督 |
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公式サイト | 公式サイト | ||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
マンチェスター・ユナイテッドFC(英語: Manchester United Football Club、イギリス英語発音: [ˈmænʧistə juːˈnaitid ˈfutˌbɔːl klʌb])は、イングランド・マンチェスターをホームタウンとする、イングランドプロサッカーリーグ(プレミアリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。クラブカラーは赤。愛称は赤い悪魔(レッド・デビルズ、The Red Devils)。
1974-75シーズンを例外として、1938年から現在まで一貫してイングランドのトップリーグに属している。
概要[編集]
1967-68シーズンに、サー・マット・バスビー監督の指揮の下で、イングランドのクラブとして初めてUEFAチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)のトロフィーを獲得したクラブであり、その後、1998-99シーズン、2007-08シーズンと通算3回の優勝を経験した。
近年では、1985-86シーズンから2012-13シーズンまでクラブを率いたサー・アレックス・ファーガソン監督の下で、13回のプレミアリーグ優勝と2回のUEFAチャンピオンズリーグ優勝を含む20以上の主要なタイトルを獲得し、長きにわたってイングランドのフットボールを代表してきたビッグクラブである。現在、イングランドのトップリーグで歴代最多となる20回の優勝を経験している。2位はリヴァプールFCの19回である。
世界有数の経済規模を有するクラブであり、2017年にアメリカの経済誌『フォーブス』が発表したクラブの資産価値では、同クラブの資産価値は36億9000万ドルと算定され、世界のサッカークラブの中で5年ぶりに第1位となった[1]。また、デロイト・フットボール・マネー・リーグにおける最新シーズン(2018-19)の収入規模は、世界第3位である[2]。
クラブの一般的な略称は複数存在するが、「ユナイテッド(United)」の他、英語圏ではニューカッスル・ユナイテッドなどチーム名に「ユナイテッド」が含まれる他のクラブと区別するため、マンチェスターをマンと略し「マン・ユナイテッド(Man United, Man Utd)」などと呼称・表記される。また、新聞・雑誌のスポーツ報道やニューヨーク証券取引所のティッカーシンボルなどでは「マンユー(マンU[3][4][5],Man U[6][7][8][9][10][11][12][13][14][15],ManU[16][17][18],MANU[19])」と呼称される場合もある。
同じ市内にあるマンチェスター・シティとのマンチェスター・ダービーは、マージーサイド・ダービー、ノース・ロンドン・ダービーと並ぶリーグの三大ダービーの一つに数えられ、世界でも有名なダービーマッチの一つである。伝統的にライバル関係にあるとされるリヴァプールとの試合は、ノースウェスト・ダービー(あるいはイングランド・ダービー、イングリッシュ・ダービー)と呼ばれ、世界中に数多く存在する伝統の一戦の一つに数えられる。両者の間ではこれまで数多くの白熱した試合が繰り広げられてきた。
伝統的に背番号7は特別な番号として扱われており、「栄光の7番」と言われている。ジョージ・ベスト、スティーヴ・コッペル、ブライアン・ロブソン、エリック・カントナ、デビッド・ベッカム、クリスティアーノ・ロナウドなど、人気や実力においてその時代のチームを代表する選手がこの番号を付けてプレーしてきた。
経済的優良クラブの典型とされてきたが、アメリカ・NFLのタンパベイ・バッカニアーズのオーナーであるマルコム・グレーザーによって買収され、物議を醸している。グレーザーによるクラブ支配に反対するサポーターの一部は、クラブの負債が3億2,000万ポンドに達していることを懸念し、新クラブFCユナイテッド・オブ・マンチェスターを結成した。
歴史[編集]
マンチェスター・ユナイテッドはイングランドを代表する名門として認識され、世界中に多数のサポーターを抱えるクラブとなっているが、その歴史自体は長いイングランドのフットボールの歴史と比較するとさほど古いものではない。また近年の成功とは対照的に、このクラブは数々の苦難を経験してきた。
創立[編集]
1878年、マンチェスターの鉄道員が中心となって、ニュートン・ヒース・ランカシャー&ヨークシャー・レイルウェイズFC(Newton Heath LYR FC)として創立。初め数年はほとんど公式試合はせず、チーム内のメンバー同士で試合を行う以外は専ら他の鉄道会社のチームと非公式に対戦していた。1882年から1883年の間に26試合の親善試合をした記録が残っている。1884年、地元のカップ戦であるランカシャーカップに出場するも、1回戦で昨年のFAカップ覇者のブラックバーン・オリンピックのリザーブチームに2-7で敗戦した。1885年にプロサッカークラブへと転向し、1892年にニュートン・ヒース(Newton Heath FC)と名称を変更し運営を行った。当時のオーナーの方針で観客から入場料を取らなかったことやグラウンド移転費用が嵩んだことなどの事情が影響し、1902年に一旦破産している。地元マンチェスターの醸造業主のジョン・ヘンリー・デイヴィスが500ポンドをクラブに投資してオーナーに就任し、クラブ再建に着手した。1902年にチーム名が変更され、マンチェスター・ユナイテッドとなったが、名称変更前の2日間だけはマンチェスター・セルティック (Manchester Celtic)という名称であった。
2日間だけではあるが、セルティックと名乗ったことでこのクラブがローマ・カトリック系であると思われることが多いが、ローマ・カトリック教会とは全くの無縁である。
創生期に2度のリーグ優勝後、1910年代から1950年頃までは低迷。第二次世界大戦時には空襲でオールド・トラッフォードが被災し、戦後も資金不足から修復できず、マンチェスター・シティの当時の本拠地メイン・ロードを拝借せざるをえなかった。
マット・バスビー時代の二度の栄光[編集]
1945年、マット・バスビーが監督に就任すると、クラブ最初の黄金期が訪れる。バスビーは、チーム選考や移籍市場、トレーニングセッション等を全て自身の管理下に置くというイングランドサッカーのマネージャー像の先駆けとなり、1946–47シーズンから3シーズン連続でリーグ2位と躍進し、1947–48のFAカップでは優勝を果たし、チームに36年ぶりのトロフィーをもたらした。そして、1951–52シーズンに41年ぶりとなる悲願のリーグ優勝を果たした。
バスビーは、その後のクラブの重要なアイデンティティとなる、下部組織の整備にも取り掛かった。バスビーの就任は、終戦直後の財政難の時期であたっため、彼は下部組織選手の育成に重きを置くことにより、長期的視野での戦力強化を行ったのである。バスビーが下部組織から見出したダンカン・エドワーズ、ボビー・チャールトンといった選手たちは「バスビー・ベイブス」(Busby Babes, バスビーの子どもたち)と呼ばれ、1956年からは国内リーグ2連覇を達成する快進撃を繰り広げた。
クラブが見事に復活を遂げたように見えた矢先の1958年2月6日、ミュンヘンの悲劇で主将のダンカン・エドワーズを含む選手8名とスタッフ3名が死亡。バスビーも重傷を負った。これによりイギリス(グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国)のクラブチームとして初のヨーロッパ大陸選手権大会での栄光は、スコットランドのセルティックに譲ることとなった。一時はフットボールへの情熱を失ったバスビーだったが、夫人らの説得もあり翌シーズンから現場に復帰。同じく事故のショックから立ち直ったボビー・チャールトンをチームの柱に据え、クラブの建て直しに着手した。
1960年代に入ると、2度めの黄金期が訪れる。デニス・ロー、ジョージ・ベストといった才能が次々に頭角を現し、1963年にFAカップ優勝、1965年と1967年には国内リーグも制した。そして1968年、チャンピオンズカップで優勝を果たし、ミュンヘンの悲劇で志半ばに潰えた悲願を達成した。同年、チャンピオンズカップ優勝の功績を称えられ、バスビーにナイトの称号が与えられた。
しかし、1970年代に入ると世代交代に失敗。1974年には2部落ち(翌年1部に復帰)の憂き目にも遭い、再び低迷期が始まった。
アレックス・ファーガソン時代の栄光[編集]
低迷期を終わらせたのは、スコットランド人監督アレックス・ファーガソンである。1986年に就任した彼は若手の育成と、暴れ馬と呼ばれた選手たちの融合に見事成功し、常勝軍団の系譜をスタートさせた。
プレミアリーグの優勝回数は13回で最多で、旧フットボールリーグ・ファーストディビジョン時代を通じても、優勝20回は歴代1位である。FAカップで11回、カーリングカップで2回、UEFAチャンピオンズリーグで3回、UEFAカップウィナーズカップで1回のタイトルを勝ち獲っている。
1998-99シーズンは、クラブにとって特筆すべきシーズンである。ファーガソン監督の下、ユース時代から育て上げられたデビッド・ベッカム、ガリー・ネヴィル、ポール・スコールズ及びライアン・ギグスら、いわゆる「ファーギーズ・フレッジリングス(ファーガソンの雛鳥)」と呼ばれた選手達を中心に、UEFAチャンピオンズリーグ決勝でバイエルン・ミュンヘンを劇的な逆転で下し、ヨーロッパ覇者となった(カンプ・ノウの奇跡)。このシーズンは、リーグ優勝とFAカップ優勝を合わせたトレブル(3冠)を達成。ヨーロッパのサッカーシーンに「赤い悪魔」の名を轟かせた。このカンプ・ノウの奇跡の試合と、FAカップ準決勝のアーセナル戦でギグスが見せた、ハーフウェイライン付近からドリブルしてのゴールは今でもサポーターに語り継がれている。
ヨーロッパのフットボール史において、UEFAチャンピオンズリーグ(旧UEFAチャンピオンズカップ)、国内リーグ、国内カップを制し、3冠を成し遂げたのは、1966-67シーズンのセルティック、1971-72シーズンのアヤックス、1987-88シーズンのPSV、2008-09シーズンと2014-15シーズンのバルセロナ、2009-10シーズンのインテル、2012-13シーズンと2019-20シーズンのバイエルン・ミュンヘンのみである。
1995年にイプスウィッチ・タウン戦でリーグレコードの9-0の大差で勝利。1999-20シーズン、2000-01シーズンとリーグ優勝し、クラブ史上初のリーグ3連覇を達成した。
ユナイテッドはファーガソン監督の下、高い実力と人気を兼ね備え、1990年代はアーセナルとともに2強と呼ばれた。2002-03シーズン以降はアーセナル(2003-04シーズンに無敗優勝)、チェルシー(2004-05、2005-06シーズンに2連覇)からの王座奪還を目標とした。2005年10月29日、ミドルスブラ戦でクリスティアーノ・ロナウドが決めたゴールが、クラブのプレミアリーグ通算1000ゴール目(リーグ最速)となった。
2006-07シーズンにこれまでリーグ2連覇をしていたチェルシーとの激闘を制し、2002-03シーズン以来となるリーグ優勝を達成。2007-08シーズンにUEFAチャンピオンズリーグ決勝でチェルシーと対戦し、延長戦の末PK戦を制し、9年ぶり3回目のUEFAチャンピオンズリーグ優勝を成し遂げた。2007-08シーズン、2008-09シーズン共にリーグ優勝し、2度目となるリーグ3連覇を達成した。
コンスタントにタイトルを獲得し続けたファーガソンは、最後の指揮となる2012-13シーズン、自ら獲得した香川真司やロビン・ファン・ペルシを巧みに用いて、クラブ20回目となるリーグ優勝を置き土産に、27年間務めたマンチェスター・ユナイテッドの監督職を勇退した[20]。
ファーガソンの最終年2012-2013シーズン、プレミアリーグ最直近優勝時の基本フォーメーション |
ファーガソン退任による迷走期への突入[編集]
2013年5月、ユナイテッドはファーガソンの後任に、エヴァートンを11年にわたり率いたファーガソンの同胞、デイヴィッド・モイーズが6年契約で就任すると発表した[21]。夏の移籍市場でモイーズはエヴァートン時代の教え子であるマルアン・フェライニを獲得し、冬の移籍市場ではチェルシーからフアン・マタを獲得した。しかしスウォンジー・シティに史上初めてホームで敗戦を喫し、またプレミアリーグ以前も含めて史上初となるマージーサイドの2強(エヴァートンとリヴァプール)に揃って連敗するなど成績が低迷し、1994-95シーズン以来となるUEFAチャンピオンズリーグ出場権を逃した。結果として、モイーズは監督就任から1年持たず、2014年4月22日に解任が発表され[22]、同シーズンの残り試合については、当シーズンからコーチ兼任だったライアン・ギグスが暫定監督に就任すると発表された[23]。リーグ戦は7位で終了。25年ぶりにヨーロッパのカップ戦を逃すこととなった。
2014年5月18日、当時オランダ代表を率いていたルイ・ファン・ハールが、ワールドカップ後に3年契約で新監督に就任することが決定した[24]。暫定監督を務めたギグスは選手を引退し、アシスタントコーチへの就任が決定。クラブは夏の移籍市場において、選手の補強費用に約260億円もの大金を投じた。ワールドカップブラジル大会で準優勝に輝いたアルゼンチン代表のマルコス・ロホやアンヘル・ディ・マリア、ファン・ハールのオランダ代表監督時代の教え子であるダレイ・ブリントのほか、アスレティック・ビルバオからアンデル・エレーラ、サウサンプトンからルーク・ショー、移籍期限ギリギリにASモナコからラダメル・ファルカオを獲得した。即戦力として期待されていたファルカオとディ・マリアが不調に陥ったものの、ルーニーやデ・ヘア、マタといった既存の戦力が機能し、リーグ戦は4位で終え、無冠ながら来季のUEFAチャンピオンズリーグプレーオフの出場権を獲得した。
2015-16シーズンはPSVから2014 FIFAワールドカップでオランダ代表の3位入りに貢献したファン・ハールの教え子でもあるメンフィス・デパイを始めとし、モナコからアントニー・マルシャル、バイエルン・ミュンヘンからバスティアン・シュヴァインシュタイガー、サウサンプトンからモルガン・シュネデルラン、サンプドリアからセルヒオ・ロメロ、トリノからマッテオ・ダルミアンを獲得するなど、前年に続いての大型補強を行った。しかしチャンピオンズリーグにおいては、ヴォルフスブルク、PSV、CSKAモスクワとのグループリーグで3位に終わり、グループステージ敗退となったほか、その後進んだヨーロッパリーグでもプレミアリーグの長年のライバルであるリヴァプールに2戦合計1-3で敗れ、ベスト16で姿を消した。2016年5月21日のFAカップ決勝でクリスタル・パレスを延長戦で破って12大会ぶり12度目のFAカップ優勝を飾ったものの、リーグ戦は5位に終わり、来季のUEFAチャンピオンズリーグ出場権を逃したことから、ファン・ハールは契約を1年残しての解任となった。
2016-17シーズンよりジョゼ・モウリーニョが新監督に就任。これまで2度チェルシーの監督を努め、3度のプレミアリーグ制覇を成し遂げた名将に名門マンチェスター・ユナイテッドの復活が期待された。夏の移籍市場ではズラタン・イブラヒモビッチ、ヘンリク・ムヒタリアン、エリック・バイリーや下部組織出身のポール・ポグバを獲得するなどの相変わらずの大型補強を実施し、リーグカップの決勝でサウサンプトンを下してモウリーニョ体制で初のタイトルを獲得した。リーグでは失点数がリーグ2位の29と堅守を披露し、クラブレコードとなるリーグ戦25試合連続無敗を記録したが、そのうち12試合で引き分けるなど勝ちきれない試合が続いて勝ち点が伸びず、最終的にヨーロッパのカップ戦出場圏外の6位に終わった。しかしUEFAヨーロッパリーグでは決勝まで勝ち進み、決勝でアヤックスに2-0で勝利して同大会初優勝をあげ、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。UEFAヨーロッパリーグの優勝によって、ユナイテッドはユヴェントス、アヤックス、バイエルン、チェルシーに次いでUEFA主催の主要3大会を制覇した5番目のクラブとなった[25]。
モウリーニョ体制2年目の2017-18シーズンは、センターフォワードにエヴァートンからロメル・ルカク、ボランチにチェルシーからネマニャ・マティッチ、センターバックにSLベンフィカからビクトル・リンデロフと、昨シーズン問題のあったポジションに即戦力を獲得する補強を展開。これが功を奏し、前半戦終了時点で14勝3分2敗の勝ち点45と歴代優勝クラブに匹敵する好成績を叩き出すが、それを上回るペースで勝ち点を積んだ宿敵マンチェスター・シティの後塵を拝し2位で折り返す。冬の移籍市場でムヒタリアンとのトレードでアレクシス・サンチェスを獲得し追撃態勢を整えるが、シティの独走は止まらず、4月7日のマンチェスター・ダービーに3-2で逆転勝利して目の前での優勝決定を阻止するのが精一杯で、例年なら優勝もあり得た勝ち点81[注釈 1](25勝6分7敗)で、シティに歴代最多勝ち点差での優勝を許す2位に終わった。UEFAチャンピオンズリーグもベスト16でセビージャ相手に2戦合計1-2で不覚を取り、満足のいかないシーズンとなった。当シーズンをもって、13シーズンに渡ってユナイテッドで活躍したマイケル・キャリックが引退し、翌シーズンからコーチに就任した[26]。
モウリーニョ体制3年目の2018-19シーズンは、アカデミー出身のGKサム・ジョンストンやブリントらを放出した一方で、サイドバックにポルトからディオゴ・ダロト、ミッドフィールダーにシャフタール・ドネツクからフレッジ、控えGKにリー・グラントを獲得。ところが、リーグ開始17試合の時点で昨季の28失点を上回り、特にリヴァプール、マンチェスター・シティ、トッテナム、チェルシー、アーセナルといった欧州カップ圏を争うBIG6間では3敗2分6得点13失点と後塵を拝することとなり、1-3で敗北した12月16日のリヴァプール戦をもってモウリーニョは解任となった[27]。
ファーガソンの教え子の帰還[編集]
2018年12月19日、モウリーニョ解任後の暫定監督にOBのオーレ・グンナー・スールシャールが就任した[28]。スールシャールは、就任後のサポーターからの好感や、6連勝スタートを含め就任から12試合連続リーグ戦無敗などの好成績もあって、2019年3月28日に3年契約で正式に監督就任を果たした[29]。ところが、奇跡と言われたUEFAチャンピオンズリーグのPSG戦[30]後の公式戦でわずか2勝しかできず、最終節を待たずして来季のUEFAチャンピオンズリーグ出場権を逃すことになった。この結果に全世界のファンが黙っているはずもなく、twitter上に「#UnfollowManUnited」というハッシュタグが登場した[31]。オーナーであるグレイザー一族やCEOであるエド・ウッドワードに対する抗議の意であるが、Twitter公式アカウントのフォロワーが減るのと比例してニューヨーク証券取引所においても株価が一時下落した。
スールシャールにとって初めてのフルシーズンとなる2019-20シーズン、夏の移籍市場では、クリスタル・パレスから昨季ブレークしたアーロン・ワン=ビサカ、レスター・シティからDF史上最高額となる移籍金でハリー・マグワイアを獲得し、長年懸案だった守備陣の強化に成功したものの、MFは退団したアンデル・エレーラ、FWはインテルに移籍したロメル・ルカクの後釜の獲得に失敗し、費やした移籍金の高さも相まってウッドワードCEOは再び非難を浴びることになった[32]。開幕戦こそチェルシーに4-0で圧勝したものの、そこからクリスタル・パレス、サウサンプトン、ウェストハムといった格下から勝ち点をとりこぼし続け、前半戦は8位で折り返した。冬の移籍市場でスポルティングCPからMFブルーノ・フェルナンデスを獲得すると、彼を起用した第25節から13戦負けなしと猛烈な追い上げを見せ、第37節にレスター・シティとチェルシーを捉えてCL出場圏内の3位に浮上した。最終節は5位レスターとの直接対決となり、負ければ5位転落の可能性もあったこの試合を2-0で制し、2年ぶりにCL出場権を獲得した。
2020-21シーズン、スールシャール体制も3シーズン目に突入。夏の移籍市場は、終盤まで新戦力がドニー・ファン・デ・ベークのみと補強が進まずファンも苛立ちを募らせたものの、最終日にエディンソン・カバーニ、アレックス・テレスの獲得が決まって補強を終えた。
サポーター[編集]
世界屈指の人気・規模を誇るクラブであり、2012年に大手市場調査会社であるカンター社により、ファンの数が世界人口のおよそ11人に1人にあたる6億5,900万人との推定が発表された。フットボールに限らず、すべてのスポーツクラブの中で世界一ファンの多いクラブである[33]。
著名人のファンとして挙げられるのは、地元出身のロックバンドストーン・ローゼズのメンバーで、熱狂的なファンで知られる彼らの楽曲「This Is The One」は入場曲として長らく使用されている。また、ギャリー・ネヴィルの引退試合では、ボーカルのイアン・ブラウンが同曲をアカペラで合唱した。他にも、自身がチェアマンを務めるバンド “シンプリー・レッド” の名前の由来に「地毛が赤」と「マンチェスター・ユナイテッドが好きだから」を掲げるミック・ハックネルや、父親が元在籍選手だったイアン・マクシェーン、2012年と2014年のPGAツアー賞金王であるローリー・マキロイ、クリケット選手のマヘンドラ・シン・ドーニ、世界最高峰のプロレス団体WWEにて史上初のクルーザー級かつ覆面スーパースターとして当時の番組最高王座を獲得したレイ・ミステリオ、2009年に練習場を訪れたこともある100m走&200m走の世界記録保持者ウサイン・ボルト、元選手のガリー・ネヴィルに「モウリーニョはまるで彼のようだ」と例えられたフロイド・メイウェザー[34]、そのメイウェザーと偉大なる戦いで対峙したマニー・パッキャオらである。
ユニフォーム[編集]
創立時のユニフォームは白いシャツに青いパンツであり、その後は創立時のニュートン・ヒースLYRのチームカラーである緑色と黄色を基調としたものであった。1902年に名称が変更されてから赤が基調となった。
発足当初のユニフォームに付けられたエンブレムはマンチェスター市に由来する紋章であり、帆船が中心に描かれている。帆船は現在まで描かれているが、愛称の「赤い悪魔」に由来する悪魔が描かれるのは1970年代に入ってからである。
2001-02シーズンは「マンチェスター・ユナイテッド」という名称になってから100周年ということで、アウェイでは白色と金色で構成されたユニフォームを着用した。
2018-19シーズンのサードユニフォームは、アディダスとコラボレーションした、海洋プラスチックでできたユニフォームを発表した。[35]
歴代ユニフォーム[編集]
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タイトル[編集]
国内タイトル[編集]
- FAカップ:12回
- 1908-09, 1947-48, 1962-63, 1976-77, 1982-83, 1984-85, 1989-90, 1993-94, 1995-96, 1998-99, 2003-04, 2015-16
- EFLカップ:5回
- 1991-92, 2005-06, 2008-09, 2009-10, 2016-17
- FAチャリティ/コミュニティーシールド:21回 (17回単独, 4回同時)
- 1908, 1911, 1952, 1956, 1957, 1965*, 1967*, 1977*, 1983, 1990*, 1993, 1994, 1996, 1997, 2003, 2007, 2008, 2010, 2011, 2013, 2016 (*印はタイトル共有)
国際タイトル[編集]
- FIFAクラブワールドカップ :1回
- 2008
- インターコンチネンタルカップ (トヨタカップを含む):1回
- 1999
- UEFAチャンピオンズリーグ (旧UEFAチャンピオンズカップを含む):3回
- 1967-68, 1998-99, 2007-08
- UEFAカップウィナーズカップ:1回
- 1990-91
- UEFAヨーロッパリーグ : 1回
- 2016-17
- UEFAスーパーカップ:1回
- 1991
親善大会(非公式大会)[編集]
- アムステルダム・トーナメント:1回
- 2006
過去の成績[編集]
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優勝 | 準優勝 | 昇格 | 降格 |
シーズン | 国内リーグ | FAカップ | リーグカップ | Com-munity Shield |
UEFA | FIFA | 得点王 | |||||||||||||
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ディビジョン | 試 | 勝 | 引 | 負 | 得 | 失 | 点 | 順位 | CL | CWC | EL | USC | CWC | IC | 名前 | 得点数 | ||||
1946-47 | EFL | 42 | 22 | 12 | 8 | 95 | 54 | 56 | 2位 | 4回戦 | 大会創設前 | 大会創設前 | 大会創設前 | 大会創設前 | 大会創設前 | 大会創設前 | 大会創設前 | Jack Rowley | 28 | |
1947-48 | EFL | 42 | 19 | 14 | 9 | 81 | 48 | 52 | 2位 | 優勝 | Jack Rowley | 28 | ||||||||
1948-49 | EFL | 42 | 21 | 11 | 10 | 77 | 44 | 53 | 2位 | 準決勝 | 準優勝 | Jack Rowley | 29 | |||||||
1949-50 | EFL | 42 | 18 | 14 | 10 | 69 | 44 | 50 | 4位 | 6回戦 | Jack Rowley | 23 | ||||||||
1950-51 | EFL | 42 | 24 | 8 | 10 | 74 | 40 | 56 | 2位 | 6回戦 | Stan Pearson | 23 | ||||||||
1951-52 | EFL | 42 | 23 | 11 | 8 | 95 | 52 | 57 | 1位 | 3回戦 | Jack Rowley | 30 | ||||||||
1952-53 | EFL | 42 | 18 | 10 | 14 | 69 | 72 | 46 | 8位 | 5回戦 | 優勝 | Stan Pearson | 18 | |||||||
1953-54 | EFL | 42 | 18 | 12 | 12 | 73 | 58 | 48 | 4位 | 3回戦 | Tommy Taylor | 23 | ||||||||
1954-55 | EFL | 42 | 20 | 7 | 15 | 84 | 74 | 47 | 5位 | 4回戦 | Dennis Viollet | 21 | ||||||||
1955-56 | EFL | 42 | 25 | 10 | 7 | 83 | 51 | 60 | 1位 | 3回戦 | UICとして開催 | Tommy Taylor | 25 | |||||||
1956-57 | EFL | 42 | 28 | 8 | 6 | 103 | 54 | 64 | 1位 | 準優勝 | 優勝 | 準決勝 | Tommy Taylor | 34 | ||||||
1957-58 | EFL | 42 | 16 | 11 | 15 | 85 | 75 | 43 | 9位 | 準優勝 | 優勝 | 準決勝 | Dennis Viollet | 23 | ||||||
1958-59 | EFL | 42 | 24 | 7 | 11 | 103 | 66 | 55 | 2位 | 3回戦 | Bobby Charlton | 29 | ||||||||
1959-60 | EFL | 42 | 19 | 7 | 16 | 102 | 80 | 45 | 7位 | 5回戦 | Dennis Viollet | 32 | ||||||||
1960-61 | EFL | 42 | 18 | 9 | 15 | 88 | 76 | 45 | 7位 | 4回戦 | 2回戦 | Bobby Charlton | 21 | |||||||
1961-62 | EFL | 42 | 15 | 9 | 18 | 72 | 75 | 39 | 15位 | 準決勝 | 不参加 | David Herd | 17 | |||||||
1962-63 | EFL | 42 | 12 | 10 | 20 | 67 | 81 | 34 | 19位 | 優勝 | 不参加 | Denis Law | 29 | |||||||
1963-64 | EFL | 42 | 23 | 7 | 12 | 90 | 62 | 53 | 2位 | 準決勝 | 不参加 | 準優勝 | 準々決勝 | Denis Law | 46 | |||||
1964-65 | EFL | 42 | 26 | 9 | 7 | 89 | 39 | 61 | 1位 | 準決勝 | 不参加 | Denis Law | 39 | |||||||
1965-66 | EFL | 42 | 18 | 15 | 9 | 84 | 59 | 51 | 4位 | 準決勝 | 不参加 | 引分 | 準決勝 | David Herd | 33 | |||||
1966-67 | EFL | 42 | 24 | 12 | 6 | 84 | 45 | 60 | 1位 | 4回戦 | 2回戦 | Denis Law | 25 | |||||||
1967-68 | EFL | 42 | 24 | 8 | 10 | 89 | 55 | 56 | 2位 | 3回戦 | 引分 | 優勝 | George Best | 32 | ||||||
1968-69 | EFL | 42 | 15 | 12 | 15 | 57 | 53 | 42 | 11位 | 6回戦 | 準決勝 | 準決勝 | Denis Law | 30 | ||||||
1969-70 | EFL | 42 | 14 | 17 | 11 | 66 | 61 | 45 | 8位 | 3回戦 | 準決勝 | George Best | 23 | |||||||
1970-71 | EFL | 42 | 16 | 11 | 15 | 65 | 66 | 43 | 8位 | 3回戦 | 準決勝 | George Best | 21 | |||||||
1971-72 | EFL | 42 | 19 | 10 | 13 | 69 | 61 | 48 | 8位 | 6回戦 | 4回戦 | George Best | 26 | |||||||
1972-73 | EFL | 42 | 12 | 13 | 17 | 44 | 60 | 37 | 18位 | 3回戦 | 3回戦 | Bobby Charlton | 7 | |||||||
1973-74 | EFL | 42 | 10 | 12 | 20 | 38 | 48 | 32 | 21位 | 4回戦 | 2回戦 | Lou Macari | 6 | |||||||
Sammy McIlroy | ||||||||||||||||||||
1974-75 | EFL2 | 42 | 26 | 9 | 7 | 66 | 30 | 61 | 1位 | 3回戦 | 準決勝 | Lou Macari | 18 | |||||||
Stuart Pearson | ||||||||||||||||||||
1975-76 | EFL | 42 | 23 | 10 | 9 | 68 | 42 | 56 | 3位 | 準優勝 | 4回戦 | Lou Macari | 15 | |||||||
1976-77 | EFL | 42 | 18 | 11 | 13 | 71 | 62 | 47 | 6位 | 優勝 | 5回戦 | 2回戦 | Gordon Hill | 22 | ||||||
1977-78 | EFL | 42 | 16 | 10 | 16 | 67 | 63 | 42 | 10位 | 4回戦 | 2回戦 | 引分 | 2回戦 | Gordon Hill | 19 | |||||
1978-79 | EFL | 42 | 15 | 15 | 12 | 60 | 63 | 45 | 9位 | 準優勝 | 3回戦 | Jimmy Greenhoff | 17 | |||||||
1979-80 | EFL | 42 | 24 | 10 | 8 | 65 | 35 | 58 | 2位 | 3回戦 | 3回戦 | Joe Jordan | 13 | |||||||
1980-81 | EFL | 42 | 15 | 18 | 9 | 51 | 36 | 48 | 8位 | 4回戦 | 2回戦 | 1回戦 | Joe Jordan | 15 | ||||||
1981-82 | EFL | 42 | 22 | 12 | 8 | 59 | 29 | 78 | 3位 | 3回戦 | 2回戦 | Frank Stapleton | 13 | |||||||
1982-83 | EFL | 42 | 19 | 13 | 10 | 56 | 38 | 70 | 3位 | 優勝 | 準優勝 | 1回戦 | Frank Stapleton | 19 | ||||||
1983-84 | EFL | 42 | 20 | 14 | 8 | 71 | 41 | 74 | 4位 | 3回戦 | 4回戦 | 優勝 | 準決勝 | Frank Stapleton | 19 | |||||
1984-85 | EFL | 42 | 22 | 10 | 10 | 77 | 47 | 76 | 4位 | 優勝 | 3回戦 | 準々決勝 | Mark Hughes | 24 | ||||||
1985-86 | EFL | 42 | 22 | 10 | 10 | 70 | 36 | 76 | 4位 | 5回戦 | 4回戦 | 準優勝 | Mark Hughes | 18 | ||||||
1986-87 | EFL | 42 | 14 | 14 | 14 | 52 | 45 | 56 | 11位 | 4回戦 | 3回戦 | Peter Davenport | 16 | |||||||
1987-88 | EFL | 40 | 23 | 12 | 5 | 71 | 38 | 81 | 2位 | 5回戦 | 5回戦 | ブライアン・マクレアー | 31 | |||||||
1988-89 | EFL | 38 | 13 | 12 | 13 | 45 | 35 | 51 | 11位 | 6回戦 | 3回戦 | マーク・ヒューズ | 16 | |||||||
ブライアン・マクレアー | ||||||||||||||||||||
1989-90 | EFL | 38 | 13 | 9 | 16 | 46 | 47 | 48 | 13位 | 優勝 | 3回戦 | ブライアン・マクレアー | 15 | |||||||
1990-91 | EFL | 38 | 16 | 12 | 10 | 58 | 45 | 59 | 6位 | 5回戦 | 準優勝 | 引分 | 優勝 | マーク・ヒューズ | 21 | |||||
ブライアン・マクレアー | ||||||||||||||||||||
1991-92 | EFL | 42 | 21 | 15 | 6 | 63 | 33 | 78 | 2位 | 4回戦 | 優勝 | 2回戦 | 優勝 | ブライアン・マクレアー | 24 | |||||
1992-93 | EPL | 42 | 24 | 12 | 6 | 67 | 31 | 84 | 1位 | 5回戦 | 3回戦 | 1回戦 | マーク・ヒューズ | 16 | ||||||
1993-94 | EPL | 42 | 27 | 11 | 4 | 80 | 38 | 92 | 1位 | 優勝 | 準優勝 | 優勝 | 2回戦 | エリック・カントナ | 25 | |||||
1994-95 | EPL | 42 | 26 | 10 | 6 | 77 | 28 | 88 | 2位 | 準優勝 | 3回戦 | 優勝 | グループ | アンドレイ・カンチェルスキス | 15 | |||||
1995-96 | EPL | 38 | 25 | 7 | 6 | 73 | 35 | 82 | 1位 | 優勝 | 2回戦 | 1回戦 | エリック・カントナ | 19 | ||||||
1996-97 | EPL | 38 | 21 | 12 | 5 | 76 | 44 | 75 | 1位 | 4回戦 | 4回戦 | 優勝 | 準決勝 | オーレ・グンナー・スールシャール | 19 | |||||
1997-98 | EPL | 38 | 23 | 8 | 7 | 73 | 26 | 77 | 2位 | 5回戦 | 3回戦 | 優勝 | 準々決勝 | アンディ・コール | 25 | |||||
1998-99 | EPL | 38 | 22 | 13 | 3 | 80 | 37 | 79 | 1位 | 優勝 | 5回戦 | 準優勝 | 優勝 | ドワイト・ヨーク | 29 | |||||
1999-00 | EPL | 38 | 28 | 7 | 3 | 97 | 45 | 91 | 1位 | 不参加 | 3回戦 | 準優勝 | 準々決勝 | 大会廃止 | 準優勝 | グループ | 優勝 | ドワイト・ヨーク | 24 | |
2000-01 | EPL | 38 | 24 | 8 | 6 | 79 | 31 | 80 | 1位 | 4回戦 | 4回戦 | 準優勝 | 準々決勝 | テディ・シェリンガム | 21 | |||||
2001-02 | EPL | 38 | 24 | 5 | 9 | 87 | 45 | 77 | 3位 | 4回戦 | 3回戦 | 準優勝 | 準決勝 | ルート・ファン・ニステルローイ | 36 | |||||
2002-03 | EPL | 38 | 25 | 8 | 5 | 74 | 34 | 83 | 1位 | 5回戦 | 準優勝 | 準々決勝 | ルート・ファン・ニステルローイ | 44 | ||||||
2003-04 | EPL | 38 | 23 | 6 | 9 | 64 | 35 | 75 | 3位 | 優勝 | 4回戦 | 優勝 | 準々決勝 | ルート・ファン・ニステルローイ | 30 | |||||
2004-05 | EPL | 38 | 22 | 11 | 5 | 58 | 26 | 77 | 3位 | 準優勝 | 準決勝 | 準優勝 | 準々決勝 | ウェイン・ルーニー | 17 | |||||
2005-06 | EPL | 38 | 25 | 8 | 5 | 72 | 34 | 83 | 2位 | 5回戦 | 優勝 | グループ | CWCへ移行 | ルート・ファン・ニステルローイ | 24 | |||||
2006-07 | EPL | 38 | 28 | 5 | 5 | 83 | 27 | 89 | 1位 | 準優勝 | 4回戦 | 準決勝 | ウェイン・ルーニー | 23 | ||||||
クリスティアーノ・ロナウド | ||||||||||||||||||||
2007-08 | EPL | 38 | 27 | 6 | 5 | 80 | 22 | 87 | 1位 | 6回戦 | 3回戦 | 優勝 | 優勝 | クリスティアーノ・ロナウド | 42 | |||||
2008-09 | EPL | 38 | 28 | 6 | 4 | 68 | 24 | 90 | 1位 | 準決勝 | 優勝 | 優勝 | 準優勝 | 準優勝 | 優勝 | クリスティアーノ・ロナウド | 26 | |||
2009-10 | EPL | 38 | 27 | 4 | 7 | 86 | 28 | 85 | 2位 | 3回戦 | 優勝 | 準優勝 | 準々決勝 | ウェイン・ルーニー | 34 | |||||
2010-11 | EPL | 38 | 23 | 11 | 4 | 78 | 37 | 80 | 1位 | 準決勝 | 5回戦 | 優勝 | 準優勝 | ディミタール・ベルバトフ | 21 | |||||
2011-12 | EPL | 38 | 28 | 5 | 5 | 89 | 33 | 89 | 2位 | 4回戦 | 5回戦 | 優勝 | グループ | 準々決勝 | ウェイン・ルーニー | 34 | ||||
2012-13 | EPL | 38 | 28 | 5 | 5 | 86 | 43 | 89 | 1位 | 6回戦 | 4回戦 | 準々決勝 | ロビン・ファン・ペルシ | 30 | ||||||
2013-14 | EPL | 38 | 19 | 7 | 12 | 64 | 43 | 64 | 7位 | 3回戦 | 準決勝 | 優勝 | 準々決勝 | ウェイン・ルーニー | 19 | |||||
2014-15 | EPL | 38 | 20 | 10 | 8 | 62 | 37 | 70 | 4位 | 6回戦 | 2回戦 | ウェイン・ルーニー | 14 | |||||||
2015-16 | EPL | 38 | 19 | 9 | 10 | 49 | 35 | 66 | 5位 | 優勝 | 4回戦 | グループ | 準々決勝 | アントニー・マルシャル | 17 | |||||
2016-17 | EPL | 38 | 18 | 15 | 5 | 54 | 29 | 69 | 6位 | 準々決勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | ズラタン・イブラヒモビッチ | 28 | |||||
2017-18 | EPL | 38 | 25 | 6 | 7 | 68 | 28 | 81 | 2位 | 準優勝 | 5回戦 | ベスト16 | 準決勝 | ロメル・ルカク | 27 | |||||
2018-19 | EPL | 38 | 19 | 9 | 10 | 65 | 54 | 66 | 6位 | 準々決勝 | 3回戦 | 準々決勝 | ポール・ポグバ | 16 | ||||||
2019-20 | EPL | 38 | 18 | 12 | 8 | 66 | 36 | 66 | 3位 | 準決勝 | 準決勝 | 準決勝 | アントニー・マルシャル | 23 | ||||||
2020-21 | EPL | 38 | 位 | 準々決勝 | 準決勝 | グループ | ラウンド16 |
現所属メンバー[編集]
- 2021年2月3日現在
|
|
※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、★はホーム・グロウン選手、☆はU-21登録選手を示す。
ローン移籍[編集]
- in
|
- out
|
|
リザーブ・アカデミー[編集]
歴代監督[編集]
氏名 | 国籍 | 期間 | 備考 |
---|---|---|---|
アルフレッド・ハロルド・カサヤ | ![]() |
1892 - 1900 | |
ジェームス・ウエスト | ![]() |
1900 - 1903 | |
ジェームス・アーネスト・マングノール | ![]() |
1903 - 1912 | |
ジョン・ベントレー | ![]() |
1912 - 1914 | |
ジョン・ロブソン | ![]() |
1914 - 1921 | |
ジョン・チャップマン | ![]() |
1921 - 1926 | |
ラル・ヒルディッチ | ![]() |
1926 - 1927 | |
ハーバート・バムレット | ![]() |
1927 - 1931 | |
ウォルター・クリックマー | ![]() |
1931 - 1932 | |
スコット・ダンカン | ![]() |
1932 - 1937 | |
ウォルター・クリックマー | ![]() |
1937 - 1945 | |
マット・バスビー | ![]() |
1945 - 1969 | |
ウィルフレッド・マクギネス | ![]() |
1969 - 1970 | |
マット・バスビー | ![]() |
1970 - 1971 | |
フランク・オファレル | ![]() |
1971 - 1972 | |
トミー・ドハーティー | ![]() |
1972 - 1977 | |
デーブ・セクストン | ![]() |
1977 - 1981 | |
ロン・アトキンソン | ![]() |
1981 - 1986 | |
アレックス・ファーガソン | ![]() |
1986 - 2013 | |
デイヴィッド・モイーズ | ![]() |
2013 - 2014 | |
ライアン・ギグス | ![]() |
2014 | 暫定プレイングマネジャー |
ルイ・ファン・ハール | ![]() |
2014 - 2016 | |
ジョゼ・モウリーニョ | ![]() |
2016 - 2018 | |
オーレ・グンナー・スールシャール | ![]() |
2018- | 2019年3月28日まで暫定監督 |
歴代在籍選手[編集]
出場試合数記録[編集]
順位 | 選手名 | 所属期間 | 試合数 |
---|---|---|---|
1 | ![]() |
1991-2014 | 963 |
2 | ![]() |
1956-1973 | 758 |
3 | ![]() |
1994-2011, 2012-2013 | 718 |
4 | ![]() |
1952-1970 | 688 |
5 | ![]() |
1992-2011 | 602 |
6 | ![]() |
2004-2017 | 559 |
7 | ![]() |
1966-1978 | 539 |
8 | ![]() |
1960-1973 | 535 |
9 | ![]() |
1990–2002 | 529 |
10 | ![]() |
1919–1933 | 510 |
総得点数記録[編集]
順位 | 選手名 | 所属期間 | 得点数 |
---|---|---|---|
1 | ![]() |
2004-2017 | 253 |
2 | ![]() |
1956-1973 | 249 |
3 | ![]() |
1962-1973 | 237 |
4 | ![]() |
1937–1955 | 211 |
5 | ![]() |
1952–1962 | 179 |
![]() |
1963–1974 | ||
7 | ![]() |
1919–1933 | 168 |
![]() |
1991-2014 | ||
9 | ![]() |
1983–1986, 1988–1995 | 163 |
10 | ![]() |
1994-2011, 2012-2013 | 155 |
練習場[編集]
トラッフォード・トレーニング・センター。2000年にザ・クリフから当地に移転。現在は、スポンサー名を冠しAon Training Complexが正式名称。また、単に施設所在地の地名からキャリントンとも呼ばれている。
コナミ
スポンサー[編集]
年度 | メーカー | 胸 スポンサー | 袖 スポンサー |
---|---|---|---|
1945–1975 | Umbro | ー | ー |
1975–1980 | Admiral | ||
1980–1982 | Adidas | ||
1982–1992 | SHARP | ||
1992–2000 | Umbro | ||
2000–2002 | Vodafone | ||
2002–2006 | Nike | ||
2006–2010 | AIG | ||
2010–2014 | Aon | ||
2014–2015 | Chevrolet | ||
2015-2018 | Adidas | ||
2018- | Kohler |
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ ユナイテッドは、2000-01シーズンと2010-11シーズンに勝ち点80で優勝した。
出典[編集]
- ^ The World's Most Valuable Soccer Teams 2017 Forbes 2017年6月現在。
- ^ “Deloitte Football Money League | Deloitte UK” (英語). Deloitte United Kingdom. 2020年10月3日閲覧。
- ^ “マンU香川、3戦連続で先発”. 朝日新聞デジタル. (2012年9月3日) 2017年8月5日閲覧。
- ^ “マンU香川「この1年が勝負」 プレミア2季目に向け渡英”. 日本経済新聞. (2013年8月2日) 2017年8月5日閲覧。
- ^ 山中忍 (2016年6月4日). “マンUとモウリーニョの復活が始まる。240億円の予算で「背骨」は出来るか。”. Number Web. 文藝春秋. 2017年8月27日閲覧。
- ^ Tony Barrett (2011年10月31日). “Everton 0 Man U 1: United fans delight in riding their luck” (英語). The Times 2017年8月24日閲覧。
- ^ “1989: Man U sold in record takeover deal” (英語). 18 August, BBC On This Day. BBC. 2017年8月5日閲覧。
- ^ Rob Hughes (2012年10月28日). “Man U Finally Finds a Way to Win at Chelsea” (英語). The New York Times 2017年8月24日閲覧。
- ^ “Man U rediscovers aura, winning mentality under Mourinho” (英語). USA Today. (2017年5月25日) 2017年8月27日閲覧。
- ^ “Man U wins World Club Cup thriller” (英語). ESPN.com. (1999年12月5日) 2017年8月1日閲覧。
- ^ Rob Harris (2017年2月26日). “Man U rebounds to capture League Cup, Tottenham grabs second in Premier League” (英語). The Globe and Mail 2017年8月27日閲覧。
- ^ Marc Roche (2010年3月4日). “Golden boys et Diables rouges” (フランス語). Le Monde 2017年8月24日閲覧。
- ^ Xavier Condamine (2017年7月6日). “PSG, Monaco, Man U: Une offre improbable de 180 M€ pour Ronaldo?” (フランス語). Le Figaro 2017年8月24日閲覧。
- ^ Vincente Verdú (2002年6月30日). “Debate: Fútbol y Poder - La clave está en el corazón” (スペイン語). El País 2017年8月24日閲覧。
- ^ “Ronaldo e Nani marcam na vitória do Man U” (ポルトガル語). Record. (2009年2月15日) 2017年8月27日閲覧。
- ^ “Fußball: ManU holt Ole Gunnar Solskjaer als Interimstrainer” (ドイツ語). Zeit Online. (2018年12月19日). オリジナルの2019年1月13日時点におけるアーカイブ。 2019年1月13日閲覧。
- ^ Marcel Reich (2017年7月27日). “Ibrahimovic macht in Falschgeld – und ManU die Tür auf” (ドイツ語). Die Welt 2017年8月24日閲覧。
- ^ “Rooney e ManU insieme fino al 2019” (イタリア語). La Gazzetta dello Sport. (2014年2月21日). オリジナルの2017年8月24日時点におけるアーカイブ。 2020年8月16日閲覧。
- ^ "NYSE: MANU"、ニューヨーク証券取引所、2017年8月5日閲覧。
- ^ ファーガソン、今季限りで監督を引退
- ^ マンチェスター・ユナイテッド、モイーズ新監督就任を発表
- ^ ユナイテッド、モイーズ解任を正式に発表
- ^ ユナイテッドのモイーズ監督が退団(uefa.com日本語版)
- ^ Van Gaal named United manager
- ^ Manchester United achieve European clean sweep uefa.com
- ^ “マイケル・ キャリック” (日本語). www.manutd.com. 2020年7月28日閲覧。
- ^ “モウリーニョが辞任” (日本語). www.manutd.com. 2018年12月31日閲覧。
- ^ “暫定監督はスールシャール” (日本語). www.manutd.com. 2018年12月31日閲覧。
- ^ “オーレがフルタイムの監督に就任” (日本語). www.manutd.com. 2019年3月28日閲覧。
- ^ “[4-4-2]、一撃の殺気、ラスト5分の奇跡…PSG戦、あのユナイテッドが帰って来た | footballista.jp” (日本語). footballista. 2019年5月8日閲覧。
- ^ “#UnfollowManUnited: Fans' social media protest” (英語). ESPN.com (2019年5月7日). 2019年5月8日閲覧。
- ^ “「その仕事が自分にはできないと認めるべき」補強失敗で批判を浴びるマンUのCEO、クラブOBをディレクターに招聘か | サッカーダイジェストWeb” (日本語). www.soccerdigestweb.com. 2019年8月11日閲覧。
- ^ “マンチェスター・ユナイテッド、世界で最も人気のあるクラブに” (日本語). 共同通信PRワイヤー. 2020年3月1日閲覧。
- ^ “Mou uses defence like Mayweather - Neville” (英語). ESPN.com 2018年12月2日閲覧。
- ^ “マンチェスターU、海洋プラスチックでできた新ユニフォームを発表 | 世界のソーシャルグッドなアイデアマガジン” (日本語). IDEAS FOR GOOD (2018年5月28日). 2020年1月10日閲覧。
関連項目[編集]
- マンチェスター・ユナイテッドFC.リザーブ
- ミュンヘンの悲劇
- カンプ・ノウの奇跡
- MUTV
- アーセナルFC対マンチェスター・ユナイテッドFC
- バイエルン・ミュンヘン対マンチェスター・ユナイテッドFC
外部リンク[編集]
- 公式
- Official website(アラビア語)(中国語)(英語)(フランス語)(朝鮮語)(スペイン語)
- 日本語公式サイト
- Official statistics website
- Independent Manchester United Supporters Association website
- Official Manchester United Supporters' Trust
- Manchester United at Sky Sports
- Manchester United at Premier League
- Manchester United (@ManUtd) - Twitter(英語)
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