坪井慶介

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坪井 慶介
名前
愛称 ツボ
カタカナ ツボイ ケイスケ
ラテン文字 TSUBOI Keisuke
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1979-09-16) 1979年9月16日(44歳)
出身地 東京都多摩市
身長 179cm
体重 70kg
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
ユース
1993-1994 中津川市立付知中学校
1995-1997 三重県立四日市中央工業高等学校
1998-2001 福岡大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002-2014 浦和レッズ 292 (1)
2015-2017 湘南ベルマーレ 28 (0)
2018-2019 レノファ山口FC 28 (0)
通算 348 (1)
代表歴
2002-2007 日本の旗 日本 40 (0)
獲得メダル
ユニバーシアード
2001 北京 サッカー
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

坪井 慶介(つぼい けいすけ、1979年9月16日[1] - )は、東京都多摩市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。元日本代表。現在はサッカー解説者、タレントとして活動している。既婚。3児の父。

経歴[編集]

鶴牧サッカークラブ、東京小山FC、付知町立付知中学校三重県立四日市中央工業高等学校から福岡大学を経て、2002年浦和レッズに入団。同年のフェアプレー賞と新人賞を受賞。翌年にはベストイレブンに選出された。

2003年には日本代表にも招集。花王・「メンズビオレ」、カブドットコム証券などCMにも出演した。ナビスコカップ決勝で、前半終了間際にヘディングの競り合いでエメルソンと衝突し医務室に担ぎ込まれ、瞼の上を15針縫う大怪我を負うも強行出場し優勝に貢献した。

2004年7月9日に行われたキリンチャレンジカップスロバキア戦で、左ハムストリングの腱及び筋肉断裂の重症を負った。

2006 FIFAワールドカップ日本代表にも選ばれたが、予選グループ第1戦のオーストラリア戦で試合中に足がつり、途中退場した。W杯後のトリニダード・トバゴ戦でも足の同じ所をつり、途中退場した。

2007年以後代表戦での出場が少なくなり、2008年2月8日、所属チームに専念するためサッカー日本代表からの引退を宣言した。2008年はシーズン開幕後、失点に繋がるミスを連発するなど中々調子が上がらず、また負傷なども重なり堤俊輔にポジションを奪われた時期があったが、夏場以降調子を上げ本来のプレーを取り戻したため、再びレギュラーを奪取。2009年も4バックにシステム変更がされたが、センターバックのレギュラーを守り続けた。

2010年は序盤戦は山田暢久とセンターバックのコンビを組み、負傷で離脱していた新加入のスピラノビッチが復帰した後もレギュラーを確保していたが、J1第18節名古屋グランパス戦で失点に繋がるミスをし、その後しばらくはスピラノビッチと山田暢久のコンビにポジションを奪われた。しかし、スピラノビッチがJ1第24節アルビレックス新潟戦で再度負傷して離脱したため再びレギュラーとしてプレーすることとなった。

2011年、故障から復帰したスピラノビッチ、新潟から加入した永田充、そして山田暢久に続く4番手のセンターバックの座に甘んじ、シーズン開幕当初はベンチ入りすら出来ない状態に陥ってしまう。大原サッカー場で行われた練習試合ではサイドバックで出場していた。J1第16節清水エスパルス戦でようやくシーズン初出場を果たしたが、序盤に先制点を許したこともあり、前半途中で原一樹と交代した。その後もベンチ入りすら出来ない状態が続いていたが、監督が堀孝史に交代した後はレギュラーのセンターバックに復帰し、チームのJ1残留に貢献した。

2012年ミハイロ・ペトロヴィッチが就任すると、ペトロビッチ独自のフォーメーションで3バックの右のストッパーを務め、代役がいない事情も重なり、前年の鬱憤を晴らすように充実のパフォーマンスを披露。2005年以来の33試合に出場し、チームのACL出場権獲得に貢献した。

2013年、宮崎キャンプ中の怪我で出遅れる。3月30日に行われたJ1第4節新潟戦で怪我から復帰しベンチメンバーに入ると、ACL全北現代モータース戦で怪我の永田充の代わりに先発起用された。しかし、怪我の影響か思ったプレーが出来ずに後半66分に興梠慎三と代わると、J1第5節ジュビロ磐田戦からは那須大亮がセンターバックで起用されたこともあり、公式戦12試合の出場に留まった。

2014年シーズンをもって契約満了となり浦和を退団、12月12日湘南ベルマーレに加入することが発表された[2]。湘南での出場機会は3年間でリーグ戦28試合にとどまったものの、ピッチ内外の姿勢は、遠藤航菊池大介岡本拓也といった若手守備陣の“良き手本”となった[3]

2017年シーズンをもって契約満了となり、湘南を退団することが2017年11月22日に発表された[4]。12月15日、レノファ山口FCに完全移籍することが発表された[5]。前年のチームの守備の立て直しを期待され、1年目は23試合に出場し、チームも最高順位の8位になった。だが2年目は楠本卓海菊池流帆ドストンという若手選手にレギュラーの座を譲る試合も多く、2019年11月7日に同シーズン限りでの現役引退を発表した[6]

現役引退を機にサッカーの現場から距離を置くことを考えており、現在はサッカー解説の一方でタレントとしても活動している[7]。現役時代にエージェント契約を結んでいた「SARCLE」がタレント活動の窓口となっている。

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1999 福岡大 3 - - - 3 0 3 0
2002 浦和 20 J1 30 0 8 0 1 0 39 0
2003 2 30 1 11 0 1 0 42 1
2004 14 0 0 0 1 0 15 0
2005 33 0 2 0 5 0 40 0
2006 27 0 1 0 2 0 30 0
2007 31 0 0 0 1 0 32 0
2008 21 0 6 0 2 0 29 0
2009 29 0 7 0 1 0 37 0
2010 31 0 3 0 4 0 38 0
2011 5 0 2 0 3 0 10 0
2012 33 0 1 0 1 0 35 0
2013 7 0 1 0 2 0 10 0
2014 1 0 1 0 1 0 3 0
2015 湘南 20 8 0 6 1 1 0 15 1
2016 15 0 4 0 1 0 20 0
2017 J2 5 0 - 2 0 7 0
2018 山口 2 23 0 - 1 0 24 0
2019 5 0 - 1 0 6 0
通算 日本 J1 315 1 53 1 27 0 395 2
日本 J2 33 0 - 4 0 37 0
日本 - - 3 0 3 0
総通算 348 1 53 1 34 0 435 2

その他の公式戦

国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFCACLクラブW杯
2007 浦和 2 12 0 3 0
2008 4 0 -
2013 2 0 -
通算 AFC 18 0 3 0

タイトル[編集]

クラブ[編集]

浦和レッズ
湘南ベルマーレ

代表[編集]

ユニバーシアード日本代表

個人[編集]

代表歴[編集]

出場大会など[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 40試合 0得点(2003-2007)


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2002 0 0
2003 11 0
2004 10 0
2005 7 0
2006 11 0
2007 1 0
通算 40 0

出演[編集]

CM[編集]

テレビドラマ[編集]

中継解説[編集]

情報・バラエティ[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 2 坪井 慶介 浦和レッドダイヤモンズ公式サイト 2013.1.6 09:47 (UTC) 閲覧
  2. ^ 浦和レッズ 坪井慶介選手 移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)湘南ベルマーレ、2014年12月12日http://www.bellmare.co.jp/1152072017年12月16日閲覧 
  3. ^ 佐藤亮太 (2017年11月23日). “レジェンドの背中が教科書だった――38歳の伝道師・坪井慶介が現役にこだわる理由”. サッカーダイジェストWeb. 2017年12月16日閲覧。
  4. ^ 坪井慶介選手 契約満了のお知らせ』(プレスリリース)湘南ベルマーレ、2017年11月22日http://www.bellmare.co.jp/1829702017年12月16日閲覧 
  5. ^ 坪井慶介 選手 湘南ベルマーレより完全移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)レノファ山口FC、2017年12月15日http://www.renofa.com/archives/28959/2017年12月16日閲覧 
  6. ^ 坪井慶介 選手 現役引退のお知らせ』(プレスリリース)レノファ山口FC、2019年11月7日http://www.renofa.com/archives/52276/2019年11月7日閲覧 
  7. ^ 「オールドルーキーのリアル」を元サッカー日本代表・坪井慶介が語る。「この先どうなるのかという不安はすごくあった」”. Sportiva (2022年8月1日). 2022年9月1日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]