スラベン・ビリッチ

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スラヴェン・ビリッチ
ウェストハム・ユナイテッド監督時代のビリッチ(2015年)
名前
ラテン文字 Slaven Bilić
基本情報
国籍 クロアチアの旗 クロアチア
生年月日 (1968-09-11) 1968年9月11日(55歳)
出身地 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビアスプリト
身長 190cm
体重 85kg
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
ユース
1977-1988 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ハイドゥク・スプリト
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1988-1993 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ハイドゥク・スプリト 109 (13)
1988 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 プリモラッツ (loan) 13 (1)
1988-1989 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 シベニク (loan) 33 (7)
1993-1996 ドイツの旗 カールスルーエ 66 (5)
1996-1997 イングランドの旗 ウェストハム・ユナイテッド 48 (2)
1997-1999 イングランドの旗 エヴァートン 26 (0)
1999-2000 クロアチアの旗 ハイデュク 9 (0)
通算 294 (28)
代表歴
1992-1999 クロアチアの旗 クロアチア 44 (3)
監督歴
2001-2002 クロアチアの旗 ハイドゥク・スプリト
2004-2006  クロアチア U-21
2006-2012 クロアチアの旗 クロアチア
2012-2013 ロシアの旗 ロコモティフ・モスクワ
2013-2015 トルコの旗 ベシクタシュ
2015-2017 イングランドの旗 ウェストハム・ユナイテッド
2018-2019 サウジアラビアの旗 アル・イテハド
2019-2020 イングランドの旗 WBA
2021-2022 中華人民共和国の旗 北京中赫国安
2022- イングランドの旗 ワトフォード
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

スラヴェン・ビリッチ(Slaven Bilić, 1968年9月11日)は、クロアチアスプリト出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。元クロアチア代表。現役時代のポジションはDF。2006年より2012年までクロアチア代表監督を務めた。現在はEFLチャンピオンシップワトフォードFCの監督を務めている。

経歴[編集]

選手[編集]

クラブ[編集]

1988年に地元のHNKハイドゥク・スプリトからデビューし、1992年にはプルヴァHNLで優勝した。ハイデュクに6年間所属し、1993年にドイツ・ブンデスリーガカールスルーエSCに移籍した。1993-94シーズンのUEFAカップではオランダのPSVアイントホーフェン、スペインのバレンシアCF、フランスのFCジロンダン・ボルドー、ポルトガルのボアヴィスタFCを下して準決勝まで勝ち進んだが、準決勝ではSVアウストリア・ザルツブルクにアウェーゴール差で敗れた。ドイツでの活躍が認められ、1996年にハリー・レドナップ監督率いるイングランド・プレミアリーグウェストハム・ユナイテッドFCに移籍した。1997年にはエヴァートンFCに移籍し、1997-98シーズンはレギュラーとして活躍したが、1998-99シーズン以降は出場機会が減少した。2000年に古巣のハイデュクに復帰し、2000-01シーズンを最後に現役引退した。

代表[編集]

1992年7月5日、オーストラリア戦でクロアチア代表デビューした。この4年後に行われたUEFA EURO 1996ではレギュラーとして活躍し、クロアチア代表のベスト8入りに貢献した。

1998 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選ではアウェー扱いでのボスニア・ヘルツェゴビナ戦とウクライナ戦で先制ゴールを決め、さらにホームでのボスニア・ヘルツェゴビナ戦で同点ゴールを決めるなどし、クロアチアの独立後初のFIFAワールドカップ出場に貢献した。1998 FIFAワールドカップ本大会では準決勝に進出したが、開催国フランスとの対戦となった準決勝ではローラン・ブランと小競り合いになり、ブランはビリッチの顔面に肘打ちしたとして退場処分を受けた。フランスは結果的に優勝したが、ブランは出場停止処分を受けて決勝に出場できず、さらにリプレイ放送でビリッチが肘打ちを受けたかのような演技をしたことが明らかになったため、フランスサポーターからの憎悪を一身に浴びる事となった。3位決定戦のオランダ戦では、ビリッチがボールに触る度に、またボールを保持したオランダの選手に対してビリッチがプレスをかけた時にブーイングが浴びせられた。しかし、ビリッチは試合終了までプレーを続けて勝利に貢献した。代表チームでは44試合出場3得点を挙げた[1]

指導者[編集]

2001年11月に古巣ハイデュクの暫定監督に就任し、シーズン終了まで指揮を執った[2]。2004年にはU-21クロアチア代表監督に就任したが、2年後の2006 FIFAワールドカップ後、グループリーグ敗退という結果に終わって解任されたズラトコ・クラニチャール監督の後任としてクロアチアA代表監督に就任。ニコロベルトのコヴァチ兄弟などのベテランを軸に据え、U-21クロアチア代表から教え子であるルカ・モドリッチエドゥアルド・ダ・シルヴァヴェドラン・チョルルカなどを抜擢した[2]。2006年9月には主力のダリヨ・スルナイヴィツァ・オリッチボシュコ・バラバンが合宿所を抜け出して夜遊びした事件(フォンタナ事件)が起こったが[3]、規律を重んじて3人を追放した決断は指導者としての評価を高めた[2]UEFA EURO 2008予選ではイングランドロシアイスラエルなどと同組となったが、9勝2分1敗で全出場国中2位タイの勝ち点を稼ぎ、3位のイングランドに勝ち点6差を付けて本大会出場を決めた。本大会ではドイツオーストリアポーランドと同組となり、3戦全勝でグループリーグ突破を決めた。トルコと対戦した準々決勝では延長終了間際にクロアチアが先制し、その直後にトルコが追いつくという劇的な試合になったが、PK戦の末に敗れてベスト8に終わった[4]

2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選ではイングランド、ウクライナなどと同組となったが、主力選手の相次ぐ怪我のためにベストメンバーが組めず、イングランド戦ではホーム (1-4) &アウェー (1-5) の2試合とも大敗を喫した[5][6]。6勝2分2敗の勝ち点20で2位のウクライナに及ばず、プレーオフに回ることもできずに予選敗退に終わったため、クロアチア国内のメディアから過激な批判を受けた。成績不振の責任を取って辞任する意向を示していたが、代表選手やクロアチア国内世論はビリッチ続投を強く支持し、代表監督に留任した[2]

UEFA EURO 2012予選ではギリシャ、イスラエル、ラトビアジョージアと同組となり、絶対的な強豪国不在のグループとして注目されたが、ギリシャに次ぐグループ2位となってプレーオフに回った。プレーオフでは4年前の本大会で煮え湯を飲まされたトルコとの再戦となり、ビリッチが「リベンジの機会を待ちわびていた」と語った[7] クロアチアは2試合合計3-0で勝利して本大会出場を決めた[8]。本大会ではグループリーグ初戦でアイルランドに3-1で快勝し[9]イタリアと戦った2戦目では後半の戦術変更が功を奏して1-1の引き分けに持ち込んだ[10]。2試合を終えて勝ち点4を奪い、グループ3位のイタリアに勝ち点2差をつけていたが、3戦目のスペイン戦では接戦の末に0-1で敗れ[11]、好印象を残しながらも大会を去った。

2012年7月、FCロコモティフ・モスクワ監督に就任。リーグ戦で9位に終わり、1年で解任された。

2013年6月、ベシクタシュJKの監督に就任[12]。2シーズン指揮を執った。

2015年6月、サム・アラダイスの後任として選手時代にプレーしたウェストハム・ユナイテッドFCの監督に就任[13]

就任1年目となった15-16シーズンは、ディミトリ・ペイェを中心に攻撃的なサッカーを展開しチームはリーグ4位の総得点65をマーク。終始低調に終わったリヴァプールFCチェルシーFCの上を行くクラブ記録の勝ち点62でリーグ戦7位に導き、翌シーズンのUEFAヨーロッパリーグ予選の出場権を手にした。

2016-17シーズン、UEFAEL予選のプレーオフで敗退してしまい、本戦出場を逃した。リーグ戦は中位の11位に終わった。

2017-18シーズン、開幕から調子が上がらず11節を終えて2勝3分6敗の18位と降格圏に低迷。11月6日に解任された。

人物[編集]

母国語のクロアチア語のほかに流暢なドイツ語・イタリア語・英語を話すことができる[14]。法律の学位を取得している[14]

ロックミュージックの大ファンとして知られる。クロアチアのロックバンドであるRawbauのメンバーであり、お気に入りの赤いギブソン・エクスプローラーを使用する[15]。2009年、RawbauはUEFA EURO 2008におけるクロアチア代表の躍進を称えたVatreno Ludilo(燃えたぎる狂気)という曲を発表した。

個人成績[編集]

代表での成績[編集]

出典[16]


クロアチア代表国際Aマッチ
出場得点
1992 4 0
1993 0 0
1994 6 0
1995 6 0
1996 11 1
1997 7 2
1998 9 0
1999 1 0
合計 44 3

代表での得点[編集]

# 日時 場所 相手 スコア 最終結果 大会
1. 1996年10月8日 イタリアの旗 ボローニャ  ボスニア・ヘルツェゴビナ 0-1 1-4 1998 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
2. 1997年9月6日 クロアチアの旗 ザグレブ  ボスニア・ヘルツェゴビナ 1-1 3-2 1998 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
3. 1997年10月29日 クロアチアの旗 ザグレブ  ウクライナ 1-0 2-0 1998 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選

指導者としての成績[編集]

クラブ 就任 退任 記録
試合 勝利 引分 敗戦 勝率
ハイドゥク・スプリト 2001年12月5日 2002年5月4日 17 11 4 2 064.71
U-21クロアチア代表 2004年7月1日 2006年6月30日 19 8 4 7 042.11
クロアチア代表 2006年7月25日 2012年5月14日 65 42 15 8 064.62
ロコモティフ・モスクワ 2012年5月14日 2013年6月18日 32 13 7 12 040.63
ベシクタシュ 2013年6月28日 2015年5月21日 92 48 22 22 052.17
ウェストハム・ユナイテッド 2015年6月9日 2017年11月4日 111 42 30 39 037.84
アル・イテハド 2018年10月5日 2019年2月24日 20 6 5 9 030.00
WBA 2019年6月13日 2020年12月16日 65 26 22 17 040.00
北京中赫国安 2021年1月6日 2022年1月8日 29 9 8 12 031.03
ワトフォード 2022年9月26日 0 0 0 0 !
合計 450 205 117 128 045.56

タイトル[編集]

選手時代[編集]

HNKハイデュク・スプリト
ユーゴスラビア・カップ:1回(1990-91)
プルヴァHNL:1回(1991-92)
クロアチア・カップ:2回(1992-93、1999-2000)
個人
  • プルヴァHNL年間最優秀選手:1回(1992)

指導者時代[編集]

個人

脚注[編集]

  1. ^ Bilic”. Croatian Football Federation. 2022年3月1日閲覧。
  2. ^ a b c d 「Interview with SLAVEN BILIC」 footballista、ソルメディア、2011年6月22日号、18-20頁
  3. ^ クロアチア、主力不在で危機”. UEFA.com (2006年9月5日). 2012年7月8日閲覧。
  4. ^ トルコ、3度目の逆転劇でベスト4進出”. UEFA.com (2008年6月21日). 2012年7月8日閲覧。
  5. ^ 強気の姿勢を保つビリッチ監督”. UEFA.com (2008年10月6日). 2012年7月8日閲覧。
  6. ^ イングランド クロアチアに勝利し本大会出場を決める、W杯予選”. AFP BB News (2009年9月10日). 2012年7月8日閲覧。
  7. ^ EURO 2008の雪辱を誓うクロアチア”. UEFA.com (2011年10月13日). 2012年7月8日閲覧。
  8. ^ クロアチア、無失点を保って本大会へ”. UEFA.com (2011年11月15日). 2012年7月8日閲覧。
  9. ^ クロアチア、3得点で快勝スタート”. UEFA.com (2012年6月10日). 2012年7月8日閲覧。
  10. ^ イタリア、初白星ならず”. UEFA.com (2012年6月14日). 2012年7月8日閲覧。
  11. ^ スペイン、接戦制してベスト8進出”. UEFA.com (2012年6月18日). 2012年7月8日閲覧。
  12. ^ Slaven Bilic takes reins as Eagles’ new manager”. Beşiktaş JK (2013年6月26日). 2013年6月27日閲覧。
  13. ^ “[www.bbc.com/sport/0/football/33062196 Slaven Bilic: West Ham appoint former defender as manager]”. BBC (2015年6月9日). 2015年6月9日閲覧。
  14. ^ a b UEFA EURO 2008 – Slaven Bilic Profile”. 2008年5月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年7月8日閲覧。
  15. ^ Slaven Bilic & Rawbau”. Imeem.com. 2008年5月20日閲覧。
  16. ^ Bilić, Slaven”. National-Football-Teams.com. 2018年2月19日閲覧。

外部リンク[編集]