ビスマルク・バレット・ファリア
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|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| 本名 |
ビスマルク・バレット・ファリア Bismarck Barreto Faria | |||||
| ラテン文字 | BISMARCK | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1969年9月17日(49歳) | |||||
| 出身地 | リオデジャネイロ州サンゴンサロ | |||||
| 身長 | 177cm | |||||
| 体重 | 78kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | MF (OH) | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| 代表歴 | ||||||
| 1989-1990 |
| 13 | (1) | |||
| ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
ビスマルク・バレット・ファリア(Bismarck Barreto Faria、ビスマルキ・バヘト・ファリーアと発音、1969年9月17日 - )はブラジル出身の元サッカー選手,移籍代理人会社の経営者。元ブラジル代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
来歴[編集]
ブラジルのヴァスコ・ダ・ガマなどでプレーし、1990年のワールドカップイタリア大会のブラジル代表のメンバーに選ばれた。日本では1993年のJリーグ・日本信販・NICOSシリーズ(第2ステージ)にヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)入団。1993~95年の3年連続で同シリーズステージ優勝、また1993,94年の年間チャンピオンに貢献した。
その後、チームの運営方針の見直しから、1997年に鹿島アントラーズに移籍。1998年、2000年のシーズンのリーグ年間優勝の中心選手となった。2000年Jリーグ初の三冠に貢献、2001年に退団。
一度帰国した後、2003年には降格の危機に瀕したヴィッセル神戸に9月から加入[1]。チームのJ1残留に貢献する活躍を見せるも、契約満了に伴いその年限りで退団[2]、現役を引退した。
2004年に母国ブラジルのリオデジャネイロに代理人事務所を設立、アレックス・ミネイロの鹿島移籍を手がけるなどした。2018年5月現在、契約選手約40人が所属している。
エピソード[編集]
- ゴールを決めた後、眉間を指でつまみひざまずくポーズが特徴。これはクリスチャンである彼が神に祈りをささげるものであるが、日本に来てから始めたもので、「日本へ導いてくれたすべての出来事とイエス・キリストに感謝の気持ちを表したかった」ためである。当時の小学生がこのポーズを三浦知良のカズダンスと併せて真似をしていた。
- 背番号固定制施行以前のV川崎時代は主に背番号7で出場していた。本人は背番号10に強いこだわりを持っていたが、当時V川崎のチームメートであるラモス瑠偉に敬意を表し、自ら7番を選択した。ラモスが日本代表に合流してチームを離脱した間に行われた1993年のナビスコカップでは1試合だけ10番で出場した(このときの7番は永井秀樹)が、結局ビスマルクは7番に戻し、永井が10番を付けていた。しかしその後のJリーグでは鹿島在籍時から引退に至るまで10番をつけている。
- 2010年に行われたFIFAクラブワールドカップにおいて、SCインテルナシオナルの試合を観戦する姿をテレビ画面で映し出される場面があったが、現役を引退してしばらく経ったためか、現役時の印象からは想像のつかない肥満体型となっていた。
- 鹿島に移籍した理由の一つに、本田泰人の存在があげられる。V川崎在籍時には本田を大の苦手にしていたため、「(鹿島に移籍すれば)本田を敵に回さなくてよくなる」と考えた。ジーコとジョルジーニョから「ヴェルディ川崎と契約延長しないのか」「鹿島に来たいか」といった誘いがあったことも大きい。
所属クラブ[編集]
- 1979年 - 1993年
CRヴァスコ・ダ・ガマ - 1993年7月 - 1996年
ヴェルディ川崎 - 1997年 - 2001年
鹿島アントラーズ - 2002年1月 - 同年5月
フルミネンセFC - 2002年6月 - 同年12月
ゴイアスEC - 2003年9月 - 同年12月
ヴィッセル神戸
個人成績[編集]
この節の加筆が望まれています。 |
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 1987 | ヴァスコ・ ダ・ガマ |
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| 1988 | |||||||||||
| 1989 | |||||||||||
| 1990 | |||||||||||
| 1991 | |||||||||||
| 1992 | |||||||||||
| 1993 | |||||||||||
| 日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1993 | V川崎 | 主に7 | J | 17 | 6 | 7 | 6 | 3 | 2 | 27 | 14 |
| 1994 | 42 | 14 | 3 | 6 | 2 | 1 | 47 | 21 | |||
| 1995 | 51 | 11 | - | 3 | 1 | 54 | 12 | ||||
| 1996 | 27 | 5 | 15 | 2 | 5 | 3 | 47 | 10 | |||
| 1997 | 鹿島 | 10 | 32 | 11 | 11 | 3 | 5 | 2 | 48 | 16 | |
| 1998 | 30 | 6 | 3 | 0 | 3 | 1 | 36 | 7 | |||
| 1999 | J1 | 23 | 7 | 5 | 2 | 2 | 1 | 30 | 10 | ||
| 2000 | 26 | 3 | 7 | 2 | 4 | 0 | 37 | 5 | |||
| 2001 | 26 | 6 | 6 | 0 | 0 | 0 | 32 | 6 | |||
| ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 2002 | フルミネンセ | ||||||||||
| 2002 | ゴイアス | 10 | 1 | ||||||||
| 日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2003 | 神戸 | 10 | J1 | 9 | 0 | 6 | 0 | 0 | 0 | 15 | 0 |
| 通算 | ブラジル | ||||||||||
| 日本 | J1 | 283 | 69 | 62 | 25 | 24 | 11 | 369 | 105 | ||
| 総通算 | |||||||||||
その他の公式戦
- 1993年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合1得点
- 1994年
- 1995年
- サンワバンクカップ 1試合1得点
- スーパーカップ 1試合0得点
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 1996年
- サントリーカップ 1試合0得点
- 1997年
- スーパーカップ 1試合0得点
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合1得点
- 1998年
- スーパーカップ 1試合0得点
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合1得点
- 1999年
- スーパーカップ 1試合0得点
- 2000年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 2001年
- スーパーカップ 1試合0得点
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
国際大会
- アジアクラブ選手権 試合得点
- アジアカップウィナーズ選手権 3試合1得点
個人タイトル[編集]
- 1993年 JリーグヤマザキナビスコカップMVP
- 1994年 Jリーグベストイレブン、ナビスコカップMVP
- 1995年 ベストイレブン
- 1997年 ベストイレブン
- 2005年 功労選手賞
代表歴[編集]
- ブラジル代表(13試合)1989年 - 1990年
- 1990 FIFAワールドカップ(ベスト16、0試合0得点)
出典[編集]
- ^ MFビスマルク選手加入決定のお知らせ(8/26) - ウェイバックマシン(2005年2月5日アーカイブ分) ヴィッセル神戸 (2003年8月26日)
- ^ オゼアス選手、ビスマルク選手との契約について(12/5) - ウェイバックマシン(2002年6月1日アーカイブ分) ヴィッセル神戸 (2003年12月5日)
外部リンク[編集]
- ビスマルク - J. League Data Siteによる選手データ (日本語)

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