土屋征夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
土屋 征夫 Football pictogram.svg
名前
愛称 バウル
カタカナ ツチヤ ユキオ
ラテン文字 TSUCHIYA Yukio
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1974-07-31) 1974年7月31日(44歳)
出身地 東京都文京区
身長 177cm
体重 73kg
選手情報
在籍チーム 東京23FC
ポジション DF
背番号 41
利き足
ユース
1980-1986 三菱養和SS
1987-1989 三菱養和Jr.ユース
1990 田無工業高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1994-1995 ECノロエスチ
1996 インテルナシオナル英語版
1996 バフェットス
1997-1998 ヴェルディ川崎 18 (0)
1999-2004 ヴィッセル神戸 154 (9)
2005 柏レイソル 30 (2)
2006 大宮アルディージャ 31 (1)
2007-2012 東京ヴェルディ 208 (14)
2013-2017 ヴァンフォーレ甲府 64 (2)
2017 京都サンガF.C. (loan) 6 (0)
2018- 東京23FC
1. 国内リーグ戦に限る。2018年1月31日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

土屋 征夫(つちや ゆきお、1974年7月31日 - )は、東京都文京区出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー

経歴[編集]

小学校2年から中学まで三菱養和SCに所属していたが、中学3年時に転校して一時期サッカーから離れている[1]。三菱養和SCでの同期に加賀見健介黄川田賢司がいる。東京都立田無工業高等学校入学してサッカー部に入部したが、上下関係の厳しさに辟易して同級生と共に1週間で退部、卒業までは書道部で活動した[1]

高校卒業後の進路としてブラジルへのサッカー留学を選択し、ブラジルへ渡る。この期間にポルトガル語も習得した。愛称の「バウル」はブラジル時代に住んでいた街の名前。名付け親はヴェルディ川崎時代にチームメイトだったブラジル人FWマグロン。ブラジルでプレーする土屋の存在を知ったヴェルディ川崎から練習参加のオファーが届き帰国、1997年にV川崎とプロ契約を結んだ。1999年ヴィッセル神戸に移籍し、サイドバックからセンターバックにコンバートされて才能が開花。ちなみに、トレードマークのスキンヘッドは神戸時代から始めたものである。神戸では6年に渡りレギュラーとして活躍し、2001年には日本代表候補にも名前が挙がった。神戸時代の後輩にあたる北本久仁衛は「影響を受けた選手」という問いに土屋を挙げており、また自身のスキンヘッドは土屋に倣ったものであることも明かしている。2002年、当時の日本代表監督のフィリップ・トルシエが「フラットスリー」で世間を賑わせていた時に神戸は土屋、北本、シジクレイのスキンヘッドの3人で3バックを形成し「ピカッとスリー」と呼ばれた。しかし、神戸最後の年は数試合ベンチから遠ざかった。

2005年に柏レイソルに移籍。10月の浦和レッドダイヤモンズ戦にて、柏が0-4での大量リードを許し、さらに二人少ない状況から浦和FW田中達也へタックルを行い、これにより田中は全治5-6ヶ月の怪我を負った。土屋本人も田中の怪我が重傷だった事にショックを受け、柏の早野宏史監督(当時)の配慮もあり次節の試合を欠場した。土屋がショックを受けているのを知った田中が「試合にアクシデントは付き物であり、自分が怪我をしてしまった事は仕方が無い」とのメッセージを発信した[2]

2006年は大宮アルディージャへ移籍。大宮では再び左サイドバックとしてプレーしたが、2007年からは東京Vに9年振りに復帰した。主にセンターバックでプレーし、「大黒柱」と形容されるほど絶対的な守備の要となる[3]。2012年シーズン終了後に契約満了で東京Vを退団[4]

2013年、ヴァンフォーレ甲府へ移籍[5]。開幕から先発出場を続けていたがシーズン途中に負傷離脱した。その間にDFラインのメンバーが固定されたこともあり終盤は出場機会を減らしたものの貴重な戦力として活躍した。

ブログのタイトルを当初、「ハゲ丸」にしようとしていたが、公式ブログでは相応しくないということで「バウルと一緒に…」になった。

2013年4月6日、第5節大分トリニータ戦で決勝点となるヘディングシュートを決めると中山雅史からピカチューヘッドとあだ名がついた。2014年は怪我のため出場はなかった。2015年8月16日、横浜FM戦でJ1での300試合出場を達成。

2017年3月15日、ルヴァンカップ第1節広島戦に出場し中山雅史が持っていた最年長出場記録を更新、さらに5月10日第5節神戸戦で公式戦約4年ぶりのゴールを決め、中山雅史が持っていたカップ戦最年長ゴール記録を更新した[6] 。しかし、リーグ戦での出場機会はなく、8月8日、京都サンガF.C.へレンタル移籍した[7]。2018年より東京23FCへ移籍[8]

所属クラブ[編集]

ユース経歴

  • 1981年 - 1986年 三菱養和サッカースクール巣鴨
  • 1987年 - 1989年 三菱養和ジュニアユース

プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1994 ノロエスチ
1995
1996 ナシオナル
1996 バフェットス
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1997 V川崎 41 J 4 0 0 0 0 0 4 0
1998 28 14 0 1 0 3 1 18 1
1999 神戸 4 J1 27 0 2 1 0 0 29 1
2000 28 2 3 0 4 0 35 2
2001 17 28 4 4 1 2 0 34 5
2002 28 1 6 0 1 0 35 1
2003 22 1 4 0 3 1 29 2
2004 21 1 6 0 1 0 28 1
2005 30 2 2 0 2 0 34 2
2006 大宮 31 1 4 1 2 0 37 2
2007 東京V J2 40 3 - 0 0 40 3
2008 J1 33 1 3 0 0 0 36 1
2009 J2 34 4 - 1 0 35 4
2010 35 2 - 0 0 35 2
2011 35 3 - 2 1 37 4
2012 31 1 - 1 0 32 1
2013 甲府 41 J1 22 2 1 0 1 0 24 1
2014 0 0 0 0 0 0 0 0
2015 22 0 1 0 1 0 24 0
2016 20 0 1 0 0 0 21 0
2017 0 0 5 1 1 0 5 1
京都 J2 6 0 - - 6 0
2018 東京23FC 関東1部 - -
通算 日本 J1 330 15 43 4 21 2 394 21
日本 J2 181 13 - 4 1 186 14
日本 東京都1部 - -
ブラジル
総通算

その他の公式戦

代表歴[編集]

  • 2001年 日本代表候補

脚注[編集]

  1. ^ a b 土屋征夫選手インタビュー後編 書道部・留学・そしてヴェルディへ 空間都市八王子 2007.5.29付記事
  2. ^ 田中達也からのメッセージ(浦和レッズオフィシャルサイト/2005年10月16日)
  3. ^ J's GOAL | J'sGOALニュース | 【J2:第3節 東京V vs 京都】プレビュー:大黒柱不在。“チーム力”問われる東京Vは、一新した大木・京都を相手に連敗脱出を誓う。
  4. ^ “土屋征夫選手の契約について” (プレスリリース), 東京ヴェルディ, (2012年11月25日), http://www.verdy.co.jp/lancelot/cms/siteuser/newsdetail/user_id/f98c078b5e46cce02fd686fadbff9929/id/bdfee613bf10a63920c915948aa9643b 2012年11月25日閲覧。 
  5. ^ “土屋 征夫選手 東京ヴェルディより加入のお知らせ” (プレスリリース), ヴァンフォーレ甲府, (2012年12月26日), http://www.ventforet.co.jp/information/press/20121215.html 2012年12月26日閲覧。 
  6. ^ 甲府DF土屋征夫がルヴァン杯で最年長ゴール。中山、ジーコ、カズらを上回る(フットボールチャンネル/2017年5月10日)
  7. ^ “土屋征夫選手 ヴァンフォーレ甲府より期限付き移籍加入のお知らせ” (プレスリリース), 京都サンガF.C., (2017年8月8日), http://www.sanga-fc.jp/news/p/8289/ 2018年3月23日閲覧。 
  8. ^ “新入団選手のお知らせ” (プレスリリース), 東京23フットボールクラブ, (2018年1月31日), http://www.tokyo23fc.jp/news/news2_180131_1.html 2018年1月31日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]