デイヴィッド・モイーズ

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デイヴィッド・モイーズ Football pictogram.svg
David Moyes.jpg
エヴァートンの監督時代 (2011年)
名前
本名 David William Moyes[1]
カタカナ デイヴィッド・ウィリアム・モイーズ
ラテン文字 David Moyes
基本情報
国籍 スコットランドの旗 スコットランド
生年月日 1963年4月25日(53歳)
出身地 グラスゴー ベアーズデン
身長 1.85 m (6 ft 1 in)
選手情報
ポジション センターバック
ユース
1978 ÍBVヴェストマナエヤル[2]
1978-1980 ドラムチャペル・アマチュアズ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1980-1983 スコットランドの旗 セルティック 24 (0)
1983-1985 イングランドの旗 ケンブリッジ・ユナイテッド 79 (1)
1985-1987 イングランドの旗 ブリストル・シティ 83 (6)
1987-1990 イングランドの旗 シュルーズベリー・タウン 96 (11)
1990-1993 スコットランドの旗 ダンファームリン・アスレティック 105 (13)
1993 スコットランドの旗 ハミルトン・アカデミカル 5 (0)
1993-1999 イングランドの旗 プレストン・ノース・エンド 143 (15)
監督歴
1998-2002 イングランドの旗 プレストン・ノース・エンド
2002-2013 イングランドの旗 エヴァートン
2013-2014 イングランドの旗 マンチェスター・ユナイテッド
2014-2015 スペインの旗 レアル・ソシエダ
2016- イングランドの旗 サンダーランド
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

デイヴィッド・ウィリアム・モイーズDavid William Moyes1963年4月25日 - )は、スコットランドグラスゴー出身の元サッカー選手監督。現役時代のポジションはセンターバック

2002年3月にイングランドプレミアリーグエヴァートンの監督に就任。モイーズの指揮の下、エヴァートンは2005年にチャンピオンズリーグの出場権を獲得し、2009年にはFAカップ決勝に進出した。エヴァートンの監督としての10周年に際して、アレックス・ファーガソンアーセン・ベンゲルケニー・ダルグリッシュといった多くの同業者から、限られた予算にもかかわらずエヴァートンで達成した実績に対して称賛を得た[3]。モイーズは、プレミアリーグおよびイングランドのサッカーリーグにおいてファーガソンとベンゲルに次いで3番目に長く指揮を取っていた監督である。プレミアリーグで高い評価を得ており、2003、2005、2009年にリーグ監督協会が選出する年間最優秀監督に選出され[4]アレックス・ファーガソンの後任候補とたびたび噂されていた。 2013年からファーガソンの指名によりマンチェスター・ユナイテッドの監督に就任した。

モイーズは現役時代、センターバックとして540試合以上に出場し、キャリアを開始したセルティックではリーグ優勝している。その後、ダンファームリン・アスレティックなどでプレーし、プレストン・ノース・エンドで引退した。引退後、プレストンでコーチや助監督を務め、1998年に監督となった。

選手経歴[編集]

モイーズの選手としてのキャリアはセルティックで始まったが、それほど目立った活躍をすることなく、プレストン・ノース・エンドでキャリアを終えた。セルティックではリーグ優勝を経験している。プレストンでは、コーチからアシスタントコーチになり、1998年から監督となった。

監督経歴[編集]

プレストン・ノース・エンド[編集]

フットボールリーグ・ディヴィジョン2で降格の危機に瀕していたチームをガリー・ピーターズから引き継ぎ、1998年1月から指揮を執った。彼はキャリアの大半をプレイヤーとしてよりも指導者として費やしており、22歳の時にコーチングライセンスを取得している[5]。1997-98シーズンは降格を免れ、翌シーズンはプレーオフに進出するも敗れてしまったが、1999-00シーズンはディビジョン2で優勝し、クラブを昇格へと導いた。モイーズにとってのプレストンでの最大の功績は、決勝で敗れてしまったものの、昇格初年度のシーズンにクラブのプレーオフ進出を果たしたことである。モイーズは2001-02シーズンの終盤の2002年3月にウォルター・スミスの後任としてエヴァートンの監督に就任し、プレストンを後にした。

エヴァートン[編集]
ウィガン・アスレティック戦で指揮を執るモイーズ (2010年1月)

モイーズは2002年3月14日に正式に監督に就任し、会見ではエヴァートンは「マージーサイドの人たちのクラブ」であると述べた。

「私はリヴァプールに似た街であるグラスゴーから来て、素晴らしいファンの方たちに支えられているクラブに加わりました。街を歩いてすれ違う人たちの多くはエヴァートンのファンの人たちです。このようなクラブの監督になることは、素晴らしい機会であり誰もが夢見ることです。エヴァートンはとてもビッグなクラブなので、私はすぐにイエスと答えました。」(会見での言葉)[6]

エヴァートンで指揮を執った最初の試合は、グディソン・パークでのフラムとの試合である。試合はデイヴィッド・アンスワースが開始30秒でゴールするなど2-1で勝利した[7]。エヴァートンはその後好調を維持し、降格を免れた。

2002-03シーズンはモイーズが初めてフルシーズン指揮を執ったシーズンである。彼は中国代表李鉄ナイジェリア人のディフェンダー、ジョゼフ・ヨボ、ゴールキーパーのリチャード・ライトを獲得する一方[8]イェスパー・ブロンクヴィストダヴィド・ジノラといったベテラン選手たちを放出した。 そのシーズンは最終節にマンチェスター・ユナイテッドに敗れ、ブラックバーン・ローヴァーズに次いで7位でシーズンを終え、翌シーズンのUEFAカップの出場権を逃したものの、モイーズは監督たちの投票により選出される年間最優秀監督に選ばれた。

2003-04シーズンは、サンダーランドから、ケヴィン・キルバーンを、ジェームズ・マクファデンマザーウェルナイジェル・マーティンリーズ・ユナイテッドから獲得し、フランシス・ジェファーズアーセナルからレンタル移籍で加えた。しかし、成績は振るわず、クラブ史上最低の勝点39で17位でシーズンを終え[9]、降格を免れただけで終わってしまったシーズンとなった。トレーニンググラウンドで見られたダンカン・ファーガソンとモイーズの対立はクラブの状態を物語るものであった[10]

クラブは混乱状態であったが[11]、モイーズはティム・ケーヒルマーカス・ベントを獲得、その一方で、トマシュ・ラジンスキトビアス・リンデロートデイヴィッド・アンスワース、そして、ウェイン・ルーニーがクラブを去った。デイリー・メールはルーニーの自叙伝から抜粋し、モイーズがルーニーがクラブから出て行くように主張し続け、メディアに情報を漏らしていたと明らかしたが[12]、モイーズはルーニーが謝罪し賠償金を支払うことに同意する示談が成立するまで、名誉棄損であると訴え続けた[13]。金額は明かされていないが、モイーズはその賠償金をエヴァートンの基金に寄付している[14]。エヴァートンはシーズン開幕前の予想を覆す快進撃を続け、4位でシーズンを終え、翌シーズンのチャンピオンズリーグの出場権を獲得し、モイーズは2度目となるLMA年間最優秀監督賞を受賞した[15]。2005年1月にはクラブ記録となる移籍金でジェームズ・ビーティーを獲得し、中心選手であったトーマス・グラヴェセンを放出、ミケル・アルテタをレンタルで獲得した。

2005-06シーズンは、ヌーノ・ヴァレンテアンディ・ファン・デル・メイデサイモン・デイヴィスフィリップ・ネヴィルを獲得、マッテオ・フェラーリをレンタル、ミケル・アルテタのレンタルを延長するなど開幕に備え大型補強を行ったが、チャンピオンズリーグは予備予選で敗れ、UEFAカップは一回戦で敗れた。リーグでも10月には最下位に沈むなどの低迷をしたが、その後は持ち直し11位でシーズンを終えた。

2006-07シーズンには、再びクラブ記録となる移籍金860万ポンドでアンディ・ジョンソンジョリオン・レスコットウルヴァーハンプトンから獲得し、ティム・ハワードをレンタルで加えたが、これらの移籍はすべて良い成果を上げ、モイーズの監督としての評価はさらに高まった。FAカップ3回戦でブラックバーンに1-4で敗れたのを契機に、モイーズはチームを改善し、6位でシーズンを終え、UEFAカップの出場権を獲得した。また、レスコットはクラブの年間最優秀選手に選ばれた。

翌シーズンは、モイーズが監督に就任して以降最も一貫して安定していたシーズンであり、順位表を上下することに終わりを告げるシーズンでもあった。6年目となったシーズンは、5位でシーズンを終え、フットボールリーグカップでは準決勝に進出、フィオレンティーナに敗れたものの、UEFAカップでもベスト16に残った。そのシーズンは、ヤクブを1,125万ポンド、スティーヴン・ピーナールをレンタルの後に205万ポンド、フィル・ジャギエルカを400万ポンド、レイトン・ベインズを活躍に応じて最大で600万ポンドとなる移籍金で獲得した。今シーズンは、昨シーズンから継続して安定したパフォーマンスを発揮し、クラブやファンにシーズンへの明るい展望を与え、モイーズ監督就任以降続いていた、15位、7位、17位、4位、11位という不安定なサイクルを打破した。規律に厳格であると言われているモイーズの人柄はイエローカードの枚数で見ることができる。エヴァートンはシーズンを通して27枚のイエローカードを受けたが、これはリーグで最も少ない枚数であり、ライバルであるリヴァプールより6枚少ない枚数である[16]

2008-09シーズンはまず、アシスタントコーチにスティーヴ・ラウンドを招へいし、シーズンの2試合目終了後にラルス・ヤコブセンを獲得したのが最初の補強であり、その後、セグンド・カスティージョルイ・サハが加入し、移籍期間の最終日にカルロ・ナッシュがフリーで加入し、クラブ記録となる1,500万ポンドの移籍金でマルアン・フェライニを獲得した。また、冬の移籍期間の最終日にブラジル代表ジョーをレンタルで獲得した。2008年10月に5年間の契約延長に合意した[17]2009年1月19日に行われたFAカップ準決勝では、マンチェスター・ユナイテッドをPK戦の末に下し、クラブを1995年以来となる決勝へ導いたが、決勝ではチェルシーに1-2で敗れた。 2013年5月9日に公式サイトにてアレックス・ファーガソンの引退により空席となったマンチェスター・ユナイテッドFC就任希望を伝え2012-2013シーズンをもっての退団が発表された[18]

マンチェスター・ユナイテッド[編集]
マンチェスター・ユナイテッドで指揮を執るモイーズ (2013年)

2013年5月9日、アレックス・ファーガソンの後任としてマンチェスター・ユナイテッドFCの次期監督に就任することが発表された。

2013-2014シーズン、リーグ順位は低迷し、2014年2月9日の対フラムFC戦では約80本のクロスを上げる戦術[19]で得点しながらも、詰めが甘く失点を許してドローゲームにしてしまうなど、様々な面での選手の起用法や采配、その戦術に批判を集めた。2014年4月20日、モイーズの古巣である対エヴァートン戦に敗れた事によって、2013-14シーズンを無冠で終える事が決定し、リーグ優勝を逃すばかりか、UEFAチャンピオンズリーグ2014-15への進出すらも消滅するなど、数々の不名誉な記録が更新されるシーズンとなり[20]、4月22日に退任(事実上解任)が発表された[21]

レアル・ソシエダ[編集]
レアル・ソシエダで監督を務めるモイーズ (2015年)

2014年11月10日、スペイン1部リーグのレアル・ソシエダの監督に就任した[22]

2014-15シーズンは19位と降格圏に沈むチームを12位まで上げるなどチームを立て直すことができたが、続く2015-16シーズンでは開幕から低迷し、2015年11月9日に解任が発表された[23]

サンダーランドAFC[編集]

2016年7月23日、イングランド代表監督に就任したサム・アラダイスの後任としてサンダーランドAFCの監督に就任。慣れ親しんだプレミアリーグで再起を期すことになった。

戦術[編集]

イングランドで主流となっている4‐4‐2や4‐4‐1‐1システムを好んでいる。マンチェスターユナイテッドの監督時にはアントニオ・バレンシアアシュリー・ヤングアドナン・ヤヌザイといったウイングタイプの選手をワイドに配置して、サイド攻撃を重視していた。

獲得タイトル[編集]

選手時代[編集]

監督時代[編集]

クラブ
イングランドの旗 プレストン・ノースエンド
イングランドの旗 マンチェスターユナイテッド
個人
  • LMA年間最優秀監督賞 2002-03, 2004-05, 2008-09
  • プレミアリーグ月間最優秀監督賞 2002年11月, 2004年9月, 2006年1月, 2008年2月, 2009年2月, 2010年1月, 2010年3月, 2010年10月, 2012年9月, 2013年3月

監督成績[編集]

2016年8月23日現在[24]
クラブ 就任 退任 記録
試合 勝ち 分け 負け 勝率 %
イングランドの旗 プレストン・ノース・エンド 1998年1月12日 2002年3月15日 234 113 58 63 48.29
イングランドの旗 エヴァートン 2002年3月15日 2013年6月30日 518 218 139 161 42.08
イングランドの旗 マンチェスター・ユナイテッド 2013年7月1日 2014年4月22日 51 27 9 15 52.94
スペインの旗 レアル・ソシエダ 2014年11月10日 2015年11月9日 42 12 15 15 28.57
イングランドの旗 サンダーランド 2016年7月23日 2 0 0 2 00.00

脚注[編集]

  1. ^ Hugman, Barry J., ed (2005). The PFA Premier & Football League Players' Records 1946–2005. Queen Anne Press. p. 443. ISBN 1-85291-665-6. 
  2. ^ Týrari að taka við United?”. frettir (2013年5月8日). 2013年5月9日閲覧。
  3. ^ Managers Pay Tribute To Moyes”. エヴァートンFC (2012年3月13日). 2012年3月18日閲覧。
  4. ^ LMA Structure
  5. ^ Moyes' lofty ambitions
  6. ^ Moyes sets sights
  7. ^ Winning start for Moyes
  8. ^ EVERTONFC.COM : David Moyes
  9. ^ Attendance History
  10. ^ Season Review 03/04
  11. ^ Everton in turmoil
  12. ^ Rooney book could be pulped
  13. ^ Wayne Rooney settles autobiography libel dispute with Everton manager David Moyes
  14. ^ Moyes wins libel pay-out after Rooney book claim
  15. ^ League Managers Association
  16. ^ English Premier League - Fair Play - 2007/2008
  17. ^ Moyes signs new deal at Everton
  18. ^ エヴァートン、モイーズ退団決定 マンU行きが確実に
  19. ^ 一試合80本のクロス本数は、欧州5大リーグにおける近年の各クラブ年間平均本数よりも10以上多い記録的な内容となった。
  20. ^ モイーズ・ユナイテッドが達成した記録
  21. ^ ユナイテッド、モイーズ解任を正式に発表
  22. ^ ソシエダ、モイーズ氏の監督就任を正式発表
  23. ^ Komunikatu ofiziala” (スペイン語). Real Sociedad (2015年11月9日). 2015年11月10日閲覧。
  24. ^ Manager - David Moyes” (英語). Soccerbase. 2015年11月10日閲覧。

外部リンク[編集]