アイントラハト・フランクフルト

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アイントラハト・フランクフルト
Eintracht Frankfurt Logo.svg
原語表記 Eintracht Frankfurt e. V.
愛称 SGE
クラブカラー 赤・黒
創設年 1899年
所属リーグ ドイツ・ブンデスリーガ
所属ディビジョン 1部
ホームタウン フランクフルト
ホームスタジアム ヴァルトシュタディオン
収容人数 51,500
代表者 ドイツの旗 ヘリベルト・ブルフハーゲン
監督 クロアチアの旗 ニコ・コヴァチ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

アイントラハト・フランクフルトEintracht Frankfurt e. V.)は、ドイツヘッセン州フランクフルトに本拠地を置く総合スポーツクラブサッカー部門が特に知られているが、その他にもバスケットボールアイスホッケーハンドボールホッケー陸上競技ラグビーテニス卓球体操バレーボールダーツトライアスロンなどのスポーツ部門を有する[1]1899年に創立した。ホームタウンはヘッセン州フランクフルトである。サッカー部門が特に知られており、ドイツサッカーリーグ機構(ブンデスリーガ)に加盟する。

歴史[編集]

1899年3月8日に“フランクフルトサッカークラブ・ビクトリア1899がフランクフルトの前身として設立され、同年、フランクフルトサッカークラブ・キッカーズ1899も設立された。1911年5月13日、当時競争相手であったビクトリアとキッカーズが合併し、新たにフランクフルトサッカークラブ(キッカーズ・ビクトリア)1899”が誕生した。

1963年に創設されたブンデスリーガの初年度のメンバーでありブンデスリーガやUEFAカップでの優勝経験もある古豪クラブ。政治家ダニエル・コーン=ベンディットヨシュカ・フィッシャーらが著名なファンとして知られる。

ドイツ代表FIFAワールドカップで世界王者となった際、1954年大会1974年大会1990年大会までは最低1人はフランクフルトの選手を送り込んでいたが、2014年大会で途切れた(現在もこれを達成しているクラブはバイエルン・ミュンヘンのみ)。

1959-1960シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ(当時はUEFAチャンピオンズカップ)で準優勝(決勝ではレアル・マドリードと対戦し3-7で敗戦)した。

1991-1992シーズンのブンデスリーガでは前半戦を首位で折り返しヘルプストマイスター(ドイツ語で「秋の王者」)となり後半戦も好調をキープし最終節を首位で迎えた。しかし1部残留がかかったハンザ・ロストックに1-2で敗れ、バイエル・レバークーゼンを1-0で下したVfBシュトゥットガルトに優勝を明け渡した。

1993-1994シーズン1994-1995シーズンではブンデスリーガで2度得点王となったガーナ代表アンソニー・イエボアらを擁し2年続けてUEFA杯ベスト8進出。一方、1995-1996シーズンではリーグ戦では低迷し17位の成績に終わると、ブンデスリーガ創設以来33年間に渡って残留を続けていた1部リーグから降格した。

2部に降格した翌シーズンである2005-2006シーズン、監督にフリートヘルム・フンケルを招聘しブンデスリーガ1部に復帰、同シーズンのDFBポカールで準優勝し翌シーズンのUEFAカップの出場権を獲得した(優勝したバイエルン・ミュンヘンUEFAチャンピオンズリーグの出場権をすでに獲得しているため)。2006-2007シーズンのブンデスリーガではシーズン序盤は無敗だったものの次第に残留争いをする展開となったが、11得点を記録した高原直泰やアシスト王となったアルベルト・シュトライトの活躍もあり2シーズン続けて残留をした。UEFAカップでは1回戦でデンマークブレンビーIFを下しグループリーグに進出したが、イタリアパレルモイングランドニューカッスル・ユナイテッドFCトルコフェネルバフチェスペインセルタが同じグループとなり最下位に終わった。

その後は毎年のようにブンデスリーガ1部において中位から下位が定位置となった。2009年6月30日、5シーズン(エーリッヒ・リベックと並び最長)に渡って指揮を執っていたフンケルが任期満了で退任。後任にミヒャエル・スキッベが就任した。スキッベの就任1年目は10位と中位をキープしたが、翌2010-2011シーズンは前半戦は翌シーズンのヨーロッパカップ戦の出場権を狙える位置にいたが、ウインターブレイク後は徐々に順位を落とした[2]2011年3月に成績不振を理由にスキッベを解任。後任にシーズン終了までの暫定監督としてクリストフ・ダウムを招聘したが、成績は上向くことはなく17位に終わり翌シーズンの2部降格が決定した。

2011年6月、1部リーグ復帰を目指して監督にアルミン・フェーを招聘した。フェーはVfBシュトゥットガルトの監督を務めていた際にブンデスリーガで優勝した経験を持つが、前シーズンに率いたハンブルガーSVで成績不振を理由に途中解任され、VfLヴォルフスブルクやシュトゥットガルトを率いた際においても途中解任されていた。一方、結果のみならず内容にもこだわる攻撃サッカーを掲げると、アレクサンダー・マイアーの17得点をあげる活躍もあり2位に入り1年で1部復帰を果たした。また就任以降積極的に若手選手を起用すると、セバスティアン・ユングセバスティアン・ローデらが台頭した。

2012-2013シーズン乾貴士らを加えたチームは50年にわたるブンデスリーガ史上初めて、昇格1年目に開幕戦から4連勝を遂げた。第5節で対戦したボルシア・ドルトムントユルゲン・クロップ監督も「守備を攻撃につなげる点では、私が今まで見たフランクフルトの中でもベストの出来だった。これこそ本当の質の高さと言える」と称賛した[3]。シーズン後半は前半ほどの安定し成績は残せなくなったがシーズン終盤までUEFAチャンピオンズリーグの出場権争いに加わると[4]、最終的には6位となりUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。2013-2014シーズン終了後には長谷部誠を獲得した。

タイトル[編集]

国内タイトル[編集]

国際タイトル[編集]

過去の成績[編集]

  • 1963-1964 ブンデスリーガ1部 03位
  • 1964-1965 ブンデスリーガ1部 08位
  • 1965-1966 ブンデスリーガ1部 07位
  • 1966-1967 ブンデスリーガ1部 04位
  • 1967-1968 ブンデスリーガ1部 06位
  • 1968-1969 ブンデスリーガ1部 08位
  • 1969-1970 ブンデスリーガ1部 08位
  • 1970-1971 ブンデスリーガ1部 15位
  • 1971-1972 ブンデスリーガ1部 05位
  • 1972-1973 ブンデスリーガ1部 08位
  • 1973-1974 ブンデスリーガ1部 04位
  • 1974-1975 ブンデスリーガ1部 03位
  • 1975-1976 ブンデスリーガ1部 09位
  • 1976-1977 ブンデスリーガ1部 04位
  • 1977-1978 ブンデスリーガ1部 08位
  • 1978-1979 ブンデスリーガ1部 05位
  • 1979-1980 ブンデスリーガ1部 09位
  • 1980-1981 ブンデスリーガ1部 05位
  • 1981-1982 ブンデスリーガ1部 08位
  • 1982-1983 ブンデスリーガ1部 10位
  • 1983-1984 ブンデスリーガ1部 16位
  • 1984-1985 ブンデスリーガ1部 12位
  • 1985-1986 ブンデスリーガ1部 15位
  • 1986-1987 ブンデスリーガ1部 15位
  • 1987-1988 ブンデスリーガ1部 10位
  • 1988-1989 ブンデスリーガ1部 16位
  • 1989-1990 ブンデスリーガ1部 03位
  • 1990-1991 ブンデスリーガ1部 05位
  • 1991-1992 ブンデスリーガ1部 03位
  • 1992-1993 ブンデスリーガ1部 03位
  • 1993-1994 ブンデスリーガ1部 05位
  • 1994-1995 ブンデスリーガ1部 09位
  • 1995-1996 ブンデスリーガ1部 17位 降格
  • 1996-1997 ブンデスリーガ2部 07位
  • 1997-1998 ブンデスリーガ2部 優勝 昇格
  • 1998-1999 ブンデスリーガ1部 15位
  • 1999-2000 ブンデスリーガ1部 14位
  • 2000-2001 ブンデスリーガ1部 17位 降格
  • 2001-2002 ブンデスリーガ2部 07位
  • 2002-2003 ブンデスリーガ2部 03位 昇格
  • 2003-2004 ブンデスリーガ1部 16位 降格
  • 2004-2005 ブンデスリーガ2部 03位 昇格
  • 2005-2006 ブンデスリーガ1部 14位
  • 2006-2007 ブンデスリーガ1部 14位
  • 2007-2008 ブンデスリーガ1部 09位
  • 2008-2009 ブンデスリーガ1部 13位
  • 2009-2010 ブンデスリーガ1部 10位
  • 2010-2011 ブンデスリーガ1部 17位 降格
  • 2011-2012 ブンデスリーガ2部 02位 昇格
  • 2012-2013 ブンデスリーガ1部 06位
  • 2013-2014 ブンデスリーガ1部 13位
  • 2014-2015 ブンデスリーガ1部 09位
  • 2015-2016 ブンデスリーガ1部 16位 

現所属メンバー[編集]

2016-17シーズン ブンデスリーガ開幕戦フォーメーション

Soccer.Field Transparant.png

フラデツキー
# 1
バレラ
# 3
ヘクター
# 15
アブラーム
# 19
オツィプカ
# 6
長谷部誠
# 20
マスカレル
# 39
フスティ
# 8
ガチノヴィッチ
# 11
フルゴタ
# 31
マイアー
# 14
2016年9月17日現在
No. Pos. 選手名
1 フィンランドの旗 GK ルーカス・フラデツキー (Flag of Slovakia.svg)
2 ドイツの旗 DF ヤンニ・レゲゼル
3 ウルグアイの旗 DF ギジェルモ・バレラ (Flag of Italy.svg)
4 ドイツの旗 DF マルコ・ルス
5 スペインの旗 DF ヘスス・バジェホ
6 ドイツの旗 DF バスティアン・オツィプカ
7 ドイツの旗 FW ダニー・ブルム
8 ハンガリーの旗 MF フスティ・サボルチ
9 スイスの旗 FW ハリス・セフェロヴィッチ (Flag of Bosnia and Herzegovina.svg) ★
10 メキシコの旗 MF マルコ・ファビアン
11 セルビアの旗 MF ミヤト・ガチノヴィッチ (Flag of Bosnia and Herzegovina.svg) ★
13 オーストリアの旗 GK ハインツ・リンドナー
14 ドイツの旗 FW アレクサンダー・マイアー (Captain sports.svg)
15 ジャマイカの旗 DF マイケル・ヘクター (Flag of England.svg)
17 クロアチアの旗 FW アンテ・レビッチ
No. Pos. 選手名
18 ドイツの旗 MF ヨハネス・フルム
19 アルゼンチンの旗 DF ダビド・アブラーム (Flag of Italy.svg)
20 日本の旗 MF 長谷部誠
21 ドイツの旗 MF マルク・シュテンデラ
22 アメリカ合衆国の旗 DF ティモシー・チャンドラー (Flag of Germany.svg)
23 ブラジルの旗 DF アンデルソン・バンバ
25 セルビアの旗 MF スロボダン・メドイェヴィッチ
30 スイスの旗 FW シャニ・タラシャイ (Flag of Albania.svg) ★
31 スウェーデンの旗 FW ブラニミル・フルゴタ (Flag of Croatia.svg)
32 ドイツの旗 MF ジョエル・ゲレツガイアー (Flag of Eritrea.svg)
33 イスラエルの旗 DF タレブ・タワサ (Flag of Sudan.svg)
34 ドイツの旗 GK レオン・ベトゲ
36 ドイツの旗 DF フルカン・ゾルバ
38 ドイツの旗 FW エニス・ブニャキ (Flag of Kosovo.svg)
39 スペインの旗 MF オマール・マスカレル

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

監督

ローン移籍[編集]

in
No. Pos. 選手名
3 ウルグアイの旗 DF ギジェルモ・バレラ (マンチェスター・U)
5 スペインの旗 DF ヘスス・バジェホ (レアル・マドリード)
15 ジャマイカの旗 DF マイケル・ヘクター (チェルシーFC)
No. Pos. 選手名
17 クロアチアの旗 FW アンテ・レビッチ (フィオレンティーナ)
30 スイスの旗 FW シャニ・タラシャイ (エヴァートンFC)


歴代監督[編集]

出典[5]

歴代所属選手[編集]

GK
DF
MF
FW

チーム記録[編集]

最多得点試合[編集]

最多失点試合[編集]

最多観客動員[編集]

最多年間平均動員[編集]

  • 47,625人(2006-2007シーズン)

UEFAクラブランク一覧

脚注[編集]

  1. ^ アイントラハト・フランクフルトのクラブデータ”. ブンデスリーガ公式ウェブサイト. 2014年9月16日閲覧。
  2. ^ Goal.com 2011/03/23 9:53:00”. 2014年2月17日閲覧。
  3. ^ uefa.com”. 2014年2月17日閲覧。
  4. ^ goal.com 2013年5月23日 12:58”. 2014年2月17日閲覧。
  5. ^ Eintracht Frankfurt - Trainerhistorie”. kicker.de. 2014年9月16日閲覧。

外部リンク[編集]