出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
グラナダ・クルブ・デ・フトボル (スペイン語 : Granada Club de Fútbol , スペイン語発音: [gɾaˈnaða ˈkluβ ðe ˈfuðβol] )は、スペイン ・アンダルシア州 グラナダ県 グラナダ を本拠地とするサッカークラブである。
グラナダCF (Granada Club de Fútbol )は、1931年4月14日、レクレティーボ・グラナダ (Recreativo de Granada )が元となって設立された[2] 。初代会長はフリオ・ロペス・フェルナンデス[3] 。クラブ初の試合は1931年12月13日に行われたデポルティーボ・ハエンとの試合であり、2-1で勝利を収めている[4] 。その試合の先制点、つまりクラブ初のスコアラーとなったのはアマチュアサッカー選手のアントニオ・ボンビジャール (Antonio Bombillar)だった。また、この試合は中立地にて開催されており、クラブ初のホームゲームはADアンドゥハルとの試合である[4] 。1931-32シーズン、アンダルシア州リーグ (3部相当)に参加し、6試合で4勝を挙げ、見事2部リーグ昇格を決めた。その1932-33シーズンからガブリエル・モルシージョ・ラジャが新しくクラブの会長に就任し、クラブ初の2部リーグはリーグ6位でのフィニッシュとなった[5] 。
ラ・リーガ昇格 [ 編集 ]
この後上位リーグへの昇格を重ね、1941-42シーズンにはプリメーラ・ディビシオン (1部)に到達した。1940年代以後はプリメーラ・ディビシオンとセグンダ・ディビシオン (2部)を往復し、1980年代までセグンダ・ディビシオン以上のリーグにとどまり続けた。1958-59シーズンにはコパ・デル・レイ で決勝まで勝ち進んだが、FCバルセロナ に1-4で敗れて準優勝に終わった[6] 。1970年代には8シーズンの間プリメーラ・ディビシオンの座を維持し続けてクラブの黄金期を迎え、1971-72シーズンと1973-74シーズンには過去最高位であるプリメーラ・ディビシオン6位となった。1971-72シーズンにはエンリケ・ポルタ がピチーチ賞 (リーグ得点王)を獲得している。
1980年代にはセグンダ・ディビシオンB (3部)に低迷し、2002-03シーズン終了後には給料未払いのペナルティでついにテルセーラ・ディビシオン (4部)降格処分を受けた[7] 。2007年には元レアル・マドリード 会長のロレンソ・サンス とロレンソの弟のフランシスコ・サンスがクラブにやってきて、セグンダ・ディビシオンB昇格の手助けをした。2009年7月には財政難からクラブ存続の瀬戸際に立たされたが[8] [9] 、イタリア・セリエA のウディネーゼ・カルチョ と業務提供を結び、ウディネーゼのオーナーであるジャンパオロ・ポッツォ がオーナーに就任した[9] [10] 。エンリケ・ピナ新会長はファブリ 監督を招聘し、ウディネーゼから多数の若手選手をレンタル移籍で受け入れて戦力拡大を図った[8] 。また、ウディネーゼでは登録できない外国人選手をいったんグラナダCFに登録した上で、イタリアのクラブにレンタル移籍させることなども行っている[9] 。2009-10シーズンはセグンダ・ディビシオンB (3部)で1位となり、プレーオフを勝ち抜いて22シーズンぶりのセグンダ・ディビシオン (2部)昇格を決めた。
2010-11シーズンもウディネーゼからレンタル移籍で獲得した多数の選手を擁し、セグンダ・ディビシオンで5位となってプリメーラ・ディビシオン (1部)昇格プレーオフ出場権を得た[8] 。プレーオフ準決勝ではセルタ・デ・ビーゴ に2試合合計1-1 (PK 5-4) で勝ち上がり、決勝ではエルチェCF にアウェーゴール差の末に勝利して35年ぶりのプリメーラ・ディビシオン昇格を果たした[11] [12] 。
2016年5月、クラブを保有していたジャンパオロ・ポッツォは、中国 のスポーツマーケティング会社「デスポーツ社」にクラブを売却した。売却価格は約3700万ユーロと報じられており、クラブのオーナーにはデスポーツ社の社長で実業家の蒋立章が就任した[13] [14] 。2016年7月には中国サッカー・スーパーリーグ の重慶力帆 との業務提携も発表している[15] 。
2018-19シーズン、ディエゴ・マルティネス を新監督に据えると、セグンダ・ディビシオンでCAオサスナ に次ぐリーグ準優勝を果たして、3シーズンぶりのラ・リーガ復帰を決めた[16] 。翌シーズンはプリメーラの舞台で7位という好成績で終えたため、2020-21シーズンのUEFAヨーロッパリーグ 出場権を獲得した。グラナダがヨーロッパの国際大会に出場するのはクラブ史上初の快挙であり、同シーズンには50年ぶりにコパ・デル・レイ でベスト4へと進出した[17] 。前者のヨーロッパリーグではマンチェスター・ユナイテッドFC とのベスト8まで進んだものの、2試合合計0-4でクラブ初の国際大会は終わりを迎えた[18] 。
タイトル [ 編集 ]
過去の成績 [ 編集 ]
シーズン
部
ディビジョン
順位
コパ・デル・レイ
1931-32
6
地域3部リーグ
3位
1932-33
5
地域2部リーグ
2位
1933-34
3
テルセーラ
1位
1934-35
2
セグンダ
7位
1回戦敗退
1935-36
2
セグンダ
6位
1回戦敗退
1939-40
2
セグンダ
2位
1940-41
2
セグンダ
1位
ベスト16
1941-42
1
ラ・リーガ
10位
ベスト8
1942-43
1
ラ・リーガ
12位
1回戦敗退
1943-44
1
ラ・リーガ
8位
2回戦敗退
1944-45
1
ラ・リーガ
12位
ベスト4
1945-46
2
セグンダ
4位
ベスト8
1946-47
2
セグンダ
7位
1回戦敗退
1947-48
2
セグンダ
7位
6回戦敗退
1948-49
2
セグンダ
3位
ベスト8
1949-50
2
セグンダ
9位
2回戦敗退
1950-51
2
セグンダ
7位
1951-52
2
セグンダ
13位
1952-53
2
セグンダ
9位
ベスト16
1953-54
2
セグンダ
4位
シーズン
部
ディビジョン
順位
コパ・デル・レイ
1954-55
2
セグンダ
3位
1955-56
2
セグンダ
8位
1956-57
2
セグンダ
1位
1957-58
1
ラ・リーガ
13位
ベスト16
1958-59
1
ラ・リーガ
13位
準優勝
1959-60
1
ラ・リーガ
12位
ベスト32
1960-61
1
ラ・リーガ
16位
1960-61
1961-62
2
セグンダ
3位
ベスト32
1962-63
2
セグンダ
6位
ベスト32
1963-64
2
セグンダ
6位
1回戦敗退
1964-65
2
セグンダ
7位
ベスト32
1965-66
2
セグンダ
2位
1回戦敗退
1966-67
1
ラ・リーガ
14位
ベスト8
1967-68
2
セグンダ
1位
1回戦敗退
1968-69
1
ラ・リーガ
8位
ベスト4
1969-70
1
ラ・リーガ
12位
ベスト16
1970-71
1
ラ・リーガ
10位
ベスト16
1971-72
1
ラ・リーガ
6位
ベスト16
1972-73
1
ラ・リーガ
13位
ベスト8
1973-74
1
ラ・リーガ
6位
ベスト8
シーズン
部
ディビジョン
順位
コパ・デル・レイ
1974-75
1
ラ・リーガ
15位
ベスト8
1975-76
1
ラ・リーガ
17位
ベスト16
1976-77
2
セグンダ
10位
4回戦敗退
1977-78
2
セグンダ
9位
4回戦敗退
1978-79
2
セグンダ
6位
2回戦敗退
1979-80
2
セグンダ
13位
1回戦敗退
1980-81
2
セグンダ
17位
ベスト16
1981-82
3
セグンダB
10位
2回戦敗退
1982-83
3
セグンダB
1位
2回戦敗退
1983-84
2
セグンダ
8位
3回戦敗退
1984-85
2
セグンダ
18位
2回戦敗退
1985-86
3
セグンダB
7位
3回戦敗退
1986-87
3
セグンダB
3位
2回戦敗退
1987-88
2
セグンダ
19位
1回戦敗退
1988-89
3
セグンダB
16位
2回戦敗退
1989-90
3
セグンダB
4位
1990-91
3
セグンダB
5位
1回戦敗退
1991-92
3
セグンダB
9位
1回戦敗退
1992-93
3
セグンダB
3位
3回戦敗退
1993-94
3
セグンダB
6位
2回戦敗退
シーズン
部
ディビジョン
順位
コパ・デル・レイ
1994-95
3
セグンダB
13位
2回戦敗退
1995-96
3
セグンダB
2位
1996-97
3
セグンダB
6位
3回戦敗退
1997-98
3
セグンダB
4位
1998-99
3
セグンダB
6位
1回戦敗退
1999-00
3
セグンダB
1位
2000-01
3
セグンダB
5位
ベスト8
2001-02
3
セグンダB
10位
予選敗退
2002-03
4
テルセーラ
4位
2003-04
4
テルセーラ
1位
2004-05
4
テルセーラ
5位
1回戦敗退
2005-06
4
テルセーラ
1位
2006-07
3
セグンダB
13位
1回戦敗退
2007-08
3
セグンダB
5位
2008-09
3
セグンダB
10位
1回戦敗退
2009-10
3
セグンダB
1位
2010-11
2
セグンダ
5位
3回戦敗退
2011-12
1
ラ・リーガ
17位
ベスト32
2012-13
1
ラ・リーガ
15位
ベスト32
2013-14
1
ラ・リーガ
15位
ベスト32
近年の成績 [ 編集 ]
シーズン
リーグ
コパ・デル・レイ [19]
ディビジョン
試
勝
分
敗
得
失
点
順位
2010-11
セグンダ
42
18
14
10
71
47
68
5位
3回戦敗退
2011-12
ラ・リーガ
38
12
6
20
35
56
42
17位
ベスト32
2012-13
ラ・リーガ
38
11
9
18
37
54
42
15位
ベスト32
2013-14
ラ・リーガ
38
12
5
21
32
56
41
15位
ベスト32
2014-15
ラ・リーガ
38
7
14
17
29
64
35
17位
ベスト16
2015-16
ラ・リーガ
38
10
9
19
46
69
39
16位
ベスト16
2016-17
ラ・リーガ
38
4
8
26
30
82
20
20位
ベスト32
2017-18
セグンダ
42
17
10
15
55
50
61
10位
2回戦敗退
2018-19
セグンダ
42
22
13
7
52
28
79
2位
2回戦敗退
2019-20
ラ・リーガ
38
16
8
14
52
45
56
7位
準決勝敗退
2020-21
ラ・リーガ
38
13
7
18
47
65
46
9位
準々決勝敗退
2021-22
ラ・リーガ
38
8
14
16
44
61
38
18位
2回戦敗退
欧州の成績 [ 編集 ]
現所属メンバー [ 編集 ]
2022年8月14日現在 [20]
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルール に基づく。
監督
リザーブチーム [ 編集 ]
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルール に基づく。
ローン移籍 [ 編集 ]
in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルール に基づく。
out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルール に基づく。
歴代監督 [ 編集 ]
歴代所属選手 [ 編集 ]
エンブレム [ 編集 ]
クラブ設立当時は水色と白のストライプのユニフォームだった。エンブレムも、現在のものと大枠は同じだが、縦に長い盾で、青と白を基調とし、クラブの頭文字であるRGを大胆に配したもの。世界でも類を見ないデザインになったのは、グラナダ王国の旗をヒントにしたと思われる。そして、上部にはサッカークラブを象徴するボール、下部はザクロの花と葉が置かれた。特に、ザクロはスペインの国章にも見られるモチーフであり、グラナダ州の紋章にもなっているように、グラナダ王国の象徴。アラビア語でザクロを意味する言葉とグラナダが似ていたためだという[21] 。
外部リンク [ 編集 ]