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1984年ロサンゼルスオリンピックのサッカー競技

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1984年ロサンゼルスオリンピックのサッカー競技
大会概要
開催国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ
日程 1984年7月29日 - 8月11日
チーム数 16 (6連盟)
開催地数(4都市)
大会結果
優勝  フランス
準優勝  ブラジル
3位  ユーゴスラビア
4位  イタリア
大会統計
試合数 32試合
ゴール数 84点
(1試合平均 2.63点)
総入場者数 1,425,181人
(1試合平均 44,537人)
得点王 フランスの旗 ダニエル・クシュエルブ
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 スティエパン・デヴェリッチ
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ボリスラヴ・ツヴェトコヴィッチ(5点)
1980
1988

1984年ロサンゼルスオリンピックサッカー競技(1984ねんロサンゼルスオリンピックのサッカーきょうぎ)は、7月29日に開幕、8月11日に決勝が行われフランスが金メダルを獲得した。

この大会は国際オリンピック委員会 (IOC)がオリンピックのサッカー競技において初めてプロフェッショナルプレーヤーの参加を認めた大会となった。

概要

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前回大会となるモスクワ大会では、ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻に抗議して西側諸国のボイコットが相次いだが、迎えたロサンゼルス大会では、その報復措置として逆に東側諸国が大会をボイコットした。

サッカー競技では、前回優勝のチェコスロバキア、銀メダルの東ドイツ、銅メダルのソビエト連邦がボイコット。代わって西ドイツイタリアノルウェーがエントリした。

また、この大会からIOCはオリンピックのサッカー競技においてプロフェッショナルプレーヤーが出場することを認めた(五輪憲章アマチュア条項は、このロサンゼルス大会より10年前の1974年の第75回IOC総会で、削除されていた[1])。これは当時のオリンピックにおけるプロ解禁と言う潮流の一環であったが、これは国際オリンピック委員会(IOC)国際サッカー連盟(FIFA)の間に新しい対立を引き起こした。すなわち、集客性に富んだサッカーの充実を図りたいIOC(プロ解禁したのでA代表を五輪に出すよう要請)とワールドカップ(W杯)と言う大会の威厳とプレミアを守りたいFIFA(年齢制限のない最強の代表A代表を五輪に出せばW杯の意味が無くなる)の利害の対立である。最終的に、ロサンゼルス大会ではモスクワ大会と同様に、W杯予選もしくはW杯本大会に出場した欧州と南米の選手は、五輪に出場できないことにした[2]。この大会に参加した有名選手としては、ドゥンガ、マウロ・ガウボン(以上ブラジル)、ギド・ブッフバルトアンドレアス・ブレーメウーベ・バイン(以上西ドイツ)、ロジェ・ミラ(カメルーン)、フランコ・バレージダニエレ・マッサーロ、アルド・セレナ(以上イタリア)、等がいる。

この大会の優勝はフランスで、これは1948年のロンドン大会以来、8大会36年ぶりとなる東欧諸国以外からの優勝国の出現となった。準優勝はブラジルと第2次世界大戦後の東側諸国優位の勢力図を覆した[2]。 東側諸国のボイコットにより、これらの国のステート・アマの選手が出場できなかった事と、西ヨーロッパ、南米のチームにはプロの選手が加わった事で、オリンピックのサッカー競技の勢力図に大きな変化がもたらされたのだった。

大会方式

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参加国の交代はあったものの、参加国数自体は変化しなかったため、参加16各国を4つのグループに分けてグループリーグを行い、上位2カ国がトーナメントに進出するという方式がとられた。

参加国

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会場

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試合は4都市・4つのスタジアムで実施された。

パサデナ
1984年ロサンゼルスオリンピックのサッカー競技 (アメリカ合衆国)
スタンフォード
ローズボウル スタンフォード・スタジアム
収容人数: 103,300人[3] 収容人数: 85,500人[3]
ローズボウル スタンフォード・スタジアム
ボストン アナポリス
ハーバード・スタジアム 海軍・海兵隊記念スタジアム
収容人数: 30,323人[3] 収容人数: 34,000人[3]
ハーバード・スタジアム 海軍・海兵隊記念スタジアム

試合結果

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※開始時刻は、パサデナおよびスタンフォードについては太平洋夏時間 (UTC-7)[4][5]ボストンおよびアナポリスについては東部夏時間 (UTC-4)[6][7]

グループリーグ

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準々決勝進出
グループリーグ敗退

各組上位2カ国が準々決勝に進出できる。

グループA

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チーム







フランス フランス 3 1 2 0 5 4 +1 4
チリ チリ 3 1 2 0 2 1 +1 4
ノルウェー ノルウェー 3 1 1 1 3 2 +1 3
カタール カタール 3 0 1 2 2 5 −3 1






#18
1984年8月2日
19:00
チリ  1 - 1  フランス
サンティス 9分にゴール 9分 レポート ルムー 50分にゴール 50分

グループB

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チーム







ユーゴスラビア ユーゴスラビア 3 3 0 0 7 3 +4 6
カナダ カナダ 3 1 2 0 2 1 +1 4
カメルーン カメルーン 3 1 1 1 3 2 +1 3
イラク イラク 3 0 1 2 2 5 −3 1

#05
1984年7月30日
19:30
カナダ  1 - 1  イラク
グレイ 70分にゴール 70分 レポート サイード 83分にゴール 83分





#22
1984年8月3日
19:00
イラク  2 - 4  ユーゴスラビア
サイード 17分にゴール 17分
シバブ 43分にゴール 43分
レポート デヴェリッチ 55分にゴール 55分76分87分
ニコリッチ 86分にゴール 86分

グループC

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チーム







ブラジル ブラジル 3 3 0 0 6 1 +5 6
西ドイツ 西ドイツ 3 2 0 1 8 1 +7 4
モロッコ モロッコ 3 1 0 2 1 4 −3 2
サウジアラビア サウジアラビア 3 0 0 3 1 10 −9 0







グループD

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チーム







イタリア イタリア 3 2 0 1 2 1 +1 4
エジプト エジプト 3 1 1 1 5 3 +2 3
アメリカ合衆国 アメリカ合衆国 3 1 1 1 4 2 +2 3
コスタリカ コスタリカ 3 1 0 2 2 7 −5 2


#04
1984年7月29日
19:30
イタリア  1 - 0  エジプト
セレーナ 63分にゴール 63分 レポート





決勝トーナメント

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準々決勝準決勝決勝
 
          
 
8月5日 - パサデナ
 
 
 フランス2
 
8月8日 - パサデナ
 
 エジプト0
 
 フランス (AET)4
 
8月6日 - パサデナ
 
 ユーゴスラビア2
 
 ユーゴスラビア5
 
8月11日 - パサデナ
 
 西ドイツ2
 
 フランス2
 
8月5日 - スタンフォード
 
 ブラジル0
 
 イタリア (AET)1
 
8月8日 - スタンフォード
 
 チリ0
 
 イタリア1
 
8月6日 - スタンフォード
 
 ブラジル (AET)2 3位決定戦
 
 ブラジル (PK)1 (4)
 
8月10日 - パサデナ
 
 カナダ1 (2)
 
 ユーゴスラビア2
 
 
 イタリア1
 

準々決勝

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#26
1984年8月5日
19:00
フランス  2 - 0  エジプト
クシュエルブ 29分にゴール 29分52分 レポート
ローズボウルパサデナ
観客数: 66,228人
主審: 大韓民国の旗 車敬福


準決勝

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3位決定戦

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決勝

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最終結果

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順位 国・地域
1 フランス フランス
2 ブラジル ブラジル
3 ユーゴスラビア ユーゴスラビア
4 イタリア イタリア

各国メダル数

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国・地域
1 フランス フランス 1 0 0 1
2 ブラジル ブラジル 0 1 0 1
3 ユーゴスラビア ユーゴスラビア 0 0 1 1

関連項目

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脚注

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  1. ^ オリンピック物語第五部 アマとプロ〈4〉読売新聞-2004年1月24日付
  2. ^ a b 国吉好弘『サッカーマルチ大事典改訂版』2006年4月14日発行
  3. ^ a b c d 1984 Summer Olympics official report Volume1. Part 1” (pdf) (英語). pp. 129?31. 2014年6月17日閲覧。
  4. ^ ime changes in year 1984 for U.S.A. – California – Los Angeles” (英語). timeanddate.com. 2014年6月18日閲覧。
  5. ^ Time changes in year 1984 for U.S.A. – California – San Francisco” (英語). timeanddate.com. 2014年6月18日閲覧。
  6. ^ Time changes in year 1984 for U.S.A. – Massachusetts – Boston” (英語). timeanddate.com. 2014年6月18日閲覧。
  7. ^ Time changes in year 1984 for U.S.A. – Maryland – Baltimore” (英語). timeanddate.com. 2014年6月18日閲覧。

外部リンク

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