オールダム・アスレティックAFC
| オールダム・アスレティックAFC | ||||
|---|---|---|---|---|
| 原語表記 | Oldham Athletic Association Football Club | |||
| 愛称 | ラティックス(The Latics) | |||
| クラブカラー | 青 | |||
| 創設年 | 1895年 | |||
| 所属リーグ | フットボールリーグ | |||
| 所属ディビジョン | ナショナルリーグ | |||
| ホームタウン | オールダム | |||
| ホームスタジアム | バウンダリー・パーク | |||
| 収容人数 | 13,186 | |||
| 代表者 | アブドラ・レムサガム | |||
| 監督 |
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| 公式サイト | 公式サイト | |||
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| ■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ | ||||
オールダム・アスレティック・アソシエーション・フットボール・クラブ(Oldham Athletic Association Football Club)は、イングランド・グレーター・マンチェスターオールダム地区を本拠地とするサッカークラブチーム。[1][2]2025-26シーズンはEFLリーグ2(4部相当)に所属。愛称はラティックス。
1895年にパイン・ヴィラFCとして設立された。
近年では4バックのフォーメーションが使われることが多く2025-26シーズンは4-4-2が主なフォーメーションとなっている。[3]
概要
[編集]1914-15シーズン、エヴァートンに惜しくも勝ち点1差で優勝を逃し準優勝。1990年代前半にプレミアリーグに所属していたチームである。2012-13シーズンにFAカップでリヴァプールを破りジャイアントキリングを起こした。2021-22シーズンでナショナルリーグへの降格が確定しプレミアリーグに所属経験があるチームがナショナルリーグに降格するのは史上初である。
伝統的に青を基調としたユニフォームを着用しており、地元のライバルクラブとの対戦も多い。特にロッチデール、ボルトン・ワンダラーズ、そして「ローズ」の愛称で知られるハダースフィールド・タウンとの対戦はダービーとして親しまれている。
歴史
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黎明期
[編集]1895年7月に酒場「フェザーストール&ジャンクション・イン」で、店主ジョン・ガーランドが息子や友人たちとともにPine Villa F.C.を設立した。ヴィラの由来は創設当初イングランドでも屈指の強豪であったアストン・ヴィラからきている。近隣のチームであるオールダム・カウンティが解散したため、1899年にThe Oldham Athletic Ground(現在のバウンダリー・パーク)に移転し、名称をOldham Athletic A.F.C.に変更した。クラブはすぐにプロとして認められ、ランカシャー・コンビネーションとランカシャー・リーグに参加した。は他のクラブとは違い、早くから頭角を現し、1907–08シーズンにはフットボールリーグへの加盟を果たした。その後、セカンドディビジョンで3シーズンを戦い、ファーストディビジョン昇格を成し遂げた。
ファーストディビジョン昇格後、急速に力をつけ、1912–13シーズンにはリーグ戦で4位に入り、同年のFAカップでは準決勝に進出した(アストン・ヴィラに0対1で敗退)。1914–15シーズンにはFAカップ準々決勝に進出したが、シェフィールド・ユナイテッドとの再試合で0対3で敗れた。リーグ戦では同シーズンにクラブ史上最も優勝に近づいたが、最終的にエヴァートンに勝ち点差1でタイトルを逃した。これらの成功は、第一次世界大戦の勃発により中断された。
第1次世界大戦後
[編集]第一次世界大戦後に公式戦が再開されてから、オールダム・アスレティックはかつての成功を取り戻すのに苦戦し、1923年に2部リーグへ復帰した。その後、トップディビジョンに再び昇格するまでには、さらに68年の歳月を要した。
戦争の影響により、かつての主力選手たちの多くは引退するか、戦死した。クラブは1929-30シーズンに3位という好成績を収めたが、チェルシーに勝ち点2差で昇格を逃している。[4]その後は徐々に順位を落とし、1934-35シーズン終了時には21位となり、3部リーグ・ノースへ降格した。[5]
新たなディビジョンでの戦いにクラブは次第に順応し、初年度は7位、続く3シーズンではいずれもトップ5入りを果たした。2部昇格も現実味を帯びてきたが、1939年に第二次世界大戦が勃発し、リーグ戦は中断された。選手との契約は打ち切られ、クラブは主にゲストプレーヤーに頼りながら、1946年8月まで戦時中のノーザンリーグで活動を続けた。
第2次世界大戦後
[編集]戦後に公式戦が再開されたものの、クラブにとってすぐに成功が訪れることはなかった。戦後最初のリーグ戦では19位に終わり、監督のフランク・ウォマックが辞任。後任のビリー・ウートンのもとで1949年には6位と健闘したが、本格的な復調の兆しが見えたのは、1950年11月に元イングランド代表主将のジョージ・ハードウィックが選手兼任監督として就任してからだった。
ハードウィックの招聘には、当時としては破格の1万5,000ポンドがミドルズブラに支払われた。3部リーグのクラブにとっては非常に高額な移籍金だったが、イングランド代表の元主将が指揮を執るということで、地元の街とサポーターの期待は大いに高まった。ハードウィックが初めてフルシーズンを指揮した年には、長らく首位を維持しながら最終的に4位でシーズンを終えた。観客動員も好調で、1952年3月の地元ライバル、ストックポート・カウンティ戦では3万3,450人が詰めかけ、試合は1-0の勝利となった。
また、同年1月の雪中での試合では、チェスター相手に11-2で大勝し、クラブの1試合最多得点記録を樹立。エリック・ジェメルがこの試合で7得点を挙げ、個人としてのクラブ最多得点記録も打ち立てた(この記録は現在も破られていない)。翌シーズンにはリーグ優勝を果たし、2部リーグ昇格を達成した。しかし、昇格したシーズンは高齢化したチームと補強資金の不足により、昇格後のシーズンは大きな失望に終わった。わずか8勝しか挙げられず、最下位で3部ノースへ即座に降格。翌シーズンも10位と振るわなかった。
1955年にハードウィックが辞任して以降、1960年までの間も低迷が続き、3度にわたって20位以下に沈んだ。1958-59シーズンには15位となり、新設された4部リーグの創設メンバーとなった。翌1959-60シーズンにはリーグ全体で23位と、クラブ史上最低順位を記録。再選考(リエレクション)を申請する事態となったが、リーグはオールダムの残留を認め、代わりに上位で終えたゲーツヘッドを除外し、ピーターバラ・ユナイテッドの参入を認めた。
1960年代初頭にはケン・ベイツがクラブに関与し、5年間にわたり会長を務めた。彼の下でジャック・ロウリーが監督に就任すると、クラブは再び上昇気流に乗り、1962-63シーズンには3部リーグ昇格を果たした。その後の6シーズンは、リーグ戦でも監督人事でも安定を欠き、レス・マクドウォール、ゴードン・ハースト、ジミー・マキルロイらが次々と指揮を執った。

1968-69シーズン、再びロウリーが監督に復帰したが、成績不振は改善されず、クラブは最下位に沈み降格。1969-70シーズンの途中でロウリーとベイツはクラブを去り、後任としてジミー・フリッツェルが監督に就任。1970-71シーズン、クラブは1962-63シーズン以来最高の成績を収め、3位でシーズンを終え、サードディビジョンへの昇格を果たした。初年度は中位に終わったものの、クラブは昇格を逃し、地元のライバルでリーグ優勝チームのボルトン・ワンダラーズに勝ち点7差の4位に終わった。成功を収めた監督の一人であるジミー・フリッツェルは、1970年から1982年までオールダムを率いた。在任中の1973–74シーズンには、クラブを3部リーグ優勝へと導いているがFAカップとフットボールリーグカップではあまり勝てなかった。[6]
ロイルが監督に就任
[編集]1982年6月、ジョー・ロイルが監督に就任。就任1年目の1982-83シーズンでは7位で終えた。だが翌シーズンの1983-84シーズンは19位に沈んだ。
1986–87シーズン、オールダムはポーツマスに勝ち点3差で及ばず、初めて導入された昇格プレーオフに回ることとなったが、当時地元のライバルであったリーズ・ユナイテッドに敗れ、1部リーグ昇格を逃した。それ以前の制度であれば、自動昇格圏内に入っていた成績であった。[7]
1989-90シーズン、ロイル率いるオールダムはFAカップでベスト4、リーグカップで決勝まで進出するがノッティンガム・フォレストに0-1で敗北し準優勝。[8]その翌シーズンとなる1990-91シーズンにはセカンドディビジョンで優勝し、68年ぶりとなるトップディビジョン復帰を果たしクラブは新設されたプレミアリーグの創設メンバーに名を連ねた。トップリーグ復帰初年度となった1992-93シーズンは63得点ながら74失点の得失点差-11で守備が崩壊。18位のクリスタル・パレスと同じ勝ち点49だったがクリスタルパレスが得失点差-13でオールダムが-11だったためオールダムは17位で終え残留を果たした。クラブは新設されたプレミアリーグの創設メンバーに名を連ねた。翌年の1993-94シーズンは42試合で9勝しかできず勝ち点40で21位、シェフィールド・ユナイテッド、スウィンドン・タウンとともに降格。ジョー・ロイル監督がクラブを離れ、エヴァートンの指揮官に就任したことで、この時代は終焉を迎えた。それ以降はトップディビジョンへの復帰は果たせていない。FAカップでは準決勝しマンチェスター・ユナイテッドFCと対戦し試合は延長戦に突入し106分にオールダム・アスレティックのニール・ポイントンがゴールを挙げるが120分にマンチェスター・ユナイテッドのマーク・ヒューズが同点ゴールを挙げ試合は1-1で終了。再試合ではマンチェスター・ユナイテッドに1-4で敗れ敗退した。
オーナー交代
[編集]2001年、実業家のクリス・ムーアがクラブを買収し5年以内にプレミアリーグに復帰すると約束したが2002年夏、ミック・ワズワースが辞任しイアン・ドーウィーが監督に就任。EFLチャンピオンシップ昇格を目指しましたがシーズンは5位で終わり昇格プレーオフで敗退。ムーアは多額の負債を残し、主力選手たちを当時の市場価値を大きく下回る額で売却し経営から撤退した。この判断にファンは強く反発し、一時はクラブの存続すら危ぶまれたが、すぐに買収契約が成立した。
2004-2005シーズン、サイモン・ブリッツとサイモン・コーニーとダニー・ガザルがクラブを買収した。クラブは清算の危機に直面していたが、新たな経営陣の下で再建が試みられた。財政再建の過程でチームは数シーズンにわたり苦戦を強いられ、2004–05シーズンには降格圏目前の成績となったが、最終的にリーグ残留を果たした。
2006–07シーズン、リーグ戦で好成績を収め、昇格プレーオフに進出したが、準決勝でブラックプールに2試合合計2–5で敗れ、昇格はならなかった。その後、ジョン・シェリダン監督は約2年間クラブを指揮したが、2009年3月15日に解任され、後任にはかつての監督であるジョー・ロイルが就任した。ロイルはシーズン終了後の正式な監督就任を打診されたがこれを辞退し、最終戦をもってクラブを離れることを発表した。

2009年4月30日、ダーリントンの監督を務めていたデイブ・ペニーがロイルの後任として就任した。しかし、ペニーは2010年5月6日に解任され、アシスタントコーチのマーティン・グレイが2009–10シーズンの最終戦まで暫定的に指揮を執った。
2010年6月には元スコットランド代表のポール・ディコフが選手兼任監督として1年契約で就任した。
2012-13シーズン、FAカップにおいてリヴァプールを3-2で下し、5回戦進出を果たした。[9]1週間後のウォルソール戦で1-3で敗北を喫した後、ポール・ディコフは辞任した。[10]
2018年1月、モロッコ人フットボールエージェントのアブダラー・レムサガムが、クラブの筆頭株主であったサイモン・コーニーと合意に達し、コーニーの14年間にわたるクラブとの関係が終了した。[11]なお、ガザルとブリッツは2010年にクラブを離れており、その後はコーニーが筆頭株主として残っていた。レムサガムはクラブ株式の97%を取得し、残りの3%はサポーターズ・トラストが保有していた。
この買収には、クラブが所有していないものの試合開催日に使用可能なバウンダリー・パークのノーススタンドは含まれていなかった。レムサガムによる買収の2年前から、クラブは税金未払いにより複数回の清算命令を受けており、2017年11月にはHMRC(英国歳入関税庁)によるスタジアムの捜査も行われた。
2019年2月11日、解任されたフランキー・バン前監督の後任として元イングランド代表のポール・スコールズが監督に就任したことが話題となったが、わずか37日間で電撃辞任している。

2015年1月、クラブは性的暴行の罪で有罪判決を受けた後に釈放されたチェド・エヴァンスとの契約を試みていると報じられた。この動きは政治家を含む多方面から強い反発を招き、契約に反対する署名活動には6万人以上が参加。スポンサーであったヴァーリン・レインウォーター・ソリューションズも支援を撤回した。[12]クラブは「耐えがたいほどの圧力」を理由にエヴァンスとの契約を断念し、「ファン、スポンサー、スタッフに対して寄せられた卑劣で悪質な脅迫の数々、中には殺害予告も含まれていたこと」を非難する声明を発表した。[13]
プレミアリーグ在籍経験のあるチーム史上初のナショナルリーグ降格
[編集]2021-2022シーズンは23位となりナショナルリーグ降格が決まった。また、プレミアリーグ在籍経験のあるクラブがナショナルリーグに降格するのは史上初[14]。クラブの降格後、サポーターズ・トラストは地域住民によるクラブ買収を求める運動を開始した。[15]2022年6月30日、アブドゥラ・レムサガム氏とバウンダリー・パークの所有者が売却に合意したことを受け、翌月中にクラブが地元企業(名称非公開)へ売却されると報じられた。[16]2022年7月28日、クラブはオールダムを拠点とするマンチェスター・キャビンズのオーナーである実業家フランク・ロスウェル氏に売却された。また、クラブは元オーナーのサイモン・ブリッツ氏からバウンダリー・パークの買収交渉を進めていることを明らかにした。[17]この取引は2022年8月下旬に合意され[18]、2023年3月に最終的に完了した。[19]
フットボールリーグへの復帰
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2024-25シーズンは19勝16分11敗64得点48失点の5位となり昇格プレーオフへ進出。プレーオフでは第1ラウンド(オールダム 4-0 ハリファックスタウン)、第2ラウンド(オールダム 3-0 ヨークシティ)と勝利し決勝のサウスエンド・ユナイテッド戦では後半終了時点で1-1となり延長戦へ突入。延長戦では91分にサウスエンドのジョセフ・ガビンズがゴール。110分にオールダムのジェームズ・ノーウッド、112分にキアン・ハラットがそれぞれ得点を挙げ3-2で逆転勝利をして2025/26シーズンのEFLリーグ2へ昇格することが確定となった。試合はウェンブリー・スタジアムで行われ52,115人の観客が来場した。[20]
オールダム・アスレティック・ユース
[編集]オールダム・アスレティック・アカデミーは、グレーター・マンチェスターに拠点を置くクラブの育成機関であり、EPPP(Elite Player Performance Plan)制度に基づくカテゴリー3の認定を受けてる。
- アカデミー・マネージャー:フィル・アルベロ=ドラン
- ユースチーム監督:ダニー・フィリスカーク
- フットボール・エクセレンス・センター責任者:クリス・テイラー
2025–26シーズンの奨学生(スカラー)
- ソロモン・バターフィールド=モコネ
- アルフィー・ヒューズ
- ハリー・ジョンソン
- ジャック・スティール
- キアン・マックローリー
- ザック・ポッツ
- チャーリー・カーショウ
- デイビッド・エイモス
2024年10月18日、FAユースカップにおいてオールダム・アスレティックU18はサウス・シールズU18と対戦し、2–1で勝利を収めた。モハメド・ムスタファが前後半に1点ずつを挙げて2得点を記録し、終盤に1点を返されたものの、チームは粘り強く守り抜いて試合を制した。この勝利は、当日に38歳の誕生日を迎えたニッキー・アダムス監督にとって、記念すべきプレゼントとなった。[21]
女子チーム
[編集]女子チームは、グレーター・マンチェスター女子フットボールリーグ・プレミアディビジョンに所属する地域密着型の女子チームである。11人制のグラスルーツチームとして活動している。
公式Youtube
[編集]オールダム・アスレティック公式YoutubeアカウントはハイライトやEASPORTSシリーズの能力値やチャレンジ企画、コーチへのインタビュー、トレーニングなどが主に投稿されていて、一番再生されている動画は2024-25シーズンのナショナルリーグ昇格プレーオフ決勝のvsサウスエンド戦で54897回視聴されている。
| Oldham Athletic | |
|---|---|
| 公式サイト | https://www.youtube.com/@OfficialOAFC |
| YouTube | |
| 活動期間 | 2012年- |
| ジャンル | サッカー |
| 登録者数 | 10,500 |
| 総再生回数 | 3,095,029 |
マスコット
[編集]オールダム・アスレティックのマスコットはChaddy the Owlである。チャディは破天荒な性格で地域イベントでレースに参加するなど、ユニークな活動でも知られている。彼が公式マスコットに選ばれたのは、オールダムの歴史的な紋章や伝統を反映するためであり、フクロウはオールダムの紋章において重要な象徴となっている。
チャディは、2000年に行われたピーターバラ・ユナイテッド戦で、チャディは誤って副審にオフサイドの判定を受けた。当時マスコットのスーツに入っていた人は後に、「確かにレプリカのユニフォームは着てたけど、こっちは大きなフワフワの頭をかぶってたんだよ!」と語っている。同年後半には、カーディフ・シティのサポーターに向かって尻を見せたとして、クラブから注意を受けた。
フットボールリーグ主催のマスコットレースで2001年に3位となった後、2002年と2003年に優勝を果たした。
2003年12月、ブラックプールとの試合中に、チャディは相手チームのマスコットであるブルームフィールド・ベアと小競り合いを起こした。試合会場のブルームフィールド・ロードで、チャディがベアの発泡スチロール製のブーツを観客席に投げ込んだことが発端だった。チャディはその後、「ブルームフィールド・ベアが僕のくちばしを壊そうとしてきたんだ」として、自らの行動を正当化した。
2005–06シーズンの終盤、ドンカスター・ローヴァーズとの試合中に、チャディはベル・ビューから退場処分を受けた。暴動を扇動し、不適切なジェスチャーを行ったとして、係員によりスタジアムの外へ連れ出された。
2009年4月には、カーライル・ユナイテッド戦の前にBMXバイクで転倒し、負傷している。[22]
2010年には、ミルトン・キーンズで開催された「マスコット・オリンピック」で総合優勝を果たしている。この大会では、フットボールダッシュ、障害物競走、PK戦のすべてで1位となり、PK戦では唯一10本すべてのシュートをセーブしたマスコットとして注目を集めた。
ユニフォームとエンブレム
[編集]オールダム・アスレティックは、創設当初は赤と白の横縞シャツに青いショーツというスタイルでプレーしており、これはオールダムR.L.F.C.のカラーに近いものでした。その後、赤のストライプは青に変更され、さらに白地に中央に青いストライプが入ったシャツへと変わっていきました。
1960年代半ば、ケン・ベイツのオーナーシップのもとで、ユニフォームはオレンジ色のシャツに青いショーツへと変更されました。1970年代半ばには全面青のシャツが採用され、以降このカラーが基本となっています。ただし1990年代後半には赤と青の横縞シャツが使用された時期もありましたが、これはサポーターから不評で、対戦相手のユニフォームと色がかぶる問題も発生し、相手チームがオールダムのアウェイキットを着用する事態も起きました。

2007–08シーズンには1960年代のカラーを復刻したアウェイキットが導入され、サポーターから好評を得た。2011–12シーズンには新しいエンブレムがこのアウェイキットに初めて登場し、翌シーズンからはホームキットにも採用された。新エンブレムは伝統的な青と白を基調としており、赤は使われていない。エンブレムには従来通りフクロウのモチーフが描かれており、サッカーボールの上に配置されてる。
| 期間 | ユニフォームメーカー | 胸スポンサー |
|---|---|---|
| 1975–79 | Umbro | なし |
| 1979–81 | Redsure | |
| 1981–82 | なし | |
| 1982–83 | J.W. Lees Brewery | |
| 1983–85 | Le Coq Sportif | |
| 1985–87 | Spall | |
| 1987–88 | Umbro | |
| 1988–89 | Martins | |
| 1989–92 | Bovis | |
| 1992–96 | JD Sports | |
| 1996–98 | Pony | |
| 1998–2000 | Slumberland | |
| 2000–01 | Sparta | |
| 2001–03 | Torex | |
| 2003–04 | Horners | |
| 2004–05 | Carlotti | |
| 2005–06 | Carlotti | |
| 2006–08 | Hillstone Developments | |
| 2008–12 | Carbrini | Carbrini |
| 2012–13 | Fila | |
| 2013–14 | Blacks Outdoor Retail | |
| 2014–15 | Sondico | Sports Direct |
| 2015–18 | PFE Express | |
| 2018–19 | Lovell Soccer | |
| 2019–20 | Hummel | Wakelet |
| 2020–21 | Oldham Vending Services | |
| 2021–23 | Bartercard | |
| 2023–26 | Puma | RRG Group |
| 2025–26 | Bunk A Bin |
ライバル
[編集]オールダム・アスレティックはマンチェスター・シティ、マンチェスター・ユナイテッド、サルフォード・シティの3チームのスタジアムから10マイル(16km)以内の距離にある。また、ストックポート・カウンティ、ハダースフィールド・タウン、バーンリー、ボルトン・ワンダラーズ、アクリントン・スタンリー、ブラックバーン・ローヴァーズのスタジアムも半径32km(20マイル)以内にある。長年にわたりボルトン・ワンダラーズ、ベリー、ハダースフィールド・タウン、ロッチデール、ストックポート・カウンティが地元のライバルクラブとして知られていたが、現在ではこれらのクラブの多くと定期的に対戦する機会は少なくなっている。
2019年8月にGiveMeSport.comが実施した調査によれば、オールダムのサポーターの82%がロッチデールを最大のライバルと認識しており、次いでボルトン・ワンダラーズ(74%)、ハダースフィールド・タウン(67%)、ブラックバーン・ローヴァーズ(58%)、マンチェスター・ユナイテッド(52%)が挙げられている。[23][24]
スタジアム
[編集]かつて「アスレティック・グラウンド」と呼ばれていた場所での活動を経て、バウンダリー・パークはオールダム初のフットボールクラブであるオールダム・カウンティFCのために開場された。1899年、カウンティが解散した後、パイン・ヴィラがこのスタジアムに移転し、クラブ名とスタジアム名を改称した。
スタジアムはオールダムの北西端に位置し、西にチャダートン、北にロイトンの境界が交わる地点のオールダム側に位置しており、現在の収容人数は13,186人である。2008年に北スタンドが解体される前は、13,624人を収容していた。[25]新たに建設された北スタンドは「ジョー・ロイル・スタンド」と名付けられ、多くの新施設が併設された。この改修は、モア会長の退任以降、財政難に直面していたクラブが追加収入を得るために行われたものである。
かつて熱狂的なオールダム・アスレティックのサポーターは、伝統的な一層構造の「チャダートン・ロード・エンド(通称チャディ・エンド)」に集まっていたが、現在では「アスレティコス」と呼ばれる応援団が、より大きな「ロッチデール・ロード・エンド」に移動している。一方、チャディ・エンドは現在アウェイサポーター用のスタンドとして使用されている。メインスタンドはスタジアム創設当初から存在する二層構造の小規模なスタンドであり、全席指定化以降も一部に使用されていないテラス席が残されている。
最多観客動員数は1930年のFAカップでオールダムがシェフィールド・ウェンズデイと対戦した際の47,671人であり同年のブラックプール戦ではリーグ戦最多となる45,304人が来場している。当時の収容能力は約5万人であった。[26]

2006年2月、クラブはスタジアムの全面再開発計画を発表した。当初はオールダム市議会により却下されたが、その後決定が覆され、スタジアム全体の再開発が認可された。新スタジアムは少なくとも16,000人を収容し、総工費は約8,000万ポンドと見積もられていた。しかし、2008年9月5日、サイモン・ブリッツは「ワールド・サッカー・デイリー」ポッドキャストにて、イギリス国内の経済状況を理由に開発計画が一時保留となったことを明らかにした。
2009年7月22日、クラブとオールダム市議会は、フェイルズワースに新たなスタジアムを建設する2,000万ポンド規模の計画を発表した。クラブはBAEシステムズと合意し、12,000人収容のアリーナとレジャー・企業向け施設を含む30エーカー(約12万平方メートル)の土地を取得する予定だった。[27]市議会は当初この計画を支持し、土地取引を進めることに賛成票を投じたが、後に方針を転換し、旧ブロードウェイ・スタンド跡地に新たな北スタンドを建設するバウンダリー・パーク再開発のために570万ポンドの支援を申し出た。[28]

2013年5月中旬には、新北スタンド建設に向けた準備工事が開始された。このスタンドは2,671人を収容でき、ジム、クラブショップ、イベントセンター、屋外の飲食売店、ファンバーなど、試合日以外にも利用可能な多目的施設が併設されている。「ジョー・ロイル・スタンド」として新たに命名されたこのスタンドは、2015年10月17日のシェフィールド・ユナイテッド戦で部分的に開場され、同年12月26日のドンカスター・ローヴァーズ戦では最大収容人数と企業向け施設が本格稼働した。
特徴と異名
[編集]バウンダリー・パークは「フットボールリーグで最も寒いスタジアム」として知られ、元監督ジョー・ロイルによって「アイス・ステーション・ゼブラ(Ice Station Zebra)」という異名が付けられた。また、標高は海抜160メートル(526フィート)で、プレミアリーグおよびフットボールリーグにおいて2番目に高いスタジアムである(最も高いのはウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンの本拠地ホーソンズ)。
サポーター
[編集]オールダム・アスレティックの著名なサポーターには、コメディデュオのキャノン&ボールが含まれる。彼らは1989–90シーズンのFAカップおよびリーグカップでのクラブの躍進に合わせ、自身が主演した映画『Boys in Blue』のエンドクレジットで使用された同名の楽曲をクラブ向けに書き直した。[29]その他の著名なファンには、元ミュージシャンで物理学者のブライアン・コックス[30]、元マンチェスター・ユナイテッドの選手でオールダムの元監督でもあるポール・スコールズ[31]、元イングランド代表ラグビー主将のケヴィン・シンフィールド、ザ・クーティナーズのリズムギタリストであるダニー・ムーアズ[32]、グラビアモデルのミシェル・マーシュ[33]、ドラマ『Hollyoaks』の俳優アレックス・カーター、そしてコメディアンのエリック・サイクスなどが挙げられる。
サポーターズトラスト
[編集]オールダム・アスレティック・サポーターズ・ファウンデーション(OASF)は、クラブの株式の3%を保有しており、クラブの取締役会に代表者を送り込んでいる。OASF公式アカウントにはミーティングのノートなどが書かれている。[34]
チャント
[編集]元英国首相のボリス・ジョンソンをネタにしたものやヨークシャー人を挑発するチャントがある。なぜ、ヨークシャー人がネタになっているかというとオールダム(グレーター・マンチェスター)とヨークシャーの間には地域的なライバル意識があるのが理由。
クラブ各種記録
[編集]一試合最多観客動員数
- 47,671人 vs シェフィールド・ウェンズディ FAカップ4回戦 1930.1.25
一試合最多得点勝利試合
- 11-0 vs サウスポート フットボールリーグ・フォースディヴィジョン 1962.12.26
一試合最多失点敗戦試合
- 4-13 vs トレンメア・ローヴァーズ フットボールリーグ・サードディヴィジョン・ノース 1935.12.26
リーグ最高順位
- フットボールリーグ2位 1914-15
FAカップ最高成績
- 準決勝進出(1912–13、1989–90、1993–94)
リーグカップ最高成績
- 決勝進出(1989–90)
監督記録
初代監督
- デイヴィッド・アシュワース
最長在任監督
- ジミー・フリッツェル (1970年〜1982年、12年102日)
最多試合指揮監督
- ジョー・ロイル (602試合)
最多勝利監督
- ジョー・ロイル (1982〜1994年に225勝)
選手記録
リーグ最多出場
- イアン・ウッド (1966〜1980年、525試合)
シーズン最多得点
- トム・デイヴィス (1936–37年、33得点)
リーグ通算最多得点
- ロジャー・パーマー (1980〜1994年、141得点)
クラブ通算最多得点
- ロジャー・パーマー (1980〜1994年、156得点)
最多代表キャップ
- グンナー・ハレ (ノルウェー代表、1991〜1996年、25試合)
連続記録
最多連勝 10試合 (1974年1月12日〜3月16日)
最多連敗 6試合 (2005年2月5日〜2月26日)
最長無敗記録 17試合 (1990年8月25日〜11月10日)
最長未勝利記録 17試合 (1920年9月9日〜12月25日)
タイトル
[編集]国内タイトル
[編集]- フットボールリーグ・セカンドディヴィジョン:1回
- 1990-1991
- フットボールリーグ・サードディヴィジョン:1回
- 1974-1975
- フットボールリーグ・サードディヴィジョン・ノース:1回
- 1952-1953
- ランカシャーカップ:3回
- 1907-1908,1966-1977,2005-2006
- フォード・スポルティングリーグ:1回
- 1970-1971
国際タイトル
[編集]- アングロ・スコティッシュカップ:1回
- 1978-1979
過去の成績
[編集]| シーズン | ディビジョン | FAカップ | EFLカップ | 欧州カップ / その他 | 最多得点者 | ||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| リーグ | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 点 | 順位 | 選手 | 得点数 | |||||
| 1992-93 | プレミアリーグ | 42 | 13 | 10 | 19 | 63 | 74 | 49 | 19位 | 3回戦敗退 | 4回戦敗退 | - | - | Ian Olney | 12 |
| 1993-94 | プレミアリーグ | 42 | 9 | 13 | 20 | 42 | 68 | 40 | 21位 | 準決勝敗退 | 4回戦敗退 | - | - | Graeme Sharp | 9 |
| 1994-95 | ファーストディビジョン | 46 | 16 | 13 | 17 | 60 | 60 | 61 | 14位 | 2回戦敗退 | 2回戦敗退 | - | - | Sean McCarthy | 18 |
| 1995-96 | ファーストディビジョン | 46 | 14 | 14 | 18 | 54 | 50 | 56 | 18位 | 4回戦敗退 | 2回戦敗退 | アングロ=イタリアンカップ | GS敗退 | Lee Richardson
Sean McCarthy |
11 |
| 1996-97 | ファーストディビジョン | 46 | 10 | 13 | 23 | 51 | 66 | 43 | 23位 | 1回戦敗退 | 3回戦敗退 | - | - | Stuart Barlow | 12 |
| 1997-98 | セカンドディビジョン | 46 | 15 | 16 | 15 | 62 | 54 | 61 | 13位 | 4回戦敗退 | 1回戦敗退 | フットボールリーグトロフィー | 1回戦敗退 | Stuart Barlow | 12 |
| 1998-99 | セカンドディビジョン | 46 | 14 | 9 | 23 | 48 | 66 | 51 | 20位 | 4回戦敗退 | 2回戦敗退 | フットボールリーグトロフィー | 1回戦敗退 | Mark Allott | 7 |
| 1999-00 | セカンドディビジョン | 46 | 16 | 12 | 18 | 50 | 55 | 60 | 14位 | 3回戦敗退 | 1回戦敗退 | フットボールリーグトロフィー | 1回戦敗退 | Mark Allott | 10 |
| 2000-01 | セカンドディビジョン | 46 | 15 | 13 | 18 | 53 | 65 | 58 | 15位 | 3回戦敗退 | 2回戦敗退 | フットボールリーグトロフィー | 1回戦敗退 | Lee Duxbury | 8 |
| 2001-02 | セカンドディビジョン | 46 | 18 | 16 | 12 | 77 | 65 | 70 | 9位 | 4回戦敗退 | 2回戦敗退 | フットボールリーグトロフィー | 3回戦敗退 | David Eyres | 14 |
| 2002-03 | セカンドディビジョン | 46 | 22 | 16 | 8 | 68 | 38 | 82 | 5位 | 3回戦敗退 | 4回戦敗退 | フットボールリーグトロフィー | 1回戦敗退 | David Eyres | 13 |
| 2003-04 | セカンドディビジョン | 46 | 12 | 21 | 13 | 66 | 60 | 57 | 15位 | 2回戦敗退 | 1回戦敗退 | フットボールリーグトロフィー | 2回戦敗退 | Scott Vernon | 13 |
| 2004-05 | EFLリーグ1 | 46 | 14 | 10 | 22 | 60 | 73 | 52 | 19位 | 4回戦敗退 | 2回戦敗退 | フットボールリーグトロフィー | 準優勝 | Chris Killen | 15 |
| 2005-06 | EFLリーグ1 | 46 | 18 | 11 | 17 | 58 | 60 | 65 | 10位 | 2回戦敗退 | 1回戦敗退 | フットボールリーグトロフィー | 1回戦敗退 | Luke Beckett | 18 |
| 2006-07 | EFLリーグ1 | 46 | 21 | 12 | 13 | 69 | 47 | 75 | 6位 | 3回戦敗退 | 1回戦敗退 | フットボールリーグトロフィー | 2回戦敗退 | Chris Porter | 22 |
| 2007-08 | EFLリーグ1 | 46 | 18 | 13 | 15 | 58 | 46 | 67 | 8位 | 4回戦敗退 | 2回戦敗退 | フットボールリーグトロフィー | 2回戦敗退 | Craig Davies | 14 |
| 2008-09 | EFLリーグ1 | 46 | 16 | 17 | 13 | 66 | 65 | 65 | 10位 | 1回戦敗退 | 2回戦敗退 | フットボールリーグトロフィー | 1回戦敗退 | Lee Hughes | 18 |
| 2009-10 | EFLリーグ1 | 46 | 13 | 13 | 20 | 39 | 57 | 52 | 16位 | 1回戦敗退 | 1回戦敗退 | フットボールリーグトロフィー | 1回戦敗退 | Paweł Abbott | 13 |
| 2010-11 | EFLリーグ1 | 46 | 13 | 17 | 16 | 53 | 60 | 56 | 17位 | 1回戦敗退 | 1回戦敗退 | フットボールリーグトロフィー | 1回戦敗退 | Chris Taylor | 11 |
| 2011-12 | EFLリーグ1 | 46 | 14 | 12 | 20 | 50 | 66 | 54 | 16位 | 3回戦敗退 | 1回戦敗退 | フットボールリーグトロフィー | 準優勝 | Shefki Kuqi | 16 |
| 2012-13 | EFLリーグ1 | 46 | 14 | 9 | 23 | 46 | 59 | 51 | 19位 | 5回戦敗退 | 1回戦敗退 | フットボールリーグトロフィー | 1回戦敗退 | Jose Baxter | 15 |
| 2013-14 | EFLリーグ1 | 46 | 14 | 14 | 18 | 50 | 59 | 56 | 15位 | 3回戦敗退 | 1回戦敗退 | フットボールリーグトロフィー | 準決勝敗退 | Danny Philliskirk | 12 |
| 2014-15 | EFLリーグ1 | 46 | 14 | 15 | 17 | 54 | 67 | 57 | 15位 | 2回戦敗退 | 1回戦敗退 | フットボールリーグトロフィー | 準々決勝敗退 | Jonathan Forte | 12 |
| 2015-16 | EFLリーグ1 | 46 | 12 | 18 | 16 | 44 | 58 | 54 | 17位 | 1回戦敗退 | 1回戦敗退 | フットボールリーグトロフィー | 1回戦敗退 | Danny Philliskirk | 7 |
| 2016-17 | EFLリーグ1 | 46 | 12 | 17 | 17 | 31 | 44 | 53 | 17位 | 2回戦敗退 | 2回戦敗退 | EFLトロフィー | 3回戦敗退 | Lee Erwin | 10 |
| 2017-18 | EFLリーグ1 | 46 | 11 | 17 | 18 | 58 | 75 | 50 | 21位 | 1回戦敗退 | 1回戦敗退 | EFLトロフィー | 準々決勝敗退 | Eoin Doyle | 14 |
| 2018-19 | EFLリーグ2 | 46 | 16 | 14 | 16 | 67 | 60 | 62 | 14位 | 4回戦敗退 | 1回戦敗退 | EFLトロフィー | 2回戦敗退 | カラム・ラング | 16 |
| 2019-20 | EFLリーグ2 | 37 | 9 | 14 | 14 | 44 | 57 | 41 | 19位 | 2回戦敗退 | 1回戦敗退 | EFLトロフィー | GS敗退 | ジョニー・スミス | 11 |
| 2020-21 | EFLリーグ2 | 46 | 15 | 9 | 22 | 72 | 81 | 54 | 18位 | 3回戦敗退 | 2回戦敗退 | EFLトロフィー | 2回戦敗退 | コナー・マカレニー | 21 |
| 2021-22 | EFLリーグ2 | 46 | 9 | 11 | 26 | 46 | 75 | 38 | 23位 | 1回戦敗退 | 3回戦敗退 | EFLトロフィー | 3回戦敗退 | デイヴィス・ケイラー=ダン | 15 |
| 2022-23 | ナショナルリーグ | 46 | 16 | 13 | 17 | 63 | 64 | 61 | 12位 | 1回戦敗退 | 出場資格なし | FAトロフィー | 4回戦敗退 | Joseph Nuttall | 16 |
| 2023-24 | ナショナルリーグ | 46 | 15 | 18 | 13 | 63 | 60 | 63 | 10位 | 1回戦敗退 | 出場資格なし | FAトロフィー | 4回戦敗退 | James Norwood | 17 |
| 2024-25 | ナショナルリーグ | 46 | 19 | 16 | 11 | 64 | 48 | 73 | 5位 | 2回戦敗退 | 出場資格なし | FAトロフィー | 3回戦敗退 | Mike Fondop-Talum | 17 |
| 2025-26 | EFLリーグ2 | 46 | 予選敗退 | EFLトロフィー | GS敗退 | ||||||||||
歴代監督
デイヴィッド・アシュワース 1906-1914
ハーバート・バムレット 1914-1921
チャーリー・ロバーツ 1921-1922
デイヴィッド・アシュワース 1923-1924
ロバート・メラー 1924-1927
アンドリュー・ウィルソン 1927-1932
ジミー・マクマラン 1933-1934
ロバート・メラー 1934-1945
フランク・ウォマック 1945-1947
ビリー・ウートン 1947-1950
ジョージ・ハードウィック 1950-1956
テッド・グディア 1956-1958
ノーマン・ドジン 1958-1960
ジャック・ローリー 1960-1963
レス・マクドウォール 1963-1965
ゴードン・ハースト 1965-1966
ジミー・マキルロイ 1966-1968
ジャック・ローリー 1968-1969
ジミー・フリゼル 1970-1982
ジョー・ロイル 1982-1994
グレアム・シャープ 1994-1997
ニール・ウォーノック 1997-1998
アンディ・リッチー 1998-2001
ビリー・アームソン&ジョン・シェリダン 2001
ミック・ワズワース 2001-2002
イアン・ダウイー 2002-2003
デイヴィッド・エアーズ&ジョン・シェリダン 2003-2004
ブライアン・タルボット 2004-2005
トニー・フィリスカーク 2005
ロニー・ムーア 2005-2006
ジョン・シェリダン 2006-2009
ジョー・ロイル 2009
デイブ・ペニー 2009-2010
マーティン・グレイ 2010
ポール・ディコフ 2010-2013
トニー・フィリスカーク 2013
リー・ジョンソン 2013-2015
ディーン・ホールデン 2015
ダレン・ケリー 2015
デイヴィッド・ダン 2015-2016
ジョン・シェリダン 2016
スティーブン・ロビンソン 2016-2017
ジョン・シェリダン 2017
リッチー・ウェレンズ 2017-2018
フランキー・バン 2018
ピート・ワイルド 2018-2019
ポール・スコールズ 2019
ピート・ワイルド 2019
ローラン・バニード 2019
ディノ・マームリア 2019-2020
ハリー・キューウェル 2020-2021
キース・カール 2021
セリム・ベナシュール 2021-2022
ジョン・シェリダン 2022-2023
デイヴィッド・アンスワース 2022-2023
スティーブ・トンプソン 2023
ポール・マリー 2023
ミッキー・メロン 2023-
歴代所属選手
[編集]
クライデ・ワインハルト 2002-2003
デニス・アーウィン 1986-1990
アンソニー・ジェラード 2015 2016-2018
クリス・イーグルス 2019-2020
アーロン・ウィルブラハム 2004
デヴィッド・ウィーター 2019-2021
キャメロン・ボースウィック=ジャクソン 2020-2021
グレアム・シャープ 1991-1997
ロジャー・パーマー 1980-1994
グンナー・ハレ 1991-1996
脚注
[編集]- ↑ “CONTACT OLDHAM ATHLETIC | Oldham Athletic | Club | Contacts CONTACT OLDHAM ATHLETIC”. www.oldhamathletic.co.uk. 2025年11月19日閲覧。
- ↑ “Club Directory”. Oldham Athletic AFC. 2025年11月19日閲覧。
- ↑ “Oldham Formations and Results by Competition” (英語). FootballCritic. 2025年11月20日閲覧。
- ↑ “League table Second Division 1929/30 - FootballRates.com”. footballrates.com. 2025年11月20日閲覧。
- ↑ “English Football Stats - Past League Tables - Football League Second Division - 1934/35”. www.englishfootballstats.co.uk. 2025年11月20日閲覧。
- ↑ “footballsite - Football League Division 3 table 1973/74”. www.footballsite.co.uk. 2025年11月19日閲覧。
- ↑ “footballsite - Football League Division 2 table 1986/87”. www.footballsite.co.uk. 2025年11月19日閲覧。
- ↑ “footballsite - Littlewoods Cup (League Cup) results 1989/90”. www.footballsite.co.uk. 2025年11月19日閲覧。
- ↑ “oldham liverpool fa cup”. Bing. 2025年11月19日閲覧。
- ↑ “Paul Dickov: Oldham Athletic manager steps aside” (英語). BBC Sport. (2013年2月3日) 2025年11月19日閲覧。
- ↑ “Abdallah Lemsagam: Oldham Athletic takeover completed by Moroccan football agent” (英語). BBC Sport. (2018年1月26日) 2025年11月20日閲覧。
- ↑ “Ched Evans: Oldham drop move for convicted rapist after 'threats'” (英語). BBC Sport. (2015年1月8日) 2025年11月20日閲覧。
- ↑ “Ched Evans deal was axed after 'vile and abusive threats, including” (英語). The Independent (2015年1月8日). 2025年11月20日閲覧。
- ↑ “Oldham Athletic 1-2 Salford City: Latics relegated after protest interrupts match”. BBC (2022年4月23日). 2022年4月23日閲覧。
- ↑ “Oldham Athletic supporters' trust pushes takeover aim after relegation” (英語). BBC Sport. (2022年4月25日) 2025年11月19日閲覧。
- ↑ “Oldham Athletic: Sale of beleaguered club could take place within four weeks” (英語). BBC Sport. (2022年6月30日) 2025年11月19日閲覧。
- ↑ “Oldham Athletic: Frank Rothwell completes takeover of National League club from Abdallah Lemsagam” (英語). BBC Sport. (2022年7月28日) 2025年11月19日閲覧。
- ↑ “Oldham Athletic owners agree deal to buy Boundary Park and surrounding land” (英語). BBC Sport. (2022年8月25日) 2025年11月19日閲覧。
- ↑ “Oldham Athletic to complete deal to buy Boundary Park ground” (英語). BBC Sport. (2023年3月23日) 2025年11月19日閲覧。
- ↑ “Oldham Athletic 3-2 Southend United (AET) - Latics promoted back to EFL” (英語). BBC Sport. 2025年11月19日閲覧。
- ↑ “Latics youngsters provide early birthday present for Adams in FA Youth Cup” (英語). The Oldham Times (2024年10月17日). 2025年11月20日閲覧。
- ↑ “Chaddy the Owl - Alchetron, The Free Social Encyclopedia” (英語). Alchetron.com (2017年8月18日). 2025年11月20日閲覧。
- ↑ Swan, Rob (2019年8月27日). “The top five rivals of English football's top 92 clubs revealed” (英語). GiveMeSport. 2025年11月19日閲覧。
- ↑ Chicken, Steven (2019年7月23日). “Tell us which teams you dislike most in our big Rivalry League” (英語). Yorkshire Live. 2025年11月19日閲覧。
- ↑ “ABOUT BOUNDARY PARK | Oldham Athletic | Tickets | Stadium Info ABOUT BOUNDARY PARK”. www.oldhamathletic.co.uk. 2025年11月19日閲覧。
- ↑ “Records”. www.oldhamathletic.co.uk. 2019年3月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年11月19日閲覧。
- ↑ “Oldham Athletic | News | News Update | News Update | CABINET AGREEMENT MOVES STADIUM PLAN FORWARD”. www.oldhamathletic.co.uk. 2025年11月19日閲覧。
- ↑ “http://menmedia.co.uk/manchestereveningnews/p/1453918” (英語). menmedia.co.uk. 2025年11月19日閲覧。[リンク切れ]
- ↑ “BBC SPORT | Fun and Games | Cannon and Football”. news.bbc.co.uk. 2025年11月19日閲覧。
- ↑ “Professor Brian Cox on his northern life and his love of science” (英語). Great British Life (2014年8月12日). 2025年11月19日閲覧。
- ↑ “No team bus, no gas, players washing the kit: Why Scholes quit Oldham” (英語). OneFootball (2019年3月15日). 2025年11月19日閲覧。
- ↑ “Past players return”. www.oldhamathletic.co.uk. 2023年4月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年11月19日閲覧。
- ↑ “Model gets her kit on” (英語). (2004年4月19日) 2025年11月19日閲覧。
- ↑ “Oldham Athletic Supporters Foundation | News” (英語). OASF. 2025年11月20日閲覧。