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橋本英郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
橋本 英郎
名前
愛称 ハシ、ハッシー、ハシモ
カタカナ ハシモト ヒデオ
ラテン文字 HASHIMOTO Hideo
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1979-05-21) 1979年5月21日(46歳)
出身地 大阪府大阪市阿倍野区
身長 173cm
体重 68kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
1986-1991 大阪スポーツマンクラブ
1992-1994 ガンバ大阪ジュニアユース
1995-1997 ガンバ大阪ユース
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1998-2011 ガンバ大阪 287 (18)
2012-2014 ヴィッセル神戸 86 (2)
2015-2016 セレッソ大阪 16 (0)
2016 AC長野パルセイロloan 13 (0)
2017-2018 東京ヴェルディ 30 (0)
2019-2021 FC今治 65 (2)
2022 おこしやす京都AC 13 (0)
通算 510 (22)
代表歴2
2007-2010 日本の旗 日本 15 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2023年1月22日現在。
2. 2010年9月7日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

橋本 英郎(はしもと ひでお、1979年5月21日 - )は、大阪府大阪市阿倍野区出身の元プロサッカー選手、サッカー解説者、実業家[1]。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。元日本代表大阪市立大学経済学部卒業。

株式会社BorderLeSS代表取締役兼CCO。

来歴

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ジュニア時代

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3人きょうだいの末っ子として生まれ[2]、6歳年上の兄がサッカーをしていた影響で幼稚園の頃から公園で一緒にボールを蹴っていた。小学校1年から自身も地元の街クラブ・大阪スポーツマンクラブ(大阪SC)に入団してサッカーを始める。9番をつけた攻撃の選手で主将でもあり、チームではお山の大将だった[3]。小学6年の時点で進学する中学にサッカー部がないことが分かっていたため、兄も中学時にプレーした釜本邦茂のチーム「釜本FC」に入ることにした。これが1991年冬の出来事で、Jリーグ創設準備期でもあったため、釜本FCはそのまま新たに創設されたプロクラブ・ガンバ大阪のジュニアユースとして活動することになった。この経緯から橋本は地元クラブ(練習は月2回、大阪市の大会で2回戦進出するかどうかの規模)からセレクションを経ずにガンバ大阪ジュニアユースの一員となった[3]

ジュニアユース時代

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同期メンバーには稲本潤一を含めトレセン経歴を持つ選手や、全国大会に出場していたハイレベルな選手が多数おり、U-12日本代表選手も含まれていた。総勢100名以上だったガンバジュニアユースの中で地域選抜の経験もない選手だった橋本は技術的に最下位レベルからのスタートで、すぐに辞めたいと思ったと述べている。この段階で通用したのは走るスピードと負けず嫌いな気持ちのみで、実質的にボールタッチなど基礎技術や戦術を学んだのはこのジュニアユースからだった[3]。今までのサッカーレベルとの差が大きかったため、一緒に加入した地元のサッカー仲間は数人がすぐに辞めてしまった。毎日辞めたいなと思いながら前向きではない気持ちで必死に周囲にくらい付いていくというつらい日々を送っていた。先に辞めてしまった地元の仲間数人から、「近所の長居公園で大人がやっている草サッカーに飛び込みで参加させてもらっていて、楽しい」という話を聞いた橋本はそれに混ぜてもらうようになり、やりたいように自由にプレーする機会を作った。ここではミスをしても周囲から文句を言われることもなく、ガンバ育成組織での練習によって自分が巧くなっているという気付きもあり、とても重要な場所だったと後に語っている[2]

ユース時代

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高校のサッカー部に所属して冬の高校サッカー選手権に出てみたいという気持ちもあったが、ガンバ大阪ジュニアユースからガンバ大阪ユースに昇格する約20人の中に入ることが出来た。その一方で、ユースに上がると外部からさらにハイレベルな同年代選手も加わり、一層技術レベルが上昇することも予想していたため「またジュニアユース1年目の時と同じ苦労をする」とも感じ、ガンバユースではなく自宅から近いヤンマー(セレッソ大阪)のユースに行きたいという気持ちもあった[4]

1995年からのガンバユースでの日々では目標を「なみはや国体(1997年)に大阪代表として出場すること」と「大学(、可能であれば筑波早稲田)の推薦をサッカーでもらって進学すること」に定め、プロ選手になれるという気持ちは全くなかったが、2年生の夏にユース選手から多めにトップチームへの2種登録をした中に入り、サテライトチームの練習に参加することはあった。ポジションはユース初期ではフォワード、2年はサイドハーフ、3年時はトップ下と経験し、技術が自分より勝る相手に真っ向勝負で勝てないならどうすればいいのかという相手との駆け引き、ポジショニング、ずる賢さを備えることが自分の生き残る道だと意識し始めた[2]

プロ時代

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1998年ガンバ大阪トップチームに昇格。学業では府内でも有数の進学校である大阪府立天王寺高等学校から大阪市立大学経済学部に進み卒業している。ユース時代からの同期生には稲本潤一と新井場徹がいる。ユース在籍時からトップの公式戦に出ていた二人と違い、橋本は月給10万円の練習生契約でトップチームに加入した(同期入団の播戸竜二も練習生契約であった)。

1999年にトップチームのコーチだった堀井美晴から「ボジショニングを自分の最大の武器にしたらどうだ?」と助言を受け、戦術眼を磨き、自分の弱点を消すような良いポジショニング、不利にならないようなポジショニングをより意識するようになった[2]

稲本がアーセナルFCに移籍した2001年ごろから西野朗監督により右ウイングバックやボランチとして起用され出場機会を増やし、2005年にはレギュラーに定着してクラブ初のリーグ優勝に貢献し[5]、同年の日刊スポーツの評論家と担当記者によって選ばれる「ミスターGAMBA 黄金の脚賞」に選ばれた。2006年からG大阪に加入した明神智和とは激しいポジション争いを演じたが、ダブルボランチとして共存することもあり、試合中にボランチから左サイドバックや右サイドハーフにポジションチェンジを行うことができる柔軟性を発揮し、その後も主軸として活躍。

2007年には2月1日の日本代表候補トレーニングキャンプメンバーに選ばれ、3月19日には正式に代表に選出された。6月1日モンテネグロ戦(キリンカップ)で、後半44分に鈴木啓太との交代でかつてのチームメイトである宮本恒靖、稲本潤一が背負っていた背番号5で途中出場し、代表初出場を果たした。

2008年にはFIFAクラブワールドカップ2008準決勝でヨーロッパ王者のマンチェスター・ユナイテッドとの試合に先発フル出場し、1ゴール1アシストの大活躍を見せた。2008年度の公式戦得点はこの1点のみであった。

2010年、J1でクラブタイ記録となるリーグ戦6試合連続ゴールを記録するなど、自己最多の8得点を決める活躍を見せた。なお、この連続ゴールでG大阪の公式応援番組『GAMBA TV〜青と黒〜』の年末特別企画『GAMBA TV アウォーズ』では、選手とサポーターが選ぶベストプレー賞を受賞し、2度目の「黄金の脚賞」を受賞した。

2011年は2月のキャンプ中に右膝前十字靭帯損傷という重傷を負ったことで[6]、シーズン大半を棒に振り、8カ月後に復帰するも調子は安定せず、この年のリーグ戦出場はわずか4試合に留まった。そして、同年限りでジュニアユース時代から20年を過ごしたG大阪を退団した。

2012年ヴィッセル神戸へ完全移籍[7][8]。 J1開幕戦、古巣G大阪との対戦では勝ち越しゴールを決めた。この年は当初左サイドハーフ、後にボランチとして出場機会を得たが、低調なパフォーマンスに終始しチームもJ2に降格した。 2013年、神戸に残留し、自身初のJ2でのプレーとなった。ホーム開幕戦では終盤にセンターバックとして出場[9]

2014年12月9日、神戸との契約満了を発表した。

2015年セレッソ大阪に移籍[10]

2016年7月、J3リーグAC長野パルセイロに期限付き移籍[11]。「現状、今のこのチームなら力を出せばJ1昇格は間違いなく出来ると思っています」というコメント通りセレッソはJ1に昇格した[12]

2017年東京ヴェルディに加入[13]

2019年、FC今治へ完全移籍[14]。2021年シーズンは開幕から出場を続けたが、同年9月12日の藤枝戦で右鎖骨を骨折して手術。復帰できないまま[15] 同年12月3日、契約満了による退団が発表された[16]

2022年2月7日、おこしやす京都ACに選手兼ヘッドコーチとして加入した[17]

2023年1月19日、現役引退を発表した[18]

引退後

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2023年9月にYoutubeチャンネル「HASHI-WATASHI」を開設した。

2026年より、ヴィッセル神戸のU-21監督兼トップチームアシスタントコーチに就任した[19]

人物

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  • 祖父は1946年から1948年に存在した日本のプロ野球チーム・金星スターズのオーナーだった橋本三郎。
  • 幼少時にサッカーを始めるきっかけとなった兄・橋本紀郎はその後アメリカンフットボールに転向し、Xリーグアサヒ飲料チャレンジャーズディフェンシブバックキッカーとしてプレーし、引退後にはアシスタントコーチを務めた。
  • 姉はバレーボールをしており、小学生の時は自分のサッカーの練習が月2回だけだったため姉と一緒にバレーボールをしている日数の方が多かった[2]
  • サッカーダイジェストWebで不定期にコラムを執筆している[20]
  • 2008年12月25日に会社員の女性と結婚[21]。2009年10月16日に第1子となる長女が[22]、2012年12月4日に第2子となる長男が誕生している[23]
  • 2012年に神戸エリアを拠点にサッカースクール・FCプエンテを創設し、幼児クラスからジュニアユース年代までの「自立した選手を目指す」をコンセプトにジュニア世代の選手育成に尽力している[24]。名称のプエンテとはスペイン語架け橋を意味しており、自身の名字と世界への架け橋になりたいとの思いを込めている。指導にはFC今治に在籍した縁もあり岡田武史による岡田メソッドを導入している[25]
  • 現役時から引退後の将来を見据えて訪問介護事業や、児童向けの放課後デイサービス事業など多岐にわたるビジネスを複数始めた。自身では「サッカーの時はサッカーのことだけを考えているけど、うまくいかないとき、別に事業のことを考える時間を作るという逃げ場をつくることでサッカーを頑張れてたところもある」と述べている[1]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1998G大阪31J00000000
1999J140111061
20002750004191
20011702030220
20021807021271
20032314010281
20042717040381
200533110130462
20062802040340
20073439040473
20083404040420
20093142050384
20102981030338
201140201070
2012神戸2413000271
2013J2341-10351
2014J12808110371
2015C大阪31J2140-00140
201620--20
長野27J3130-30160
2017東京VJ2260-10270
201840-3070
2019今治JFL221--221
2020J3260--260
2021171-10181
2022O京都関西1部130--130
通算日本J1 3391962340244124
日本J2 801-50851
日本J3 561-40601
日本JFL 221--|221
日本関西1部 130--|130
総通算 5102262349262127
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 期間通算
出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 期間通算
2016C大2331J36161
通算日本J3 6161
総通算 6161

その他の公式戦

  • 2006年
  • 2007年
    • スーパーカップ 1試合0得点
  • 2009年
    • スーパーカップ 1試合0得点
  • 2010年
    • スーパーカップ 1試合0得点
  • 2015年
  • 2021年
    • 愛媛県サッカー選手権大会 1試合0得点
国際大会個人成績 FIFA
年度クラブ背番号出場得点出場得点
AFCACLクラブW杯
2006G大阪2761-
200811031
200960-
201040-
201100-
通算AFC 27131

その他の国際公式戦

Jリーグ

タイトル

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クラブ

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ガンバ大阪
AC長野パルセイロ
FC今治

代表

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日本代表

代表歴

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出場大会

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試合数

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  • 国際Aマッチ 15試合 0得点(2007年 - 2010年)
日本代表国際Aマッチ
出場得点
200740
200820
200970
201020
通算 150

出場

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No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦国 結果 監督 大会
1. 2007年6月1日日本の旗袋井エコパスタジアムモンテネグロの旗 モンテネグロ○2-0イビチャ・オシムキリンカップサッカー2007
2. 2007年7月9日ベトナムの旗ハノイミーディン国立競技場カタールの旗 カタール△1-1AFCアジアカップ2007
3. 2007年8月22日日本の旗大分九州石油ドームカメルーンの旗 カメルーン○2-0キリンチャレンジカップ2007
4. 2007年10月17日日本の旗大阪大阪長居スタジアムエジプトの旗 エジプト○4-1AFCアジア/アフリカチャレンジカップ2007
5. 2008年2月20日中華人民共和国の旗重慶重慶市奥林匹克体育中心中華人民共和国の旗 中国○1-0岡田武史東アジアサッカー選手権2008
6. 2008年2月23日大韓民国の旗 韓国△1-1
7. 2009年2月4日日本の旗東京国立競技場フィンランドの旗 フィンランド○5-1キリンチャレンジカップ2009
8. 2009年3月28日日本の旗さいたま埼玉スタジアム2002バーレーンの旗 バーレーン○1-02010FIFAワールドカップ・4次予選
9. 2009年5月27日日本の旗大阪大阪長居スタジアムチリの旗 チリ○4-0キリンカップサッカー2009
10. 2009年5月31日日本の旗東京国立競技場ベルギーの旗 ベルギー○4-0
11. 2009年6月10日日本の旗横浜横浜国際総合競技場カタールの旗 カタール△1-1大木武(代行)2010FIFAワールドカップ・4次予選
12. 2009年6月17日オーストラリアの旗メルボルンメルボルン・クリケット・グラウンドオーストラリアの旗 オーストラリア●1-2岡田武史
13. 2009年10月10日日本の旗横浜日産スタジアムスコットランドの旗 スコットランド○2-0キリンチャレンジカップ2009
14. 2010年9月4日パラグアイの旗 パラグアイ○1-0原博実キリンチャレンジカップ2010
15. 2010年9月7日日本の旗大阪大阪長居スタジアムグアテマラの旗 グアテマラ○2-1

指導歴

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著書

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  • 『1%の才能』エクスナレッジ、2023年12月26日。ISBN 9784767832333 

脚注

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  1. 1 2 選手・コーチ・経営者・橋本英郎に学ぶデュエルキャリア SPORT LIGHTクロストーク橋本英郎×加地亮 doda 2022年10月6日
  2. 1 2 3 4 5 小学生時代はほぼ月2回のサッカー。ガンバアカデミーでは『衝撃』の連続/橋本英郎 REIBOLA 2020年1月20日
  3. 1 2 3 100人中最下層の子供がプロサッカー選手になれた理由 橋本英郎が実践した、成功する選手の共通点とは REAL SPORTS 2022年8月26日
  4. 橋本英郎が語るサッカー選手をやりながら大学に行けた理由 鈴木啓太Youtube 2023年10月14日
  5. 「プライドは捨てました」黄金世代の苦労人・元日本代表MF橋本英郎の今(元川悦子)”. Yahoo!ニュース (2021年5月14日). 2021年5月30日閲覧。
  6. MF27 橋本英郎選手のケガについて ガンバ大阪オフィシャルサイト、2011年2月14日
  7. MF橋本英郎選手 来季よりヴィッセル神戸へ完全移籍のお知らせ ガンバ大阪オフィシャルサイト、2011年12月11日
  8. ガンバ大阪よりMF橋本英郎選手移籍加入決定のお知らせ ヴィッセル神戸オフィシャルサイト、2011年12月11日[リンク切れ]
  9. 【神戸】橋本初CB完封勝利に貢献/J2 日刊スポーツ、2013年3月10日
  10. 橋本英郎選手 移籍加入のお知らせ セレッソ大阪オフィシャルウェブサイト、2015年1月14日
  11. 橋本英郎選手 セレッソ大阪より期限付き移籍加入のお知らせ AC長野パルセイロオフィシャルウェブサイト、2016年7月18日
  12. 橋本英郎選手 AC長野パルセイロへ期限付き移籍のお知らせ”. 2023年12月16日閲覧。
  13. 橋本 英郎選手移籍加入のお知らせ 東京ヴェルディ1969オフィシャルウェブサイト、2016年12月20日
  14. 橋本 英郎(ハシモト ヒデオ)選手入団のお知らせ FC今治、2019年1月10日
  15. 引き際は今ではない…元日本代表橋本英郎 輝ける場所を求め、もがき続ける”. 日刊スポーツ (2022年1月17日). 2022年2月5日閲覧。
  16. 【お知らせ】橋本 英郎選手退団について FC今治、2021年12月3日
  17. 橋本英郎選手 新加入及びヘッドコーチ就任のお知らせ おこしやす京都AC、2022年2月7日
  18. 橋本英郎選手 現役引退のお知らせ』(プレスリリース)おこしやす京都AC、2023年1月19日2023年1月22日閲覧
  19. トップチームコーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)ヴィッセル神戸、2026年1月9日2026年2月2日閲覧
  20. 【現役の眼】元日本代表MF、橋本英郎が指ランチの見極め方」 サッカーダイジェストWeb 2017年7月19日
  21. G大阪橋本が結婚、X’mas入籍”. 日刊スポーツ (2008年12月3日). 2019年4月13日閲覧。
  22. 誕生 橋本英郎オフィシャルブログ、2009年10月19日
  23. MF橋本英郎選手 第二子(長男)誕生のお知らせ』(プレスリリース)ヴィッセル神戸、2012年12月6日2019年4月13日閲覧
  24. 幼児・小学生サッカースクール「PUENTE FC サッカースクール 明石校」を見学 明石じゃーなる 2023年5月6日
  25. クラブ創設者挨拶・橋本英郎 FC PUENTE

関連項目

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外部リンク

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