堀孝史
| ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| カタカナ | ホリ タカフミ | |||||
| ラテン文字 | HORI Takafumi | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
| |||||
| 生年月日 | 1967年9月10日(51歳) | |||||
| 出身地 | 神奈川県厚木市 | |||||
| 身長 | 177cm[1] | |||||
| 体重 | 74kg[1] | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | FW / MF / DF | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| 代表歴 | ||||||
| 1991 |
| 0 (0) | ||||
| 監督歴 | ||||||
| 2011 2017-2018 |
浦和レッズ 浦和レッズ | |||||
| ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
堀 孝史(ほり たかふみ、1967年9月10日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代はフォワード、ミッドフィールダー、ディフェンダーをこなすユーティリティープレーヤーだった。
経歴[編集]
神奈川県立鎌倉高等学校3年次に高校選手権に出場し優秀選手に選出[2]。明治大学を経て1990年に日本サッカーリーグ1部の東芝に加入すると1年目からレギュラーの座を獲得しリーグ戦22試合で7得点を記録、ペドロ・ペデルッチや向島建らと共に1990-91シーズンの4位に貢献した[3]。1991年に日本代表に選出され、同年4月4日に国立競技場で行われたスパルタク・モスクワとの親善試合でベンチ入りしたが試合出場の機会はなかった[3]。
1992年にJリーグの浦和へ移籍。加入当初はフォワードや攻撃的ミッドフィールダーとしてプレーしていたが結果を残すことが出来ず、堀の決定力不足はチームの低迷の要因の一つと評された[3]。横山謙三監督時の1994年に「ピッチで上下動を繰り返す運動量と、パスの正確性」を買われて右サイドバックに転向[3]。1995年に監督に就任したホルガー・オジェックの下ではボランチを務め[4]、チーム事情によってセンターバックやトップ下まで幅広く務めていた。1999年のベルマーレ平塚(翌年に湘南ベルマーレと改称)移籍後は主に守備的MFでプレーしていたが2001年限りで現役引退。
引退後は指導者の道へと進み2002年から湘南の育成組織やトップチームのコーチを歴任[5]。2005年から古巣の浦和へ復帰しユースチームのコーチを務め、2007年にユースの監督に昇格。2008年の高円宮杯全日本ユース選手権では山田直輝、原口元気、濱田水輝らを擁してチームを初優勝に導いた[4]。
2011年10月20日、成績不振で解任されたゼリコ・ペトロビッチの後任としてトップチームの監督に就任した[4]。チームは第29節大宮戦で敗れ、J2降格圏内の16位に転落し、残留争いの渦中にあった。フロントから監督就任要請を受けたのがペトロヴィッチ解任前日の10月19日のことであり[6]、第30節の横浜F・マリノス戦まで2日の猶予しか残されていないといった状況下での指揮となった[6]。堀は浦和ユースを指揮していた時と同様に中盤にアンカーを配した4-3-3の布陣を基本としつつポジションを固定せずに選手に流動性と機動力を求めるスタイルを採用[6] し、今まで出場機会に恵まれていなかった梅崎司を右サイドに起用すると、初陣となった横浜戦を2-1で勝利し、第33節のアビスパ福岡戦でも2-1と勝利するなど最終的に15位という成績でチームをJ1残留に導いた[7][8]。
2012年より、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督体制下でトップチームのコーチを務める[9]。天皇杯4回戦 横浜F・マリノス戦で腰の治療のため帰国したミハイロ・ペトロヴィッチ監督に代わり代理監督として指揮をとった。
2017年7月30日、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督が契約解除され、後任として再び浦和の監督に就任[10]、その直後にスルガ銀行チャンピオンシップを制した。さらに、長澤和輝・青木拓矢の抜擢やシステムの変更を経て、AFCチャンピオンズリーグでは緻密なスカウティングに基づいた柔軟な采配を施し、浦和を10年ぶりのアジア制覇へと導いた。
2018年は開幕からリーグ戦5試合で2分3敗、降格圏内の17位に低迷し、4月2日付で契約を解除された[11]。
人物[編集]
実兄の堀直人は全日空サッカークラブや横浜フリューゲルスでプレーしたサッカー選手であった。 浦和時代のチャント(応援歌)の元ネタは丸大ハンバーグのCMソングである。
所属クラブ[編集]
- 厚木市はやぶさイレブン
- 厚木市立厚木中学校
- 横浜市立岩崎中学校
- 1983年-1986年 神奈川県立鎌倉高等学校[12]
- 1986年-1990年 明治大学[13]
- 1990年-1992年 東芝
- 1992年-1998年 浦和レッズ
- 1999年-2001年 ベルマーレ平塚/湘南ベルマーレ
個人成績[編集]
2001年シーズン終了時の成績[14][15][16][17][18][19][20]
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | JSL杯/ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1990-91 | 東芝 | 20 | JSL1部 | 22 | 7 | 2 | 0 | 3 | 1 | 27 | 8 |
| 1991-92 | 19 | 2 | 2 | 0 | 3 | 0 | 24 | 2 | |||
| 1992 | 浦和 | - | J | - | 7 | 2 | 4 | 0 | 11 | 2 | |
| 1993 | 27 | 0 | 5 | 0 | 2 | 0 | 34 | 0 | |||
| 1994 | 41 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 43 | 1 | |||
| 1995 | 31 | 2 | - | 3 | 0 | 34 | 2 | ||||
| 1996 | 26 | 4 | 10 | 0 | 4 | 2 | 40 | 6 | |||
| 1997 | 5 | 29 | 3 | 8 | 2 | 0 | 0 | 37 | 5 | ||
| 1998 | 12 | 4 | 1 | 4 | 0 | 0 | 0 | 8 | 1 | ||
| 1999 | 平塚 | 6 | J1 | 30 | 3 | 2 | 0 | 1 | 0 | 33 | 3 |
| 2000 | 湘南 | J2 | 32 | 3 | 0 | 0 | 3 | 0 | 35 | 3 | |
| 2001 | 33 | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 36 | 1 | |||
| 通算 | 日本 | J1 | 188 | 14 | 38 | 4 | 14 | 2 | 240 | 20 | |
| 日本 | J2 | 65 | 4 | 2 | 0 | 4 | 0 | 71 | 4 | ||
| 日本 | JSL1部 | 41 | 9 | 4 | 0 | 6 | 1 | 51 | 10 | ||
| 総通算 | 294 | 27 | 44 | 4 | 24 | 3 | 362 | 34 | |||
その他の公式戦
- 1990年
- コニカカップ 7試合1得点
- 1991年
- コニカカップ 5試合1得点
記録[編集]
- Jリーグ初出場 - 1993年5月16日 対ガンバ大阪戦(万博記念競技場)
- Jリーグ初得点 - 1994年3月19日 対ジェフユナイテッド市原戦(市原臨海競技場)
- JSL(1部)初出場:1990年10月28日 対日産自動車戦(三ツ沢球技場)
- JSL(1部)初得点:1990年11月3日 対古河電工戦(平塚競技場)
指導歴[編集]
- 2002年 湘南ベルマーレ:普及・育成コーチ
- 2003年 湘南ベルマーレU-13:監督
- 2003年 湘南ベルマーレU-15:コーチ
- 2004年 湘南ベルマーレ:コーチ
- 2005年 - 2006年 浦和レッズユース:コーチ
- 2007年 - 2011年10月 浦和レッズユース:監督
- 2011年10月 - 2011年12月 浦和レッズ:監督
- 2012年 - 2017年7月 浦和レッズ:コーチ
- 2017年7月 - 2018年4月 浦和レッズ:監督
監督成績[編集]
| 年度 | 所属 | クラブ | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 順位 | 試合 | 勝点 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | Jリーグ杯 | 天皇杯 | CWC | ACL | |||
| 2011 | J1 | 浦和 | 15位 | 5 | 7 | 2 | 1 | 2 | 準優勝 | ベスト8 | - | - |
| 2017 | 7位 | 14 | 20 | 5 | 5 | 4 | ベスト8 | 4回戦敗退 | 5位 | 優勝 | ||
| 2018 | 17位 | 5 | 2 | 0 | 2 | 3 | - | - | - | - | ||
タイトル[編集]
監督時代[編集]
- 浦和レッズユース
- 浦和レッズ
- AFCチャンピオンズリーグ:1回(2017年)
- スルガ銀行チャンピオンシップ:1回(2017年)
個人[編集]
- AFC年間最優秀監督賞:1回(2017年)
脚注[編集]
- ^ a b 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 2001』トランスアート、2001年 ISBN 4-88752-104-9、180頁
- ^ “サッカー部の歴史”. 神奈川県立鎌倉高校サッカー部 OB会. 2011年10月20日閲覧。
- ^ a b c d * 『RED DIAMONDS OFFICIAL HANDBOOK 1994』南雲堂、1994年 ISBN 4-523-31036-X、44頁
- ^ a b c “堀 孝史ユース監督、トップチーム監督就任について”. URAWA RED DIAMONDS OFFICIAL WEBSITE (2011年10月20日). 2011年10月20日閲覧。
- ^ “「山田松市監督・堀孝史コーチ 就任会見」ご報告”. J's GOAL (2003年5月29日). 2011年10月20日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b c 杉園昌之「緊急リポート 堀監督で浦和はどう変るのか?」『週刊サッカーマガジン』2011年11月8日号、18-19頁
- ^ “浦和、完敗も15位残留 大宮、快勝し13位 J1最終節”. 埼玉新聞 (2011年12月4日). 2011年12月4日閲覧。
- ^ “J1浦和、屈辱の目前V 05年以降最低の15位”. 埼玉新聞 (2011年12月4日). 2011年12月4日閲覧。
- ^ “2012シーズンのトップチーム体制について”. URAWA RED DIAMONDS OFFICIAL WEBSITE (2012年1月17日). 2012年1月17日閲覧。
- ^ “堀 孝史トップチームコーチの監督就任について”. URAWA RED DIAMONDS OFFICIAL WEBSITE. 2017年7月30日閲覧。
- ^ “堀監督との契約解除について”. URAWA RED DIAMONDS OFFICIAL WEBSITE. 2018年4月2日閲覧。
- ^ 同期に本吉剛。
- ^ 同期に江尻篤彦。
- ^ 『1991-1992JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1991年 ISBN 4-523-31033-5
- ^ 『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993年
- ^ 『浦和レッズ10年史』ベースボール・マガジン社、2002年、ISBN 978-4583036854
- ^ 『J.LEAGUE YEARBOOK 2000』、トランスアート、2000年 ISBN 4-88752-101-4
- ^ 『J.LEAGUE YEARBOOK 2001』、トランスアート、2001年 ISBN 4-88752-103-0
- ^ 『J.LEAGUE YEARBOOK 2002』、NTT出版、2002年 ISBN 4-7571-8117-5
- ^ “R-File”. URAWA RED DIAMONDS OFFICIAL WEBSITE. 2011年10月20日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
| ||||||||||||
| ||||||||||||||||||||