米本拓司

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米本 拓司 Football pictogram.svg
名前
愛称 ヨネ、ダルシム[1]
ピンクパンサー[1]
カタカナ ヨネモト タクジ
ラテン文字 YONEMOTO Takuji
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1990-12-03) 1990年12月3日(26歳)
出身地 兵庫県伊丹市[2]
身長 177cm
体重 70kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 FC東京
ポジション MF
背番号 7
利き足 右足[3]
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2009- FC東京 181 (5)
代表歴2
2006-2007  日本U-16/17
2009  日本U-20 1 (0)
2011-2012  日本U-22/23 4 (0)
2010- 日本の旗 日本 1 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2015年12月27日現在。
2. 2010年1月6日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

米本 拓司(よねもと たくじ、1990年12月3日 - )は、兵庫県伊丹市出身[2]サッカー選手JリーグFC東京所属。ポジションはミッドフィールダーボランチ[2][4])。

来歴[編集]

プロ入り前[編集]

小学校1年生時に兄の影響でサッカーを始める[5][6]

兵庫県立伊丹高等学校の1年時に兵庫県選抜に選ばれ、地元・兵庫で開催された国民体育大会に出場。この時のプレーが視察に訪れていた城福浩U-16日本代表監督の目に留まり[7](視察の目当ては別の選手だった[8]。)、同年U-16日本代表に選出された。2007年には城福が指揮するU-17日本代表の一員としてFIFA U-17ワールドカップにチーム最年少で[注 1]出場[10]。同代表でのチームメイトに山田直輝がおり、「U-17の時はアイツ(山田)がいて出られないという感じだった[注 2]。意識はしますし、背中を追ってばかりなのでいつか追い越したい」と語り[5]、好敵手の間柄にある。

2008年5月からJFA・Jリーグ特別指定選手としてJリーグ・ヴィッセル神戸に帯同し練習に参加[2][12]。同時に、同年から城福が監督を務めていたFC東京の練習にも参加[13]。競合の末[13]、11月に高校卒業後のFC東京への入団が正式発表された[4]。城福は当時から「バイタルエリアで献身的な守備ができる。攻撃の起点にもなれる高い技術がある」と評し、期待を寄せていた[14]。クラブの強化担当者の評価は「パスの出せる今野(泰幸)」。米本自身は入団会見時に自身のプレーの特徴を「タイプとして似ている浅利(悟)選手が目標」「守備を得意とするので、相手の攻撃の芽をつむプレーに磨きをかけたい」とコメントしている[15]

プロ入り後[編集]

FC東京では、今野泰幸のセンターバックへのコンバートもあり、激戦区であるボランチに割って入ると、J1第9節大宮戦からスタメンに定着。梶山陽平とのダブルボランチを組み、7月には得意としていた守備に加えて「プレスを外せるところや、DFからボールを引き出す場所が分かってきた」とオフ・ザ・ボールの動きの向上にも自信を見せ、チームの連勝に貢献。梶山からも「(ボールを)つないで時間をつくれるようになった」と成長ぶりを認められた[16]。7月12日の対名古屋戦では、視察に訪れた岡田武史日本代表監督の称賛を受けた[17]。シュートは上手くないとしながらも「一生懸命練習」し[6]、第24節対大分戦で、30メートル超[18][6]のミドルシュートでリーグ戦初得点。ナビスコカップ決勝戦では、前半にペナルティエリア外からミドルシュートで先制点を決め、2-0の勝利に貢献。ニューヒーロー賞と史上最年少での決勝MVPを獲得した[19]。Jリーグ技術委員長の上野山信行からは「豊富な運動量をベースに、相手の攻撃の芽を摘む鋭い守備力、的確な判断力に加え、攻撃面におけるゴールに向かう多彩な展開力は将来の日本代表の一翼を担える」と評価された[20]。12月21日にはアジアカップ最終予選に向けたA代表に初招集され、対イエメン戦にフル出場。中盤の底を一人で支え[21][注 3]、逆転勝利に貢献した。

2010年には、尊敬する浅利悟[23]の背番号「7」を引き継ぎ(浅利も「7番は米本に」と希望していた[24][25]、開幕スタメン入りを目指していたが、2月25日小平グランドでの練習中に負傷し、後に左膝前十字靱帯損傷および左膝外側半月板損傷と診断され戦線から離脱[26]。長期のリハビリ期間を強いられた中で筋力トレーニングに励んで体重を5キロ増やし[27]、10月23日のJ1第27節新潟戦でベンチ入りを果たした。翌節の清水戦からは先発出場。大熊清監督やチームメートの石川直宏から、守備のアプローチが速く[28]、勇気あるプレーで攻守に好影響を与えたと評価された[29][30]。一方で、自身はブランクによるスタミナ不足を感じており[31]、出場を続ける中で克服に努めた。最終節にチームは16位となりJ2降格を喫したが、米本の復帰以降は3勝2分2敗[32]と調子を上向かせていた[33]。当時の米本についてスポーツライター小宮良之スペインマルコス・セナに似たタイプの選手と評した[33]

2011年は攻撃参加を目標としており、ガーナマイケル・エッシェンを理想の選手に挙げていた[34]ロンドンオリンピックを目指すU-22日本代表にも選出され、ボランチを組んだ山村和也には「ヨネはバランス感覚が優れ、守備の能力が高いから(自分は)好きなように攻撃参加できる」と評価された[35]。しかし、4月24日の千葉戦で再び左膝前十字靱帯を負傷し、手術することになった[36]

2012年3月17日、J1第2節名古屋戦にて途中出場し11ヶ月ぶりの試合出場を果たした[37]。体重を増やしパワーを付けたこともあって、武器であるボールホルダーへの寄せはタイミングを見計らってのものへと変化した[38][39]。U-23代表には1年以上の間選外になっていたが[40]関塚隆U-23日本代表監督からの評価は高く[39]同年7月、ロンドンオリンピックに臨むU-23日本代表のバックアップメンバーに選出された。

2013年は、FC東京の副主将を務める[41]。昨季以上の激しく素早い守備に加え[42]、J1第24節広島戦では4年ぶりの得点を挙げ[43]完調を印象付けた[42]。同年リーグ戦におけるボール奪取数において日本人最多を記録[44]

2014年、インサイドハーフにポジションを上げ[45]、手薄になりがちな中盤のスペースを埋める[46]高い守備能力はそのままに自身初のリーグ戦複数得点を記録[47]。前年に続き日本人最多のタックル数を数えた[48]

2015年7月、東アジアカップ2015に出場するA代表メンバーに5年4ヶ月ぶりに[49]選出された。同年のリーグ戦ではパス、タックル、インターセプト、走行距離においてチーム最多・最長を記録[50]

2016年は4年ぶりのAFCチャンピオンズリーグでアジアの強豪相手に引けを取らない姿を見せるなど[51]健闘していたが、7月のJ1・2nd第5節川崎戦で負傷退場し、後に右膝前十字靱帯断裂及び内側側副靱帯損傷と判明[52]。翌8月にはスペイン・バルセロナの病院で再建手術を受け、全治8ヵ月と発表された[53][54]

2017年4月30日、J3第6節の長野パルセイロ戦で実践復帰を果たした。5月10日、ルヴァンカップ第5節の大宮アルディージャ戦でトップチームの公式戦で復帰を果たした。

所属クラブ[編集]

ユース経歴
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2009 FC東京 28 J1 28 1 8 3 3 0 39 4
2010 7 7 0 0 0 2 0 9 0
2011 J2 1 0 - 0 0 1 0
2012 J1 27 0 4 0 1 0 32 0
2013 33 1 4 0 5 0 42 1
2014 33 2 6 0 3 0 42 2
2015 31 1 5 0 2 0 38 1
2016 21 0 0 0 0 0 21 0
2017 1 0
通算 日本 J1 180 5 27 3 16 0 223 8
日本 J2 1 0 - 0 0 1 0
総通算 181 5 27 3 16 0 224 8

*2008年は特別指定選手での登録。出場は無し。

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2012 FC東京 7 5 0
2016 7 0
通算 AFC 12 0
その他の国際大会
出場歴

タイトル[編集]

FC東京

個人[編集]

選抜・代表歴[編集]

出場大会[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 1試合 0得点 (2010-)


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2010 1 0
通算 1 0

脚注[編集]

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注釈
  1. ^ メンバーは全員1990年生まれではあったが、城福は選手が早生まれであることを選考基準の一つにするなど[9]この世代においては月単位でも力量差が顕在すると考えていた。
  2. ^ 同代表でポジションを掴みきれなかった理由として、城福は、代表から離れていた時の環境に(他の代表選手と)大きな差があったとコメントしている[11]。 米本が高校のサッカー部でプレーしていたのに対し、ポジションを争った山田、岡本知剛はそれぞれ浦和レッズサンフレッチェ広島F.Cの育成組織に所属していた。
  3. ^ 4-2-3-1の布陣でスタートしたが、2点のリードを許したため、4-4-2、さらには4-1-3-2と、守備的MFにとって負担の大きい攻撃的布陣へ変更していった[22]
出典
  1. ^ a b 若き青赤戦士の日記 FC東京 (2009年3月12日)
  2. ^ a b c d e f g h 伊丹高・米本拓司選手、JFA・Jリーグ特別指定選手に承認 - ウェイバックマシン(2008年6月25日アーカイブ分) ヴィッセル神戸 (2008年5月22日)
  3. ^ 2012年 J1選手名鑑 FC東京 米本拓司 - ウェイバックマシン(2012年8月16日アーカイブ分) スポーツニッポン
  4. ^ a b c 米本拓司選手(兵庫県立伊丹高等学校) 来季新加入内定のお知らせ - ウェイバックマシン(2012年7月15日アーカイブ分) FC東京 (2008年11月16日)
  5. ^ a b c d Tokyo Mania インタビュー 調布市タウン誌「182ch」2009年10月号 12頁
  6. ^ a b c 【ひかりTV連動企画】J1 8月度MIP受賞インタビュー 米本拓司選手 J's GOAL 2009.10.10
  7. ^ 城福ジャパン入りの切っ掛けとなった地。米本が「ここをパワーにしたい」 ゲキサカ (2011年4月12日)
  8. ^ Jリーガーが欧州の主力選手に。“第2のハセベ”はどこにいる? Number Web (2010年1月7日)
  9. ^ 城福浩監督、10日の鳥栖戦は“教え子”との対戦 blogola (2013年7月9日)
  10. ^ 【FIFA U-17ワールドカップ 韓国2007】U-17日本代表チームメンバー・スケジュール 日本サッカー協会 (2007年8月6日)
  11. ^ 【ヤマザキナビスコカップ準決勝直前・注目のニューヒーローを紹介!】FC東京の背番号28は面白い:米本拓司 (FC東京) J's GOAL(2009年8月31日)
  12. ^ 2008年JFA・Jリーグ特別指定選手に米本拓司選手を承認 - ウェイバックマシン(2008年7月16日アーカイブ分) 日本サッカー協会 (2008年5月22日)
  13. ^ a b 米本拓司、FC東京へ 県伊丹高サッカー部 - ウェイバックマシン(2009年3月25日アーカイブ分) 神戸新聞 (2008年10月30日)
  14. ^ 伊丹高・米本を獲得 東京中日スポーツ 2008.10.31
  15. ^ FC東京2009新体制発表 - ウェイバックマシン(2012年7月14日アーカイブ分) FC東京 (2009年1月23日)
  16. ^ 米本 あす地元・神戸で凱旋試合 東京中日スポーツ (2009年7月3日)
  17. ^ FC東京戦視察の岡ちゃん、若手を絶賛 - ウェイバックマシン(2009年8月17日アーカイブ分) サンケイスポーツ 2009.7.13
  18. ^ 自分でもパニック! 新人・米本35メートル弾 - ウェイバックマシン(2009年8月31日アーカイブ分) スポーツニッポン (2009年8月30日)
  19. ^ 米本が史上3人目のニューヒーロー&MVPのW受賞!「“持ってるキャラ”じゃなかったのに」 ゲキサカ (2009年11月3日)
  20. ^ Jリーグヤマザキナビスコカップ ニューヒーロー賞 Jリーグ公式サイト
  21. ^ <イエメン遠征の真実> 一夜かぎりの痛快大逆転劇。“若すぎる日本代表”が見せた可能性 3/4 Number Web (2010年1月26日)
  22. ^ <イエメン遠征の真実> 一夜かぎりの痛快大逆転劇。“若すぎる日本代表”が見せた可能性 2/4 Number Web (2010年1月26日)
  23. ^ 米本 背に「7」 胸に浅利魂 東京中日スポーツ 2010.1.29
  24. ^ 「百年旅行 Jリーグのある風景」 #45「FC東京新人広報奮闘記」 BS日本、2010.6.18
  25. ^ 東京米本が大先輩浅利氏「7」魂引き継ぐ 日刊スポーツ (2010年1月28日)
  26. ^ 米本拓司選手の手術について FC東京 (2010年3月5日)
  27. ^ 米本 筋力アップで復帰、今季初先発へ スポーツニッポン (2010年10月30日)
  28. ^ 【J1:第29節 FC東京 vs G大阪】大熊清監督記者会見コメント Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2010年11月6日)
  29. ^ 【J1:第28節 清水 vs FC東京】大熊清監督記者会見コメント Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2010年10月30日)
  30. ^ 【J1:第28節 清水 vs FC東京】試合終了後の各選手コメント Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2010年10月30日)
  31. ^ 【J1:第29節 FC東京 vs G大阪】試合終了後の各選手コメント Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2010年11月6日)
  32. ^ 選手出場記録 FC東京 2010 Jリーグ ディビジョン1 Jリーグ公式サイト
  33. ^ a b 米本拓司、不屈の19歳が立ち向かう試練 (1/2) スポーツナビ、2010.11.30
  34. ^ 【インタビュー】米本拓司「攻撃面をアピールして、背番号(7番)くらい点を取りたい」 Sportiva、2011.02.07
  35. ^ 週刊サッカーダイジェスト1108号』 日本スポーツ企画出版社2011年4月5日、27頁。
  36. ^ 米本拓司選手の手術結果について FC東京 (2011年5月27日)
  37. ^ 約1年ぶりに復帰した米本「言葉にできないくらい嬉しい」 ゲキサカ (2012年3月17日)
  38. ^ <特別インタビュー>2度の地獄を味わった21歳の若武者、FC東京・米本拓司の復活ロード 1/4 Number Web (2012年9月22日)
  39. ^ a b <特別インタビュー>2度の地獄を味わった21歳の若武者、FC東京・米本拓司の復活ロード 3/4 Number Web (2012年9月22日)
  40. ^ 【五輪代表】米本「ビックリ」1年3カ月ぶりのメンバー入り 東京中日スポーツ (2012年6月15日)
  41. ^ 副主将にアーリア&米本 ポポ監督ビックリ人事 東京中日スポーツ (2013年2月19日)
  42. ^ a b FC東京・米本“してやったり”攻撃的守備で柏ホットライン分断 スポーツニッポン (2013年3月10日)
  43. ^ F東京米本の4年ぶりゴールが決勝点、広島は痛い連敗で3位後退 ゲキサカ (2013年8月31日)
  44. ^ シルバ 王国魂で奪取王 / 日刊アウォーズ 日刊スポーツ (2013年12月26日)
  45. ^ 米本は新ポジションに手応え ゴールも記録 東京中日スポーツ (2014年1月29日)
  46. ^ 臨機応変にシステムを変えたFC東京。その中でボールを奪い続けた米本の存在感 フットボールチャンネル (2014年9月14日)
  47. ^ 米本ダイナモ全開弾 守備でも50m全力疾走、5戦連続完封貢献 スポーツニッポン (2014年8月17日)
  48. ^ 週刊サッカーダイジェスト2014Jリーグ総集編』 日本スポーツ企画出版社2014年、206頁。
  49. ^ 5年4か月ぶり代表の米本「東京の名前に恥じないよう」 ゲキサカ (2015年5月8日)
  50. ^ サッカーダイジェスト 2015Jリーグ総集編 (No.1347)』 日本スポーツ企画出版社2015年、23頁。
  51. ^ 米本 ACL上海上港戦へ守備職人として“エースつぶす” スポーツニッポン (2016年5月17日)
  52. ^ 米本拓司選手の手術結果について FC東京 (2016年8月18日)
  53. ^ MF米本拓司がバルセロナで本田圭佑などを担当した名医の下で手術。手術は成功し、全治は約8カ月 blogola 2016-08-18
  54. ^ FC東京MF米本、右膝前十字靱帯修復手術 本田のオペに携わった権威が執刀 デイリースポーツ (2016年8月19日)
  55. ^ 2009Jリーグアウォーズ 優秀選手賞・優秀新人賞 Jリーグ (2009年12月6日)
  56. ^ AFCがW杯予選予備登録メンバーを公表 日本は89人登録で憲剛、大久保、瀬戸の名も ゲキサカ (2016年9月5日)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

特集・インタビュー
個人成績・プロフィール