鄭大世
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![]() 鄭大世(2010年6月撮影) | ||||||
名前 | ||||||
愛称 | テセ、人民のルーニー、人間ブルドーザー | |||||
カタカナ | チョン・テセ | |||||
ラテン文字 | CHONG Tese / JUNG Dae-se/Jong Tese | |||||
ハングル | 정대세 | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
![]() ( ![]() | |||||
生年月日 | 1984年3月2日(38歳) | |||||
出身地 | 愛知県名古屋市 | |||||
身長 | 181cm | |||||
体重 | 80kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム |
![]() | |||||
ポジション | FW | |||||
背番号 | 9 | |||||
利き足 | 右 | |||||
ユース | ||||||
朝鮮大学校 | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2006-2010 |
![]() | 112 | (46) | |||
2010-2012 |
![]() | 39 | (14) | |||
2012 |
![]() | 10 | (0) | |||
2013-2015 |
![]() | 72 | (23) | |||
2015-2020 |
![]() | 106 | (45) | |||
2020 |
→![]() | 26 | (9) | |||
2021- |
![]() | 33 | (5) | |||
代表歴2 | ||||||
2007-2011 |
![]() | 33 | (15) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2021年12月6日現在。 2. 2011年11月15日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
鄭 大世(チョン・テセ、정대세、1984年3月2日 - )は、愛知県名古屋市出身のプロサッカー選手。在日韓国人3世。大韓民国(韓国)籍を持っている。元朝鮮民主主義人民共和国代表。ポジションはフォワード。
来歴[編集]
生い立ち[編集]
大韓民国籍の父親と朝鮮籍の母親を持つ在日コリアン3世として生まれる[1]。母親は在日の朝鮮学校初等部の元音楽教師[2]。愛知朝鮮第二初級学校(日本の小学校に相当)4年生の時にサッカーを始める。朝鮮大学校体育学部に在籍し、蹴球部所属時には東京都大学サッカーリーグ下部でプレーする傍ら、サッカー代理人契約を結んだ田邊伸明の紹介を受け、プロ入りを目指してJリーグの数チームで練習生として参加。
クラブ[編集]
川崎フロンターレ[編集]
川崎フロンターレの練習に参加した際の、亜細亜大学との練習試合で挙げた5得点などが評価され、卒業後の2006年に川崎に入団した。同大学から直接Jリーグへ進んだのはテセが初めてである。
初年度は交代出場が多かったものの、コンスタントに出場機会を得て、同年7月19日のJ1第13節・鹿島アントラーズ戦(カシマ)でJリーグ初得点を挙げた。
2007年にはAFCチャンピオンズリーグ2007にも出場し、このとき初めて訪れたという韓国での全南ドラゴンズ戦で得点を挙げ、川崎のグループリーグ突破に貢献した。また、同年10月28日に行われたJ1第30節・FC東京戦(味の素スタジアム)では、自身プロ入り初となるハットトリックを記録[3]した。2007年シーズンの後半からはスタメンに定着しゴールを量産、12得点をあげた。
VfLボーフム[編集]
2010南アフリカワールドカップ後にドイツ・ブンデスリーガ2部のボーフムへ2年契約(1年間の延長オプション付き)で移籍が決定した。
2010-11シーズンは、ホームでの開幕戦・1860ミュンヘン戦に先発出場し、2ゴールを決める活躍を見せ[4]、フリートヘルム・フンケル監督から「彼には驚かされている。あんなにオープンなアジア人は見たことがない。彼の成長を見るのが、毎日楽しみなんだ。」と評価された[5]。このシーズン、チームは昇格プレーオフで敗れ、1部昇格は逃すも自身はリーグ戦10得点を挙げる活躍を見せた。
1.FCケルン[編集]
2012年1月、ブンデスリーガ1部・1.FCケルンへの移籍が発表された[6]。 しかし、目立った活躍は残せず、移籍先を探すようになる。
水原三星ブルーウィングス[編集]
2013年1月10日、Kリーグクラシック(Kリーグ1部)・水原三星ブルーウィングス[7]。2013年6月16日、国立競技場で開催された東日本大震災復興支援 2013Jリーグスペシャルマッチにゲストプレイヤーとして出場した。
清水エスパルス[編集]
2015年7月8日、日本の清水エスパルスへ移籍することが発表された[8][9][10]。報道では、4億から5億ウォン(約4000万円から5000万円)の移籍金と、年俸6億ウォン(約6000万円)の3年半契約[11] とされている。Jリーグでのプレーは2010年以来5年ぶりとなる。シーズン途中の加入であったが清水はJ2に降格してしまう。
2016年は、大前元紀と2トップを組んで、得点ランキング1位、キャリアハイの26ゴールを上げJ2得点王を獲得、アシストもチームトップの10であり、清水の1年でのJ1復帰に貢献した[12]。2017年より、清水エスパルスの主将を務める。主将になるのは小学6年生以来とのこと[13]。
2017年は、3月11日のアルビレックス新潟戦では2試合連続得点を決めた。
アルビレックス新潟[編集]
2020年8月25日、アルビレックス新潟への期限付き移籍が発表された[14]。
2020年12月23日、清水および新潟両クラブより契約満了が発表された[15]。
FC町田ゼルビア[編集]
2021年1月5日、FC町田ゼルビアへ移籍することが発表された[16]。
代表[編集]
2007年6月にマカオで開催された東アジアサッカー選手権2008予選大会の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)代表に選出され、3試合で8ゴールを挙げ得点王となり、チームの本大会出場に貢献した。
2009年6月に所属する北朝鮮代表が44年ぶり2度目のワールドカップ出場を決めた。
東アジア選手権2008本選では、第1戦で日本代表から1得点(試合は引き分け、第2戦の韓国戦で1得点、第3戦中国戦でも1アシストを見せた。この活躍により、FIFA公式サイトでは朝鮮人選手として初となるロングインタビューが紹介された。
2010年6月ワールドカップのグループリーグ第1戦にて、FIFAランキング1位で優勝候補に挙げられたブラジルと対戦。ブラジルの圧倒的有利が予想されたが、0-2のビハインドから北朝鮮のゴールをヘディングでアシストするも、試合は1-2で敗れた。
2013年、水原三星に移籍する際に北朝鮮のパスポートを返納したため、北朝鮮代表に招集される事は無くなった。
人物[編集]
特徴的なルックスは、しばしば「パンストをかぶっているような顔」とたとえられ、これに対して本人は「『どんだけ失礼やねん!』とキレながらも、ちょっとおいしいと思ってる」と心境を述べている[17]。この「パンスト顔」は川崎フロンターレ在籍時代にはファン感謝デーにて社長の武田信平と「ストッキング相撲」を行うほどに浸透していた[18]。テレビ番組『やべっちFC』では、「(`ε´)ノ」という顔文字でテセが表されており、これはサポーターの横断幕にも描かれるほど定着している。本人のブログも、最後にこの顔文字が使用されている。
2013年12月、韓国人女性と結婚したことを発表した[19][注 2]。息子と娘が1人ずついる[22]。
李彰剛とは初級学校から高級学校までチームメイトであり親交が深い。
祖国への思い[編集]
鄭大世は父親の国籍と同じく韓国籍だが、朝鮮学校で教育を受けたため心の祖国は北朝鮮であり、かねてから「ずっと祖国(北朝鮮)の代表になりたかった」と語っていた[23]。そのため韓国籍を放棄して朝鮮籍を取得しようとしたが、韓国政府は北朝鮮を国家として承認していないため拒否され、在日本朝鮮人蹴球協会の助けを得て、韓国籍のまま北朝鮮のパスポートを取得し、FIFA(国際サッカー連盟)に北朝鮮代表としての出場を認めさせている[24]。鄭と同じ在日コリアンのスポーツライター・慎武宏は、韓国籍ながら北朝鮮代表として出場する鄭大世の人生について「歴史が生んだ矛盾」だと語っている[25]。
在日韓国人3世でありながら朝鮮語も非常に堪能ではあるが、母語は日本語であるため日本語訛りは抜けていない(在日朝鮮語)。北朝鮮・韓国メディアからの取材、番組出演には朝鮮語で対応している。日韓リーグオールスター戦ではJリーグ代表として出場し、韓国Kリーグと対戦する心境を「国家の代表としては北朝鮮代表だが、今回は日本代表として出て少し複雑な心境だ」と吐露していた[26]。
夢は「北朝鮮代表としてワールドカップに出ること」であり、出場した2010 FIFAワールドカップの初戦・ブラジル戦では、国歌斉唱時の愛国歌に感極まって涙した。試合後に「サッカーを始めたときから、この日をずっと想像していた。この大きな場所で、世界一のブラジルと戦えたことをうれしく思う」と語った[27]。この涙は大韓民国でも話題となり「人民のルーニー」と呼ばれた[28]。
2010年7月に中央日報のインタビューを受け、2010 FIFAワールドカップの対ポルトガル戦で雨天用スパイクが足りず、性能も悪かったというエピソードを話し、記者から「韓国代表や日本代表に入ったほうが条件がいいのでは」と質問され、「金銭的な面や良い環境はプロチームで追求すればよい。自分にとって国家代表はお金ではなく信念を確認する舞台」と返答している。また「祖国は母のような存在で、変えることはできない」とも述べている。また韓国の印象について聞かれ「Wonder Girlsのファン。かわいいのもよいが、表現力が感動的なほど優れている。日本人の同僚とカラオケに行けば『独島は我が領土』をよく歌う。日本の友達も韓国語を聞き取れないので‘ウリタン(わが領土)’という部分を一緒に歌う」と返答している[29][30]。
2011年2月にZDFのインタビューにおいて、「自分はスポーツ選手であり、政治家ではない」[31] として、北朝鮮の政治状況に関する質問には回答していない一方、前述の通り竹島に関しては政治的な立場を明確にしている。
水原時代の2013年2月、チームメイトとどんな話をするかと聞かれ「女性の話、サッカーの話、テレビの話などをする。 北朝鮮の話をする時もあるが、あまり関心がない。 政治的な話をする理由はないのでは」 と答えている[32]。
2013年6月21日、鄭大世が、海外のテレビ番組で金正日を「尊敬している」と発言したことを受けて、韓国の検察は国家保安法違反容疑で鄭大世を捜査していると報道された[33]。2014年9月30日、水原地検は「鄭選手の言動が韓国の存立、安全と体制を脅かしたと認定する証拠は不十分」として、不起訴処分とした[34]。
自身のアイデンティティについて、「韓国に行っても、北朝鮮に行っても日本人扱い。じゃあ日本で暮らしているからって、日本人扱いでもないし。故郷はいっぱいあるけど、自分にはホームがない」と語っている[35]。
Jリーグ準外国籍選手枠[編集]
Jリーグでは通常の外国人枠とは別に各クラブ1名まで出場することができる準外国籍選手枠(在日枠)を活用して入団。なお、同制度は日本の学校を卒業した者を対象としているため、テセは朝鮮大学校在学中に通信制のクラーク記念国際高等学校にダブルスクールし、日本の高校を卒業している[36]。テセの川崎入団に伴い、それまで同クラブの準外国人枠選手だった鄭容臺が期限付き移籍終了により退団した。
Jリーグの試合や日本サッカー協会が主催する天皇杯全日本サッカー選手権では、他の外国人とは別扱いで参加できたが、2007年のAFCチャンピオンズリーグでは同僚のブラジル人選手達との登録枠争いが生じた。結果としては負傷で苦しむフランシスマールが外れ、テセが出場可能となった。2009年シーズンからはAFCチャンピオンズリーグ等でアジア・クウォータ制が採用され、Jリーグとの差は解消された。
Kリーグでは韓国籍で登録されているため、外国籍選手枠の対象からは外れる。AFCチャンピオンズリーグでも同様で、同リーグの外国人枠(およびAFC加盟国枠)対象にはならない[37]。
エピソード[編集]
ワールドカップのユニフォームの背中の名前のプリント部分に「J. TAE SE」の下に薄っすらと「A. YONG HAK」と名前の消された跡がある。これはユニフォーム製作の際、安英学の名前をミスプリントし、再度鄭の名前がプリントされているため。本人は、「ミスったなら新しいのつくれよ。」と言いつつも、「ヨンハさんの魂を受け継いで試合頑張れる」とし、気に入っているとのこと[38]。
フィジカルの強さから「人間ブルドーザー」とファンに呼ばれ親しまれている[32]。大学3年の時に横浜F・マリノスの練習に参加した際に、当時F・マリノス所属のDF河合竜二に吹っ飛ばされた(当たり負けした)のをきっかけに筋トレで体重を10kg増やしたのがフィジカル強化のきっかけで[39]、川崎時代の2007年8月25日のJ1第22節・ガンバ大阪戦で、自陣からのロングボールに反応した際にG大阪のDF3人をボディコンタクトでなぎ倒してGKと1対1の局面を作ってゴールを挙げたことでその名が知られるようになった。
2011年11月、鄭大世の軌跡を追ったドキュメンタリー映画『TESE』が公開され、ヨコハマ・フットボール映画祭2012にて最優秀プレイヤー賞を受賞した。[40]。
清水移籍後、練習場近くにあるパスタ屋の味に惚れ込み、2016年11月には店主の了解を取った上で同店の広報用twitterアカウントを開設した[41]。
兄は元サッカー選手の鄭二世。兄は韓国籍を選択し、忠州ヒュンメルFCなどに在籍していたGKである。
所属クラブ[編集]
- 愛知朝鮮第二初級学校 蹴球部
- 東春朝鮮初中級学校 中級部 蹴球部
- 愛知朝鮮中高級学校 高級部 蹴球部
- 朝鮮大学校 蹴球部
- 2006年 - 2010年7月
川崎フロンターレ
- 2010年7月 - 2012年1月
VfLボーフム
- 2012年1月 - 同年12月
1.FCケルン
- 2013年 - 2015年7月
水原三星ブルーウィングス
- 2015年7月 - 2020年
清水エスパルス
- 2021年 -
FC町田ゼルビア
個人成績[編集]
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2006 | 川崎 | 16 | J1 | 16 | 1 | 4 | 0 | 2 | 2 | 22 | 3 |
2007 | 24 | 12 | 5 | 2 | 4 | 3 | 33 | 17 | |||
2008 | 33 | 14 | 4 | 1 | 2 | 0 | 39 | 15 | |||
2009 | 9 | 29 | 14 | 5 | 2 | 4 | 3 | 38 | 19 | ||
2010 | 10 | 5 | - | - | 10 | 5 | |||||
ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
2010-2011 | ボーフム | 9 | ブンデス2部 | 25 | 10 | - | 1 | 0 | 26 | 10 | |
2011-2012 | 14 | 4 | - | 2 | 1 | 15 | 5 | ||||
ケルン | ブンデス1部 | 5 | 0 | - | - | 5 | 0 | ||||
2012-2013 | ブンデス2部 | 5 | 0 | - | 1 | 0 | 6 | 0 | |||
韓国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2013 | 水原三星 | 14 | Kクラシック | 23 | 10 | - | 0 | 0 | 23 | 10 | |
2014 | 28 | 7 | - | 1 | 0 | 29 | 7 | ||||
2015 | 21 | 6 | - | 1 | 2 | 15 | 5 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2015 | 清水 | 9 | J1 | 13 | 4 | - | 0 | 0 | 13 | 4 | |
2016 | J2 | 37 | 26 | - | 1 | 1 | 38 | 27 | |||
2017 | J1 | 23 | 10 | 2 | 0 | 1 | 0 | 26 | 10 | ||
2018 | 18 | 3 | 6 | 3 | 2 | 0 | 26 | 6 | |||
2019 | 13 | 2 | 5 | 0 | 2 | 0 | 20 | 2 | |||
2020 | 2 | 0 | 2 | 0 | - | 4 | 0 | ||||
新潟 | 49 | J2 | 26 | 9 | - | - | 26 | 9 | |||
2021 | 町田 | 9 | 33 | 5 | - | 0 | 0 | 33 | 5 | ||
2022 | - | ||||||||||
通算 | 日本 | J1 | 181 | 65 | 33 | 8 | 17 | 8 | 231 | 81 | |
日本 | J2 | 96 | 40 | - | 1 | 1 | 97 | 41 | |||
韓国 | Kクラシック | 72 | 23 | - | 1 | 0 | 67 | 22 | |||
ドイツ | ブンデス1部 | 5 | 0 | - | 0 | 0 | 5 | 0 | |||
ドイツ | ブンデス2部 | 44 | 14 | - | 4 | 1 | 47 | 15 | |||
総通算 | 375 | 136 | 33 | 8 | 23 | 10 | 431 | 154 |
国際大会個人成績 | 期間通算 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
AFC | AFC CL | 期間通算 | ||||
2007 | 川崎 | 16 | 7 | 2 | 7 | 2 |
2009 | 9 | 9 | 2 | 9 | 2 | |
2010 | 3 | 1 | 3 | 1 | ||
2013 | 水原三星 | 14 | 4 | 0 | 4 | 0 |
2015 | 7 | 3 | 7 | 3 | ||
通算 | AFC | 30 | 8 | 30 | 8 | |
総通算 | 30 | 8 | 30 | 8 |
タイトル[編集]
個人[編集]
代表歴[編集]
- 国際Aマッチ初出場・初得点 - 2007年6月19日 東アジアサッカー選手権2008予選 vsモンゴル代表(澳門運動場)
参加大会[編集]
- 2007年 - 東アジアサッカー選手権2008予選大会
- 2008年 - 2010 FIFAワールドカップ・アジア予選、東アジアサッカー選手権2008決勝大会
- 2009年 - 東アジアサッカー選手権2010予選大会
- 2010年 - 2010 FIFAワールドカップ
- 2011年 - AFCアジアカップ2011、2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
試合数[編集]
北朝鮮代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2007 | 3 | 8 |
2008 | 10 | 3 |
2009 | 7 | 1 |
2010 | 5 | 3 |
2011 | 8 | 0 |
通算 | 33 | 15 |
ゴール
# | 開催年月日 | 開催地 | スタジアム | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|---|
1. | 2007年6月19日 | ![]() |
澳門運動場 | ![]() |
○7-0 | 東アジアサッカー選手権2008予選大会 |
2. | ||||||
3. | ||||||
4. | ||||||
5. | 2007年6月21日 | ![]() |
○7-1 | |||
6. | ||||||
7. | ||||||
8. | ||||||
9. | 2008年2月17日 | ![]() |
重慶市オリンピック・スポーツセンター | ![]() |
△1-1 | 東アジアサッカー選手権2008決勝大会 |
10. | 2008年2月20日 | ![]() |
△1-1 | |||
11. | 2008年10月15日 | ![]() |
アザディ・スタジアム | ![]() |
●1-2 | 2010 FIFAワールドカップ・アジア4次予選 |
12. | 2009年8月27日 | ![]() |
世運主場館 | ![]() |
○2-1 | 東アジアサッカー選手権2010準決勝大会 |
13. | 2010年5月25日 | ![]() |
キャッシュポイント・アレーナ | ![]() |
△2-2 | 国際親善試合 |
14. | ||||||
15. | 2010年6月6日 | ![]() |
マクフロング・スタジアム | ![]() |
●1-3 |
関連書籍[編集]
- 鄭大世 『ザイニチ魂―三つのルーツを感じて生きる』NHK出版、2011年1月10日。ISBN 9784140883372。
- 森雅史 『大世―チョンテセ BIG WORLD』小学館クリエイティブ、2010年5月31日。ISBN 978-4-7780-3715-4。
脚注[編集]
- ^ ‘国籍は韓国、所属は北朝鮮’の鄭大世、そして母イ・ジョングムさん 中央日報、2010年07月14日
- ^ 『日本代表・李忠成、北朝鮮代表・鄭大世―それでも、この道を選んだ』古田清悟、姜成明、光文社、 2011年11月刊
- ^ また多摩川クラシコでハットトリックを達成したのもクラブ史上初である。
- ^ “ボーフム鄭大世が2得点 ドイツ2部リーグ開幕戦”. 47NEWS (2010年8月24日). 2010年8月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月15日閲覧。
- ^ “ブンデスリーガに挑む日本人、「言葉の壁」を乗り越えて”. スポーツナビ (2010年8月20日). 2010年8月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月15日閲覧。
- ^ チョン・テセがケルンに移籍…背番号はエースナンバーの「9」 SOCCER KING、2012年1月31日
- ^ 水原と3年契約 北朝鮮代表の鄭大世-スポーツナビ2013年1月10日
- ^ 水原三星、鄭大世の清水移籍を発表。5年ぶりのJ復帰へ footballchannel 2015年7月8日
- ^ 정대세 선수, 일본 시미즈 구단으로 이적 水原三星ブルーウィングス公式サイト 2015年7月8日
- ^ 鄭大世選手(水原三星ブルーウイングス/韓国)完全移籍にて加入決定のお知らせ 清水エスパルス公式サイト 2015年7月9日
- ^ 鄭大世、清水移籍合意か。水原は李忠成をローンで獲得へ footballchannel 2015年7月6日
- ^ 【清水】テセ「本当にきつかった」J1逆転昇格の功労者へ独占インタビュー[リンク切れ] スポーツ報知 2016年11月28日
- ^ “【清水】鄭大世が新キャプテンに就任!主将を務めるのは小学校6年生以来”. スポーツ報知 (2017年2月21日). 2017年2月22日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2017年2月22日閲覧。
- ^ 清水エスパルスから 鄭 大世 選手 期限付き移籍加入のお知らせ
- ^ “鄭 大世 選手 期限付き移籍期間満了のお知らせ” (プレスリリース), アルビレックス新潟, (2020年12月23日) 2021年1月3日閲覧。
- ^ “鄭 大世 選手 完全移籍加入のお知らせ” (プレスリリース), FC町田ゼルビア, (2021年1月5日) 2021年1月5日閲覧。
- ^ “サッカー北朝鮮代表の鄭大世、「パンスト顔」OK”. アメーバニュース (2009年5月20日). 2009年6月2日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2017年4月27日閲覧。
- ^ “フロンターレ日記: KAWASAKI FRONTALE” (2010年2月19日). 2010年2月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月9日閲覧。
- ^ “結婚で幸せ絶頂のチョン・テセ「彼女は……僕をイケメンだと言ってくれる」”. サッカーキング (2013年12月16日). 2015年7月10日閲覧。
- ^ “その時、鄭大世は泣いていた…妻から見たプロサッカー選手の家庭とは【ごはん、ときどきサッカー】”. ぐるなび みんなのごはん (2020年7月2日). 2020年9月15日閲覧。
- ^ “許されない恋愛の行方”. ザ!世界仰天ニュース 公式サイト. 2020年9月16日閲覧。
- ^ “清水エスパルス 鄭大世(チョン・テセ)選手|オトンなアスリート|もし息子がサッカーを始めたら”. oton+to (2016年12月23日). 2018年6月18日閲覧。
- ^ 国籍変えても思い一つ、朝日新聞、2008年9月17日発行。
- ^ “魂”の証明――鄭大世(チョン・テセ)(2/2)、スポーツナビ、2008年2月26日発行。
- ^ “韓国籍に北朝鮮代表、鄭大世の人生は歴史が生んだ矛盾”. 中央日報 (2010年7月8日). 2015年2月20日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2019年12月23日閲覧。
- ^ 재일동포 정대세 "독도는 당연히 한국땅!"、韓国NAVER/CBSノーカットニュース、2008年7月16日発行。
- ^ “鄭大世、W杯ピッチで男泣き「背負って戦う国は1つ」”. 朝日新聞 (2010年6月16日). 2010年6月18日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2019年10月15日閲覧。
- ^ “【W杯】鄭大世の涙、韓国で人気沸騰「人民のルーニー」”. MSN産経ニュース (2010年6月17日). 2010年6月19日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2019年10月15日閲覧。
- ^ “鄭大世「雨天用スパイクなかったわけではないが…」”. 中央日報 (2010年7月7日). 2011年6月27日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2019年12月23日閲覧。
- ^ “鄭大世「韓日がうらやましいが、祖国は変えられない」”. 中央日報 (2010年7月7日). 2014年5月13日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2019年12月23日閲覧。
- ^ Chong Tese: Star aus dem Schattenreich、ZDF.de Sport、2011年2月25日発行。
- ^ a b “水原サムスンの鄭大世「日本サッカーは性格が強くなく、韓国は…」”. 中央日報 (2013年2月5日). 2015年7月25日閲覧。
- ^ “韓国検察、鄭大世さんを捜査 「金総書記を尊敬」発言、国家保安法違反での告発受け”. 産経新聞. (2013年6月21日). オリジナルの2013年6月21日時点におけるアーカイブ。 2013年6月21日閲覧。
- ^ “鄭大世さんを不起訴処分 国家保安法違反容疑”. 聯合ニュース (2014年9月30日). 2020年1月8日閲覧。
- ^ 日本、北朝鮮、ドイツ、世界で活躍するJリーグ出身ストライカーに密着した1000日とは 2021年4月18日閲覧。
- ^ 『大世―チョンテセ BIG WORLD』森雅史著 p91
- ^ “Contents - acl2013-presskit-h4.pdf (pdf)”. 2015年6月2日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2017年4月27日閲覧。
- ^ ついにきました!!、鄭大世公式ブログ、2010年6月9日発行。
- ^ “鄭大世、“人間ブルドーザー”になったキッカケとは 恩人へ感謝のメッセージ”. the WORLD (2019年8月11日). 2021年1月12日閲覧。
- ^ “在日コリアン3世のサッカー選手・鄭大世!日本生まれ、国籍は韓国、そして代表チームは北朝鮮……激動の3年半を追ったドキュメンタリーが公開決定!”. シネマトゥデイ (2011年10月20日). 2015年8月3日閲覧。
- ^ 【静岡ランチ】サッカー清水FW鄭大世がお店の『Twitter』運営!? 『すぱげてぃ屋 タスロもち麺』カルボナーラがマジで美味だった - ガジェット通信・2017年2月16日
- 注釈
- ^ 北朝鮮のパスポートを支給されているというだけで、あくまで現状は韓国籍のみ。韓国の国籍法が改正されて多重国籍容認になったとしても、南北の二重国籍は通常不可能 (互いが相手を国家として承認しておらず、「自国の一部」と考えているため)。
- ^ 妻は小学5年生から高校卒業まで日本在住歴のある大韓航空の元キャビンアテンダントで、韓国大統領専用機に乗務していたが、大統領専用機乗務に当たっては北朝鮮代表歴のある鄭大世との交際が難しく、別れ話を切り出した席で逆にプロポーズされ結婚。これを機に大統領専用機の乗務から外れ、妊娠を機にキャビンアテンダントの仕事を退き、後に「テセキムチ」の名前でキムチの製造販売を行っている[20]。なお、鄭大世と妻の交際エピソードは2020年9月15日放送の日本テレビ系「ザ!世界仰天ニュース」で紹介された[21]。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 鄭大世 – FIFA主催大会成績
- 鄭大世 - J. League Data Siteによる選手データ (日本語)
- 鄭大世 - kleague.com (朝鮮語)
- 鄭大世 (@ChongTese9) - Twitter
- 鄭大世 (@jongtae_se) - Instagram
- 鄭大世 - ゲキサカ
- 鄭大世 - Soccerwayによる個人成績
- 鄭大世 - TheFinalBall.com
- 公式プロフィール(2010年度版、川崎フロンターレ公式サイト内)
- 鄭大世オフィシャルブログ