サッカーカタール代表

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サッカーカタール代表
国または地域 カタールの旗 カタール
協会 カタールサッカー協会
愛称 Annabi (The Maroon)
監督 アルジェリアの旗 ジャメル・ベルマディ[1]
ホームカラー
アウェイカラー
初の国際試合 1970年3月27日バーレーン
1-2
最大差勝利試合 1984年9月13日アフガニスタン
8-0
1985年3月27日レバノン
8-0
最大差敗戦試合 1973年x月x日クウェート
0-9
FIFAワールドカップ
出場回数 0回
AFCアジアカップ
出場回数 8回
最高成績 ベスト8 (2000、2011)

サッカーカタール代表は、カタールサッカー協会によって編成されるサッカーのナショナルチームである。愛称のAnnabiは預言者の意味。

概要[編集]

1980年代から力をつけ始め、1981年FIFAワールドユース選手権準優勝、1984年ロサンゼルス五輪(今大会からプロ出場が可能になった。但し、W杯予選もしくはW杯本大会に出場した欧州や南米の選手は出場できない制限があった)に出場した。上位2か国が出場出来る1990年イタリアW杯アジア最終予選では2位UAEとわずか勝ち点1差の3位とW杯出場まであと一歩の所まで迫った。1992年7月24日に開幕したバルセロナ五輪(この大会から23歳以下の選手の大会)に出場し、グループリーグを2位で通過し、ベスト8入りした(=決勝トーナメント進出)。

このように着々と実力を付けたカタール代表に、ブラジル人のエヴァリスト・デ・マセドが1992年監督に就任。カタール代表は1992年10月28日から日本で開催されるアジアカップの優勝候補に挙げられていた。ところが、カタール代表はグループリーグでまさかの敗退。一方、開催国の日本はブラジルから日本に帰化したラモス瑠偉等の活躍で初優勝を遂げた。このことに衝撃を受けたカタールは以後、帰化選手による強化戦略(後述)を開始した。

ガルフカップ優勝2回(1992年2004年)。また、1981年FIFAワールドユース選手権準優勝、1991年FIFA U-17世界選手権ベスト4と若年世代で好成績を収めている。ワールドカップ出場に最も近づいたのは1998年フランス大会のアジア最終予選であり、この時は最終戦のサウジアラビア戦で勝った方が出場決定という状況であった。しかし、0-1で惜敗し出場を逃している。その後ワールドカップのアジア予選では、2002年大会は最終予選まで駒を進めたが敗退し、2006年大会は1次予選で姿を消した。2006年アジア大会では優勝したが、2010年大会、2014年大会のワールドカップではともにアジア4次予選で敗退し、本大会出場は実現していない。2011年1月、自国で開催されたアジアカップではグループリーグを突破するもトーナメント1回戦で日本と対戦し、2-3と惜敗(この大会は日本が優勝)。

2018年のワールドカップでアジア地区予選を突破できないと、2022年自国開催予定のワールドカップに、1934年第2回大会のイタリア以来、88年ぶりに開催地特権で初めて出場する代表チームとなる。

帰化選手による強化戦略[編集]

カタール人の2011年時点での一人当たりのGDPは98,329ドルと世界トップクラス(金持ち)であるため、カタール人だけでは競争力が伸びにくかった(貧しさはお金を得る為、プロになるという競争力を向上させるモチベーションになる)[2]。また、カタールは元々人口が少なく、労働力を外国人に頼り2010年時点で約150万8千人の人口のうち、カタール人は2割にも満たない為、帰化にも抵抗が少なかった。その為、カタールは近年、海外から実力者を引き抜いてカタールに帰化させスポーツの競争力を高めてきた。2006年カタールアジア大会では、ケニアからの帰化選手がマラソン中長距離種目で優勝し、男子バスケットボールでは、元セネガル人を多数擁するチームをバスケットボールカタール代表として送り出し、銀メダルを獲得した[2]

サッカーでは、2006年ワールドカップ予選の際、ブラジル国籍で代表歴のないアイウトン、デデ、レアンドロにカタール国籍を与えて自国の代表にしようとしたことがあるが、国際サッカー連盟(FIFA)は「代表歴のない国籍変更者及び国籍追加者であっても、変更あるいは追加する国に2年間以上の居住歴がない者は、変更あるいは追加した国籍の代表にはなれない」というルールを新たに設けて適用し、これを阻止した。 尚、現在ではFIFA規則が2009年に改正[3]されて以降、変更あるいは追加する国に18歳以降に5年間以上継続居住していることが必要となっている。

2006年10月、エメルソンがカタール国籍を取得し、カタールとブラジル二重国籍者となったが、エメルソンはU-20ブラジル代表として1999年ワールドユース(現U-20W杯)南米予選出場(8試合)経験があり、当時のFIFA規則でもカタール代表の資格はなかった[4]

この当時のFIFA規則はA代表(年齢制限なしのその国最強の代表)以外のカテゴリーでの公式の大会の代表経験がある場合、その他の国の代表にはなれないというものであったが、その場合もFIFAが許可をすれば、新しい国籍での国の代表に入ることが出来る例外があった。ただし、国家の分離独立などで新国籍が与えられた場合の他は、

  1. 従前の国の代表で出場した際にすでに重国籍(多重国籍)者であること
  2. 21歳の誕生日までに変更の申請をすること

の場合のみに限定されており、U-20ブラジル代表で出場した際にブラジル国籍しかないエメルソンの場合、当該規約の下でエメルソンが許可される可能性はなかった。 その後、エメルソンは2008年3月4日、親善試合バーレーンとの試合にカタール代表として初出場し、2008年3月26日、2010年南アフリカW杯アジア3次予選グループ1のイラク戦で10番、マルシオ・アルブケルケ(Marcio ALBUQUERQUE)として出場し、2-0でカタール代表が勝利した[4]。 試合後、イラクサッカー協会はエメルソンにはブラジルのユース代表歴があって、カタール代表に選ばれる資格がないことについてFIFAに正式に上申したが、当初はFIFAからパスポート偽造を理由として、その後の試合に対する無期限の出場停止処分のみが発表された。

最終的に2008年6月17日にFIFAが、エメルソンは8試合のU-20ブラジル代表公式戦出場歴のため、今後カタール代表でプレーする資格はないが、試合結果は変わらないと発表した。2010年南アフリカW杯の規則では「出場資格のない選手を出場させた場合、相手チームに勝ち点3を与える」というルールがあった。しかし当該国はそのための抗議を試合後24時間以内に行わなければならず、同時に調査費用をFIFAに支払わなければならない。ところがイラクサッカー協会が費用を送金したのは期限の11日後だった。したがって「抗議」自体が成立せず、試合結果は変わらないとFIFAが決定を下したのだった[4]。諦めきれないイラクはスポーツ仲裁裁判所(CAS)へ訴えたが、2008年9月29日、CASはFIFAの主張を認め、「試合はそのまま成立」という結論を出した[4]

一連のエメルソン騒動の後、カタールサッカー協会関係者は、「今後はFIFA規則の範囲内で(帰化)補強をします。我が国は人口が少ないので、出稼ぎ移民の子をカタール人と見なすことになるでしょう」と日本の記者に話している[2]

待遇[編集]

カタール政府は、カタールサッカー協会を通して年間200億円程度(推定)、サッカーに投資しており[5]カタール・スターズリーグのカタール人選手には月750万円程度の給料と家や車を支給している。カタール代表が重要な試合に勝つと、選手1人につき1試合で2000万円の報酬と家や車が支給される(いずれも2008年時点)[6]

FIFAワールドカップの成績[編集]

(代表結成後のみ)


AFCアジアカップの成績[編集]

(代表結成後のみ)

AFCアジアカップ AFCアジアカップ・予選
開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
タイの旗 1972 不参加 - - - - - - - - - - - -
イランの旗 1976 予選敗退 - - - - - - 6 2 1 3 5 8
クウェートの旗 1980 グループリーグ敗退 4 1 1 2 3 8 4 3 1 0 10 2
シンガポールの旗 1984 グループリーグ敗退 4 1 2 1 3 3 4 3 0 1 11 1
カタールの旗 1988 グループリーグ敗退 4 2 0 2 7 6
日本の旗 1992 グループリーグ敗退 3 0 2 1 3 4 2 2 0 0 8 2
アラブ首長国連邦の旗 1996 予選敗退 - - - - - - 4 2 0 2 5 4
レバノンの旗 2000 ベスト8 4 0 3 1 3 5 4 3 1 0 11 3
中華人民共和国の旗 2004 グループリーグ敗退 3 0 1 2 2 4 6 3 2 1 10 7
インドネシアの旗マレーシアの旗タイの旗ベトナムの旗 2007 グループリーグ敗退 3 0 2 1 3 4 6 5 0 1 14 4
カタールの旗 2011 ベスト8 4 2 0 2 7 4
合計 8/11 29 6 11 12 31 39 36 23 5 8 74 31

ガルフカップの成績[編集]

開催年 開催国 結果
1970 バーレーンの旗 バーレーン 4位
1972 サウジアラビアの旗 サウジアラビア 4位
1974 クウェートの旗 クウェート ベスト4
1976 カタールの旗 カタール 3位
1979 イラクの旗 イラク 5位
1982 アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦 5位
1984 オマーンの旗 オマーン 準優勝
1986 バーレーンの旗 バーレーン 4位
1988 サウジアラビアの旗 サウジアラビア 6位
1990 クウェートの旗 クウェート 準優勝
1992 カタールの旗 カタール 優勝
1994 アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦 4位
1996 オマーンの旗 オマーン 準優勝
1998 バーレーンの旗 バーレーン 6位
2002 サウジアラビアの旗 サウジアラビア 準優勝
2003 クウェートの旗 クウェート 3位
2004 カタールの旗 カタール 優勝
2007 アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦 グループステージ敗退
2009 オマーンの旗 オマーン ベスト4
2010 イエメンの旗 イエメン グループステージ敗退
2013 バーレーンの旗 バーレーン グループステージ敗退

歴代監督[編集]

名前
エジプトの旗 Toukhi Taha 1969
スーダンの旗 Mohammed Hassan Kheiri 1969–1972
エジプトの旗 ヘルミー・フセイン・マフムード 1974
イングランドの旗 フランク・ウィグナル 1975–1976
イングランドの旗 John Cardone 不明
スーダンの旗 Hassan Othman 1979
ブラジルの旗 エヴァリスト・デ・マセド 1980–1986
ブラジルの旗 Procópio Cardoso 1987–1988
ソビエト連邦の旗 Anatoly Prokopenko 1988
ブラジルの旗 Cabralzinho 1989
ブラジルの旗 ジノ・サニ 1989–1990
ドイツの旗 Uli Maslo 1990
ブラジルの旗 エヴァリスト・デ・マセド 1992
ブラジルの旗 イヴォ・ウォルトマン 1992
ブラジルの旗 Sebastião Lapola 1992–1993
カタールの旗 Abdul Mallalah 1993
ポーランドの旗 Antoni Piechniczek 1993
スコットランドの旗 Dave Mackay 1994–1995
デンマークの旗 Jørgen E. Larsen 1995–1996
オランダの旗 Jo Bonfrere 1996–1997
ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 Džemal Hadžiabdić 1997
ブラジルの旗 Luiz Gonzaga Milioli 1998
ブラジルの旗 ゼ・マリオ 1998.7–1998.11
ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 Džemal Hadžiabdić 2000–2001
ブラジルの旗 Paulo Luiz Campos 不明–2001.12
フランスの旗 ピエール・ルシャントル 2002.1–2003.5
フランスの旗 フィリップ・トルシエ 2003.6-2004.7
カタールの旗 Saeed Al-Misnad (暫定) 2004.7-2004.8
ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ジェマルディン・ムショビッチ 2004.8-2007.7
ウルグアイの旗 ホルヘ・フォッサーティ 2007.8-2008.9
フランスの旗 ブルーノ・メツ 2008.9-2011.2
セルビアの旗 ミロヴァン・ライェヴァツ 2011.2-2011.8
ブラジルの旗 セバスティアン・ラザロニ 2011.8-2011.12
ブラジルの旗 パウロ・アウトゥオリ 2012.2.18-2013.1
カタールの旗 ファハド・サーニー 2013.1-2014
アルジェリアの旗 ジャメル・ベルマディ 2014.3[1]-

歴代選手[編集]

GK
DF
MF
FW

脚注[編集]

外部リンク[編集]